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結婚直前に捨てられた私を、嫌いだったはずの上司が迎えに来ました。  作者: 結城つむぎ
第1章 結婚直前に捨てられました

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第4話 五年間は何だったの?

「私が何をしたの?」


菜々子の声は、自分でも驚くほど静かだった。


和樹は答えない。

テーブルの上には、さっきまで見ていたスマートフォン。


その画面には。

莉奈の言葉が残っている。


私、もう待てないよ。


和樹さんと一緒にいたい。


菜々子はそれを見ないように視線を逸らした。


「ねえ」


もう一度聞く。


「私、何かした?」


「菜々子は何も悪くない」


「じゃあ何で?」


「それは」


「五年間だよ」


声が震えた。


「五年一緒にいて」


和樹を見る。


「何で二か月で全部変わるの?」


和樹は苦しそうに目を伏せた。


「俺にも分からない」


「またそれ?」


「本当に」


「分からないじゃ困るよ」


菜々子は笑った。


でも。

涙が止まらない。


「私、あなたと結婚すると思ってたの」


「うん」


「和樹だってそうだったんでしょ?」


「そうだよ」


「じゃあ何で?」


同じ質問。

何度聞いても。


納得できる答えなど出てこない。


「莉奈ちゃんのどこが好きなの?」


和樹が顔を上げる。


「菜々子」


「聞かせて」


「聞かない方がいい」


「それを決めるのも和樹?」


和樹は黙る。


「私が聞きたいって言ってるの」


「明るいところ」


菜々子の胸が痛む。


「うん」


「一緒にいると楽しい」


「私とは楽しくなかった?」


「そうじゃない」


「じゃあ何?」


和樹は言葉を探す。


「菜々子とは」


「うん」


「安心する」


一瞬。

意味が分からなかった。


「安心?」


「長く一緒にいるから」


「それが嫌だったの?」


「違う」


「じゃあ」


和樹は息を吐く。


「菜々子といると、家に帰ってきたみたいな感じなんだ」


菜々子は何も言わず聞く。


「落ち着くし」


「うん」


「何でも分かってくれる」


「うん」


「結婚するなら菜々子だって、ずっと思ってた」


その言葉が。

余計に苦しかった。


「でも?」


菜々子が聞く。


「莉奈といると」


和樹は一度、口を閉じた。


「恋をしてるって思った」


時間が止まった。


菜々子は。

何も言えなかった。


「何それ」


ようやく声が出る。


「菜々子」


「私は安心で」


涙が頬を伝う。


「莉奈ちゃんには恋?」


「そういう言い方したいわけじゃ」


「今そう言ったじゃん」


「ごめん」


「謝らないで」


声が大きくなる。


「謝れば済むみたいに言わないで」


「済むとは思ってない」


「じゃあどうしたいの?」


「別れたい」


はっきり言われた。

分かっていた。


でも。

改めて聞くと。


胸の奥をえぐられる。


「私と別れて」


「うん」


「莉奈ちゃんと付き合うの?」


和樹は黙った。


「もう付き合ってるんだったね」


「うん」


「じゃあ私だけが邪魔なんだ」


「違う」


「何が違うの?」


菜々子は立ったまま和樹を見る。


「結婚式をやめて」


「うん」


「私と別れて」


「うん」


「莉奈ちゃんと一緒になる」


「今はそこまで決めてない」


その言葉に。

菜々子は思わず笑った。


「は?」


「莉奈と結婚するとか、そういうところまでは」


「じゃあ」


菜々子は信じられない気持ちで聞く。


「結婚するかも分からない相手のために、私との結婚をやめるの?」


「そういうことじゃない」


「そういうことでしょ」


「菜々子と結婚したまま莉奈のことを思う方が」


「誠実じゃない?」


和樹が黙る。


「またそれ?」


菜々子は涙を拭う。


「今さら誠実とか言わないで」


「ごめん」


「五年間」


菜々子はゆっくり言った。


「私たちの五年間って何だったの?」


「無駄じゃない」


「じゃあ何?」


「大事だった」


「過去形なんだね」


「菜々子」


「私は今も大事だったよ」


自分で言って。

胸が苦しくなる。


「昨日まで」


菜々子は続ける。


「普通に結婚すると思ってた」


「うん」


「来年のことも考えてた」


「うん」


「子どもはいつかほしいねとか」


「うん」


「家を買うならどこがいいとか」


話した。


何度も。

二人の未来を。


菜々子は本気だった。


でも。

和樹にとっては。


もう違っていた。


「全部嘘だったの?」


「違う」


和樹がすぐに答える。


「じゃあ何でこんなことできるの?」


「気持ちが変わったから」


その言葉。

あまりにも簡単で。


菜々子は息を呑んだ。


「気持ちって?」


「うん」


「そんな簡単に変わるの?」


「簡単じゃない」


「でも変わったんでしょ」


「うん」


菜々子は力が抜けるようにソファへ座った。


「私ね」


小さく言う。


「結婚すれば」


「うん」


「もっと安心できると思ってた」


今思えば。

馬鹿みたいだ。


「和樹となら大丈夫だって」


「菜々子」


「何があっても」


涙が落ちる。


「話し合っていけると思ってた」


和樹は何も言えない。


「五年間一緒にいたから」


「うん」


「それだけは信じてた」


でも、その信頼が。

一番簡単に壊された。


「莉奈ちゃんとは」


菜々子が聞く。


「何がきっかけだったの?」


「仕事の相談」


「誰の?」


「莉奈から」


「私の会社のこと?」


「うん」


「それで連絡取るようになった?」


「そう」


菜々子は苦笑する。


「私に相談してたこともあったよ」


「何を?」


「仕事」


莉奈は何度も言っていた。


桜井さんみたいになりたいです。


私、もっと仕事できるようになりたくて。


その裏で。

自分の婚約者にも相談していた。


「二人で会ったの?」


「何回か」


「私に隠して?」


「最初は隠してるつもりじゃなかった」


「途中からは?」


「隠した」


また。

真っすぐ刺さる答え。


「キスしたのは?」


「菜々子」


「答えて」


和樹は目を逸らした。


「一か月半くらい前」


菜々子は目を閉じた。


その頃。

何をしていただろう。


思い出した。


和樹と一緒に。

結婚指輪を見に行った。


「指輪」


「え?」


「一か月半前」


菜々子は和樹を見る。


「結婚指輪見に行ったよね」


和樹の顔が固まる。


「うん」


「そのときもう、莉奈ちゃんとキスしてたの?」


「うん」


菜々子は。

もう泣かなかった。


涙が出ない。

代わりに。


心のどこかが冷たくなった。


「最低」


初めて。

はっきり言った。


和樹は俯く。


「ごめん」


「本当に最低だよ」


「うん」


「私」


菜々子は立ち上がる。


「今日、ここにいたくない」


「菜々子」


「でも」


辺りを見る。


ソファ。

テーブル。

食器。

カーテン。


全部。

二人で選んだもの。


「ここ」


声が少し震える。


「私たちが住む家だったんだよね」


「うん」


「じゃあ」


菜々子は和樹を見る。


「私はどこに帰ればいいの?」


和樹は答えられなかった。


その沈黙で。

初めて。

本当に。


自分の未来がなくなったのだと分かった。


結婚だけではない。

二人で住むはずだった場所も。


これから始まるはずだった生活も。


全部。

もうない。


「今日は帰って」


菜々子は静かに言った。


「菜々子」


「お願い」


「でも」


「今は一人にして」


しばらくして。

和樹は小さく頷いた。


「分かった」


ジャケットを取る。

玄関へ向かう。


ドアの前で。

和樹が振り返った。


「菜々子」


「何?」


「五年間」


少しだけ言葉を止める。


「俺にとっても大事だった」


菜々子は笑った。

悲しい笑いだった。


「だったら」


和樹を見る。


「最後まで大事にしてほしかった」


和樹は何も言えなかった。


ドアが閉まる。

一人になる。


菜々子は。

しばらく玄関を見ていた。


そして。

静まり返った部屋の中で。


小さく呟いた。


「五年間って何だったんだろ」


答える人は。


もう。

どこにもいなかった。

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