第二十七話 夜想曲の調べ(ジン:八日目)
商業区画の外れ、盛り場の喧騒から一歩引いた裏路地に、娼館「夜想曲」は変わらぬ妖しい灯りを漏らしていた。 だが表向きの艶やかさの裏で、建物の周囲にはまったく異質な気配が張り付いている。
「夜想曲」を囲むように、ランドルト・バーグを含む第一小隊の面々と数名の警備隊員が闇に紛れて息を潜めていた。
「――いいか。各自の持ち場を崩すな」
低く、しかし芯の通った声でランドルトが全体に告げる。 表口をセリーナ・マーロウ、イレイン・ヴォス、コリン・ラドクリフの三人が固め、裏口はフィリップ・ラングフォード、リゼット・コロン、トム・ウィッカーが見張る。 全体の指揮はランドルトが表で執った。
「裏口からは俺たちが行く」
オーウェン小隊長の言葉に、葛城陣は腰のホルスターを軽く叩いて確かめた。 裏口突入班は五人――オーウェン・ブラックウッド、ガーウィン・ロック、ノーラ・ビショップ、葛城、そしてルカ・クライン。
「大丈夫か 相棒 気負うなよ」
「……はい」
ルカが小さく頷く。 緊張で頬がわずかに強張っているのを、葛城は横目で見た。 腰の銃と、上着の下に忍ばせた手錠の感触を確かめる。 今夜、この地下でどんな相手と鉢合わせるのか――正直、読み切れてはいなかった。
(無茶はさせねぇ。……させちゃいけねぇ)
胸の内でそう呟き、葛城は先頭のノーラに続いて下水道の入口へと降りていった。 頭上で蓋がゆっくりと閉じられ、外の喧騒がふっと遠ざかる。
悪臭が鼻腔を殴りつける。 ノーラを先頭に、ガーウィン、オーウェン、葛城、ルカの順で狭く湿った通路を進んだ。 松明の炎が水面に揺れ、石壁にびっしりと生えた苔をぬらぬらと照らし出す。 足元で水が跳ねるたび、じゃぷ、と嫌な音が反響した。
ノーラの猫耳がぴくぴくと動き、通路の奥へ神経を尖らせているのが分かった。
「――何か匂うか?」
「んー……この下水の臭いの中で嗅ぎ分けるのは無理だねぇ。 あんまり鼻で呼吸したくなぁい」
松明を掲げ、四人がぐるりと視線を巡らせるが、これといって不審な点は見当たらない。ただの下水道――そう見える。
「……いや、待てよ」
葛城の目がわずかに細まる。腰を落とし、湿った石壁に手を這わせた瞬間、青白い光が視界の端に浮かび上がった。
『事象検証』
解析画面が展開し、壁の継ぎ目に不自然な摩耗と、微かな魔力の反応が浮かび上がる。
「ここだ。隠し扉がある」
壁の一部にわずかに突き出た石を見つけ、力を込めて引く。 ゴリ、と重い音を立てて石壁が回転し、闇へと続く通路が姿を現した。
「ほぅ...... やるじゃねぇか」
オーウェンが感心したように呟く。ルカが得意げに胸を張った。
「私の相棒はすごいんです」
ルカの賞賛を聞き流し、葛城の視線はすでに床へ落ちていた。 一歩踏み出そうとしたノーラの肩を、葛城が咄嗟に掴む。
「待て」
『事象検証』の解析画面が、石畳の継ぎ目にうっすらと走る魔力の糸を映し出していた。
「トラップだ。踏んだら騒がしくなる」
「......見えた」
ノーラが屈み込み、短剣の先で丁寧に糸を辿ると、小さな金属音とともに魔力の糸がふっと消える。
「よし、解除完了。……さ、行こ」
五人は松明を絞り、闇の中へと足を踏み入れた。
地下へと続く通路の途中、葛城が再び『事象検証』を発動する。ログの中に、いくつもの淡い反応が浮かび上がった。
(――数、八。 地下の部屋にまとまってやがる)
「地下に八人ほど。 この先の小部屋に二、その先の部屋に三、それと……もう少し先に反応が三つある」
「上は?」
「十数人。ばらけてる。多分、店の連中だろうな」
オーウェンが頷く。
「娼婦や使用人は上の連中に任せる。 俺たちの狙いは地下だけだ。 行くぞ」
最初の部屋には、松明の灯りの下で暇を持て余した男が二人、椅子にもたれて欠伸をしていた。トランプ札が机の上に投げ出されている。
「――は?」
言葉を紡ぐ間もなく、オーウェンの右腕がしなった。腕に巻きつけた紐がひと呼吸で伸び、鉛の重りが唸りを上げて男たちの首筋を打ち抜く。ドサ、ドサ、と二つの体が崩れ落ちた。
「……すごい。 あっという間に」
ルカが目を丸くする。オーウェンは涼しい顔で紐を巻き戻した。
「叩き上げを舐めるなよ、お嬢ちゃん。 これでも小隊長だ」
「拘束具、はい」
ノーラが手早く二人の腕を縛り上げる。
拘束が終わったところで、奥の扉が軋みながら開いた。
「――客か?」
現れたのは、能面のような無表情の男――ダレンだった。 黒革の手袋をした指が、腰の短刀の柄にかかる。 その背後には黒ずくめの男が三人、影のように並んでいた。
「「闇の爪」、辺りは包囲した、投降しろ!」
オーウェン小隊長の威嚇の聞いた声が地下に響くと同時に、五人と四人の間に張り詰めた空気が走った。
ダレンがユラリと動いた。
『スラッシュ!』
『ガード』
ダレンの目の前に滑り込んで青白い切っ先を腕で受け止めたのは、ガーウィンだった。
「お前の相手は俺だ。 この間の続きをやろうぜ!」
ガーウィンの巨躯がダレンを前に押し出して、広めの部屋に入る。 オーウェンの丈夫な紐の先に付いた錘が、丸い円を描いて、空を飛ぶ。 ノーラが短剣で黒ずくめの一人と組み合う。 その男の後ろにいた黒ずくめの一人が、オーウェンの錘を額に受けて後ろにひっくり返った。 ルカも剣を抜いて、もう一人の黒ずくめに斬りつける。 葛城は周りの動きに注意しながら、ルカから離れないように、慎重に移動した。 ノーラが短剣を閃かせて別の一人へ低く踏み込むと同時に、隙ができた黒ずくめを葛城が体術で投げ飛ばした。
ルカが奥に切り込み、援護に回るオーウェンが要所要所でガーウィンとルカ、葛城を助けた。
ガーウィンとダレンは広めの部屋の中で大立ち回りをしている。 ダレンが戦技でガーウィンの戦意を削り取ろうとするが、守りに徹したガーウィンはそれをことごとく跳ね返していく。 ダレンの顔に焦りが出始めていた。
ノーラの動きは獣そのものだった。短剣の切っ先が男の腕を掠め、次の瞬間には足を払い、地に伏せた相手の首筋へ切っ先を突きつける。
「はい、おしまい」
葛城の相手はナイフを振るってきたが、葛城は半歩踏み込んでその腕を捌き、肘を極めて捻り上げた。
「痛て――っ!」
「動くな、抵抗するだけ痛ぇぞ」
うつ伏せに組み伏せ、ルカが手早く拘束具をかける。三人の黒ずくめが次々と地に転がされていった。
オーウェンがひっくり返った黒ずくめの拘束し終わったので、紐「流星錘」を飛ばして、ダレンの足に巻きつける。 ガーウィンはその隙を逃さずダレンを首で極めてうつ伏せに押し倒した。
「クソッ!」 ダレンの悪態が暗闇に響く。
「――待たせたな」
奥の闇から、二つの気配がにじむように現れた。
一人は長身痩躯、腰まで届く黒髪の間から鋭い目をのぞかせる男――ザハール。 全身革の痩せた体に黒いマントを羽織り、ひきつったような笑みを浮かべている。 もう一人は艶やかな黒髪を結い上げた、豊満な体つきの女――夜想曲の女主人、マダム・ブレストだった。
「こうなった以上は腹くくるしかないねぇ」
マダムが扇で口元を隠しながら、鈴を転がすような声で笑う。
『シャドウバインド』
その声とともに、ガーウィンの足元から黒い影が這い上がり、瞬く間に全身を縛り上げた。
「な――っ!?」
拘束していたダレンから手が離れる。自由になったダレンは間髪入れず飛び退いた。
「ガーウィン!」
助けようと踏み出したオーウェンの肩を、影の中からすっと伸びた手が掴んだ。 ザハールだ。
『影印』
「ぐっ……あああああっ!?」
オーウェンの体が痙攣する。 皮膚に焼けるような激痛が走り、膝が崩れた。
「――ザハール!」
ノーラが叫び、短剣を構えて突っ込む。 だがその一撃が届く直前、
『ダークブラインド』
視界を漆黒が塗り潰した。
「くっ……見えな――」
視覚を奪われたノーラの腕を、闇の中からザハールの指がなぞる。
『影印』
「あああああっ!」
激痛に呻くノーラとオーウェンを、マダムの『シャドウバインド』が再び黒い影で搦め捕った。 二人はそのまま地に膝をつき、動けなくなる。
「ノーラさん! オーウェンさん!」
ルカが叫び、精霊を呼ぶ。
『ノームよノーム! あの男を捕らえてっ!』
土の精霊が地面から盛り上がり、ザハールへと迫る――が、その刹那、横合いから影が滑り込んだ。
「悪いな、嬢ちゃん」
ダレンの短刀がルカの腹を狙う。とっさに身を捻ったルカだったが、勢いに押されて弾き飛ばされた。
「ぐっ……!」 土の精霊は悲しそうに掻き消える。
地を転がるルカへ、ダレンが追撃をかける。 剣を構え直すが、短刀術に長けたダレンの動きは一段上だった。 切っ先が何度も服をかすめる。
その間にも、ザハールの指先は淡く光り続けていた。 皮膚に浮かぶ黒い刺青。 ノーラとオーウェンが苦悶の声を上げ続ける中、二枚のタロットカードが宙に浮かび上がり、ひらりと床に落ちる。
「――終わりだ」
マダムがルカへと手をかざす。指先に紫黒の光が集まっていく。
その瞬間、葛城は動いていた。
「俺の相棒に手を出すんじゃねぇ!」
腰のホルスターから抜いた銃を構え、迷いなく引き金を絞る。 乾いた銃声が地下の空間に響き渡り、マダムの肩から鮮血が噴き出した。
「――ぐぇ……っ」
衝撃で吹き飛んだマダムは詠唱を中断し、強かに壁に頭をぶつけて白目を剥いてそのまま昏倒する。
同時に、ガーウィンを縛っていた影がふっと消えた。
「――っしゃあ!」
解放されたガーウィンが咆哮を上げ、ザハールへ躍りかかる。 だが横合いから、ダレンがルカを弾き飛ばして反転し、ガーウィンの前に立ちはだかった。
「二度目だな、熊野郎」
「くだらねぇ茶番はもう終わりだ!」
二人の巨体と刃が正面からぶつかり合う。 ガーウィンの拳がダレンの脇腹を掠め、ダレンの短刀がガーウィンの上腕を薄く裂いた。 互いに一歩も退かない、力と技のぶつかり合いだった。
「速えな、お前……!」
「ぐおおおおおおおおおぉ!」
ガーウィンの目が青く光り、一回りその体が大きくなる。 ガーウィンの全身を青い光が覆いダレンの剣を弾き飛ばす。
ザハールはぐったりと気を失ったノーラとオーウェンから手を離した。
「さて……お前だな」
視線が葛城に向く。 ひきつったような笑みが、闇の中に浮かび上がった。
「お前のその格好とその武器……『迷い人』だよな。 あっちの世界の刑事か?」
「……っ」 葛城が銃をザハールに向けて引き金を引く。
「お前も俺の奴隷にしてやるよ」
ザハールがユラリと動くと弾は外れ、言うが早いか、影がうねって葛城の腕に絡みつく。
『影印』
「が……あああああっ!?」
焼けるような激痛が全身を貫いた。 指先から力が抜け、銃が石畳の上に転がり落ちる。
「がああああああああ!」
視界が歪む。 膝が崩れ落ちそうになるのを、歯を食いしばって堪えた。 三十秒か、それとも一分か――時間の感覚さえ怪しくなるほどの痛みだった。
「これでお前の命は俺のものだ。タロットはこんな使い方もできるのさ」
ザハールの指先が離れ、床に落ちたタロットカードが一枚拾い上げる。 すると触れられぬまま、なおも激痛が葛城の身を焼いた。
「くく……いい面だ。 刑事さんよ、痛みってのは正直だろう? 喚けよ、誰も助けにゃ来ない」
「が――っ……!」
(意識……が……持って……いかれる……)
薄れていく視界の端、ザハールがダレンへと声を投げるのが見えた。
「ダレン、そこに落ちてるカードを拾え。 用済みの二人は殺していい。 その熊野郎は俺が相手する」
ダレンがガーウィンを蹴り飛ばして間合いを取り、床のタロットへ手を伸ばそうとした――その時。
闇の奥、誰も居ない部屋の影の中から、一筋の光が走った。
短剣が唸りを上げてザハールの右手を貫き、タロットカードを彼の手から弾き飛ばす。
「――なっ!?」
ザハールが顔を歪めた隙に、立ち上がったルカが蹴り飛ばした銃が葛城のすぐそばに滑り込んだ。 激痛の中、葛城は最後の力を振り絞ってそれに飛びつく。
「……かは……っ! おらぁ!」
狙いを定める間もなく、体を捻りながら引き金を引いた。 銃声が轟き、ダレンの肩が弾け飛ぶ。
「がっ……!」
膝をつくダレンへ、ガーウィンの拳が容赦なく振り下ろされた。
「ノームよノーム! そこの二人を縛ってっ!」
ルカの精霊魔法が土の腕となってザハールとダレンの体を絡め取る。 葛城は震える手で手錠を取り出し、二人の手首に叩きつけるようにはめた。
かちり、と金属音が響いた瞬間、絡みついていた影の激痛がふっと消える。手錠に込められたスキル封じの魔術が、ザハールのユニークスキルを黙らせたのだ。
「クソッ なんだこりゃぁ」
「ノームよノーム! そいつを黙らせて」
「んんんんんんんんん!」 ノームの土の手がザハールの口を覆いつくす。
「……っ、はぁ……はぁ……」
息を荒らげながら、葛城は床に膝をついた。 手が震えている。 それでも視線だけは油断なく二人へ向け続けていた。
ふと足元に、小さな短剣と、先ほど弾き飛ばされたタロットカードが転がっているのが見えた。 葛城はそれを拾い上げ、まじまじと見つめる。
(この短剣……どこから?)
影の中に、確かに誰かがいた。 だが目を凝らしても、闇はただ静まり返っているだけだった。
「大丈夫か、ルカ!」
「は、はい……何とか。 かすり傷です」
服の裂け目を押さえながらルカが立ち上がる。 オーウェンとノーラも、痛みに顔をしかめながらどうにか身を起こしていた。
「くそ……骨まで焼かれたかと思ったぜ」
「ウチもだよぉ……野郎、覚えとけよぉ」
ぼやきながらも、二人は縛られたザハールとダレン、拘束具をかけられたままの黒ずくめ三人、そして昏倒したマダムへと油断なく視線を配る。 ガーウィンが縄を確かめ、太い腕でザハールの襟首を引き起こした。 フラフラ立ちながらオーウェンがボヤいた。
「まったく小隊長としちゃあ 情けない限りだぜ。 ――上に連絡だ。 ランドルト隊長に、容疑者確保の報告してくれ」
「私が行きます」
ルカが階段へと駆けていく足音が遠ざかる中、葛城はようやく息を整えた。
「誰だか知らないけど」
ノーラが千鳥足で近づいてくる。 まだ痛みの余韻に顔をしかめながらも、口元にはいつもの軽さが戻っていた。
「もう居ないよ。 お陰で助かったけど……何者だろうね」
「……さあな」
葛城は短剣を握りしめたまま、闇が消えたはずの奥の暗がりへ、じっと視線を向け続けた。




