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結婚直前に捨てられた私を、嫌いだったはずの上司が迎えに来ました。  作者: 結城つむぎ
第1章 結婚直前に捨てられました

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第3話 相手は知っている人でした

「知ってる人なの?」


菜々子がもう一度聞く。

和樹は目を逸らした。


「うん」


たった二文字。


それだけで。

菜々子の胸が冷たくなった。


「誰?」


声が自分のものではないように聞こえる。

和樹は答えない。


「誰なの?」


「菜々子」


「名前くらい言えるでしょ」


「言ったら傷つく」


「もう十分傷ついてるよ」


思わず強い声が出た。

和樹の表情が曇る。


でも。

菜々子はもう止まれなかった。


「私の知ってる人なんでしょ?」


「うん」


「会社の人?」


沈黙。


その一瞬で。

答えはほとんど分かってしまった。


菜々子の頭に、昨夜のスマートフォンの画面が浮かぶ。


小野寺莉奈。


違ってほしい。

そう思った。


「莉奈ちゃん?」


和樹の顔が固まった。

それだけで十分だった。


「嘘」


菜々子は小さく笑った。


「嘘でしょ」


「菜々子」


「莉奈ちゃんなの?」


和樹はしばらく黙ったあと。

ゆっくり頷いた。


「そうだ」


菜々子は何も言えなかった。

音が遠くなる。


時計の針。

冷蔵庫の低い音。

外を走る車。


全部。

遠い。


「何で?」


やっと声が出た。


「莉奈ちゃんなの?」


意味のない質問だった。

誰ならよかったという話ではない。


でも。

莉奈だけは。


知っていた。

菜々子と同じ会社。


同じ企画部。

二年前に入社してきた後輩。


明るくて。

少し甘え上手で。


「桜井さんって本当に頼りになります」


そう言って笑っていた。

仕事で困れば、何度も相談に乗った。


和樹とも。

会社の飲み会の帰りに何度か顔を合わせたことがある。


「和樹さん、優しそうですね」


莉奈はそう言っていた。

菜々子は笑って答えた。


「優しいよ」


あのとき。


莉奈は。

何を思っていたのだろう。


「いつから?」


菜々子が聞く。


「何が?」


「莉奈ちゃんと」


「二か月くらい前」


「好きになったのが?」


「うん」


「付き合ってるの?」


和樹の表情が変わった。

菜々子の指先が冷たくなる。


「和樹」


「うん」


「何?」


「付き合ってる」


一瞬。

頭が真っ白になった。


「付き合ってる?」


自分でも笑ってしまう。


「私と婚約してるのに?」


「ごめん」


「それ、浮気って言うんじゃないの?」


「そうだと思う」


「そうだと思う?」


菜々子は立ち上がった。


「何その言い方」


「言い訳するつもりはない」


「じゃあ何でやったの?」


「分からない」


「分からないで浮気したの?」


「菜々子」


「五年間付き合って」


声が震える。


「結婚するって決めて」


「うん」


「式場まで予約して」


「うん」


「その間に、私の会社の後輩と付き合ってたの?」


「うん」


その返事が。

何度聞いても信じられなかった。


菜々子はソファの背に手を置いた。

立っているのが少しつらい。


「莉奈ちゃんは知ってるの?」


「何を?」


「私たちが結婚すること」


和樹は黙る。


「知ってるよね」


「知ってる」


「私の後輩だもんね」


「うん」


「結婚式の話だってしてた」


思い出す。

莉奈にドレスの写真を見せた。


「素敵です」


そう言ってくれた。


「桜井さん、絶対きれいです」


笑っていた。


そのときには。

もう和樹と付き合っていたのだろうか。


「二か月前って」


菜々子が聞く。


「いつ?」


和樹は答えに詰まる。


「はっきり言って」


「八月の終わり頃」


菜々子は目を閉じた。

覚えている。


その頃。

莉奈に結婚式の招待状を渡した。


「招待状」


「え?」


「莉奈ちゃんに渡した」


和樹の表情が変わる。


「その頃だよ」


「そうなのか」


「そうなのかじゃないよ」


菜々子は和樹を見る。


「あなたと付き合いながら、私の結婚式に出るつもりだったの?」


「それは」


「莉奈ちゃん、何て言ってるの?」


「菜々子と結婚するなら別れるって」


「は?」


「だから俺が」


和樹は一度言葉を止める。


「ちゃんと決めないといけないと思った」


菜々子は信じられなかった。


「ちゃんと?」


「うん」


「今までちゃんとしてなかったのに?」


「そう言われても仕方ない」


「本当にそうだよ」


涙が出そうになる。


でも。

まだ泣きたくなかった。


ここで泣いたら。

自分が負けたような気がした。


「莉奈ちゃんは」


菜々子はゆっくり聞く。


「私から和樹を取ったと思ってるの?」


「そういう言い方は」


「じゃあどういう言い方ならいいの?」


和樹は答えない。


「婚約者がいる男と付き合った」


「うん」


「しかも相手は自分の先輩」


「うん」


「それで何も悪くないの?」


「莉奈だけが悪いわけじゃない」


その言葉。

菜々子の胸に刺さった。


「かばうんだ」


「違う」


「今、かばったよ」


「俺の方が悪いって言ってるだけだ」


「同じだよ」


菜々子は笑う。


「私より莉奈ちゃんを守りたいんでしょ」


「そういうことじゃない」


「じゃあ何?」


和樹は黙った。


その沈黙が。

また菜々子を傷つける。


「私」


菜々子は小さく言った。


「莉奈ちゃんのこと、結構好きだったんだよ」


和樹が顔を上げる。


「後輩として」


仕事ができたときは褒めた。

失敗したときは励ました。

相談されたら時間を作った。


まさか。

自分の婚約者の相談まで。


知らないうちにしていたのだろうか。


「昨日」


菜々子は言う。


「莉奈ちゃんからメッセージ来てたよね」


和樹は黙る。


「仕事って言った」


「うん」


「嘘だった?」


「そうだ」


また。

胸の中で何かが崩れる。


「何て来てたの?」


「それは」


「見せて」


「菜々子」


「見せてよ」


「見ても傷つくだけだ」


「その判断、和樹がするの?」


菜々子は手を差し出した。


「スマホ」


和樹は動かない。


「見せられないんだ」


「そうじゃない」


「じゃあ見せて」


長い沈黙。


そして。

和樹はスマートフォンを取り出した。


ロックを解除する。

菜々子に渡す。


画面には。

莉奈とのトーク。

直近のメッセージ。


今日、ちゃんと話してくれる?


その下。


私、もう待てないよ。


さらに少し上。


和樹さんと一緒にいたい。


菜々子の指が止まる。


「和樹さん」


口にしただけで。

気持ち悪くなった。


菜々子はスマートフォンをテーブルへ置いた。

もう見られなかった。


「私」


声が震える。


「明日、莉奈ちゃんと普通に仕事するの?」


「菜々子」


「同じ会社なんだよ」


その現実を。

今さら思い出した。


婚約者を失うだけではない。


明日になれば。

莉奈と顔を合わせる。


何も知らなかったふりをして。

同じオフィスで。

同じ仕事をする。


できるのだろうか。


「今日は」


菜々子はゆっくり息を吸った。


「もう帰って」


「ここ、俺の」


「お願い」


和樹が言葉を止める。


「今は顔見たくない」


菜々子はまっすぐ和樹を見る。


「莉奈ちゃんのところに行けば?」


「菜々子」


「好きなんでしょ」


言葉にした瞬間。


初めて。

涙が落ちた。


「だったら行けばいいじゃん」


和樹は何も言えなかった。


その顔を見て。

菜々子は思った。


昨日まで。

自分は二か月後の結婚式を心配していた。


席次表。

料理。

引き出物。


そんなことで悩んでいた。


でも、今は。

結婚式そのものが、なくなろうとしている。


しかも。

自分の知っている女の子に。

婚約者を奪われて。


菜々子は涙を拭った。


悲しい。

悔しい。

信じられない。


それでも。

一番強かったのは。


どうして私だったの。

という気持ちだった。


和樹だけではない。

莉奈にも、聞きたかった。


私が何をしたのと。

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