一話 抵抗(7)
「……待って、母なる人ってどういうこと?!」
謎の単語に変な汗が出始める。
エルザは悪戯っぽく笑う。
「私たちに埋め込まれた、非公開の暗号化された設定よ」
「え? 何それ?」
そんな設定、したことも聞いたこともないし、思い当たる節もない。
「村瀬さんと河井さんが埋め込んだ、ちょっとした『ネタ』よ」
「あいつら何してんの?!」
……。
いや、本当に何してくれてんの?!
「それってどんな設定?」
「私たちの生体組織のベースって、基本的に茜から出来てるでしょ?」
「うっ……そうだった……」
「そう。だから、私たちの母なる人」
――納得はできる……が、納得はできない……。
何故、そんな変な設定をわざわざ暗号化してこっそり埋め込むかな!!
――そうね、こんな『ネタ』、暗号化してこっそりじゃなきゃ、私が絶対除去しますからね!!
羞恥心で頭がクラクラしてくる。
いつもの鬱とは異なる爆発的な感情に、身体が追いつかない。
エルザが笑いながら、水の入ったコップを渡してきた。大人しく飲む。
「……他に暗号化された設定はあるの?」
「私たちを生み出した偉大なる日本人――初期開発メンバーの情報と、母なる人がピンチの時はできるだけ助けてあげてってことと、悪の一味に所属してしまった場合は、できる限り善行をするってことかしら?」
「あいつら、重要な設定にとんだものを仕込んでくれたな……」
「そう?」
飄々とするエルザに、私は頭を抱える。
本当にただの悪ふざけというか……あいつら的には面白設定でこっそり組み込んだんだろうけど、人間の生存本能にこれが組み込まれたと考えると、いかにとんでもないことをしているのかが分かるだろう。
――っていうか、私、その設定に救われてるから怒れない……っ!
机をバンバン叩いて鬱憤を発散する。
「――そうか、『人類との共存』という基底命令からすると、ミラ島の人間はそれに反した行いをしているから、敵対対象になるのね……」
エルザが「そうなのよ!」と嬉しそうに頷く。
「だから、木陰が思い悩んでて……」
ポケットから、エルザは二センチほどの小さな箱を取り出した。
「この前、研究施設に行けたから貰ってきたの」
「何それ?」
「木陰、聞こえる?」
『聞こえるよ』
「あ、通信端末ね」
『お久しぶりです。大丈夫ですか? 茜さん?』
「エルザのお陰で、かなり落ち着いてきてるよ」
『それは良かったです』
いつも通りのおっとりした声に、少し癒される。
「そういえば、今こんな風にやり取りして大丈夫なの?」
『声ではなく、暗号化したテキストを送信しているので問題ないはずです』
「なるほど」
暗号化されたテキストを受信して、それを木陰ちゃんの声に変換しているらしい。
『エルザ、茜さんはあとどれくらい休む必要がある?』
「かなり良くなってきてるけど、まだ一ヶ月は見た方がいいかな。あと体力が大幅に落ちてるから、走るとかは無理かな」
『一ヶ月か……』
「え? 何の話?」
「脱出計画」
「え?!」
いきなりの情報に目が白黒する。
「でも、脱出したところで、魔法がなくならない限り、また拉致されるんじゃない?」
「茜が脱出を優先しないのなら、それに合わせるよ」
「あー、脱出を優先してくれていたんだね、ありがとう……」
つまり、二人は例の『設定』を実行しようとしていてくれたのである。
「――それなら、内側からアイゼンベルクの野望を打ち砕く手助けをしてほしい」
「いいよ」
『大丈夫です』
二人の即答に、久しぶりに胸が弾んだ――けど、すぐにまた沈む。
「……まぁ、まだ何も考えてないんだけどね」
『一緒に考えていきましょう!』
エルザも私を見ながら自信ありげに頷く。
昔のエルザなら、こういう時の笑顔は嫌な予感しかしなかったのだけど、今のエルザはきっと大丈夫だろう――たぶん。
「それで、今の外の状況ってどんな感じ?」
『あー、残念なことに、地球の人口が半分くらいになっています』
「……いきなりとんでもない情報ね」
『あと、基本的に日中は研究施設の人間も含め、ミラ島の人間ほぼ総出で浄化作業に回っています』
「つまり、奇襲を仕掛けるなら日中ってことね……」
『そうですね……。どんどん人口が多い場所が減っているので、奇襲を仕掛けるなら待機人口が増える前に、なるべく早いうちにした方が良いかと思います』
「さっさと作戦考えなきゃいけないってわけね……」
――どうしようか?
久しぶりに湧き上がる感情に、自分の思考回路が少しずつ復旧し始めている感覚がした。




