第十一話 死の洞窟からの脱出(ジン:三日目)
漆黒の闇の中で、ルカの浅い息遣いが聞こえる。 微かな揺れと共にドシンドシンと何かが確実に近づいてくる。
「ゴロロロロロロロ.....」
広間あたりでゴソゴソした後、ゴキゴキと骨をかみ砕く音と、咀嚼する音が続く。 何をしているのかは想像しないようにした。
「トロール……!?」 ルカが掠れた声で囁いた。
「知ってるのか、あれ」 葛城が声を潜めて尋ねる。
「山や森の奥に棲む、人間の何倍もの膂力を持つ、CからBランクの強力な肉食の魔物です。 ここ、迷いの森にも生息してますが....... こんな浅いところに出てくるなんて......」
(やっぱり、肉食の魔物とか居るんだ。 この世界)
しばらく何かを貪った後、地響きをたてながら、そのトロールは隠し扉の前を通って、さらに奥の方に入っていった。
息を潜めてじっとしているとしばらくして「ゴォォォォ」といびきの様な音が響いてきた。 どうやら奥の方で眠ったらしい。 今のうちだ。
松明に火をつけて隠し扉を音を立てない様にゆっくりと開ける。
「よし、大丈夫そうだ。 今のうちに脱出しよう」
「あっ、ちょっと待ってください」
ルカが隠し部屋の黒い爪のマークの入った指令書を掴むと、机のそばにあった四角い箱が、青白い光を放って、ビクンと跳ね、突然けたたましい音を上げた。
「ジリリリリリリリリリリリ!!」
目を見合わせて固まるルカと葛城。
「グゥワアアアアアアアアアアアッ!!」
洞窟の奥から空気を震わす怒号が響き渡る。
「走れっ!」
ルカと葛城は隠し部屋を飛び出し広間を出口に向けて走りだす。 振り向くと、巨大な怪物がその青黒い皮膚に覆われた巨躯を持て余すように、奥の暗闇から岩壁をまさぐって顔を出し、葛城とルカを見つけると、ものすごい勢いで追いかけてきた。
葛城は腰のホルスターから拳銃(S&W M360サクラ)を抜き放った。 銃口をトロールへ向け、狙いを定める。
「効いてくれ!」
威嚇射撃などしている場合ではない。 轟音と共に、巨大な血走った目の頭に向けて二発の銃弾が放たれた。
一発は分厚い皮膚に弾かれたが、もう一発が、トロールの右目を捉えた。
「ゴアアアアアアアッ!!」
絶叫が洞窟を揺らす。 トロールは痛みにたじろぎ、大きくよろめきながら後ずさった。 トロールの右目を潰した轟音の発生源に目を剥いて驚愕するルカ。
「今のうちに――」
葛城がルカの腕を掴み、広間を突っ切り、洞窟の出口を目指してつっ走る。 洞窟から外に出た。
だが、トロールの猛追は想像を絶する速さだった。
「くっ!」
ルカが振り返りざま、両手を掲げた。 ルカの両目が青く光る。
『ノームよノーム! 追うものの足を止めてっ!』
彼女の周囲に土色の光の粒子が集まり、小柄でどっしりとした人型の精霊が姿を現す。 精霊は地面に手をつき、トロールの足元の岩盤を隆起させる。 トロールは足を岩に引っ掛けて頭から地面に転がった。
初めて見る魔法に目を見開いて驚愕する葛城。
しかし、トロールはすぐに起き上がると猛追してくる。 一歩の大きさが違いすぎる。
森の木々の間を抜けるルカと葛城。
続けてルカが精霊呪文を唱える。
『ドライヤードよドライヤード! その巨木の力で追うものを絡めとれ!』
透き通った木目の精霊が巨木から現れる。 精霊はトロールを指さすとトロールの足元の地面や周りの巨木から太い枝や根が飛び出し、猛追するトロールの腕や足、体に巻きついた。
だが、トロールの膂力は精霊の拘束のそれを上回る。 地面の根ごと足を引き抜き、伸ばされた太い腕がルカの細い体を無造作に捕らえる。
「ルカッ!」
「かはっ……!」
ルカの悲鳴が森に響いた。
精霊が操る巨木の枝や根がトロールに絡まり締め付けていくが、捕まえた手はルカを離さない。
葛城は迷わず銃を構え直し、トロールの腕へ向けて残る弾丸を二発続けざまに撃ち込んだ。 硬い皮膚に阻まれ、目立った効果はない。 残る弾は、あと一発。
「逃げてっ……カツラギさん、逃げてっ……ッ!」
トロールの腕の中で苦しげにもがきながら、ルカが叫んだ。
(どうすりゃぁいい!? 銃も効かないバケモノと戦ったことなんてねぇ! どうすりゃぁいいんだよッ!)
思わず本音が漏れる。 刑事としての経験も、逮捕術も、こんな怪物相手にはクソの役にも立たない。
(俺の切り札.... !)
『事象検証!』 激しい頭痛が葛城を襲う。
視界が青く染まる。 トロールの巨躯を包む解析結果が、次々と浮かび上がる。
【対象:トロール(凶暴化・興奮状態)】
【損傷:右目・機能喪失】
【残存機能:左目に索敵能力が集中】
【詳細:両眼を封じれば、索敵・攻撃精度が著しく低下する】
――残っている目。
そこだけが、まだ光を宿していた。
「刑事が、逃げれるかよっ! おらぁぁぁッ!!」
葛城は雄叫びを上げると、地を蹴った。 解析結果の示すラインを追いながら、倒れた巨木やトロールの太い足や腕を足場に、巨躯を一気に駆け上がる。
トロールが咆哮と共に払いのけようとする太い腕を紙一重でかいくぐり、葛城はその顔面へと肉薄した。
「くらいやがれ!!」
銃口を最後に残った左目へ突きつけ、引き金を引く。
轟音。
「ギアアアアアアアアアアッ!!」
両目を失ったトロールが、狂ったように腕を振り回した。 葛城はその反動で吹き飛ばされるように離脱し、地面を転がりながら距離を取る。
視界を完全に失ったトロールは、痛みと怒りに任せて腕の中のルカを力任せに放り投げた。
「ルカッ!」
葛城は転がりながらも体勢を立て直し、宙を舞うルカの小さな体へと飛び込んだ。 衝撃が全身を貫く。 骨の軋む音を聞きながらも、葛城はしっかりとルカを抱きとめていた。
「……大丈夫、か……?」
「かつら、ぎ、さん……」
答える間もなく、頭上から巨大な影が迫った。 両目を失ったトロールが、二人のいる方向へ向けて、体ごとぶつかるように突進してきたのだ。
「くそったれっ!」
葛城はルカを抱えたまま、横っ飛びに転がった。 トロールの巨体が二人のいた場所を通り抜け、地響きとともに突き進んでいく。
その先にあったのは、生い茂る巨木の一本だった。 長年の風雪で折れ、鋭く尖った枝が空へ突き出していた。
視界を失ったトロールは、避けることも減速することもできないまま、その折れた枝へと自らの頭部を勢いよく突き立てた。
ズブリ、という重く湿った音。
トロールの巨体が一瞬硬直し、ビクビクと痙攣したかと思うと、やがてすべての動きを止めた。
夜明け前の薄闇の中、迷いの森に静寂が戻る。
葛城は荒い息を吐きながら、腕の中で震えるルカの体を抱きしめたまま、しばらく動くことができなかった。
「……終わった、のか?」
「はい……終わり、ました」
二つの月が、白々と明け始めた東の空に溶けるように薄れていく。
血と土に汚れた二人の姿を、迷いの森の静けさだけが見つめていた。




