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おばさん4人が異世界に転移しましたがチートスキル無かったのでとりあえず食堂始めました  作者: れもん。
第一部 転移編

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普通にやってるだけなんだけど




「……なんで俺、閉店作業までしてるんですか?」


若い冒険者が、布巾を片手に言った。


客のいなくなった店内には、椅子を引く音と、厨房で食器を洗う水音が響いている。


「流れ?」


香織が答えると、男は拭きかけの卓を見下ろした。


「流れでここまで働かされることあります?」


「あるんじゃない?」


「ないですよ」


真理子が売上の硬貨を数えながら口を挟んだ。


「あなたも、途中で帰ればよかったのに」


「帰ろうとはしたんですよ」


「そうなの?」


恵が聞くと、男は真紀を指さした。


「そしたら、あの人に『帰るなら、そのテーブルだけ拭いて』って言われて」


「拭いてくれたじゃん」


真紀は悪びれもせず、洗った鍋を棚へ戻した。


「拭いたら、次の仕事渡されたんですよ!」


香織が吹き出した。


「ごめんねえ」


「謝るなら止めてくださいよ」


「でも、助かった」


「そういうこと言われると、帰りにくいんですよ」


恵は笑いながら、男の手元を見た。


文句を言っている間も、布巾は卓の端まで丁寧に動いている。


大きな剣を背負い、体つきもしっかりしているのに、妙に素直で、人が困っていると放っておけない。


やっぱり、いい子だ。


香織が早速、身を乗り出した。


「何歳?」


「二十三です」


「名前は?」


「カイルです」


「結婚は?」


「なんでそこ聞くんですか?」


「気になるじゃん」


「ならないですよ、普通!」


真理子が顔も上げずに言った。


「その人に普通を求めるだけ無駄よ」


「ひどくない?」


「事実」


恵は笑いながら、清潔な深皿を取り出した。


鍋に残った煮込みを温め直すと、肉と香草の匂いが再び立ち上る。


「これ、食べる?」


カイルが厨房を覗いた。


「いいんですか?」


「余ったから」


真理子がすぐに顔を上げた。


「待って」


恵は鍋をかき混ぜる手を止めた。


「何?」


「余ったからって、毎回無料で渡すのはなし」


「今日くらいいいじゃん。いっぱい働いてくれたんだし」


「今日はいい」


「いいんだ」


「今日は手伝ってくれたお礼」


カイルが少し困った顔をした。


「俺、別にお金欲しくて手伝ったわけじゃ」


「お金じゃなくて、食事。ちゃんと食べて帰って」


真理子は帳面を引き寄せ、今日の売上とは別のところへ書き込んだ。


「今日の手伝い分として、これも記録しておく」


真紀が横から覗き込む。


「そこまで書く?」


「書く」


「細か」


「あなたが細かくないから、私が書くの」


「はいはい」


恵が煮込みをよそって卓へ運ぶと、カイルは布巾を置き、少し遠慮がちに椅子へ座った。


「……ありがとうございます」


「いっぱい食べな」


香織に言われ、カイルは湯気の向こうで笑った。


「母親みたいですね」


「六人育ててるからね」


「六人!?」


香織が得意げに胸を張る。


「娘三人、息子三人」


カイルはしばらく香織を見つめた。


「……なんか、分かります」


「どういう意味?」


「いや、なんとなく」


今度は四人が笑った。


*


翌朝、真理子は開店前から難しい顔をしていた。


卓の上には昨日の帳面と、老人がつけていた古い帳面が並んでいる。古い方は角が丸く擦り切れ、何度もめくられた紙が少し膨らんでいた。


「何?」


厨房から出てきた真紀が尋ねた。


「昨日の売上」


「赤字?」


「まだ分からない」


「じゃあ、何」


「分からないことが問題なの」


真理子は二冊を見比べ、古い帳面の一行を指で押さえた。


「仕入れ値が曖昧。使った量も曖昧。売った数は昨日から数え始めたけど、それ以前が分からない」


老人が向かいの席で肩をすぼめた。


「昔はな、それでも何とかなったんだ」


「昔は、もっとお客さんが多かったんですか?」


「ああ。昼は席が埋まっとったよ」


真理子は客席へ目を向け、頷いた。


「それなら、多少の無駄があっても売上で補えていたのかもしれませんね。お客さんが減って、同じやり方では難しくなったのかも」


老人は帳面に目を落とした。


恵は食器を並べながら、少し気になって二人を見た。真理子の声に責める響きはなかったが、老人はしばらく黙っている。


「でも、昨日来た常連さんたち、ちゃんと食べて帰ったでしょう」


真理子が続けると、老人が顔を上げた。


「残してる人もほとんどいなかったし、料理は売れると思います」


真紀も頷いた。


「味はいいもんね」


真理子は帳面を閉じた。


「だから、まず分からないところを分かるようにしましょう」


老人が少し笑った。


「簡単に言うなあ」


「調べて、量って、書くだけです。面倒ですけど」


恵は思わず笑った。


真理子は、ほかの人が途方に暮れるようなことでも、作業に分けると平気な顔をする。


「まず、何する?」


「料理ごとの材料と量を決める」


真紀が嫌そうに眉を寄せた。


「全部?」


「全部」


「多少は感覚でよくない?」


「駄目」


「ちょっとくらい」


「駄目」


「料理って、毎回同じじゃないじゃん」


「だから基準を作るの」


二人のやり取りを聞きながら、香織が恵に顔を寄せた。


「始まったね」


「ね」


「止める?」


「まだいいんじゃない?」


「聞こえてるけど」


真理子に見られ、恵と香織は口を閉じた。


真紀は腕を組んだまま、卓の帳面を見下ろしている。


「でも、肉なんて毎回同じ大きさじゃないよ」


「それは分かってる」


「じゃあ」


「多少の誤差はいい。でも基準がなかったら、誤差なのか適当なのか分からないでしょ」


真紀が黙った。


少し考えたあと、組んでいた腕をほどく。


「……それはそう」


香織が小さく拍手した。


「珍しい」


「何が?」


「素直に引いた」


「正しいと思ったら引くよ」


真紀は本気で不思議そうだった。


恵はその顔を見て、昔から変わらないなと思った。


言い張るときはどこまでも言い張るが、納得すれば切り替えも早い。


自分の店をやっていたときも、きっとこうだったのだろう。


*


その日の仕込みから、少しずつやり方が変わった。


一皿に盛る肉の量、煮込みに使う材料、添えるパンの数。スープは器に注ぎ、どの高さまで入れるかを決めた。


真理子が書き留め、真紀が実際に盛り付ける。


「これだと少ない」


「じゃあ、これくらい?」


「それならいいと思う」


恵も味を見ながら、皿に入った具の量を確かめた。


「煮込みは、このくらい肉が入ってた方が嬉しいかな」


「じゃあ、そこを基準にしよう」


真理子が帳面に書き足す横で、老人は深皿を覗き込んだ。


「そんな細かく決めるのか」


「家なら、こんなことしないけどね」


真紀が笑いながら答えた。


「家と店は違うから」


「あなたが言う?」


真理子がすぐに顔を上げた。


「さっきまで、感覚でいいって言ってた人が」


「納得したからやってるんじゃん」


「そうね。そこは助かる」


真紀は少し笑い、もう一度同じ量を盛ってみた。


そんなやり取りをしているところへ、外に出ていた香織が戻ってきた。


「ただいま!」


両手には何も持っていない。


真理子がその手元を見て、少しだけ表情を緩めた。


「今日は何ももらってないのね」


「失礼な」


「昨日の実績があるから」


香織は笑いながら厨房の入口に立った。


「でも、肉屋さんを一軒紹介してもらった」


真紀が顔を上げる。


「どこ?」


「市場の奥。表通りより少し安い」


「品質は?」


「良さそうだったよ」


「良さそう、だけじゃ困る」


「だから、明日一緒に行こうと思って」


香織が真理子を見ると、真理子は書きかけの帳面から目を上げた。


「私と?」


「うん。値段の比較とか、私よく分かんないし」


「そこは堂々と言うのね」


「分かんないものは分かんないもん。真紀も肉見てよ」


「いいよ」


香織は自分が苦手なことを隠さない。


できる人がいるなら、その人に任せることにもためらいがなかった。


恵は鍋を混ぜながら、三人の話を聞いていた。


「でもね、話はしやすそうだった」


「何を話したの?」


真理子が尋ねると、香織は少し首を傾げた。


「いろいろ」


「具体的には?」


「奥さんが最近、腰痛いって」


「仕入れの話をして」


「したよ。その流れで」


「どういう流れなら腰痛になるのよ」


真紀が吹き出した。


「まあ、見に行けばいいじゃん」


「そうね」


真理子も結局、帳面の端に予定を書き込んだ。


*


昼になると、カイルがまた来た。


「こんにちは」


扉の音に顔を上げた恵は、つい笑った。


「今日も来たの?」


「普通、客にそれ言います?」


「嬉しくて」


「ああ、それならいいですけど」


カイルは昨日と同じ席に腰を下ろし、背負った剣を脇へ置いた。頼んだのも、昨日と同じ煮込みだった。


料理を出すと、一口食べて首を傾げる。


恵は皿を持つ手を止めた。


「どうした?」


「いや」


カイルはもう一口食べ、皿の中を見た。


「なんか、昨日より肉多くないですか?」


真理子と真紀が同時に顔を向けた。


「分かる?」


真紀が近づくと、カイルは少し身を引いた。


「え?」


「昨日より多い?」


「たぶん」


「どれくらい?」


「そこまでは分かりませんよ!」


真理子が帳面を見た。


「昨日、盛ってた量より少し増やしたの」


「そんなの記録してるんですか?」


「今日から」


「なんで?」


「毎回量が違ったら嫌でしょ」


「まあ……」


「だから、揃えることにした」


カイルは四人を見回し、言葉を探すように匙を止めた。


「なんかこの店、昨日から変なんですよ」


真紀が首を傾げる。


「どこが?」


「店の人増えたし」


「それはそう」


「昨日まで適当に盛られてた飯の量を、今日は記録してるし」


厨房の奥から、老人の声がした。


「適当とはなんだ」


カイルがそちらを向いた。


「だって、多い日と少ない日あったじゃないですか」


「お前が大盛りを頼むからだろ」


「頼んでない日も多かったです!」


真紀が老人を見た。


「勝手に大盛りにしてたの?」


老人は少し気まずそうに、作業台へ目を逸らした。


「若い奴は食うから」


真理子の目が細くなった。


「勝手に?」


老人は答えなかった。


恵は嫌な予感がして、二人を交互に見た。


「値段は?」


真理子が尋ねた。


「……まあ」


「同じ値段?」


老人は小さく頷いた。


「おじいちゃん」


真理子の声が低くなり、老人の肩が少し下がった。


香織が恵に囁く。


「怒ってる」


「怒ってるね」


カイルが匙を持ったまま、きょろきょろした。


「俺、なんかまずいこと言いました?」


恵は笑いをこらえながら首を振った。


「大丈夫。あなたは悪くないよ」


「じゃあ、なんで空気がこんな怖いんですか?」


真紀がカイルの向かいに手をついた。


「ちなみに、ほかにもある?」


「何がです?」


「この店で、その日の気分で変わること」


老人が顔を上げた。


「おい」


カイルは少し考えた。


「スープの量?」


真理子が老人を見る。


「ほかは?」


「パン、たまに一個増えます」


「誰に?」


「腹減ってそうな奴に」


今度は老人が答えた。


真理子が目を閉じ、真紀は思わず笑った。


「それ、みんなにやってたの?」


「みんなじゃない」


「でも、ちょくちょくやってたんでしょ?」


老人は黙ったあと、ぽつりと言った。


「昔は、それでも儲かったんだ」


朝にも聞いた言葉だった。


真紀は笑うのをやめ、老人を見た。


「うん。でも、今は同じようにはいかないんだよね」


恵も老人へ目を向けた。責められているように感じていないか気になったが、老人はしばらく帳面を見つめたあと、ゆっくり頷いた。


「……そうだな」


真理子はそれ以上言わず、帳面に書き足した。


「大盛りは別料金にする」


カイルが顔を上げた。


「金取るんですか!?」


「大盛りならね」


「今まで無料だったのに!」


「今までが、おまけしすぎだったの」


「そんな!」


香織が笑いながら、カイルの皿を覗き込んだ。


「大丈夫。いっぱい食べたいなら働けば?」


「また働かせる気ですか?」


「皿洗い一回でパン一個とか?」


真理子がすぐに止めた。


「勝手に制度作らないで」


恵はとうとう笑いをこらえられなくなった。


カイルだけが頭を抱えている。


「絶対この店、昨日より面倒になってる……」


それでもカイルは、残りの煮込みをきれいに食べた。


その日も、昼の混雑が落ち着いてから閉店近くまで店にいた。


空いた卓に目を向けると、何も言われていないのに皿を重ね始める。


香織はそれを見逃さなかった。


「あら、慣れたじゃん」


「違います」


「何が?」


「帰るついでです」


「はいはい」


「本当ですよ!」


厨房から見ていた恵は、また笑った。


この世界に来て、まだ数日しか経っていない。


知らないことの方がずっと多く、使う硬貨も、食材の名前も、毎回確かめている。


それでも、昨日と同じ席にカイルが座り、老人が厨房から声をかけ、四人は互いの手元を見ながら動いていた。


入口の音がするたびに、今度は誰が来たのだろうと顔を上げる。


昨日までは知らなかった店が、少しずつ、自分たちの居場所になり始めている気がした。


*


閉店後、真理子が今日の売上を確認している横で、真紀がぽつりと言った。


「明日、席ちょっと動かそっかな」


硬貨を並べていた真理子の手が止まった。


「なんで?」


「昼、あそこ詰まってた」


「どこ?」


「入口から二列目」


恵も客席を見た。確かに、客が椅子を引いたとき、料理を運んでいた香織とぶつかりそうになっていた。


「椅子を引くと、通りにくいね」


「でしょ。卓を少しずらせば、もうちょっと空くと思う」


真理子も席の間へ目をやり、少し考えた。


「……明日、確認してからね」


「今動かしちゃ駄目?」


「駄目」


「なんで」


「もう夜だから」


「十分で終わるよ」


「動かして、座って確かめて、気になってまた動かすでしょ」


真紀が黙った。


真理子は帳面へ視線を戻しながら尋ねた。


「明日まで我慢できる?」


真紀は真剣な顔で答えた。


「……頑張る」


「子どもみたい」


恵が笑ったとき、二階へ上がろうとしていた老人が足を止めた。


「お前さんたち」


四人が顔を向けると、老人は階段の手すりに手を置いたまま、少し迷うように口を開いた。


「店、楽しそうだな」


「楽しいよ?」


真紀は当然のように答えた。


恵も頷いた。


「まだ大変だけどね」


「大変なのも楽しいじゃん」


香織が笑い、真理子だけは帳面を見つめたまま言った。


「私は数字が合ってから、楽しいって言う」


老人はしばらく四人を見ていたが、やがて静かに笑った。


「そうか」


階段を上がる足音を聞きながら、恵は店内を見回した。


拭き終えた卓には布巾の跡も残っておらず、厨房には明日の仕込みに使う鍋が並んでいる。真紀はまだ席の間隔を目で測り、香織は真理子の向かいに座って、市場で聞いた話を始めていた。


昨日、老人が閉めると言った店で、みんなが明日のことを話している。


恵は最後の一枚を拭き上げ、深皿の重なりにそっと戻した。





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