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異世界事件簿 双月にほえろ!  作者: おっこの
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第二十一話 線へと変わる兆し (レン:七~八日目)

 商業区画の目抜き通りを外れ、いくつか路地を折れるうちに、喧騒はしだいに遠くなっていく。 夕暮れの残照が石畳を橙色に染め、やがてそれも建物の影に呑まれていった。


 佐伯は、迷う素振りも見せずに角を折れた。 


 セバスチャンから聞いた道筋は正確だった。 看板もなく、灯りも控えめな扉。 古い骨董商の裏口だと言われても、誰も疑わないだろう。


 懐にしまった宝珠の重みを、上着の上からそっと確かめる。


 扉を三度、間を空けて叩いた。合言葉はやはりセバスチャンの教え通りのものだ。


「――お招きに与った者です。『月の裏側でしか、花は売れない』」


 わずかな沈黙のあと、内側から重い閂の外れる音がして、扉が音もなく開いた。


 中に足を踏み入れた瞬間、外の世界とは明らかに異なる空気が佐伯を包んだ。 深紅の絨毯、抑えた蝋燭の灯り、そしてどこか甘く、退廃した香。 壁際には仮面をつけた男女が数人、声を潜めて何事かを語らっている。 纏う衣装の質から察するに、貴族か、それに準じる身分の者たちだろう。 佐伯も例にたがわず狼の仮面を着けていた。


 表の評議会では決して口にできない類の欲望が、この扉の内側でだけは正直に息をしている。


 佐伯は優雅に、しかし目立たぬように、受付へと向かった。


 受付には一人の女が座っていた。歳の頃は二十代半ば、栗色の髪を結い上げ、上品だが隙のない笑みを浮かべている。胸元の名札には「ヴェロニカ」とだけあった。


「ようこそ。 クレア様のオークションハウスへ」


「――出品を、お願いしたいのですが」


 佐伯は静かに言うと、懐から拳ほどの大きさの宝珠を取り出した。 鈍い光を帯びた表面には、精緻な魔術文様が走っている。 触れるだけで、かすかな魔力の脈動が指先に伝わってきた。


「これは……」


 佐伯はヴェロニカの反応に違和感を覚えた。 この受付はこの品物に何か心当たりがある。


 佐伯は柔らかく微笑んだ。こういう場所での作法は、貴族の応接間とはまるで違う。 金と秘密の匂いに慣れた人間には、それに見合った顔を見せてやる必要がある。


「失礼いたしました。では、こちらへご記帳を」


 台帳が開かれる。 出品者名、品の由来、希望落札額の下限、手数料の取り決め――記入すべき欄はいくつもあった。


「――魔術関連の品となりますと、出所の証明がなければ、落札額はどうしても伸び悩みますが」


「それで結構」


「では、正式な競売は次の新月の夜に。会場にてお披露目とさせていただきます。当日ご都合が合わぬ場合は、代理落札の手筈もございますが」


「――いや。結果だけ、後日聞かせてもらえれば十分です」


「かしこまりました」


「申し訳ないが、台帳への記帳の方はお嬢さんの方でお願いしたい」


「え? それは...」


 ヴェロニカが台帳から顔を上げた瞬間、佐伯は静かに『記憶の改竄(オーバーライト)』を発動した。

 

 視界の端で、彼女の瞳がほんの一瞬だけ焦点を失う。


 瞬きひとつの間に、彼女の記憶の中の宝珠を出品してきた人物は、退屈そうに小指の爪を弄る、あの放蕩息子(ジュリアン)の顔にすり替わった。 『ジュリアンから「面倒くさいので、台帳への記帳はお前がやっておけ」と言われた』


「――お手続き、確かに承りました。ジュリアン様」


 何も疑わず、ヴェロニカはそう言って恭しく頭を下げる。


 佐伯は黙って身をひるがえし、出口へと向かった。 顔には涼やかな微笑みを保ったままだった。 所詮は保険の一枚にすぎない。 綻びる前に、すべての幕が下りていればいい。


 舞台の役者はまだ、自分の出番すら知らずにいる。


 佐伯は来た時と同じように、音もなく扉の外へ消えていった。



 ・・・・・



 モントブラン邸、レン・サイダーにあてがわれた客室のベットで佐伯は微かな寝息をたてていた。


 夜明けの薄青い光が、窓の隙間からゆっくりと差し込み始める頃だった。物音ひとつ立てず、窓辺に影が滑り込んでくる。


「――戻ったか」


 寝台に寝転がったまま、佐伯は振り返りもせずに言った。 気配だけで、誰なのかは分かっていた。


 窓辺に立つヴィオラの息は乱れていない。 だが纏った外套の裾には夜露が滲みている。


「ああ」


 それだけ言って、ヴィオラは黙り込んだ。 銀色の狼耳が、部屋の気配を探るように一度だけ動く。 赤い瞳は、暗がりの中でもわずかに光を宿していた。


 佐伯は小さく息をつくと、寝台から立ち上がり、彼女の正面に立った。 


 ヴィオラの報告は、いつもこうだ。 言葉は少なく――けれど記憶の中には、言葉にできない分だけ多くのものが刻まれている。


「見せてもらうぞ」


 断りだけを入れ、佐伯はヴィオラの赤い目をみる。 抵抗はなかった。 ただ静かに、彼女はそこに立っていた。


 『記憶の改竄(オーバーライト)』――佐伯の中では、これはただの一方通行の力ではない。 相手の記憶の奔流に触れ、必要な断片だけを掬い上げる。 他人には決して見えない、彼だけの覗き穴だ。


 ジュリアンが屋敷に戻り、夜が明け、夕方近くに屋敷からでる。 繁華街近くまで行くと、取り巻きの仲間二人が噴水の前で待っている。 三人で何か話した後、酒場に向かい、乾杯したところで、黒ずくめの四人に酒場から引っ張り出された。 路地裏まで連れてこられ、何度か殴られる。 そこに青い制服を着た青年が剣を抜いて止めに入った。


 ここでヴィオラの視点が崩れて、場所を変える。 ヴィオラが何かを感じたらしい。 少し離れたところに移動すると、青年が倒れたところに、大柄な熊の獣人の男が割って入り、三人の男を打ちのめしていた。 もう一人の能面顔の男と獣人が戦っているところに、もう一人の猫の獣人の女が短剣を投げて飛び込んできた。 四人の黒ずくめの男たちは地面に何かを投げて煙幕を張ると、その場から逃走する。 


 ヴィオラが黒ずくめを追って動き出す。


 暗い路地を駆け、煙玉の残滓に紛れて散っていく男たちの背中。 石畳を跳ねるように追う、獣の脚。 息を殺し、屋根伝いに何度も進路を変えながら、決して見失うことのない追跡。 夜明け前の街は静まり返り、ヴィオラの足音だけが、影の中に溶けて消えていく。


 やがて視界の先に浮かび上がったのは、繁華街の一角に建つ、瀟洒な娼館――「夜想曲(ノクターン)」だった。 灯りが入り、窓が開き、妖しく着飾る女性たちが窓枠に腰かけて、表通りを伺っている。 


 男たちは静かに娼館裏の下水点検口から地下へと降りていった。 その後、夜を通して、その下水点検口を観察していると、小柄で、猫背気味な、ハーフリングの男が何度かその下水点検口を出入りしている事が分かった。 


 このハーフリングの男とジュリアンを酒場裏で襲っていた黒ずくめのリーダーは以前ジュリアンの記憶から知っていた。 ”鼠”のコルトと”影狩り”のダレンだ。


 佐伯の口元に、笑みとも呼べない笑みが浮かんだ。


 つまり、この娼館「夜想曲(ノクターン)」が、「闇の爪(シャドウクロウ)」の隠れ家の一つなのだろう。


「よくやった」


 佐伯は素直にそう告げた。ヴィオラの表情は変わらない。 ただ、赤い瞳の奥が、ほんの少しだけ和らいだように見えた。


「次は、このハーフリング....。 ”鼠”のコルトを見つけて、離れたところから観察しろ。 誰と会っているのかを知りたい。 建物の中までは追わなくていい」


「……わかった」


 珍しく間をおいた返事に、佐伯はわずかに目を細めた。 危険を厭わないこの獣人の女が、ほんの一瞬だけ躊躇を見せたことが、少し意外だった。


「無理はするな。 見つかるなよ」


「........」

 短く頷くと、ヴィオラは音もなく窓辺に戻り、朝の光の中へ溶けるようにして消えていった。


 一人残された部屋で、佐伯はしばらく窓の外を眺めていた。


(末端連絡員であろうコルトや実行部隊リーダーのダレンが「夜想曲(ノクターン)」へ通っているなら――「闇の爪(シャドウクロウ)」の連絡網は、あの店を経由している可能性が高い。 「闇の爪(シャドウクロウ)」の中枢に近づいている)


 情報という名の駒が、また一つ盤上に増えた。 あとは、いつ、どう並べるかだけだ。



 ・・・・・



 ヴィオラの報告を受けてからそのまま身支度を整え、次のステップのタイミングを考えながら、読書を進めるうちに、時刻はいつの間にか昼近くになっていた。

 

 モントブラン邸のダイニングルームには、遅い朝食の匂いが漂っている。

 

 白いテーブルクロスの上、湯気を立てるスープと焼きたてのパン。 向かいの席で、ロベルトはいつになく難しい顔をしていた。


「――評議会より、招集のご連絡が入りましてございます」


 セバスチャンが恭しく一通の書状を差し出しながら告げる。 封蝋には、ルミナス市政評議会の紋章が押されていた。


「議題は二つございます。 一つは、モントブラン家の議席をいかにするか――これはベルンハルト子爵家よりの提議。 もう一つは、鉱山都市グラナダの魔鉱石輸出ルートの管理を、モントブラン家からナルデニアン男爵家へ委任するという提案にございます」


「……グレゴーリめ ぬけぬけと」


 ロベルトが低く唸った。 皺の刻まれた拳が、テーブルの上できつく握られる。


「グラナダの輸出ルートは、先代からわし、そしてダスティンが長年かけて守り続けてきたものだ。 それを、当主が空席になった途端に掠め取ろうというのか」


「評議会の空気も、決して一枚岩ではございません。ベルンハルト子爵閣下は、あくまで日和見。 旗色を見て動く御方ゆえ、議席の去就そのものに悪意があるわけではないかと」


 セバスチャンが淡々と付け加える。 だが、その裏でナルデニアン男爵が糸を引いていることは、この場の誰の目にも明らかだった。


「――議席を失えば、モントブランの名は評議会から消えます。 そうなれば、輸出ルートの委任など、もはや形だけの追認に過ぎなくなるでしょう」


 佐伯が静かに言葉を継いだ。


「わかっておる……わかっておるとも」


 ロベルトは目を閉じ、深く息を吐いた。 商家の看板を継いだ日から数えて、四十年近くを費やして守ってきたものが、たった数日の空白で崩れ落ちようとしている。 その重みを、老いた体のどこにも逃がす場所がないようだった。


「呼び出されておるのは、二日後の夕方の会合、というわけだな」


「左様にございます」


 佐伯はスープに視線を落としたまま、静かに口を開いた。


「――原則から申し上げれば、すでに引退なさっているロベルト様が、評議会の席にお着きになることはできません」


「わかっておる。今の状況は、通常ではない。 儂が説得して、評議会の席に戻ればよいのであろう」


 娘夫婦の死という異常事態がある以上、家督の空白を埋める提案自体は、評議会に諮ることが可能だろうと見立てたのであろう。


「いえ。 恐らくその場合、ナルデニアン男爵が原則論を出して反対し、稟議に掛けて、棄却する算段があるのでしょう。 その時点で、モントブラン家は評議会席を失います」


 佐伯は淡々と続けた。


「そこで、僭越ながら、ご提案がございます。 次期当主の座には――エレナお嬢様に、お立ちいただくのはいかがでしょうか」


 スプーンを持つロベルトの手が止まった。


「……エレナに? あの子はまだ十五だぞ。それに、あんな目に遭った直後で……」


「難色を示されるのは当然でございます。 ですが」


「――お祖父様」


 声がして、ダイニングの入口にエレナが立っていた。 付き添うマリアが、少し困った顔で主を見守っている。


「エレナ……聞いておったのか」


「盗み聞きするつもりはありませんでした。でも……」


 エレナはゆっくりと歩み寄り、ロベルトの隣の椅子に腰を下ろした。 青い瞳には、この数日で見せたことのない強い光が宿っている。


「わたしに、やらせてください。 お父様とお母様の代わりに」


「エレナ、お前は……」


「怖くないと言ったら嘘になります。 でも……このままお祖父様一人に、全部背負わせておくわけにはいかない」


 声はわずかに震えていたが、途切れることはなかった。 マリアがそっとエレナの肩に手を添える。 その仕草だけで、二人がここに来るまでにどれほどの言葉を交わしたかが伝わってきた。


「お嬢様は、夜通し考えていらしたんです。私が止められる話ではありませんでした」


 マリアが静かに口添えする。 セバスチャンが目を細めた。かつてのエレナなら、こうして自ら申し出ることなどなかっただろう。


 ロベルトは長く沈黙していた。 その顔には、孫娘を危険な舞台へ立たせることへの恐れと、彼女の意志を無下にできない葛藤とが、同時に浮かんでいる。


「……お前は、ロレインによく似ておる」


 ぽつりと、そんな言葉が漏れた。 亡き娘の名を口にした瞬間、ロベルトの目元がわずかに赤らむ。エレナは何も言わず、ただ祖父の手にそっと自分の手を重ねた。


「本当に、後悔せぬか。 評議会という場所は、お前が思う以上に容赦がない。 お前を、ただの小娘とは見てくれぬぞ」


「はい……それでも」


 エレナは一度、唇を引き結んだ。 それから、静かに、けれどはっきりと続けた。


「お父様たちが命を懸けて守ったものを、わたしが立てないなら、誰が立つというのでしょうか」


 その言葉に、ロベルトはもう何も返せなかった。


「……お前の言うことは分かる。 しかしな....」


 その迷いを見て取った佐伯は、静かに、しかし確かな手応えを持って言葉を継いだ。


「ロベルト様。 一つ、申し上げておきたいことがございます」


 ロベルトが顔を上げる。


「ナルデニアン男爵家を失脚させるための策は、すでに動いております。 それはまもなく実現に向かいます」


「……なんだと」


「その時、評議会の場に立つのが誰であるかは、決して小さな話ではありません。 両親を喪い、それでも家を守ろうとする若き令嬢の姿は、評議員の心を動かすでしょう」


 ロベルトの目に、初めて何かが灯った。それは信頼というより、老獪な商人としての勘――佐伯の言葉の裏に、確かな算段があると見抜いた者の光だった。


「……レン殿、いったい何を企んでおる」


 佐伯は微かに口角を上げた。 目の前に広がる舞台の輪郭が、彼の中でまた一段と鮮明になっていく。


「――それでは、お話しましょう」


 セバスチャンが息を詰め、ロベルトが身を乗り出す。 エレナの手が、テーブルの下でマリアの手をそっと握った。


 静かな声が、ダイニングルームの空気を引き締めた。


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