カウンセラーと私の出会い
心に関わる国家資格の公認心理師が最近出来た。知識を持った人は増え、現場の改善されてきてる。でも今だけじゃなく、過去の出来事を知っててほしい。
初めてカウンセラーという言葉を聞いたのは小学4年のときだった。当時はカウンセラーという言葉を知らなくてただ話を聞いてくれる人という存在だった。今のように国家資格に公認心理の資格がないから臨床心理士の人だと思う。
カウンセラーに会えるのは週1回45分だけ。場所は学校のあんまり目立たない場所の小さい部屋の一角だった。
当時私は不登校だったから時間はいつも空いていた。授業の合間にたまに話さないかと担任の先生に誘われて話しにいった。
私はカウンセラーと思われるおばちゃんと向き合って座った。「こんにちは、私はしは石川幸子です。あなたお名前は?」「櫻井遥です」それ以上何を答えることがあるのだろうか。この人は私の何を知りたいのだろうか。無駄なのにと思いながらとりあえず話をした。
小学生だったからかな部屋にはゲーム等が用意してあった。「なんかしたいゲームある?」私は首を横に振る。ゲームの何が楽しいかわからない。ルールがなかなか理解できないから嫌いだった。
「最近何してるの」私は何をしてるんだろうかと自身に問う。「チャットで毎日誰かと話している」少しの沈黙が流れる。「チャットって楽しい?」「一人でいるよりはまし」私にとって学校は苦痛でしかなかった。共感や同じ悩みを抱えた人がいなかった。ネットのチャット上なら少しは誰かがいた。少なくとも私のチャットでの話し相手は幸せとは言えない、皆何かを抱えてた。その後も話題は次々変えられた、勉強はどう?友達は?苦手な先生はいる?うっとうしいと思いながらとりあえず答えていった。他の聞かない大人よりはましだったから、週1回45分受けた。少しずつ私は自分の不登校の理由や学校のこと自分自身のことを話すようになった。
クラスが学級崩壊して音が耐えられない。勉強がわからない、計算は出来たけど図形は一切わからない。心理学に興味あるけどクラスに興味のある人なんていないから話が合わない、ファッションの話についていけない等色々話した。回数を重ねるごとに私は時間の足りなささを感じた。でも表に何にも出さずに過ごした。そのうち次の不満を持った。なんで最初はあんなに話を聞き出そうとしたのに、今は聞いてくれないの。聞く気がないなら最初から聞かないでよ。怒りと悲しみが交差する。悲しいことに私は人の些細な感情をわかり過ぎてしまった。思い込みといえばそこまでかもしれないけどね。あーこの人は聞いてるふりだろうな、そんなことを思いながら考えながら過ごした。でも聞いてほしい、話したい欲求があった。誰でも良かった。不満は増え続ける一方だった。時間が足りない、もっと聞いてよとわがままを言いたい私がいる。でも現実の私は「大丈夫」としか言えなかった。表情も言葉も自分とは反対のことをする。
なんやかんや石川先生と話し初めて1年がたった。ある日突然話の最中に言われた。
「あと話せるの2回なの」「そっか、ありがとうございました」私はまた話ができなく一人で別室登校を続けるんだなと思った。
学年が上がり5年生になった。新しいカウンセラーが来たらしい。私は新しい担任にまた話すか聞かれた。一人の別室は孤独だし、勉強しなくていいならと受けた。場所は同じところ、部屋に入ると若い女性がいた「こんにちは、始めまして。私は鮎川希です。よろしくお願いします。どうぞ座っって」何度座ったかわからないソファーに座る。「今日は初めてだから色々おしえてくれるかな」私は察した。辛かった事、また思い出さないといけないんだ、でも相手に悪意はない。私は勉強、チャット、クラスに馴染めない、同級生と話が合わないと伝えた。「辛かったね」私は共感の嬉しさと共にどこかで察していた。どうせ来年には変わるんだろうな。
私は当たり障りのない話しかしなかった。時折本音を見せてみたけど、何も変化は起きない。
私がだんだん病んでいく。カウンセラーの意味って何だろうか。現状維持なのか、それともなにかしているという学校のアピールなのか。望む先生は気づいたらいなかった。
6年になってからカウンセラーがまた変わった。前任者がやめた理由は妊娠だった。仕方がない、本来は嬉しいことなんだろうな。でも私には悲しみにしかない。
クラス担任は変わらなかった。私は別室クラスから支援級へと変わった。支援級の担任は若い女性だった。最初は優しかったけど私以外にもやらなきゃいけないことなどでいっぱいいっぱいになってヒステリック気味だった。新しいカウンセラーは守谷光というまた若い女性だった。支援級の先生が他の作業をするためにも私は授業時間を抜けてカウンセラーと話しにいった。
「始めまして、カウンセラーの守谷光といいますよろしくね」「よろしくお願いします」ソファーに座って軽く自己紹介をする。また同じ流れ、同じ感覚だ。私は何回同じ話をしだろうか。自分でも同じ内容なのか、思い込みや感情が入っていくのか。もう何がなんだかわからない。でも話し続ける私がいる。
なんで諦めているのに、また担当が変わることを理解しているのに話続けるのか、このの頃の私は解離していて自分の意思はなかったのかもしれない。
支援級が苦痛でよくロッカーの上に乗っていた。消えられたどれだけ楽か、支援級の先生のヒステリック声
が聞こえる、全てがどうでもいい、逃げたいと考えていた時に光先生が廊下を通る姿を見つけた。私は光先生に向かって走り出した「どうしたの」「もう辛い、助けて消えたいよ」「次話聞くから」そう言って光先生は去っていった。次なんてないよ、残された私は考えた。消えた時光先生は後悔するのかな。他の優先が決め手となり私はカウンセラーなんていらない、助けてほしいときには助けてくれないのがカウンセラーってなんなんだろ。人の生死に関わっても別の人を優先する。同じ話を何回もフラッシュバックさせる話をさせて、聞くだけ聞いたらいなくなる。本当に助けを求めても助けないなら助けないでよ。関わらないでよ。
私はカウンセラーと合うのをやめた。だって死にかけの人を見捨てるんだから。そんな人に何を話せって?
私は話せば話すほど自分が混乱して壊れた。後に知ったけどカウンセラーは自己の気づきを与えるものと
、でも何回も話させて自分がわかるのかな。少なくとも私はカウンセリングで混乱しかまねかなかっった。
中学1年生になってまたカウンセラー出会った。男性のカウセラーって珍しいな。最初は単なる男性カウンセラーの興味で会いに行った。何も期待しなかった。1回だけで終わらせようと思った。でも実際に合ってみたら凄く話を真剣に聞いてくれた。もう1回だけ試そう、気づいたら男性カウンセラーと話すのが唯一の楽しみになっていた。で月に1回しか話せない欠点があった。しかも下手したら他の子を優先される。
今度はシステムを呪った。なんでせっかく話してもいいと思えるカウンセラーが現れたのに結局学校の都合や教育システムの関係で話せる事がほとんどなかった。しょうがないよね、社会の不条理さはこうやって嫌でも納得していくしかなかった。
ある日、学校の誰かが亡くなって緊急でカウンセラーが集められた。在学生の私たちは別日、もしくはカウンセリング日をなくされた。ケアを優先する日人がいるから今は我慢してと言われた。カウンセリングにもトリアージがあるんだなと思った。私だって消えたいのに、なんで、なんで、待ってやっと今日話して耐えようと思ったのに。また私は話す気力を失った、一度は話す希望を少し持ったのにね。
高校1年生になった。懲りずにまた担任に進められカウンセラーと話した。おばちゃんだった、カウンセラーというよりおせっかいおばちゃんだった。授業の合間が暇だったから話をしに行った。雑談しかない、特に深堀りもされないから気楽だけど苦しみは消えなかった。ある日どうしても辛くて話したい日があった。
カウンセラーへの予約は担任を通さないと難しかった。担任に「予約できますか?」「ごめん、どうしても優先しなあかん子がいるから別日でいいかな?」「大丈夫です」私は笑顔で担任の本を去った。
苦しい、辛い、忘れたい、何度も出来事がフラッシュバックする。そして次のカウンセラーと話す時はフラッシュバックが悪化していた。沢山泣いて、あったことを伝えた。もっと早く話したら楽になれたのかな。
そしてフラシュバックと同時に辛いのが後回しにされたこと。小学校の助けを求めて見捨てられた時と同じだ。私は大丈夫そうに見える、だから大丈夫。そう言っていつも後回しにされる。なんで言葉で人は伝えろというのに言葉で伝えたら伝わらないのか。私にはもうわからない。
大学に19歳で入学した。少しだけ通った。カウンセラーを進められたから話をした。カウンセラーなりたての男性だった。
ニコニコ笑顔で話を聞いてるだけ。経験値とかはわからないけど、この頃の私は具体的になんとかしてほしかった。もちろん無理なのはわかってる。でも自分の事を話をする気はなくて、カウンセラーのほしそうな言葉でカウンセラー満足させる事にされた。
その頃同時期に試しに電話カウンセリングも試した。これならカウンセラーが私都合で入れられる。
料金は高いが1回受けた。気のせいかもしれないがポテチを食べてる音がしていた。無駄に高い料金を取りながら、頷くだけで解決もしない、話さなければよかった。終わり際「また続き聞かせてくださいね」それだけだった。
大学1年生の時に通っていた病院に併設されていたカウンセリングも受けた。カウンセラーは若い女性だった。カウンセラーは家族構成以外何も聞かれない、私が話すまでニコニコしてるだけ。苦痛過ぎてすぐに辞めた。話したいと思えないし、何かわからないひたすら言葉に出来ないしんどさがあった。
病院を変えた時にもそこから紹介で引きこもり支援センターの相談カウンセリングを受けた。当時大学もやめた後で誰かと話したかった。ソーシャルワーカーが紹介してくれたカウンセラーと比較的うまく行った。場所が病院の横でしっかりプライバシーも守られた部屋だった。鬱状態が酷くてずっと泣いたりしていた。病院のあと話せる場所があると安心できた。ここで私は色々話していいのかなって。でもね1年でここにはいられなくなった。理由は市にカウンセリングルームが出来たこと、私が引きこもりじゃないから。
ソーシャルワーカーは妊娠して担当が変わった。無理だった、私の場所は次々変わる。
市の相談室は最悪だった。出来たところだから誰でも立ち入りできる場所で、他のスタッフも話している場所で話そうと言われる。拒否することの出来ない雰囲気だった。どこから話したいいかわからなかった。
とりあえず当時の困り事、私も心理学に興味のある話をしたら説教のように「この仕事はとても大変で・・・」ずっと説教のように話を聞かされた。私は行くのをやめた。前の引きこもり相談支援センターに戻りたかった。ソーシャルワーカーにお願いした。「無理だね」その一言しか帰ってこない。直接引きこもり相談支援センターにも連絡もしてみた。そしたら妊娠して産休中とのことで、連絡が難しいと伝えられた。私はカウンセラーを信じなくなった。もちろんいい人もいた、でもその周囲の環境が悪かった。
運が悪いで片付けれるほど私には余裕がなかった。
同じ話をすることで自己理解が深まると言われることもある。辛い話を何度もして、やっと関係性が出来たらカウンセラー都合か環境都合でまた別のカウンセラーと始めから関係性を作ることになる。そして何度も話して疲れた人は話すことを諦める。
カウンセラらーはもっと話している言葉を考えて受け止めてほしい。そして継続的に人生に寄り添う姿勢を持ってほしいと思う。簡単に寄り添った気にならず、自分の与える影響、存在をを考えてほしい。じゃないとあなたの言動で人は時に消えるんだよ。カウンセラー自身も色々な人と話すと麻痺するのかもしれない、でもね一番限界の人ほど大丈夫に見えるんだよ。忘れないでほしい。仕事かもしれないけど仕事でわりきってほしくない。
社会はもっと継続的な事を考えてほしい。支援やサポートをする人を変えない体制を整えてほしい。難しいのはわかっている。それぞれの人生があるから。でもねカウンセラーも含めて人に関わるって仕事は誰でもいい、代わりのいる仕事じゃないんだよ。人と関わるってことの意義をもっと考えてほしい。




