二話 波紋(3)
気が付けば一年が経過し、ミラ島で量産された霊視装置が日本にも流入するようになっていた。
SNSでは連日のように新しい映像がアップロードされ、人々の信仰をさらに強めている。
アイゼンベルクさんは律儀にも、量産にあたっての莫大な権利費を支払い続けてきた。
――もう、お金はどうでもいい……。
正直なところ、かなり前から守山家は、質素に暮らすだけなら働かなくてもいいだけの資産を持っている。
今研究を続けているのは、機械的生命体に対する使命感と、霊視装置に関しては自分たちの安全のためでしかない。
朝食のパンをかじっていると、悟が心配そうに顔を覗き込んできた。
「茜、最近食欲ないね。体調大丈夫?」
「あー……そういえば痩せたかも?」
全体的に食欲が落ちていて、お腹周りも少し軽くなった気がする。
「お母さん、やっぱり装置の研究から一旦抜けよう?」
「朋里の中学校の入学準備もあるし、そっちに専念してくれない?」
朋里も、いよいよ四月から中学生だ。
子どもの成長は早い。研究に没頭している間に、あっという間に大きくなっていく。
朋里と目が合うと、ふわりと笑った。
「前から思ってたけど、お母さん働きすぎだよ。ちゃんと構ってくれるけど、無理しすぎ」
「そうよ、茜ちゃん。もう三十五でしょ? 無理は禁物よ」
由香里さんにまで釘を刺され、思わず苦笑する。
「じゃあ、お言葉に甘えて……研究は一旦お休みしようかな」
「うんうん。それがいいよ! じゃあ春休み、二人でお出かけしよ?」
「え、お姉ちゃんだけズルい! あたしも行きたい!」
「時々は私もお母さん独り占めしたいの。優希は別の日に行けばいいじゃん?」
「たしかに!」
「え、それなら僕もお母さんと二人でお出かけしたい……!」
「お兄ちゃん、仕事でもずっと一緒じゃん!」
朋里が口を尖らせると、ミライも負けじと同じ顔をする。
「仕事と遊びは違うでしょ?」
「たしかにー」
三人が顔を見合わせて、私抜きで“私とのお出かけ計画”を立てているのが可笑しくて、思わず笑ってしまった。
研究所へは、悟とミライと由香里さんの三人で向かう。
途中で由香里さんと別れ、研究室に入ると、すでに皆が揃っていた。
「おはようございまーす」
「おはよー」
「おはよう!」
――やっぱり山下さんがいると安心するなぁ……。
クラゲ侵攻をきっかけに、山下さんは急激に回復した。
日本を立て直すという使命感が、自身をも立ち直らせたのだろう。そのきっかけがいかにも山下さんらしくて、嬉しかった。
由香里さんとはまだ顔を合わせていないが、今の山下さんは、彼女を作り出す前の状態に戻っている。
嬉しい反面、今や家族となった由香里さんと和解できていない現状は、どうしても胸に引っかかる。
――私にはどうにもできない問題なのに。
「霊視装置の映像、SNSでどんどん拡散してるね」
小林さんがスマートフォンの画面を見せてきた。
『魂の観測』
その文字とともに、人が纏う炎の様な揺らぎか映し出される。別の人は膜のようなもの。人が氷の中にいるような人もいた。色は赤がベースのグラデーションのような人から、白一色、虹色の人もいる。
様々な人の情報構造体がまとめられていた。
「科学的に証明されていなかった存在が、こうして見えるようになったんだ。そりゃあ興味も持たれるさ」
「まだ厳密な立証はされてないはずですけどね……」
「でも、再現可能になった。それが大きいんだよ」
元気のない私に、小林さんが首を傾げる。
『かにお』くんが、そっと私の手を握った。
「茜ちゃん、ずっと元気ない。大丈夫?」
上目遣いで見上げてくるその姿は、相変わらず愛嬌の塊だ。
「ちょっと辛くなってきたから、霊視装置の研究はしばらくお休みすることにしたの。大丈夫だよ、ありがとう」
頭を撫でると、『かにお』くんは嬉しそうに笑う。
今や蟹の名残は、頭の赤い触覚だけになっているが――それでも可愛い。
「どんどん宗教改革が進んでるよ。すごいことだ。機械的生命体もそうだけど、歴史を変えてる」
「“あっち側”を証明しちゃったんだからね」
山下さんの言葉に、乾いた笑いしか返せない。
悟がそっと背中を押し、デスクへと促してくれる。
歴史を変えることは、科学者としては名誉かもしれない。
けれど、私にはそれがどうしようもなく恐ろしい。
――アイゼンベルクさんがいなければ、違ったのかな……。
――いや、今思えば最初からラスボス感あったよね……。
「さあ、今日も始めよう」
悟の声に、小さく微笑んで――私は縋るように研究に没頭した。
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朋里の卒業式も終わり、入学式も無事に迎え、新生活に慣れ始めた頃。
ついに、霊視装置の最終形態――MRグラス型が完成した。
演算装置も軽量化され、国語辞典ほどのサイズと重さに収まっている。
腰に装着する形式だ。
霊体の描写精度も大きく向上し、これまで黒目しか見えなかったものが、瞳と白目まで判別できるようになった。
さっそく自分の背後を確認した悟が、笑いながら涙をこぼす。
「見えるようになったのはいいけど……今度は触れ合えないのが寂しくなるね」
声も届かない。ただ“見えるだけ”の存在。
――たしかに、それはそれで寂しいのかもしれない。
「自分でも思うよ。人の欲って、際限がないね」
悟が自嘲気味に笑う。
「会えないと寂しい。会えても、触れられないともっと寂しい……近づいたのに、遠ざかってるみたいだ」
「人間って難しいね」
「感情があるなら、それはミライたちも同じじゃない?」
「……確かに、そうかも」
悟の祖父母は、どこか寂しさを含んだ優しい表情で、ただ彼を見つめている。
悟が何度か語りかけても、二人が口を開くことはなかった。
やがて悟は肩を落とし――静かにMRグラスを外した。




