一話 目的(23)
「……?」
強い血の匂いで目が覚める。
目を開いた先にいたのはエルザだったけど、その背後には独房のような格子が見えた。
「――?」
身体が動かない。俯くと、椅子に縛り上げられていた。
「――ひぇ」
周りを見渡すと、棘だらけの椅子や三角形の奇妙な台、枷の付いた台に鞭らしきものが並んでいる。
血の跡は一つも見当たらないのに、不思議と鉄臭い匂いだけが濃く残っていた。
私が驚く様子を見て、エルザが眉尻を下げながら微笑んだ。
「ようこそ、私の本当の部屋へ」
「エルザ……」
「やっぱりあんまり驚かないのね」
「その……」
どう言おうか迷っていると、エルザは私の顔を両手で包み込んだ。
嗅ぎ慣れた、エルザの腐敗臭に包まれる。
「――何か視えてるの?」
「うん……エルザ、いっつも怨霊を引き連れてたから……時々増えるし」
「私が怖くなかったの?」
「怖いとも思ったけど……私には優しかったし」
「ふふっ」
エルザは自身の額を私の額に当てる。
「本当に、可愛い――」
「でも殺すのね?」
「うん、ごめんね。奥様から言われたの」
「はあ」とエルザは深いため息を吐いた。
「若様が縁談について反対しなければ問題なかったのよ……でも、ハナに恋心を抱いたせいで……本当にとばっちり」
「え? ティーノが私を?」
いきなりの発言に、乾いた笑いが漏れる。
「ないない――ただの友達だよ」
「ハナ、あなたが一方的にそう思ってるだけで、若様は結構好きだったみたいよ」
「えぇ……」
「本人的にはアピールしてたみたいだけど、気が付かなかった?」
「え? 全然……」
困惑する私に、エルザは呆れたように首を振った。
「ちょっと若様が可哀想になったわ……」
「えぇ……殺されるのは私なのに?」
「でも、ちょっと嬉しいんでしょ?」
「え……嬉しいわけ……ある……のか?」
――いや、少しだけ、あるかもしれない。
自分の本心に気付いて、少し焦る。
正直、自死が嫌なだけで生き続けていた日々だった。
このまま死ねるのなら、楽になれてちょうどいいと思っている自分が、はっきりといる。
「――でも、楽しいこともあったよ?」
「そうね……私もあなたと過ごせて、とても楽しかったわ」
悪戯の共謀者のように、私とエルザは笑い合う。
そしてエルザは再び悲しそうに眉尻を下げた。
「だから本当に残念なの。どちらかというと、ハナより若様の方を屠りたいくらいだわ」
「それはダメでしょ……?」
「そうなのよ……」
目の前で女神のように美しい女性が悩む姿は、とても絵画的だった――場所が拷問部屋なのが台無しだけど。
「あぁ、私の大好きなハナ……」
エルザは本当に悲しそうに私を抱きしめる。
そして頭を撫でながら、耳元で囁いた。
「――実は、魔法の秘密も教えてもらわないといけないの」
「……あれは、マジックだよ」
「しらばっくれてもダメよ。若様の部屋であなたの魔法を見てたのは、若様だけじゃないのよ?」
「え……? あ……」
――つまり、ティーノが知らないだけで、常に誰か護衛がついていたのか……。
エルザが悪戯っぽく人差し指を口に当てる。
「これは誰にも言っちゃだめよ?」
「言えないじゃん?」
「ふふっ、そうね」
エルザはとうとう私の膝の上に座り、寛ぎ始める。
「それで、魔法の使い方を教えて?」
「――教えないと……?」
「ご・う・も・ん。でも、ハナは綺麗なまま終わりにしたいから、その前に教えてほしいの」
「拷問は……嫌だなぁ」
周りの拷問用具を見渡して、苦笑いしてしまう。
せがむように、エルザは「ね?」と小首を傾げた。
「いいけど、ティーノも使えなかったから、他の人も使えないかも」
「いいわ。方法さえ教えてくれれば、奥様も旦那様に叱られないと思うし」
「えーっとね……」
服の中から、首飾りの勾玉を取り出してもらう。
「いつも握っていた物ね?」
「そう。この石を通じて、精霊たちにお願いするの」
「どんな感じでお願いするの?」
「呼び出したい精霊を呼んで、お願いする感じ」
「試すわ――石は貰うわね」
「うん――」
いつも身につけていた首飾りが首元からなくなり、ふと不安になる――どうせもう死ぬのに。
エルザが石を握って祈るが、やはり何も起きない。
――それでも、石を握り祈る彼女の姿は、とても美しかった。
「うん、やっぱりだめね。神様なんて信じてないもの」
「神様じゃなくて、精霊なんだけどなぁ……」
「精霊と仲良くないと叶えてくれないんじゃないかしら?」
「それは……あるかも?」
「じゃあ私には一生無理そうね」
妖しく、エルザは笑う。
「ティーノでも無理だったから、他の人も難しいかもしれない」
「そうね。そういうことにしておくわ」
「さて」と、エルザが優雅にオレンジジュースを運んでくる。
「あなたが大好きなジュースよ」
「ありがとう」
「この中に強めの睡眠薬が入ってるわ。飲んだら、そのままあなたは目覚めない」
「毒ってこと?」
「違うわ」と、エルザは微笑みながら首を振る。
「ハナが深く眠ってから、あなたの首の骨を折るわ。二階の窓から落ちたことにするから」
「痛くないようにしてくれるんだね。ありがとう、エルザ」
エルザは手の紐を解いてくれた。
ジュースの入ったコップを受け取るとき、エルザの手が一瞬止まったけど、ちゃんと渡してくれた。
「ごめんね、ハナ。大好きよ……」
「あ、ティーノ――若様にごめんって謝っておいてほしいんだけど、いい?」
「分かったわ。可能な限り伝える」
「ありがとう、エルザ」
そうして私は、薬入りのジュースを飲み干した。
さっきのジュースとは違って苦味はなく、ただただ甘酸っぱい味が私の胃を満たしていく。
強いと言っていただけあって、あっという間に眠くなってくる。
強い眠気に抗いつつ、最期に口を開く。
「おやすみ、エルザ――これで自由になれる、ありがとう……」
最期に目にしたのは、死の女神様の優しい微笑み。
――ごめんねティーノ、先に自由になるよ……。
「おやすみ、ハナ……」
どこからか雫が落ちて、頬を伝っていった気がした。




