王都観光のはずなんですけど
王都へ行く話は、思っていたより早く決まった。
香織が言い出し、真紀が乗り気になり、恵が笑っている間に、真理子が日程を決めた。
そして、セラとカイルも一緒に行くことになった。
「私もいいんですか?」
セラが驚くと、香織が即答する。
「いいに決まってるじゃん」
「でも、お店は?」
「休みにする」
真理子が答えると、セラはさらに驚いた。
「本当に?」
「たまにはいいでしょ」
真紀が言うと、恵も頷いた。
「せっかくだしね」
カイルは少し離れたところで、嫌な予感を察したような顔をしていた。
「俺も行くんですか?」
香織が即答する。
「案内役」
「やっぱり」
「王都行ったことあるんでしょ?」
「ありますけど」
「じゃあお願い」
カイルはため息をついた。
「……分かりました」
香織が嬉しそうに笑う。
「息子、決定」
「違います」
*
出発の日、香織は朝から元気だった。
「旅行だー!」
「声大きい」
「いいじゃん」
真理子の呆れた声を聞きながら、恵も少し浮かれていた。
この世界に来てから、初めての店のためではない遠出だった。
最初の旅行は、異世界への転移で終わってしまった。
今度こそ、ちゃんと旅行を楽しみたい。
六人は乗合馬車に乗り込み、王都へ向かった。
町を離れると、窓の外には緩やかな丘と畑が広がっていた。街道の両側には背の低い草が揺れ、ときおり小さな集落や荷車を引く商人とすれ違う。
馬車が石の多い道を通るたび、車輪がごとごとと音を立てた。
香織は窓の外を眺めながら、何度も楽しそうに声を上げている。
真理子は珍しく、帳面も何も持っていなかった。
「今日は仕事しないよ」
恵が言うと、真紀が振り返る。
「何も言ってないけど」
「顔が仕事する顔」
真理子も口を挟んだ。
「市場と飲食店の視察は禁止」
「観光で見るだけ」
「分析しない」
「それは無理」
セラが小さく笑うとカイルが口を開く。
「今のうちに言っておきますけど」
全員が顔を向けた。
「王都、広いです」
「楽しみ!」
「あと、人多いです」
「楽しみ!」
「あと、店も多いです」
香織が楽しそうに笑う横で、真紀の目が少し変わった。
カイルはすぐに気づく。
「ほら! 始まった」
*
王都は、本当に広かった。
街を囲む大きな門を抜けると、石畳の道がまっすぐ奥へと伸びていた。両側には何階建てにもなる建物が並び、窓辺には色とりどりの布や花が飾られている。
通りには馬車が行き交い、商人の呼び声や人々の話し声が絶えない。
華やかな服を着た人もいれば、大きな荷物を背負った旅人もいる。鎧を身につけた兵士たちが人混みの間を歩き、店先では商人が客を呼び込んでいた。
恵は目の前の光景に圧倒された。
「すごいね」
香織は楽しそうだった。
「人いっぱい!」
真理子は通りに並ぶ店を眺めている。
「物価高い」
セラが驚いた。
「もう見てるんですか?」
「見えるから」
真理子の視線の先には、商品と一緒に値段が書かれた札が並んでいた。
真紀も通り沿いの店を見ている。
「ここ、回転早そう」
「観光ですよね?」
セラが尋ねると、真紀は当然のように答えた。
「してる」
「そうは見えませんけど」
気づけば香織は、店先に立っていた女性と話していた。
セラがそちらを見る。
「香織さんは?」
「いつも通り」
恵が答えると、カイルがため息をついた。
「王都来ても変わらないですね」
*
最初に入ったのは、小さな菓子屋だった。
店先を通りかかったとき、焼きたての菓子の甘い香りが漂ってきたのだ。
恵は思わず足を止めた。
「ここ入っていい?」
「行こ!」
香織がすぐに答え、真紀も頷いた。
「いいね」
店内には木製の棚が並び、丸い菓子や細長い焼き菓子が籠に盛られていた。表面に砂糖のような粉をまぶしたものや、木の実を散らしたものもある。
真理子は値札を見た。
「高い」
「今日はいいじゃん」
「高いものは高い」
「でも買う?」
真理子は少し考えた。
「一個だけ」
香織が吹き出す。
「結局買うんじゃん」
恵は厚みのある丸い焼き菓子を一つ選んだ。
表面はこんがりと焼けていて、割ると中から香りの強い実が顔を出した。見た目は少し厚めのクッキーに近い。
一口かじると、さくっとした歯触りのあとに、甘酸っぱい風味が広がった。
「美味しい」
セラが興味深そうに覗き込む。
「どんな味です?」
「ちょっと酸っぱくて甘い。これ好きだな」
「私も買おうかな」
香織も同じ菓子を手に取った。
真紀は恵から一口もらうと、少し考え込んだ。
「これ、うちでも……」
真理子が即答する。
「仕事禁止」
「まだ何も言ってない」
「言う前に分かる」
*
次に向かったのは、王都の大きな市場だった。
広い通りの両側に露店が並び、色鮮やかな布や装飾品、食器、食材などが所狭しと並べられている。
焼いた肉の匂いに混じって、香辛料の刺激的な香りが漂ってきた。
どこかでは楽器を演奏しているらしく、人々の話し声の向こうから軽快な音楽が聞こえてくる。
「うわー!」
香織の目が輝いた。
セラが笑う。
「香織さんが一番楽しそう」
「だって、こんなにいろいろあるんだよ!」
真理子が言う。
「商品も見て」
「見てるよ!」
香織は店先に並んだ布を手に取り、刺繍の模様を眺めていた。
「この刺繍きれい!」
店の女性が嬉しそうに笑う。
「お客さん、分かる?」
「私も刺繍するの」
そこから話が始まった。
糸の色や模様の作り方について、二人は楽しそうに言葉を交わしている。
セラが少し離れたところから見ていた。
「もう友達になってます?」
「たぶん」
「すごいですね」
恵とセラが笑っているとカイルが呆れたように言う。
「初めて会った人ですよね?」
真理子は平然と答えた。
「慣れるよ」
しばらくして戻ってきた香織の手には、きれいな刺繍の入った布があった。
真理子が尋ねる。
「買った?」
「買った」
「今日は早かったね」
「安くしてくれた」
「なんで?」
「刺繍の話してたら」
真理子はもう何も言わなかった。
*
市場を抜けると、今度は飲食店が並ぶ通りに出た。
小さな店先で立ったまま食事をする人もいれば、大きな建物の中でゆっくり食事を楽しむ人もいる。
店によって客層も雰囲気もまったく違った。
真紀が足を止める。
「ここすごい」
セラがすぐに反応した。
「仕事しない約束でしたよね?」
「見てるだけ」
「さっきから入口と客席ずっと見てますよ」
「観光」
「違う気がします」
恵も通りを見渡した。
確かに王都の店は、自分たちの食堂とはずいぶん違う。
建物の造りも、店の大きさも、料理を出す方法もさまざまだ。
真紀がぽつりと言った。
「王都で店出すなら、今のままじゃ無理だね」
真理子が横目で見る。
「出さないよ」
「だから仮に」
「仮にも考えない」
香織が戻ってきた。
「何の話?」
セラが答える。
「もう二号店の話してます」
「旅行なのに?」
香織が笑うと、真理子が言った。
「この人に旅行は無理」
真紀は少し不満そうだった。
「ちゃんと楽しんでる」
「あなたは仕事も楽しみだからね」
真紀は少し考えてから答えた。
「それはそう」
セラが小さく笑った。
*
昼になると、六人は王都の食堂に入った。
天井が高く、大きな窓から明るい日差しが差し込んでいる。店内にはいくつものテーブルが並び、食事を楽しむ客たちの声で賑わっていた。
運ばれてきた料理は彩りがよく、見慣れない香草や野菜が使われている。
恵は珍しく、完全に客として食事を楽しんでいた。
「美味しい」
「恵さんが一番観光してますね」
「そう?」
「はい」
セラが笑っているとカイルが口を挟んだ。
「他の三人、仕事してます」
恵が顔を上げる。
香織は隣の席の人と楽しそうに話し、真理子は品書きに書かれた値段を確認している。
真紀は料理を食べながら、店内の様子を眺めていた。
「ほんとだ」
恵が笑うとセラも笑う。
「なんで皆さんこうなんですか」
恵は少し考えた。
「好きなんじゃない?」
「何がです?」
「自分がやってきたこと」
セラは三人を見る。
香織は楽しそうに人と話し、真理子は数字を見ることを苦にしていない。真紀はどんな店に入っても、自然と経営者の目線になってしまう。
セラは少し納得したように頷いた。
*
食事の途中、香織が隣の席にいた女性と話し始めた。
上質な布で仕立てられた服に、細かな刺繍の入った袖。首元には小さな宝石が光り、所作にもどこか品があった。
恵には、明らかに普通の客ではないように見えた。
「その刺繍、すごくきれいですね」
香織が言うと女性が微笑んだ。
「ありがとう」
「手仕事ですか?」
「そうよ」
「私も刺繍好きで」
また始まった。
「相手、たぶん貴族」
真理子が小声で言うとカイルが頷いた。
「たぶんじゃないです」
セラが少し焦る。
「香織さん、大丈夫ですか?」
「たぶん大丈夫」
恵が答えると、セラはさらに不安そうな顔をした。
「たぶん?」
けれど、香織はいつもどおり笑っている。
相手の女性も楽しそうだった。
しばらくして、香織が話を終えた。
「いい人だった!」
真理子が尋ねる。
「誰だった?」
香織は首を傾げた。
「名前聞いたけど長かった」
カイルが顔を覆った。
「絶対偉い人ですよ」
「でも人でしょ?」
香織が当たり前のように言うと、真理子が小さく笑った。
「出た」
セラもつられて笑う。
恵は思った。
香織は本当に、相手の肩書きをほとんど気にしていない。
誰が相手でも、興味を持ったことを素直に尋ね、同じように笑って話せる。
それはきっと、誰にでもできることではない。
でも本人は、今日もただ楽しく話しただけだと思っているのだろう。
*
午後は王都の大きな広場へ向かった。
広場の中央には水を噴き上げる大きな噴水があり、その周りを囲むように屋台が並んでいた。
少し離れた場所では大道芸人が人々を集め、軽快な音楽に合わせて芸を披露している。
拍手と歓声が上がるたび、セラが嬉しそうに振り返った。
「すごい!」
「来てよかったね」
恵が言うと、セラは大きく頷いた。
「はい!」
カイルもようやく肩の力が抜けたようで、屋台で買った飲み物を片手に広場を眺めている。
香織が突然言った。
「写真撮りたい」
全員が一瞬黙った。
恵も反射的に、写真を撮るという行為を思い浮かべた。
けれど、ここには使えるカメラがない。
香織もすぐに気づいたらしく、苦笑した。
「あ、無理か」
恵は少し笑った。
その瞬間、元の世界で家族と出かけた日のことを思い出した。
旅行先で撮った写真。
子どもたちの笑顔。
家に帰ってから、何度も見返した思い出。
懐かしさと一緒に、胸の奥が少しだけ締めつけられた。
会いたい。
その気持ちは、今も変わらない。
けれど、目の前には楽しそうに笑う友人たちと、初めて見る王都の景色が広がっていた。
恵は噴水の向こうを眺めながら言った。
「覚えとけばいいよ」
香織が振り返る。
「何を?」
「今日のこと」
香織は少し笑った。
「それもそうだね」
*
夕方、六人は宿へ向かって歩いていた。
傾き始めた陽が建物の壁を橙色に染め、通りには昼間とは違う落ち着いた空気が流れている。
店先では明かりを灯し始める人もいて、遠くから夕食の支度をする香りが漂ってきた。
「今日、楽しかったです」
セラが言うと、香織が即答した。
「でしょ?」
真理子も頷く。
「店休んでよかったね」
カイルが少し驚いた。
「真理子さんがそう言うの珍しい」
「私だって休むよ」
真理子が答えると、香織が笑った。
「でも休み決めるとき、一番悩んでたじゃん」
「売上のことは考えるでしょ」
セラと恵が笑う。
王都は確かに楽しかった。
広くて、華やかで、見たことのないものがたくさんある。
まだまだ歩いてみたい場所もあった。
それでも恵は、ふと自分たちの食堂を思い出した。
毎日立っている厨房。
老人がいつも座っている端の席。
顔を覚えた常連たち。
セラが忙しそうに動く客席と、カイルが客なのに皿を運んでいる光景。
「あ」
香織が振り返る。
「なに?」
「店、ちょっと恋しくなってきた」
「早くない?」
真理子も言う。
「一日しか離れてない」
真紀は少しだけ黙っていたが、やがて口を開いた。
「私も」
セラが嬉しそうに笑う。
カイルは呆れたように言った。
「王都来た意味あります?」
香織が即答する。
「あるよ!」
「何が?」
「遊びに来た!」
「それで十分だよ」
恵は思った。
元の世界に帰りたいという気持ちは、今もある。
家族に会いたいし、懐かしい場所もたくさんある。
それでも、この世界で過ごす毎日の中に、大切なものが少しずつ増えていた。
四人が偶然出会った、一軒の食堂。
そこには今、待っていてくれる人がいて、一緒に働く仲間がいる。
帰りたいと思える場所が、もう一つできていた。




