第二十話 繁華街の狩人(ジン:七日目)
夕暮れの色が商業区画の屋根を橙に染める頃、葛城、ルカ、そしてフィリップは魔術師ギルド前でコリン・ラドクリフの背中を人混みの向こうへ見送っていた。
共鳴宝珠窃盗事件の容疑者として名前の挙がったジュリアン・フォン・ナルデニアンの行方を追う為、ジュリアンが良く出没するといわれている繁華街へ向かおうとしている。 三名では手が足りないので、コリンを警備隊本部に送り、応援を要請して、ジュリアンが顔を出しそうなところに張り込みをすることになった。
「ジュリアン・フォン・ナルデニアンの馴染みの店は、ある程度把握できています。 行きましょう」
フィリップ・ラングフォードは要領よく地図を出して繁華街の場所を教えてくれた。 人当たりの良い笑みを絶やさぬ顔に、わずかな緊張が滲んでいる。
「頼りになるぜ。……ルカ、お前は平気か?」
声をかけられたルカ・クラインは、腰の細身の剣に手を添えたまま、こくりと頷いた。
「はい、ジン。 大丈夫です」
三人は、居住区画と商業区画の境目に連なる盛り場へと足を踏み入れた。 軒を連ねる酒場の看板に明かりが灯り始め、焼けた肉の匂いと安酒の匂いが入り混じって漂ってくる。 昼間の商人たちの喧騒とは違う、もっと粘つくような、夜の気配だった。
通りを半分ほど進んだところで、後方から駆けてくる二人の足音が聞こえた。
「フィリップ――良かった、まだこの辺りにいましたね」
息を切らせながら現れたのは、セリーナ・マーロウだった。 その後ろから、ふらふらになったトム・ウィッカーが追いついてくる。
「コリンから応援要請を受けて、私とトムが先行しました」
「ありがとうございます。 それでは皆で手分けしましょう」
フィリップの提案で、三方向に分かれることが決まった。 葛城とルカは大通りを西へ、セリーナとトムは酒場が密集する一帯を、そしてフィリップは貴族崩れの遊び人が集うという裏路地の一角を、それぞれ受け持つことになった。
「何か見つけたら、魔笛を」
「ええ、わかっています」
葛城はフィリップから渡された小さな複数の宝石のような物が付いた笛のようなものをまじまじと観察する。
「これって、ただ吹けばいいのか?」
「魔笛は連絡手段に使う魔道具で、音は鳴らないのですが、吹くと関連付けられた別の魔笛の魔石が光ります。 吹き方で光る魔石の色や点滅方法も変わるんですよ。 それぞれの魔石がそれぞれの別の魔笛を示してます」
ルカが丁寧に指さしながら、葛城に使い方を説明した。
「へぇ~ 便利なもんだな」 (トランシーバー代わりって感じか.....)
「魔笛の使い方はあたしは習っているので、あたしが持ちます」
葛城は頷いて、ルカに魔笛を渡した。
「私とトムで、酒場の方は端から潰していきます。 何かあれば魔笛で。」
セリーナの横で、トムが息を整えながら拳を握って気合を入れている。
フィリップは軽く手を挙げると、雑踏の中へ一人で消えていった。
葛城とルカは、賑わう大通りを縫うように歩いた。 屋台の呼び込み、酔客の笑い声、路地の奥から漏れる怪しげな賭博の掛け声――ルミナスの夜は、猥雑なエネルギーに満ちている。
(この人混みじゃ、一人の顔を探し当てるのは骨が折れるな……)
葛城は胸中でそう独りごちながら、道行く人々の顔を一つ一つ確かめていく。
ジュリアン・フォン・ナルデニアンの顔は、屋敷での聞き込みの際に見せてもらった似顔絵を頭に叩き込んである。 目の下に濃い隈のある、締まりのない笑みの青年。
串焼きの屋台を覗き込むと、店主の中年男が愛想笑いを浮かべながら声をかけてくる。
「旦那、いい肉入ってるよ。 一本どうだい」
「悪いが仕事中でな。……そういや、目の下に隈のある、ヘラヘラした若い貴族崩れを見なかったか。 派手な身なりの。 ジュリアンって言う男爵の息子なんだが」
「あんたらもジュリアン様探してんのかい?」
「あんたらも....って、俺たち以外にも誰かジュリアン様を探してたのかい?」
「ああ。 ありゃぁ やばい奴らだったね。 ジュリアン様、ヤバい事に首突っ込んじまったんじゃねぇかなぁ」
店主の何気ない一言に、葛城とルカは顔を見合わせた。
(俺たち以外にジュリアンを追うヤバい奴ら?)
礼を言って屋台を離れると、ルカが声を潜めて言った。
「ジン。 あの……もしジュリアンさんが本当に別の誰に追われているのだとしたら」
「そうだな。 急いだほうがよさそうだ」
葛城は短く答え、足を速めた。
日はすでに沈み、通りの提灯に一つ、また一つと火が入っていく。
・・・・・
フィリップ・ラングフォードが、その物音に気づいたのは、酒場「黒葡萄亭」の裏手を通りかかった時だった。
濁った男の呻き声。 何かを殴りつける、鈍い音。
物陰から覗き込んだ先――積み上げられた酒樽と木箱の隙間で、ジュリアン・フォン・ナルデニアンが地面に膝をついていた。 取り巻きらしい若者が二人、腰を抜かしたようにへたり込んでいたが、目の前に立つ男たちが「行け」と呟いた瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
残されたジュリアンを囲むのは、四人の男だった。
積み重なった空樽の隙間から漏れる酒場の明かりが、四人の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。饐えた残飯と安酒の匂いが立ち込める裏路地は、表通りの賑わいが噓のように静まり返っていた。
先頭に立つ男は、能面のように表情の抜け落ちた顔をしていた。 黒い革手袋をした手で、気だるげに拳を握ったり開いたりしている。 フィリップはその男を知らなかったが、背後に控える三人の気配だけで、堅気ではないことは一目で知れた。 動きに一切の無駄がない。 喧嘩慣れした荒くれ者とは、纏う空気の質からして違う。
(――まずい。 一人で四人はさすがにきつい)
フィリップは剣の柄に手をかけたまま、物陰に留まった。 一人で飛び出せば、殺されるのはジュリアンではなくフィリップになるかも知れない。 フィリップは静かに懐から魔笛を取り出すと口に咥えて軽く吹いた。
「もう一度訊く」
能面の男が、抑揚のない声で言った。
「……宝珠は、ガローに渡したんだよ! ダレンさん。 本当だ、噓じゃない……!」
悲鳴じみた声で、ジュリアンが叫んだ。 頬骨の辺りが赤黒く腫れ上がり、鼻血が顎を伝っている。
「ほう? だが妙な話だな。 ここに来る前にガローの店に立ち寄ったが、奴はお前が渡さなかったとボヤいてたぞ」
ダレンと呼ばれた能面男の声に、初めてかすかな苛立ちが滲んだ。
「……そんな、はず……」
「宝珠はどこに隠した? 正直に吐けば、痛い思いはこれ以上させんでやる。 それともあれか? 母ちゃんところにすでに持ってったのか?」
ジュリアンは震える唇を開きかけたが、言葉にならなかった。
「あの宝珠はな。 お前が思っている以上に貴重な代物なんだよ。 だから、やる時は俺に相談しろっていってただろ? 勝手にやるとか......ルール違反だろ」
「お..... 俺もこんなに上手くいくなんて思ってなくて......」
ジュリアンの目はもう半分死んだようになっている。
ダレンが軽く顎をしゃくると、背後の男の一人がジュリアンの襟首を摑み上げる。
(クソッ!.....)
「ルミナス警備隊だ! 全員動くな!」
剣を抜き放ち、フィリップは物陰から飛び出した。 突然の乱入者に、男たちの視線が一斉に集まる。
地面に組み伏せられたジュリアンが、腫れた目でフィリップを見上げた。その顔に浮かんだのは、驚きと、安堵と、そしてどこか苦いものの入り混じった――複雑な表情だった。
「……お前……ラングフォードの……」
ジュリアンの目に浮かんだのは、縋るような光だった。
「動くな。 彼は、ルミナス警備隊の保護対象だ」
精一杯の虚勢を張って、フィリップは剣先を構えた。
だが、ダレンは眉一つ動かさなかった。
「あんた独りか…… お前ら、遊んでやれ」
短い指示だけで、三人の手下が動いた。 統率の取れた動きで、フィリップを三方から囲む。
「くっ――『パリイ』!」
踏み込んできた一人の斬撃を、フィリップは剣に魔力を纏わせて弾いた。 だが体勢を立て直す暇もなく、二人目の短刀が脇腹を掠める。
剣術そのものは互角、あるいはフィリップの方が上だった。 だが、三人同時の連携された不意打ちの前では、剣士としての技量の差だけですべてを捌くのは難しかった。 脇腹に鈍い衝撃。脛を払われ、体勢を崩したところへ、拳が顔面を捉える。
「がっ……!」
それでもフィリップは剣を手放さず、よろめきながら一人の腕を斬りつけた。 短い悲鳴が上がる。 一矢報いた、と思った瞬間、死角から放たれた蹴りが後頭部を捉え、視界が白く弾けた。 膝から崩れ落ちるフィリップの耳に、ダレンの淡々とした声が届く。
「おい。 行くぞ。 そいつは殺しとけ」
短剣を抜いてとどめをさしに迫る手下の向こうで、ダレンが興味なさそうにジュリアンの胸倉を摑み上げるのが見えた。 ジュリアンは恐怖のあまり気を失った。
「グエッ!」
短剣をフィリップに突き立てようとしていた男が吹き飛んで、壁に打ち付けられた。
巨漢の影がそこにあった。 警備隊の青い制服に身を包んだ熊の様な大男がフィリップにニヤリと笑いかけていた。
「悪い。 遅くなった」
「ガーウィン!」
他の二人が左右からショートソードを抜いてガーウィンに襲い掛かる。
ガーウィンは涼しい顔で剣の軌跡を避けると、肘と掌底で、襲撃者の脇下と顎を打ちぬいていた。 二人はたまらずひっくり返るが、気を失うほどではなかった。
「お? 思ったよりやる」 ガーウィンが余裕を見せて笑うが、実はそれほど余裕があるわけではなかった。 ジュリアンから手を離したダレンがユラリと動いた。
『スラスト!』 ダレンの眼が青く光る。
『ガード!』 ガーウィンがすかさず防御に構える。
ダレンの短剣が魔力を纏って、ガーウィンの青く光る両手に突き刺さる。 ガーウィンの上半身が膨れ上がり、ダレンの短剣を筋肉で掴み取ろうとする。
新たな短剣の輝きが一閃するが、間一髪で投げられた短剣をダレンは右頬に傷をつけながらも避けた。
「チッ..... 新手か 遊びすぎたな」
ノーラがガーウィンの前に立ち、もう一本の短剣を構えた。
「大丈夫? ガウちゃん」
「ああ」
ダレンは倒れた仲間たちが、自分の後ろに下がった事を確認すると、「……潮時か」と短く呟き、懐から小さな球を取り出し、地面に叩きつけた。
白い煙が瞬く間に路地を満たす。
「ガウちゃん、追っちゃ駄目! この煙、変な匂いがする!」
ノーラの警告に、ガーウィンが踏み出しかけた足を止める。 警戒を強めるガーウィンとノーラだが、煙が晴れた時には、ダレンとその手下たちの姿は、もうどこにもなかった。
・・・・・
繁華街の大通りに向かって流れてくる白い煙に通行人が騒ぎ、路地の入口で人だかりが出来始めている事に気づき、葛城とルカは人だかりを縫って路地裏に入った。
煙の晴れた路地には、ガーウィンに片手で引っ張り上げられるフィリップがいた。 ノーラはジュリアンの息を確かめている。
少し遅れて、セリーナとトムも息を切らして駆けつけた。
「遅くなったわ!」
「フィリップさん、大丈夫ですか!?」
「……ああ、平気だ。ちょっと、殴られ慣れてないだけで……」
苦笑いを浮かべながらも、フィリップの声には安堵が滲んでいた。
フィリップは全員揃ったところで簡単に状況を説明した。
「襲ってきた奴らは何者なんだ?」 葛城が説明を聞きながら、疑問を口にする。
「分からんが、「戦技」を使う凄腕の奴が一人いた」 ガーウィンが悔しそうに呟いた。
「「戦技」?」 葛城が続けて尋ねるとルカが説明した。
「「戦技」は、武術スキルに基づいた「技」です。 他人から教えてもらったり、自分で開発したりできます。 魔法は「戦技」の代わりに「呪文」を覚えます」
(必殺技みたいなものか?)
葛城は感心しながらも木箱の傍らに気を失って横たわるジュリアンへと歩み寄り、片膝をついてその顔を覗き込む。
「……こいつが、噂のジュリアン・フォン・ナルデニアンか」
似顔絵に似てるように思えるが、頬は腫れ上がり、鼻血がこびりついていて、原型を留めていない。 だが呼吸は安定していた。 葛城は指先で軽く瞼を開き、瞳孔の反応を確かめる。 長年の現場仕事で染みついた癖だった。
「気絶してるだけだな。命に別状はなさそうだ」
「良かった……」
ルカが安堵の息を吐く横で、葛城は地面に残った足跡と、鼻を刺す煙の残り香に目を細めた。
「まずは本部に戻って事情聴取だねぇ ガウちゃんよろしくぅ」
ノーラにいつもの調子が戻っていた。
両腕を怪我しているようだが、ガーウィンは気にせず、ジュリアンを軽々と肩に担いだ。
「私たちも戻りましょう。 フィリップとガーウィンは念のため医務室へ」
セリーナが号令を出し、トムはフィリップに肩を貸した。
葛城は『事象検証』を使ってみたが、足跡が雑踏で消えてしまっており、追跡は出来なかった。




