第六話 闇の爪痕(ジン:二日目)
差し込む眩しい日差しと、どこか香ばしい焼きたての小麦の香りで、葛城陣は目を覚ました。
重い瞼を開き、天井の無骨な木目をぼんやりと見つめる。 体を起こせば、使い古されたベッドの木枠がキイと小さな悲鳴を上げた。
「……ふぅ」
口寂しさを紛らわせるようにポケットからミント味のパイポを取り出し、かりりと噛みしめる。 窓辺へ歩み寄り、木の鎧戸を押し開けた。
視界に飛び込んできたのは、陽光に照らされた商業都市ルミナスの活気あふれる街並みだった。 石造りの建物の間を行き交う大勢の町民たち。その中に紛れて、大剣や弓を背負った冒険者風の者たちや、頭にピント立った犬の耳を生やし、毛並みの良い尾を揺らして歩く獣人たちの姿がはっきりと見えた。
「……夢じゃねえんだな。 本当に、異世界に来ちまったんだ」
ボサボサの黒髪を乱暴にかきむしり、葛城は深く息を吐き捨てた。
昨夜、この宿屋月光亭への道筋でルカがいろいろと教えてくれた。 ここが「アルファンド王国」という国の「商業都市ルミナス」という比較的大きな町であること。 ルカは昨日警備隊に入隊したばかりで、初めての任務として東門の警備をして、その帰りに死体を見つけたこと。 ランドルトは王都から来た素晴らしい隊長で百名弱の警備隊を率いてルミナスの治安を守っていること。
ルカも葛城がどこから来たのかや旅の目的、見慣れない服装について、いろいろと聞いてきたが、葛城は笑ってはぐらかした。 月光亭に着くと、ルカは葛城を紹介し、ランドルトからもらった大銀貨を渡すと「また明日 迎えに来ます」と言い残して、帰っていった。
ミランダに部屋に通され、まだ濡れているコートや上着、所持品を置いて、ベッドに倒れるように横になると、相当疲れていたのだろう......、あっという間に眠りに落ちたのだった。
(さてと......)
誰もいない客室で、葛城は試しに意識を集中させた。
『事象検証』
途端に視界がAR画面のような青白い線で覆われていく。
部屋の床へ視線を向けると、自身の靴底に残った泥の痕跡や、昨日女将が掃除した際の木床の摩耗痕が、青い微細な光のグラフィックとなって浮かび上がった。
(物理的な足跡や擦れ痕、魔法の残滓をデジタルデータみたいに可視化・分析する能力か……まさに鑑識捜査のためのスキルだな)
ふと、階下からドシドシと威勢のいい足音が近づいてきた。 デジタルデータが、壁の向こうに誰かが部屋のドアの前まで移動してくる事を表示している。 それが誰かまでは分からないが、便利な力だ。
トントンと遠慮のないノック音が鳴り、ドアが開く。
「あら、起きてたかい! カツラギさん!」
入ってきたのは、宿屋月光亭の女将、ミランダ・ショウだった。 四十歳ほどの赤毛の女性で、豊満で恰幅の良い体躯に実用的なエプロンドレスを纏っている。 目元には苦労を感じさせる笑い皺があるが、サバサバとした愛嬌のある雰囲気を漂わせていた。 途端にミランダの前にステータス画面のような説明が表示される。 ただ、ここで見えているのは葛城が知っている情報だけだ。 そして、ミランダにはこの情報画面や青白い線は見えていないようだった。
(鑑定スキルで見られた時にはステータス画面は他の人にも見えてたみたいだったが......)
「......あんた。 スキルなんか使って、何してんだい......?」
ミランダが訝し気に葛城を睨む。
(そうか。 スキル使ってると目の光りで分かるんだったか......)と焦る葛城。
「まさか...... アタイの裸を?!」とミランダは慌てて胸と腰を手で覆って隠した。
葛城はすぐにスキルを解除して取り繕った。
「いやいや。 まさか。 ちょっと試してただけだよ。 見てないから。 裸とか」
「......ほんとうかい? 変なことしたらす巻きして放り出すからね!」
葛城は肩をすくめて、「分かってるよ。 勘弁してくれ」と頭を下げた。
「まぁ いいけど...... もうお昼近くだよ。 朝飯の時間はとっくに終わっちまったんだけど、どうする? 食べるんなら早めの昼食準備するけど?」
言われた途端、葛城の腹がぐぅと盛大な音を鳴らした。
「……はは.....、体は正直だ。下で何か食わせてくれると助かる」
「はいよ! トニに言ってすぐに用意してもらうから、準備できたら一階に降りといで!」
ミランダは豪快に笑うと、パタパタと階下へ戻っていった。
(ふぅ...... スキル使うときは気を付けないとな......)
・・・・・
一階の酒場兼食堂に降りると、昼前ということもあり客足はまばらだった。
木目の一枚板でできた頑丈なテーブル席に腰を下ろすと、奥の厨房から料理長のトニ・カルドスが木製の大皿を運んできた。 太い腕と額の古傷が特徴的な不愛想な男だが、手際よく固く焼き上げられた丸パンと、肉や野菜がゴロゴロと入った温かいスープを置いてくれた。
看板ウェイトレスのリナ・フェロウが、愛嬌たっぷりの笑顔で水杯を添えてくれる。
「どうぞ、おじさん! しっかり食べないと力が出ないよ!」
「おう、サンキューな」
葛城は一口スープをすすった。 塩味が利いたコクのある味わいが、空腹の体にじんわりと染み渡る。 スープに固いパンを浸しながら、ふと厨房に居るミランダへ声をかけた。
「ミランダさん。 食後でいいんだが……コーヒーとかはないかね?」
「こおひい……? なんだいそりゃ? 聞いたこともない。 香辛料かい?」
ミランダは首をかしげ、不思議そうに眉をひそめた。
「黒くて苦い、豆を煎じた飲み物なんだが…… まあ、無さそうだな。 気にしないでくれ」
「変な人だねぇ。 代わりにこれで我慢しなよ」
ミランダが出してくれたのは、湯気が立つ香木のような独特の香りを漂わせる茶葉の飲み物だった。 一口すすると、紅茶によく似た品のある渋みと爽やかな後味が口中に広がった。
(コーヒーがないのは寂しいが…… まあ、贅沢は言えねえな)
早めの昼食を食べきると、温かいお茶をすすりながら思考を巡らせる。
(それにしても…… ルカの奴、遅いな。 今日迎えに来るって言ってたよな。 このまま逃げちまうって手も......、でも、逃げても行くあてがないからなぁ)
昨夜、自分を連行し、最後には親切にも宿まで案内してくれた新米警備隊員の少女、ルカ・クライン、真面目で少しお茶目なエルフ?の姿を思い出していた、その時だった。
バタンッ!
酒場の木製扉が激しく押し開かれた。
青いルミナス警備隊制服の裾を翻し、肩息を荒くして飛び込んできたのはルカだった。 金髪のショートヘアは汗で額に張り付き、青い瞳には明らかな動揺と焦燥の色が浮かんでいる。
「ルカ? どうした、そんなに息を切らせて——」
そう声を掛けた葛城を見つけると、
「すぐに! すぐに警備隊本部へ来てください!」
ルカは葛城の返事を待たず、猛然と駆け寄ると葛城のトレンチコートの袖をがっちりと掴んだ。 その手はわずかに震えている。
(様子がおかしい……)
「おい、ルカ。 何があったんだ?」
立ち上がりながら尋ねるが、ルカは唇を噛み締め、前を向いたまま振り向こうとしない。 ぐいぐいと腕を引っ張られ、あっけにとられているミランダとリナをしり目に、葛城とルカは月光亭を後にした。
日差しの降り注ぐ石畳の街道を、ふたりは無言で早足で進んでいく。 息を乱しながら走るルカの背中に、葛城はもう一度問いかけた。
「ルカ。 ちょっと落ち着いて。 本部で何かあったのか?」
ルカは振り向かず、絞り出すような悲痛な声でつぶやいた。
「……昨夜の被害者の、身元が分かりました……っ。 それとっ…… 牢に入れていた容疑者の獣人が…… 死にました」
「……!?」
葛城の眼光が途端に鋭く細まった。
・・・・・
警備隊本部の地下牢は、ひんやりとした湿気とカビ、そして死の臭気に満ちていた。 松明の火がゆらゆらと壁を照らし、不気味な影を揺らしている。
鉄格子の奥、冷たい石畳の上に、昨夜葛城たちが拘束した獣人の男が横たわっていた。 その身体は海老のように丸まり、両手で強く自分の胸——心臓のあたりを掻きむしるように押さえた体勢のまま固まっている。 見開かれた瞳は落ちくぼみ、苦悶に歪んだ顔のまま光を失っていた。
「……ひどい苦痛だったようだ」
腕を組み、不機嫌そうに顎髭を擦っているのは警備隊長のランドルト・バーグだった。 地下牢の中の死体を前に佇んでいるのは、ランドルトと葛城の二人だけだ。 ルカはランドルトに言われて、上階の警備隊受付に留まっていた。
「隊長。 これはどういうことだ? 看守は何をしていた?」
葛城が問い詰めると、ランドルトは重苦しく首を振った。
「昨夜、ヘレナがあることを確かめに地下へ降りてきたら、突然牢の中で獣人がもがき出し、そのまま息絶えたらしい。 看守はその時、席を外していた」
「ヘレナさん…… っていうのは?」
「今は上の階で他の連中と仕事している。 俺のアシスタント兼書類管理官だ」
葛城はランドルトを一瞥するが、表情は読めない。
「死んだとき、牢の中には被害者——いや、容疑者は一人だったんだな?」
「ああ。 昨夜は珍しく他に囚人は居なかった。 毒物の持ち込みもねぇ。 格子越しに接触した者もいない」
ランドルトは深くため息をつくと、葛城の四角い顔をじっと見つめた。
「カツラギさん。 あんたのユニークスキル……使ってみてくれねぇか?」
(試されている......?)
葛城は少しの躊躇の後、「……ふぅ。 やってみよう」と溜息をついた。
葛城は咥えていたパイポを胸ポケットに収め、低く呟いた。
『事象検証』
視界が一瞬で切り替わる。 世界が青いシースルーのレイヤーで覆われ、空間に存在するあらゆる痕跡が文字データとグラフィックに可視化されていく。
牢の中の石畳の擦れ、鉄格子の手跡、無数の足跡、飛び散った獣毛……。
だが、葛城の視線は一直線に死体の胸元へと吸い寄せられた。
【対象:獣人(死亡)】
【死亡推定時刻:昨夜の夜半過ぎ】
【死因:呪詛的魔導毒の遠隔起動による心肺停止】
【詳細:体表に刻まれた『呪印』の発動。内部からの劇物発生により心筋破裂】
青い透過ログが、死体の胸部に死因の表示を明示させていた。
「……胸になにかあるな」
葛城はランドルトを見て、死体の胸を指さすと、ランドルトは黙って頷いた。
葛城は牢の中に踏み入り、獣人の死体へと近づく。 膝をつき、獣人の革の服の襟元をゆっくりとずらした。
獣人の左胸、ちょうど心臓の真上の皮膚に、気味の悪い黒い爪の形をした入れ墨がはっきりと刻まれていた。 さらに恐ろしいことに、その刻印の周囲からは、壊死したような黒い血管が網目状に胸全体へ浮き上がっている。
「死因はこれだ。 『事象検証』の解析とも一致する。 死亡時刻は昨夜の夜半過ぎだな」
葛城は検分を続けながら、判明した事実を淡々とランドルトに伝えていく。
ランドルトは煙管の煙を履き出すような重い吐息をつき、ひとつ質問を投げかけた。
「……死因の魔法の出所は分かるかい?」
葛城は青い画面のログ画面をさらに深く読み込んだ。
「……いや。 外部からの呪術的な遠隔作用が働いたってことくらいしか分からないな。 ただ……」
「ただ?」
「この呪術作用が起動するための「トリガー」…… つまり、発動のきっかけを作った「何か」、あるいは「誰か」が、当時、この近くにいた可能性が高い」
「…………。 そうか」
ランドルトは低く呟き、深く眼を閉じた。 叩き上げの警備隊長の顔に、一瞬だけ不吉な影がよぎる。 彼には何か心当たりがあるようだった。
ランドルトはそれ以上死因について追及せず、話を変えるように言った。
「……昨夜の被害者の身元が分かった」
「路地裏で刺されてた方の男か?」
「ああ。 名前はマルコ・ベネッティ。 ナルデニアン男爵家の従僕らしい」
「貴族の従僕……?」
「死体の服のポケットに殴り書きの紙が入っていてな。 そこに描かれていた紋章からナルデニアン男爵家の関係者だと分かった。 部下が今朝がた男爵邸を訪ねて、身元を確認させたよ。 紙には日用品の買い出し内容が書かれていただけで、特に怪しいところはなかったそうだが……」
葛城は顎を擦りながら、ランドルトをじろりと見上げた。
「……おいおい、隊長さん。 部外者の俺に、そんな警備隊の内部捜査情報をベラベラ話して大丈夫なのか?」
ランドルトはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、頑丈な手で葛城の肩をポンと叩いた。
「話を聞いたからには、もう部外者じゃねぇよ。 あんたにはこの件、手伝ってもらうぜ。 ……東の国で警備隊員をやっていたんだろ?」
(そうきたか......。 この隊長。 なかなかの曲者だな)
葛城は苦笑しながら禁煙パイポを口に咥え、深く噛みしめた。
暗い地下牢に、二つの月の下で繰り広げられる新たな事件の匂いが、重く漂い始めていた。
このあたりから登場人物が一気に増えてきます。 じじぃとかおっさんとか。




