第七話 偽りの協力者(レン:二日目)
窓の外、傾いた夕日がモントブラン家の豪奢な執務室を朱色に染め上げていた。
重厚な樫材の机、壁一面を埋める古い書物、金糸で縁取られた絨毯——。 長年商売の頂点に君臨してきた者だけが持つ、静かな威圧感がその一室には満ちている。
佐伯蓮は、向かいの安楽椅子に腰を下ろしたモントブラン商家前会長ロベルト・モントブランを深刻な顔で注意深く観察していた。
身に纏うのは、山賊から奪った薄汚れた革の服ではない。 セバスチャンが客間に用意させた、仕立ての良い清潔なシャツと上着だった。 血の匂いも、洞窟の湿気も、もうどこにも残っていない。
(さて。 ここまでは想定どおりだが——)
窓越しに差し込む赤い光が、白髪交じりの豊かな髪と深く刻まれた皺を照らし出している。 五十九歳とは思えぬ鋭い眼光——だが、その奥に宿るのは、隠しようのない喪失の色だった。 目の縁は赤く腫れ、頬もどこか痩けて見える。 愛する娘とその夫を失った衝撃は、この老人をさらに年老いてみせていた。
(悲嘆に暮れている人間ほど、扱いやすい。…… どうやってこの老人の信用を勝ち取るか...... )
佐伯は今朝方のことを、静かに思い返していた。
・・・・・
昨夜助けた娘はエレナ・モントブランと名乗った。 アルファンド王国の商業都市ルミナスの豪商の一つモントブラン商家の会長の一人娘だ。 エレナの道案内により、森を抜け街道を通って、佐伯はエレナを背負い、夜が明けきらぬうちに、商業都市ルミナスの東門へとたどり着いた。 東門の門番は、朦朧としながらも名乗ったエレナの顔をすぐに認識し、詮索もせずに通行を許可すると、深夜のことなので、念のためにと、モントブラン家の門前まで二人を送り届けてくれた。
その道中、エレナは山賊に襲われたことも、両親が殺されたことも、一言も口にしなかった。 ただ深い疲労と、一刻も早く家に帰りたいという思いだけが、彼女の頭を占めているようだった。
(おじいさまなら…… きっと、なんとかしてくださる……)
その一心だけで、佐伯の背中にしがみつき続けている。
屋敷の門には二人の屋敷の門番が居たが、エレナに気づき、一人が大急ぎで、屋敷に知らせに走った。
程なくして重い扉が開かれ、慌てて屋敷の方から駆けてくる大執事セバスチャン・ヴァルクの片眼鏡の奥の瞳が、見知らぬ青年とその背のエレナを見て大きく見開かれた。
「これは…… エレナお嬢様?!」
セバスチャンは驚愕を瞬時に押し殺すと、佐伯の背からそっとエレナを受け取り、危なげなく抱きかかえた。
東門の門番はセバスチャンに頭を下げる。「それでは私はこれで」
「警備隊本部には我々の方から報告させていただきます。 ご苦労様でした。」とセバスチャンは門番に伝え、山賊姿の佐伯に向き直った。
「……お客人、こちらへ。 すぐに旦那様をお呼びいたします」
見知らぬ相手にも礼を失わぬ、丁寧な物腰だった。 セバスチャンは佐伯を促し、大きな庭を抜けて豪勢な屋敷の方へと進んでいく。 しかし、その動作は佐伯を警戒しており、まったく油断は無い。
大きな屋敷の扉を通り、大理石の敷かれた玄関ホールに辿り着いたところで、寝間着のまま階段を駆け下りてくる足音が響いた。
「セバスチャン! 一体何事——」
現れたロベルト・モントブランは、セバスチャンの腕の孫娘と、山賊から奪った血の匂いの残る革服を纏う見知らぬ青年を見て、その場に凍り付いた。
「エレナ……!?」
「おじい……さま……っ」
エレナは弱々しく顔を上げると、震える声を絞り出した。 セバスチャンから離れ、ロベルトに縋りつくように飛びこみ、その胸に顔を埋めて声を上げて泣き崩れた。
「お父様と!、お母様が!… 山賊にっ!…… 殺されてっ!…… あたしもっ!.... つかまってっ! あああぁあぁっ!」
言葉は、それ以上続かなかった。
「な…… なんだと……」
ロベルトの顔から、みるみる血の気が引いていった。 膝から力が抜け、孫娘の背を抱き留めたまま、その場に崩れ落ちそうになる。
「.....馬鹿な... 護衛騎士は...? 腕利きを雇ったはずだ.... 三人も.....」
とっさに駆け寄ったセバスチャンが、主の身体とエレナをしっかりと支えた。
「ロベルト様、しっかりなさってください……!」
呼びかけにも、ロベルトはすぐには応じなかった。 開いたままの口から、声にならない呻きが漏れるだけだった。 愛する娘と、その伴侶を同時に失った衝撃は、老いた身体には重すぎたのだろう。 焦点の合わぬ瞳が、虚空をさまよっている。
その様子を見て、佐伯は静かに一歩前へ進み出た。
「——詳しい状況は、私からお話しいたします」
ロベルトの視線が、初めて佐伯を捉える。
佐伯は淡々と、しかし要点を違えず語った。 旅の途中で野営の準備をしていたら、街道で山賊に襲われている馬車を目撃したこと。 十数名の山賊に、護衛も、商人らしい男性と女性も目の前で殺されたこと。 エレナが連れ去られていくのを見て、山賊を尾行して、山賊たちの隙をついて、エレナだけを救い出し、ここまで連れてきたこと。
「ダスティンが…… ロレインが…… 儂の、娘が……」
老骨の身体が、大きく震えていた。 腕の中のエレナを抱きしめる腕に、痛いほどの力がこもる。 その目からは、止めどなく涙が溢れていた。 実の娘とその夫を、一夜にして失った現実を、受け止めきれずにいる。
「ロベルト様。 エレナお嬢様はひどく気落ちされ、お疲れのご様子です。 まずは湯浴みをさせ、ゆっくりお休みいただくのが先かと存じます」
セバスチャンの冷静な進言に、ロベルトはようやく我に返り、腕の中のエレナの背をそっと擦った。
「……そうだな。 エレナ、もう大丈夫だ。 あとは私に任して、休みなさい」
セバスチャンは駆けつけた女中を呼び寄せ、涙にまみれたエレナの手を優しく委ねた。 エレナは女中に連れられ、階段の手前で佐伯に視線を送るが、女中に促されて、奥へと消えていった。
エレナを見送ったロベルトは佐伯へと向き直ると、老人は涙の跡も拭わぬまま、深々と頭を下げた。
「レン殿…と申されたな。 孫を助けてくれたこと、この老いぼれの命に代えても感謝する」
声はまだ震えていた。 悲嘆に沈んだままの瞳が、それでも次の瞬間、無理に絞り出すような商人の光を宿す。 血を分けた孫娘を守らねばという意地だけが、辛うじて老体を支えているようだった。
「——しかし、失礼だが…… 『鑑定』させてもらうぞ」
ロベルトの瞳が青く光る。
(来たか)
佐伯の内心は凪いでいた。 すでに『隠匿』によって塗り替えたステータスは、寸分の綻びもなく仕上げてある。 『鑑定』スキルがあり、『隠匿』スキルがある以上、身分証明書代わりの仕組みなのだろうことは想定できていた。
ロベルトの目の前——そして佐伯自身の視界にも、青白いステータス画面が浮かび上がった。
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【名前】:レン サイダー
【属性】:ヒト族 男 28歳 中立 中立
【犯罪歴】:無し
【スキル】:鑑定Lv5 記憶補強Lv3 精神耐性Lv3 気配遮断Lv3
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ロベルトはしばらく無言でその画面を睨みつけていたが、まだ光の失せない虚ろな目で、やがて小さく息を吐いた。
「……ふむ。 危険な男ではなさそうだ」
「お疑いになるのは当然のことです」
佐伯は柔らかく微笑んだ。 芝居がかった仕草ひとつない、自然な微笑みだった。
「レン殿も長旅で疲れているだろう。 まずは客間で休んでくれ」
セバスチャンに案内され、佐伯はそのまま客間へと下がったのだった。
・・・・・
そして今、短い休息を挟んだ同じ日の夕暮れ時。
通された執務室で、佐伯とロベルトは向き合っていた。 無理に威厳を保とうとする面持ち。 それでも、奥に沈む深い悲嘆までは隠しきれていなかった。
佐伯は再度ロベルトに昨夜の出来事の詳細を説明していた。 もちろんユニークスキルの話はしていない。 馬車を襲いエレナを拉致した山賊を追って、気配遮断のスキルで忍び込み、運よくお嬢様を見つけると、なぜか違う牢に居たトロールが暴れだし、その混乱に乗じて逃げてきたという話だ。 説明の途中も、ロベルトは心そこにあらずといった様子で聞いていた。
「——山賊の襲撃について、何か心当たりはございませんか」
佐伯は静かに切り出した。 窓の外の夕日が、二人の間のテーブルに長い影を落としている。
ロベルトは漂っていた視線を佐伯に戻し、値踏みするような視線を佐伯へ向けながらも、その声はどこか掠れ、力がない。
「……なぜだ?」
「山賊の一人が商人の男性を切り殺すときに言っていたんです。 「全員殺せと依頼された」と。」
ロベルトの目に憎悪の光りが灯った。 突然、老人の存在感が増し、声に力強さが戻った。
「....... レン殿はなぜそんなことを知りたい?」
佐伯は少し時間を置いてから話し出した。
「...... 僕は以前あなたのように商売をしていまして、いろいろあって国を飛び出し、また再起をはかろうとしているところなのですよ」
「ほう」
ロベルトは顎鬚を撫でながら、椅子に深く身を沈めた。
「このモントブラン家に後ろ盾になってもらいたいということか? それでエレナを助けた?」
「目の前で善良そうな二人が無慈悲に踏みにじられ、清廉そうな娘が連れ去られるのを見て、正義感もありましたが、そういう損得勘定もありました。 もしかするとこれはチャンスかもしれない....と」
ロベルトの顔が商売人のそれに戻っていた。 頭が回転し始めている。 佐伯の想定する方向に...。
「この商業都市ルミナスはな、表向きは自由な交易の街だが……裏では豪商や貴族同士の熾烈な食い合いがある。市政評議会での発言権を巡り、幾つもの家が互いの足を引っ張り合っておる。 モントブラン家にも、当然、快く思わぬ輩がいる」
ロベルトは佐伯の反応を見ているようだった。 このレンという人間をどこまで信用できるかを見極めようとしている。
佐伯としてはあまりここで時間を掛けたくはなかった。 こういうもめ事は後手に回らず先手を打っていくべきだ。 すでに相手は手を出してきている。
(回りくどいな。 もう少し、押してみるか)
佐伯は瞳の奥で、静かに魔力を練り上げた。
『記憶の改竄』
ロベルトの瞳の焦点が、一瞬だけぼやける。 佐伯はその意識の隙間に、ごく淡い印象をそっと重ねた。 初対面で覚えた「得体の知れぬ胡散臭さ」を消し去り、「信頼できる、実直な人物」という無害な認識へと軽く塗り替える。 矛盾を生まぬよう、あくまで淡く、自然に。 深追いはしない。
書き換えは、瞬きひとつの間に完了した。
「……まあ、レン殿になら話しても構わんだろう」
ロベルトの警戒が、目に見えて緩んでいく。
(成功だ。……この程度の改竄なら、綻びが出るまでには時間がかかる。 あとは維持だけの問題だな)
「儂が疑っておるのは、ナルデニアン男爵家だ。 近頃、評議会での発言力を強めておってな……グレゴーリ・フォン・ナルデニアン男爵。 あの男爵は新参者でな。 強引に物事を推し進めるので、これまでもなんどかダスティンとぶつかっていたと聞いている。 あやつならモントブランの失脚くらい平然と望むだろう」
佐伯は深刻な表情は崩さず、心の中で手をたたいていた。
(——やはりか)
その時、扉が乱暴に開かれた。
「ロベルト様!」
セバスチャンが血相を変えて駆け込み、主の耳元に何事かを囁いた。 ロベルトの顔に怒りが現れる。
「どうかされましたか?」
佐伯が静かに尋ねると、ロベルトは重い声で答えた。
「……ナルデニアン家に潜り込ませていた者が、昨夜、殺されたそうだ」
「ロベルト様?! そのような機密を、なぜこのような者に——!」
セバスチャンが咎めるように声を上げる。 しかしロベルトは、諭すように首を振った。
「構わん。 レン殿が向こうと繋がっておるのならエレナを助けたりはせぬ。 レン殿は何かを隠しておるようだが……その力は、恐らく我々の力になる」
セバスチャンは主の言葉に、しぶしぶといった様子で頷いた。
(ほぅ..... この御人、想定よりも頭の回転が早いかも知れん)
佐伯は内心で独りごちながら、表情にはただ静かな憂いだけを滲ませた。
「——私が、ロレイン様とダスティン様の仇を討ちましょう」
真剣な声音でそう告げると、セバスチャンは驚いたように目を見開き、ロベルトは佐伯を静かに眺めた。
「……本気で言っておるのか」
「ええ。 ただし、ナルデニアン男爵家自身が直接手を下したわけではないのでしょう?」
ロベルトは低く唸った。
「その通りだ。 あの男爵は狡猾でな、決して自分の手は汚さん。 実行役は、このアルファンド国に巣食う裏の犯罪組織——「闇の爪」だと儂は睨んでおる」
(闇の爪、か…… 裏の荒事専門組織といったところか)
佐伯の脳裏で、静かに算段が組み上がっていく。 裏社会の暗殺集団が相手となれば、『記憶の改竄』だけでは押し切れない局面も出てくるだろう。
(山賊の大男のような強者を相手にしないといけないかも知れないし、トロールのようなバケモノもいる世界だ。 信用できるが使い捨て可能な戦闘専門の仲間がいるな)
「そういう輩と事を構えるとなると、命を任せられるような戦闘専門の仲間が要ります。 使い捨てが可能ならさらに好都合なのですが」
「なら、「戦闘奴隷」を雇うが良い。 購入代金は出してやろう」
「戦闘奴隷?」
「契約魔法で縛られた奴隷だ。 戦闘に特化したものもいて、こういった時の切り札として役に立つ。 死んでも購入代金を失うだけだ。 相手につかまったとしても何もしゃべれん。 奴隷は主人を裏切れない。 そういう魔法が掛けられている」
佐伯は喜んでその提案を受け入れることにした。
窓の外、夕日はすでに地平の彼方へと沈みかけていた。 茜色の光が執務室を満たし、老商人と大執事の横顔を静かに照らしている。
その光景を眺めながら、佐伯蓮は次なる一手を、静かに練り始めていた。
レンのパート ロベルトとの交渉シーンは夕方なので時系列的には次のジンのパートの後になります。 次はジンのパートです。 次のレンのパートからレンも協力者を得てやっと動き出します。




