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異世界事件簿 双月にほえろ!  作者: おっこの
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第二十八話 円卓の断罪(閑話:十日目)

 商業都市ルミナスの貴族区画、統治機構の建つ評議会議事堂。 その最奥に据えられた円形の間には、重厚な樫材の円卓がひとつ置かれ、五つの椅子がそれを囲んでいた。 壁の高窓からは橙色に染まりはじめた光が斜めに差し込み、床石の上に長い影を幾重にも重ねている。 他家の従者すら立ち入りを許されないこの部屋こそが、商業都市ルミナスの実質的な最高権力――上院最高評議会の心臓部だった。


 円卓に着いていたのは五人。アッシュフォード伯爵家当主セドリック・フォン・アッシュフォード。ベルンハルト子爵家当主ヴォルフガング・フォン・ベルンハルト。ヴァンダール商会当主マグダレナ・ヴァンダール。そして、モントブラン家からエレナ・モントブラン。 最後に、ナルデニアン男爵家当主グレゴーリ・フォン・ナルデニアンである。


 円卓の縁には、五大勢力それぞれの紋章が浅く彫り込まれており、代替わりのたびに新しい当主の名がその下に刻まれてきたのだという。


 エレナは、亡き父が座っていたはずの椅子に浅く腰を下ろし、膝の上で組んだ両手にそっと力を込めた。


(――父様の椅子。あたしがここに座る日が来るなんて、あの日までは考えたこともなかった)


 この日のために、セバスチャンから幾晩も評議会の作法と商会の帳簿の要点を叩き込まれた。 震える指先を叱りつけるように、エレナは背筋をもう一度伸ばす。


(弱気なあたしのままじゃ、駄目。ここに座る以上は――)


 喉の奥に苦いものが滲む。 それでもエレナは顔を上げ、円卓を見渡した。


 琥珀色の瞳を柔和に細めるセドリック。 

 丸い顔に人の好さそうな笑みを絶やさないヴォルフガング。 

 指という指に宝石の指輪をはめ、値踏みするような眼差しをよこすマグダレナ。 


 そして――肥満気味の体を派手な貴族服に押し込め、指輪をジャラジャラと鳴らしながら視線を彷徨わせるグレゴーリ。 その落ちくぼんだ細い目は、誰とも合わせようとせず、忙しく円卓の上を行き来していた。


(怖がっている……レン様のおっしゃった通り)


 セドリックが柔らかな微笑みを保ったまま、静かに口を開いた。


「では――上院最高評議会を、これより開催する」


 穏やかな声だった。 

 だが穏やかであればこそ、この場に流れる緊張がいっそう際立つように、エレナには感じられた。 エレナの体温が一気に上がる。 自分の鼓動がうるさくなり、視界が狭くなっていた。


「最初の議題だ。 モントブラン家の評議会席の継承について――エレナ・モントブラン嬢が、これを継承することに同意されたと聞いている。 エレナ・モントブラン嬢、それに相違ないか?」


「はい。 相違ございません」 エレナが努めて冷静を装いつつはっきりと声にした。


「それでは ここで皆の採決を取りたい」


 ヴォルフガングが真っ先に、丸い顔をほころばせて頷いた。

「結構でしょう。若く立派な方が席を継がれるのは、評議会にとっても喜ばしいことです」


 マグダレナも赤毛を結い上げた頭をわずかに傾け、鋭い金褐色の瞳をエレナへ向ける。

「異存はありませんね。むしろ――これからの評議会に新しい風が入るのは、悪いことじゃない」


 値踏みするようなその視線が、エレナの装いや所作の隅々までを一瞬で測ったのがわかる。


(この人は、あたしのことも――損か得かで見ているんだわ)


 それでも今は、それでいい。エレナは静かにそう思い直した。


 グレゴーリは下を向いて黙っている。


 セドリック、ヴォルフガング、マグダレナ。 三人の賛成の声を確かめ、セドリックが厳かに告げた。


「これにより、エレナ・モントブラン嬢の評議会席継承を承認する」


 拍手も歓声もない、乾いた事務的な空気だった。 


 それでもエレナは静かに頭を下げる。


(父様、母様――わたし、やっと一歩を踏み出せました)


 安堵の熱さが目の奥にこみ上げるのを、エレナはぐっと堪えた。 今はまだ、泣くべき時ではない。


「続いて、二つ目の議題に移る。鉱山都市グラナダの魔鉱石輸出ルート管理を、モントブラン家からナルデニアン家へ委任するという提案についてだ」


 セドリックはそこで一度言葉を切り、視線をグレゴーリへ移した。 柔和な表情の奥に、ふと鋭い光が滲む。


「――だが、その前にひとつ伺いたい。 この二日の間に、ナルデニアン男爵家の不祥事が明るみになっている。 魔術師ギルドへの魔道具窃盗の容疑が、御子息ジュリアン殿にかけられていること。 その盗品をオークションに掛けようとした横流しの疑いが、クレア殿にかけられていること。 グレゴーリ殿、これについて申し開きはあるか」


 グレゴーリの喉が、ごくりと動いた。 太った頬がわずかに引きつる。


「そ……それは」


 言葉を継ごうとしたその口を、エレナが静かに、しかし迷いのない声で制した。


「いえ。 それだけではございません」


 室内の空気が、ひやりと固まる。 エレナは膝の上の手をぎゅっと握り直し、まっすぐにグレゴーリを見据えた。


(.....怖い。 でも.....! この男に報いを!)

瞼の裏に、あの夜の馬車の軋みと、絶叫と、鉄の匂いが一瞬だけ蘇る。 エレナはその思いを、自分の声に乗せた。


「モントブラン商会長――わたしの父と母の殺害についても、グレゴーリ・フォン・ナルデニアン様を告発いたします」


 その一言に、ヴォルフガングの丸顔から笑みが消え、マグダレナの目がすっと細くなった。


「穏やかならぬ話ですね」 


 マグダレナが扇のように広げた指先を軽く卓に置き、値踏みするような視線をエレナへ向ける。


「確かな裏付けがあってのことでしょうね、エレナ様。 感情だけで評議員を告発するのは、あなた自身の信用を損ないますよ」


 その一言は、脅しというより忠告に近かった。 


 エレナは唾を飲み、しかし頷いた。


「証拠はございます。 昨日捕らえられた闇の爪ルミナス支局長、"黒蛇"のザハールが取り調べで語った自白です。 彼はこの男から確かに依頼を受け、王都からの帰路にあった父と母、そしてわたしの乗る馬車を、山賊に襲わせて亡き者にしようとした――そう告白いたしました」


 しん、と静寂が落ちる。グレゴーリの落ちくぼんだ目が、大きく見開かれた。


「そんなものはすべてデタラメだ! ばかばかしい! 失礼する!」

 肥満した体を揺らし、椅子を蹴るように立ち上がったグレゴーリの指輪が、ジャラリと乱れた音を立てた。 その音の下品さが、いつもは威圧的だったはずの彼を、ひどく小さく見せる。 扉へ足を向けたグレゴーリへ、セドリックが冷ややかな声を投げる。


「――待たれよ」


 合図と同時に、この部屋の入口が開き騎士が二人入室すると、無言でグレゴーリの両脇を固めた。 太い腕に肩を掴まれ、グレゴーリの顔がみるみる赤黒く染まっていく。


「何をするか! 私は評議員だぞ! こんな無礼が許されると思っているのか!」

 叫び狂うグレゴーリの前に、エレナは静かに一枚の書面を差し出した。 夕陽に照らされたその紙には、几帳面な筆致で襲撃の指示が記され、その下に朱の印章が押されている。


「これが動かぬ証拠です」


 声はまだ小さく震えていたが、視線は最後まで揺るがなかった。


「――ごらんなさい。 ここにあるのは、あなたの署名ですね」

 グレゴーリの唇が、わずかに震える。 顔から、みるみる血の気が失せていった。


「どうやって……」


 問いは、最後まで言葉にならなかった。 がっくりと項垂れたグレゴーリの体を、騎士たちが左右から支えるようにして、円卓の間の外へと連行していく。 重い足音が石廊に響き、やがて遠く消えていった。


 残された四人――席を失ったグレゴーリを除けば、これで正式に四人となった評議会の面々の間に、しばらく誰も言葉を発する者はいなかった。


 ヴォルフガングが人の好さそうな丸顔から、いつもの笑みをすっかり消したまま、独り言のようにつぶやく。


「まさかナルデニアン殿が……いや、これは、迂闊に色を示すべき話ではないな」

 その慎重な口ぶりに、エレナは(やはり、グレゴーリはヴォルフガングとも繋がっていた)と密かに確信した。


 マグダレナだけは、驚きよりも先に、そろばんを弾くような静かな計算の色を金褐色の瞳に浮かべていた。

「ナルデニアン男爵家の議席が空くなら――評議会の力の均衡そのものが、大きく動くということですね」


 エレナは、膝の上でようやく震えを許した自分の両手を見つめる。 しかし、その震えは恐怖からくるものではなかった。 エレナは自分の下腹部が厚くなっている感覚を覚えた。 高揚が背中を通って、頭に届いている。 


 窓の外では、橙色の光がゆっくりと紫に沈み始めている。


 円卓の上に置かれたままの書面を、セドリックがそっと引き寄せながら、静かにつぶやいた。

「――これで、ナルデニアン男爵家の議席の議席については、次回の評議会までに、候補を募り、再度採決することとする」


 その声に滲むものが単なる政治的な計算なのか、それとも別の何かなのか。 ふとエレナに向けられた琥珀色の眼差しの奥にあるものを、エレナにはまだ判るだけの経験はまだなかった。


 ただ、円卓に置かれた父の椅子の重みは、今この瞬間、重圧ではなくなっていた。


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