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病院での出来事

始めて病院に行ったのは小学生高学年の時、今と同じ寝れない日々を送ってた。子どもの頃の私は心理学に以上に執着していた。だから自分の状態がある程度わかっているつもりだった。寝れない原因が脳であるということを。このままではしんどくて倒れそうだ、私は親にお願いをして精神科に行った。

精神科では最初に問診既往歴を書かされる。最初のS病院の待合室はふかふかのソファーだった。お茶やドリンクが豊富においてある。他の人を見渡すと目が笑っていない人が多かった。

問診票を書き終えて15分後頃たった頃かな、看護師が小さな個室のように私と母を呼んだ。

問診票の内容を確認してきた。最近どれぐらい寝れてます?学校はどのように過ごされてますか。

看護師の目線は全て親に向いている。私が困っているのになんで親ばかりを見るのか。子どもだからなのかな。私には疑問しかなかった。病院に来たのは私の意思なのにそれを無視する、もう信用なんてできなくなっていた。私は問診を聞き流して過ごし、終わり次第すぐに待合室に戻った。それから2時間、何も呼ばれず待合室でひたすら待ち続けた。

2時間後、呼ばれた私たちは疲れた表情のまま診察室に入った。私は医師の前に、親は後ろの椅子に座った。「睡眠に困っていると?」医師は親の方を見ている。私はいるようでいないような扱いだ。

「最近寝れないようで」母は私に尋ねる。私はどこかボーッと見つめている。頷きはするがここにいるようでいない感覚。「とりあえず一番軽い睡眠薬出しときますね」診察時間は体感3分だった。

その後、会計を終え睡眠薬を薬局で受け取り帰宅した。帰宅してご飯を食べて睡眠薬を飲んだ。

初めて飲んだ睡眠薬は気絶するようによく眠れた。

私を認識しない医者や看護師を私はずっと今も忘れずにいる。

 病院にはその後月1回の感覚で通った。でも医者は同じ薬しか出さない。私のことを見ようともしない、待ち時間は長い、私のストレスは溜まっていた。ある日、ストレスは限界に達していた、診察開始と同時に抜け出した。もうこれ以上いられない。病院を出て近くの公園でひたすら泣いた。泣いてもどうにもならない。でも泣くことしかできなかった。子どもだからと軽視する医療者の多いことを私はこの時実感した。

 病院はT病院に変わった。予約時間に行ってすんなり通された。前の病院の紹介状があったから新しく特に聞かれなかった。待合室は簡素で、前の病院とは比べても何もなかった。でも医者は一緒だ、診察室内に私はいない。見ているのは親ばかり。頭の中がぐるぐるする。皆一緒、私を見てくれない。空気に耐えられず私は逃げ出した。診察室内にいるのに耐えられなかった。それからの記憶はわからない、ふらふらしながら病院を出ていった気がする。「どこいくの」声が聞こえた気がするが、答える余裕がなくて歩いていく足が止まらない。もう信じない、医者も看護師も大人も全員が私を見ていない。

心の叫びは止まらない。助けて、疲れたよ。いっそ何もわからなければどれほど楽かって考える。

この頃、本来は救いの病院が私に見えない攻撃を始めた。リスカ、ODを始めた。

悪化したら見てもらえるのかな。そんな考えに溺れていく

ねぇどうしてたら私は見てもらえるの。どうしたら伝わるの。答えのない問いに私はずっと囚われた。

 ネットで調べたら思春期外来があった。まだマシなのかな・・・

電話で問い合わせて、なんとか予約を取った。

 思春期外来のM病院ではまた紹介状を出した。そして女の人、確かソーシャルワーカーかと話した。その頃の私は言葉の吐き場所がなくてノートに辛いことを書いていた。でもそれをみせたら「書くのやめなさい」と怒られた。

私は怒りに満ちていた。話を聞いてくれない、私を私として認識してくれない、何もしてくれないのになんで私は怒られなきゃいけないの。助けてくれていたらこんなことにはならなかったよ・・・

寂しさと怒りで私のノートは濡れてぐちゃぐちゃになっていく。

診察室は親と別にしてと頼んだ。これで私として見てもらえると思った。でも、前よりましな程度だった。

「辛かったね、今は何が辛い?」私は答えられなかった。もう大人は私の敵だから。

助けてほしいのに、拒絶するしかなかった。でも他よりましと考えて病院に通った。

まだ聞いてくれるだけましだと、でもね回数を重ねるごとに時間が短くなる。やっぱりだめなんだな、期待しすぎた私は自分自身に呆れていた。ほかよりまし、そう考えるしかなかった。

 ある日急に担当医が変わることが決まった。私の飲んでいた薬は処方できる医師が限られているからか強制的に1人の医師R先生に変わった。R先生は人の顔を見ない、パソコンのキーボードを押す音がうるさい。困っていても薬だけだった、アドバイスも共感も話も聞いてくれなかった。

ある診察日私の情緒は凄く不安だった、待合室で泣いては笑ってを3分ごとに繰り返していた。自分でも明らかにおかしいし状態、看護師も心配してくれた。だったら何とかしてよと診察室に入るもいつもと同じ薬と対応。

前のほうがましだっった。戻りたい、でも戻れない

 そんな時看護外来ができた。看護外来とは服薬や少しの困りごとを相談する場所。具体的に何だったのかはわからない。「薬の服薬は医師の判断だけどもっと具体的に相談したほうがいい」なんで私が医者に合わせるの?余裕がないからここの病院来てるのに。でも話せないよりはましと考えて通った。それでも1年過ぎそうな時看護外来が急になくなった。タイミング合わないうちになくなって話せなくなった。次いつ看護外来できるのかは誰もわからないと応える。

他の看護師に話を聞いてもらおうとしたけれど、無理の一言。

結局私は少しだけ話す場所すら失った。

前よりましをずっと繰り返して来た。ベストはないのかもしれない。

でもなんで私を見てくれないの?

子どもの頃かそう思わせた大人の責任は重いんじゃないかな。環境や社会が悪いって一言で片付けるのかな。病院が、医者が、社会が誰かのせいにするなと言うな、頑張ってる人もいる。そう言えるのはあなたが同じ感情を持たないから。持てとは思はない、だって人の感じ方が違うから。



















社会や環境のせいにしてはだめと言うなら整えてほしかっった。

子どもに関わる職業、医療関係者は当事者をもっと見てほしい。今は改善した部分もある、でもね、当時沢山ついた傷を未だに抱えて生きている人がいることを忘れないでほしい。

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