第九話 記憶の深淵(レン:二日目)
日が落ちてから、ロベルトは商業区画の奴隷商へ至急使者を送ると、セバスチャンに言って馬車を用意させ、準備が出来次第、ロベルトと佐伯は奴隷商へと向かった。 移動中馬車の中でロベルトは、この街――商業都市ルミナスにおける政治的力関係について佐伯に淡々と語って聞かせるのだった。
商業都市ルミナスは、このアルファンド王国において政治的財政的軍事的に独立していて、ルミナスにおける様々な物事はルミナス市政評議会で協議して決定される仕組みだ。
地域の代表者や商人が百名ほど評議会下院にいて、そこから議題や陳情が上がってくる。
上院には三十名ほどの大商人や貴族がいて上がってくる議題や陳情に対して意見や法案をまとめる。 そして上院最大勢力である理事会の五つの家――アッシュフォード伯爵家、ベルンハルト子爵家、ナルデニアン男爵家、モントブラン商家、そしてヴァンダール商会が、過半数の賛成を持って議決する。
ダスティンの死によって、モントブランの議席が空席になっている。 ロベルトはすでに評議会を引退しており、引退した評議会員の再任は基本認められていない。 現在、評議会上院理事会は実質四名となっている。モントブラン家の跡取りが定まらねば、その空白を他家に食い荒らされかねない。 しかし、モントブラン家の跡取りは孫娘のエレナのみだ。
アッシュフォード伯爵家の先代当主のアルフレッド・フォン・アッシュフォードとは長い付き合いで、これまで助け合いながらルミナスを運営してきたが、数年前から病床に臥せっており、余命短いといわれている。
アッシュフォード伯爵家の当主を2年前に引き継いだセドリック・フォン・アッシュフォードは、まだ若く野心的で、以前エレナとの婚約話が持ち上がったが、エレナはまだ若いということで断っている。 アルフレッドとは長く交友してきたが、野心的なセドリックの思惑までは図りかねていて、エレナへの求婚のその厚意を無邪気に信じるわけにはいかない。
ベルンハルト子爵のヴォルフガング・フォン・ベルンハルトは形勢が定まるまで動かぬ日和見であり、ヴァンダール商会のマグダレナ・ヴァンダールは抜け目のない女傑であり、損得でしか動かない。
そして――ナルデニアン男爵家のグレゴーリ・フォン・ナルデニアンが、この空白に必ず何か仕掛けてくるであろうことは明白だ。
佐伯は相槌を打ちながら、語られる情報を一つ一つ胸の奥へ整理して落とし込んでいった。
議席の空白、婚姻の思惑、日和見の子爵、そして山賊の依頼主…… 線が、少しずつ像を結びつつある。
(つまりナルデニアン家は裏の実行部隊を使って、この街の実権を握りたい......?)
(いや......。 それにしては手口が性急すぎる.....)
(理事会で議決するには過半数の賛成が必要ということは、少なくとも三つの家の賛成が必要になる。 モントブラン家が空席になっても、その状況は変わらない。 他の家との協力体制が無ければ成り立たないし、それができるならこんな手は使わない。 そもそもこんなことをしたら他の家が警戒しはじめるだろう)
(理事会での最大の勢力はアッシュフォード伯爵家......。 すでに今の当主と話が付いている? アッシュフォードの先代が病床というのも奇妙だ。 できすぎている)
(..........。 一つの絵にするには、やはりまだ情報は足りないな)
佐伯は思考を回転させながら、話し続けるロベルトを観察しつづけていた。 信用は得られている。 いや、それだけ危機的な状況だということを理解しているのかも知れない。
老爺の声には、隠しきれない疲労と、それでも家名を守り抜こうとする執念が滲んでいた。
・・・・・
奴隷商館は、居住区画の外れに看板もなくひっそりと建っていた。
石造りの門の前で、恰幅の良い中年の男が待ち構えていた。 奴隷商のバルトロが、揉み手をしながら深々と頭を下げ、ロベルトを丁重に出迎え、値踏みするような目線を佐伯に向けた。
「ロベルト様、ようこそいらっしゃいました。 お急ぎのご相談との事で、今日は貸し切りにて、じっくりとお選びいただけます」
門を潜り、饐えた匂いと消毒液の匂いが入り混じる薄暗い建物の奥へと案内される。 突き当たりの扉が開かれると、貸し切りにされた広い部屋の中央に、戦闘奴隷たちが裸のまま横一列に並べられていた。
筋骨隆々の大男、しなやかな身のこなしの女戦士、毛皮に覆われた熊の獣人が、大男はニヤニヤしながら、女戦士は怪しい媚びた微笑を、獣人はそっぽを向いて立っている。 それぞれの前に、青白いステータス画面が音もなく浮かび上がっていた。
佐伯は視線を巡らせながら、ステータスの内容を確認していく。 斧術Lv7、鞭術Lv6、気配探知Lv6、暗殺術Lv5、人食いLv7。 どの奴隷も高いレベルのスキルを持っている。
また、どの奴隷の名前にも「名無し」と表示されていた。 奴隷は名前をはく奪されるのだとロベルトが教えてくれた。
一番奥に立っている女の獣人に目が留まった。 他の奴隷たちと違い、彼女の両手首だけに、鈍く光る鉄製の手かせが嵌められている。
狼の獣人。 艶やかな銀の毛並み、赤く光る双眸。 均整の取れた筋肉質な体躯は、他の誰よりも研ぎ澄まされている。
だが――その目は死んでいた。 生きる事をあきらめた目だ。 佐伯は前の世界で何度か見たことがあった。
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【名前】:名無し
【属性】:獣人族 女 22歳 中立 混沌
【状態】:奴隷
【犯罪歴】:無し
【スキル】:格闘術Lv7 気配察知Lv6 受け身Lv6 気配遮断Lv7
【ユニークスキル】:狂獣化
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ユニークスキルも持っているので、『鑑定』してみる。
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【ユニークスキル】:狂獣化
・強靭なワーウルフへ変身する。 攻撃力と防御力が倍化するが、狂暴化して攻撃対象を選べない。
・魔力を大量に消費し、魔力が無くなり、失神するまで戦い続ける。
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佐伯は奴隷商に尋ねた。
「この女だけ、手かせが付いているようだが」
佐伯の問いに、バルトロは苦い顔で肩をすくめた。
「ああ……その獣人ですか。 手かせを外すと、死のうとするんですよ」
「自殺願望?」
「奴隷の契約魔法で直接自殺はできないんですが、この獣人はいろいろな機会を見つけては死ぬように持っていこうとするんでさぁ。 厄介な商品ですが、見た目は良いんで」
佐伯はこの無表情な獣人を観察する。 獣人の赤い瞳は、こちらを見ているようで、何も映していないようでもあった。
「彼女を頂こう」
「へっ?……よろしいので?」
「気に入った」
ロベルトが訝しげに眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。 信頼という名の綻びのない布が、老爺の懸念を柔らかく覆い隠している。
「毎度、まいど……!」
バルトロは戸惑いながらも、揉み手で羊皮紙のスクロールを差し出した。
「それでは契約させていただきますので、どちらかの手を出してください」
バルトロがスクロールを開きながら、佐伯に手を差し出した。
「契約のスクロールによって、ここにレン様を主人とした奴隷契約を締結します。 それでは奴隷に名前を付けてください」
「お前は...... ヴィオラだ。」
佐伯は左手をバルトロの手に乗せるとバルトロが何か呪文のようなものを唱えだす。 スクロールから緑色の光があふれ出て、佐伯と獣人を包み込む。
佐伯は何か目の前の無表情な獣人との繋がりを感じた。 バルトロが持つ佐伯の左手に魔法陣のような刺青が浮き上がる。 獣人の首筋にはすでに魔法陣のような刺青があったが、それが佐伯と同じ形の魔法陣に書き変わっていく。 30秒ほどで書き換えが完了する。
「レン様とヴィオラの奴隷契約を締結いたしました。」
・・・・・
モントブラン家の客間には、ランプの淡い光だけが揺れていた。 もう夜更け過ぎであった。
佐伯の前に立たされたヴィオラは、着替えを済ませ、手かせの外された両手を所在なさげに握りしめている。
「楽にしていい。 ここでは、君を傷つける者はいない」
「.........」
「名前は、ヴィオラで間違いないか」
ヴィオラは無表情で頷く。
(せめて、少しは印象を良くしておくか)
佐伯は静かに魔力を練った。
『記憶の改竄』
意識を差し込んだ瞬間、佐伯は眉をひそめた。
ヴィオラの記憶は、どす黒く歪んでいる。 触れようとした端から、粘つく澱のように意識の指先へ絡みついてくる。 淡い印象操作を施そうとした佐伯の意識は、そのまま記憶の奔流へと引きずり込まれていった。
(……これは?)
視界の代わりに、断片的な光景が早送りのように流れ始めた。 木々の間を駆ける無数の狼影。 牙を剥き出しにして笑い合う仲間たち。 誰かの背に負ぶわれた幼い影。 温かな記憶の断片が、パラパラと絵本をめくるように流れていく。
だが、ある地点で像が唐突に乱れた。
赤黒い靄が視界を塗り潰し、爪の記憶、悲鳴の記憶、何かがぐしゃりと砕ける感触の記憶が、佐伯の意識の縁を掠めては消えていく。 核心に近づこうとするたび、記憶そのものが硬く閉じ、押し返してくる。
(本人が思い出したくない記憶か… トラウマの強い記憶は、歪んで先へ進めない)
新たな発見に、佐伯は奥歯を噛んだ。 オーバーライトは対象の記憶を書き換えるだけでなく、覗き見ることもできる。 だが対象自身が固く拒む記憶は覗けない。
「……ヴィオラ。 お前に何があった」
「……」
「話さなくていい。 だが、教えてくれ。 ……消えて、ほしいか」
ヴィオラの喉が、小さく上下した。
「……わから、ない」
「わからない、でいい」
ヴィオラの呼吸が少し早くなる...... が、すぐに元に戻った。
「……殺してくれ」
ヴィオラが無表情で呟いた。
「分かった。 昔のお前はここで死ぬ」
佐伯は再び、静かに意識を沈めた。
『記憶の改竄』
今度は無理に核心へ踏み込まず、その周辺にこびりついた棘のような記憶だけを、一つずつ丁寧に解いていく作業に切り替えた。 気の遠くなるような作業だ。 恐怖の輪郭を薄め、トラウマの刃を鈍らせていく。 時間をかけて、少しずつ。
だが、封じられた記憶の壁に触れるたび、そこから逆流するように、鋭い痛みが佐伯自身の脳裏へ叩き込まれてきた。
(――っ……)
頭の奥で何かが軋む。 爪が肉を裂く感触、獣の絶叫、そして小さな体温が腕の中で急速に失われていく感覚――それらの断片が、まるで自分自身の記憶であるかのように、佐伯の意識へなだれ込んでくる。 吐き気にも似た眩暈が、こめかみの奥で暴れ回った。
(これは……ヴィオラの感覚……)
歯を食いしばり、それでも佐伯は手を止めなかった。 一つ、また一つと、彼女を苛み続けてきた棘を引き抜いていく。 抜くたびに、その痛みの残滓が跳ね返り、佐伯自身の魔力をごっそりと奪っていった。
やがて――視界が大きく傾いだ。
(っ……これは……まずい)
目の前が白く霞み、意識が急速に遠のいていく。 立っていられない。 これほどまでとは、予期していなかった。
膝から力が抜け、佐伯の身体が傾ぐ。
その瞬間、逞しい腕が佐伯の身体を素早く支えた。
ヴィオラだった。
倒れかけた佐伯を危なげなく受け止め、赤い瞳でじっと見下ろしている。
薄れゆく意識の中、佐伯は苦く笑った。
ヴィオラの無表情な頬を、一筋の涙が伝い落ちた。 表情はぴくりとも動かない。 それでも、涙だけが静かに流れ続けていた。
「あ......りが......と......う......」
区切るように紡がれた声が、佐伯の耳に届いた。
ヴィオラは無表情のまま、ただ真っ直ぐに佐伯を見つめている。
薄れる視界の隅で、佐伯はその言葉を確かに聞いた。
こうして佐伯蓮は、忠実なしもべを一人、手に入れたのだった。




