第二十三話 仮面の下の刻印(ジン:八日目)
夕刻に染まりはじめた商業区画の裏路地を急ぎ足で進んでる。 表通りの喧騒が遠ざかるにつれ、石畳はひび割れ、行き交う人影もめっきり減っていく。 看板の色褪せた古着屋や、鎧戸を下ろしたままの空き店舗が並ぶ一角に差し掛かった頃、フィリップが足を止めた。
「この先です」
言われなければ、誰もそこに何かがあるとは思わないような、何の変哲もない裏通りだった。
会場の扉は、一見するとただの空き倉庫の裏口にしか見えなかった。 看板もなければ、明かりの一つも漏れていない。 フィリップがその扉に歩み寄り、間を開けて三度叩くと、近づいて耳打ちするように囁く。
「――『月下美人は、月のない夜にこそ咲く』」
少しの沈黙の後、重い閂の外れる音がして、油の効いた重い扉が音もなく開いた。
中に足を踏み入れた瞬間、葛城は思わず息を呑んだ。 天井の高い元倉庫が、豪奢なシャンデリアと深紅の絨毯で飾り立てられ、まるで別世界の舞踏場のように様変わりしている。 壁際には値の張りそうな絵画や壺、宝飾品の数々が並び、仮面を着けた客たちが低い声で談笑しながら品定めをしていた。
(こりゃまた、たいそうな隠れ蓑だな)
受付には、栗色の髪をきっちりと結い上げた女がひとり座っていた。 仮面はつけていないが、優雅な微笑みの奥に隙のない目つきを覗かせている。 ヴェロニカと名乗ったその受付嬢は、フィリップの合言葉と紹介状を確かめると、三人を丁重に会場へと通した。
「ごゆっくりお楽しみくださいませ」
その声には一点の曇りもない。
(さて、ここからが本番だ)
目元をすっぽり覆う仮面を選んだのは伊達ではない。スキルを使うと目が青く光る――その性質さえ隠せれば、堂々と会場の真ん中でユニークスキルを使い放題というわけだ。
葛城は仮面の奥で、静かに『事象検証』を発動した。
視界の端に、見慣れた青いログ画面が滲むように浮かび上がる。会場中の品々ひとつひとつに反応が生じ、来歴を示す文字列が次々と積み重なっていった。
(多いな……)
絵画、壺、宝飾品、正体不明の魔導具――目につくものすべてに何らかの魔力反応や来歴が表示され、その中から共鳴宝珠特有の反応だけを拾い出すのは、砂浜で一粒の砂金を探すような作業だった。 ルカとフィリップも、客のふりをしながら会場をゆっくりと歩き回り、さりげなく展示品を検分していく。
「葛城さん、こちらの壺、少し魔力の反応が……」
ルカが声を潜めて耳打ちしてくるたび、葛城はログを覗き込んで首を振った。 どれもただの装飾魔法か、防犯用の結界程度のものだ。
フィリップは物慣れた様子で富裕そうな仮面の客に声をかけ、世間話のふりをしながら情報を引き出していく。
どれほど集中を続けていただろうか。じわりと滲んだ汗が仮面の内側を湿らせはじめた頃、場違いなほど陽気な声が葛城の耳に飛び込んできた。
「ルーカーっ!!」
振り向くと、鳥の羽を模した仮面をつけた小柄な人影が、ルカの華奢な胸に飛び込んできていた。 ルカはその勢いに軽く吹き飛ばされ後ろに倒れこむところをフィリップと葛城が支えた。
その後ろを見ると、氷のように整った顔立ちの女がひとり背筋を延ばして佇んでいる。 仮面はしているものの、その二人の存在感はまるで隠しきれていない。
「先生?! どうしてこんなところへ?」 ルカが驚いて尋ねる。
「ジュリアン・フォン・ナルデニアンの名前が出たのでな。ナルデニアンなら、クレアがオークションやってたのぅと思い出して、もしかしたらと思ってきてみたんじゃ」
ミルセイン・アーガスは仮面越しでも隠しきれない得意げな声で言いながらルカの胸から顔を上げた。 周囲の客たちが何事かとざわめきはじめる。 受付のヴェロニカが慌てて立ち上がり、二人を宥めようと駆け寄ってきた。
「お、お客様、申し訳ございませんが、お静かに――」
「何事ですかっ 騒がしい。 迷惑ですよ」
奥の扉から、厚化粧に扇子を持った貴婦人が現れた。 クレア・フォン・ナルデニアンだ。 値踏みするような一瞥を葛城たちに向けたあと、彼女の視線はミルセインとクラリスへと移り、露骨に眉をひそめる。
クラリス・アンダーホーンが一歩前に出た。
「申し訳ございませんが、オークションの出品リストを見せていただいても構いませんか?」
「あなた どなた? なぜそんなことを?」
クレアは扇子を広げ、鼻を鳴らすように答えた。
「このオークションは私的なものです。 出品前にリストを見せるなど、この場のルール違反ですわ。 だいたい、この私的で格式ある集まりに土足で踏み込んでくるなど、無粋にもほどがありますこと」
葛城が黙って様子をうかがっていると、フィリップが仮面を外し、懐から警備隊の身分証を掲げた。 葛城とルカもフィリップにならって仮面を外す。
「ルミナス警備隊、第一小隊のフィリップ・ラングフォードです。 捜査上の必要があり、警備隊の権限において、こちらの記帳の検閲を申し入れます」
「ワシの権限も貸してやろう」
ミルセインとクラリスも仮面を外し、ローブの襟についた魔術師ギルド長の紋章を見せつける。
「魔術師ギルド長、ミルセイン・アーガスじゃ。 ギルドの品に関わる話でな」
二人分の権威を前に、クレアはしばし扇子で口元を隠していたが、やがて苦々しげにそれを閉じた。
「……何を探しているのかは知りませんが...。 ヴェロニカ。 対応なさい。」
「......承りました。 クレア様」
ヴェロニカは受付の机の方に案内した。
・・・・・
運ばれてきた記帳簿を、クラリスが険しい表情でめくっていく。 ミルセインも横から覗き込み、ページの隅々にまで目を走らせた。葛城とルカ、フィリップも手分けして品目の一つひとつを照らし合わせる。
だが、いくらページを繰っても、共鳴宝珠らしき出品は見当たらなかった。
途中、クラリスが一度だけ目の色を変え、記帳簿の一項目を指でなぞった。 だが確認のため係員に運ばせた品は、ただの高級な水晶細工に過ぎなかった。 落胆の色を隠せぬまま、クラリスは再びページをめくり始める。
ページを繰るクラリスの指先が、次第に苛立たしげに速くなる。ミルセインも肩を落とし、小さくため息をついた。
「まぁ そう簡単に見つかったら世話はないわのぅ……」
(空振りか……)
葛城が落胆しかけたその時、視界の端で青いログが明滅した。
【反応検知:魔力遮断】
(魔力遮断? 魔力を隠しているということは......)
反応の発生源は、記帳簿の並ぶ台ではなかった。 受付の奥、係員用の私物ロッカーだ。
「……あそこのロッカーに何かが隠されている」
葛城が静かに指さすと、ヴェロニカの顔から一瞬で血の気が引いた。 取り繕おうとした笑みが、頬の上で凍りついている。
「な……何のことでしょう」
「開けてもらえますかね」
葛城が繰り返すと、クレアが訝しげに歩み寄った。
「ヴェロニカ。 開けて差し上げなさい」
主人の声に、ヴェロニカの肩がびくりと跳ねる。 逃げ場を探すように視線をさまよわせたが、四方は仮面の客と武装した来訪者に囲まれていた。 観念したように、震える手でロッカーの鍵を開ける。
中から現れたのは、黒い布に包まれた物。
「魔力遮断の布か...」ミルセインがニヤリと笑う。
その中から出てきたのは淡い光を帯びた二つの球体だった。
「これは…… 魔術師ギルドから盗まれた共鳴宝珠じゃな。 ほれみよワシの名前が刻まれておる」ミルセインは宝珠に小さく刻まれた文字を指さした。
「クレア様。 これはその...。 実は昨日ジュリアン様が出品としてお持ちになっていらっしゃったのですが、これは窃盗品ですので、記帳せずに秘密裡に処理しようと……」
「ヴェロニカ! これはどういうことなのです! 息子が盗んだとでも? あの子がそんなことできるはずがないでしょう!」
クレアの追及に、ヴェロニカの視線が泳いだ。
「そ……それは……その……」
「失礼」
フィリップが短く断り、素早くヴェロニカの襟元へ手を伸ばす。 抗う間もなく開かれた胸元に、黒く歪んだ印がぬらりと浮かび上がった。
「――闇の爪の刻印!」
その一言に、会場の空気が凍りついた。 ルカが息を呑み、周囲の客たちが悲鳴とともに後ずさる。ヴェロニカは弾かれたように後ずさり、フィリップを突き飛ばして受付の脇からすり抜けようとした。
「逃がすかっ!」
葛城が叫ぶより早く、クラリスの水魔法がヴェロニカの足元を凍らせ、ミルセインの風魔法が突風となってその進路を塞ぐ。
『フリーズ!』
『ウィンドプッシュ』
二つの詠唱が交錯し、ヴェロニカの体がよろめいた。 追い打ちをかけるように、ルカが両手を掲げて叫ぶ。
『ウンディーネよウンディーネ! その足を絡め取ってっ!』
水の精霊が細い腕となってヴェロニカの両足に絡みつき、彼女はもんどりうって深紅の絨毯に倒れ込んだ。 氷と風と水にがんじがらめにされ、身動きひとつ取れなくなる。
「わしらから簡単に逃げれるわけなかろう」
ミルセインがドヤ顔で腕を組んだ。 床に転がされたヴェロニカは、青ざめた顔で肩を震わせるばかりで、もう取り繕う余裕さえ残っていないようだった。
悲鳴に沸いていた会場が、少しずつ静けさを取り戻していく。 呆然と立ち尽くすクレアの視線の先で、共鳴宝珠だけが変わらぬ淡い光を放ち続けていた。
「ちくしょうっ! こんなところでっ!」
床に転がされたまま、ヴェロニカが悪態をついた。 表情が醜くゆがんでいる。 これが素なのだろう。 先ほどまでの真面目そうな雰囲気は面影もなくなっていた。 クレアは扇子を握る手を白くさせて立ち尽くしている。 信頼していた使用人の裏の顔や息子の犯罪容疑を、いきなり突きつけられた衝撃が、その横顔にありありと浮かんでいた。
「……わたくしのサロンで、こんな真似を」
絞り出すようなクレアの呟きに、誰も答える者はいなかった。 会場に集まっていた客たちも、そそくさと出口へと向かい始めている。
「クレア様。 明日、重要参考人として警備隊本部に出頭していただきますので、ご準備のほどをよろしくお願いします」
フィリップが慇懃無礼にお辞儀をした。
クレアはフィリップを睨みつけるだけで応えなかった。
ルカはまだ信じられないという面持ちで宝珠を布でそっと包んだ。
葛城はヴェロニカを拘束する為の縄をルカからもらおうと手を出すと、ミルセインが見覚えのあるものを取り出した。 葛城の手錠だった。 しかし、何かちょっと違う感じがする。 魔石らしきものが二つ付いてる。
葛城は手錠を受け取りながら、ミルセインに訝し気に尋ねた。
「......何をした......?」
「ん? このままじゃと使い物にならんのでな。 ワシ直々に強力なスキル遮断の魔法を付けておいた。 ほれ。 ここにワシの名前が刻まれとるじゃろ? 泣いて喜べ!」
ミルセインは鼻息荒く胸を張った。
「ああ。 ありがとよ..... って、俺の銃はどうなった?」
葛城はミルセインに渡したっきりになっていた銃の事をいまさらながらに思い出した。
「おお。 忘れておったわ。 ほれ受け取るがよい。 ここにもワシの名前が刻まれとる」
葛城はミルセインから受け取った愛用の拳銃をマジマジと眺める。 弾の入るシリンダーに緑色の魔石が五つ埋め込まれていて、何やら怪しく光っていた。 撃鉄にも赤い魔石が着いている。
「おい......」
「いやぁ なかなか骨が折れたが、この火の魔石とこの風の魔石がぶつかる事で指向性の魔力が放たれて、ここから風魔法が土の魔石で作られた弾をとばすんじゃ。 どうじゃ? すごかろ? なかなかの発明じゃと思うんじゃが。 オズワルドとワシの合作じゃ」
「勝手に何してくれてんだよ! 俺の愛銃にぃ!」
「なんじゃ。 どうせこのままでは使えんじゃろう? まだ試験をしとらんから、暴発するかも知れんがの。 また今度持ってこい。 ワシとオズワルドで自ら調整してやる」
(ダメだ。 危なすぎて、どっちにせよ、こいつは使えん)
葛城は溜息をつくとミルセインに棒読みの礼を言いながら、空だったホルスターに怪しい愛銃を収めると、ヴェロニカの手に手錠を掛けた。 手錠は掛けた途端に青白く光り、ヴェロニカの全身をその光が包んで消えた。
葛城は氷や水の触手に拘束されたヴェロニカを見下ろしながら目を細めた。 震えるばかりで答えようとしない彼女の姿に、まだ隠された糸の存在を確信する。
(――闇の爪って組織は、こんなところにまで根を張ってやがるのか)
葛城は青いログに浮かぶ宝珠の反応を見つめながら、静かに拳を握りしめた。 汗が一筋、頬を伝って落ちていった。




