新人が来ると、店の癖がよく分かる
人を雇うのは、思っていたより難しかった。
けれど店の忙しさは、そんな事情を待ってくれない。
「煮込み二つ!」
「はい!」
「焼いた肉三!」
「はい!」
「パン追加!」
「一回待って!」
恵の声が厨房に響き、香織がぴたりと動きを止めた。
「ごめん」
「今、煮込み二つ、肉三つ」
「うん」
「それ出してからパン」
「了解」
真紀は横で肉を焼きながら、恵の様子を見て笑った。
「前より早く戻るようになったね」
恵が睨む。
「褒めてる?」
「褒めてる」
「ならいい」
会計を終えた真理子が、帳面を閉じながら言った。
「でも人は欲しい」
その言葉には、四人とも頷くしかなかった。
祭りを境に客は明らかに増えていた。満席になる日も珍しくなくなり、以前なら四人で何とか回せていた時間帯も、今では少し油断すると誰か一人に負担が偏ってしまう。
そして、その負担が恵に集中すると、だいたい一度は「ちょっと待って!」が飛び出す。
今のところ何とかなっている。
ただ、それがいつまで続くかは分からなかった。
*
「今日も募集見に行ってくる」
昼の忙しさが落ち着いた頃、香織がそう言うと、真理子がすぐに顔を上げた。
「今日は何人連れてくる予定?」
「一人だけ」
「本当に?」
「一人」
「勝手に追加しない?」
「しない」
「その場で友達作って連れてこない?」
香織が笑った。
「それは分かんない」
真理子が額を押さえる。
「そこを分かって」
恵が笑っていると、真紀がふと思いついたように言った。
「でも次は経験なくてもいいかもね」
真理子がそちらを見る。
「前もそう言ってなかった?」
「前よりそう思う」
「なんで?」
真紀は少し考えた。
「うちのやり方覚えてくれるなら、経験ない方が逆にやりやすいかも」
恵は頷いた。
それは分かる。
経験があることはもちろん強みだ。でも店ごとにやり方は違うし、慣れた方法を変えるのが苦手な人もいる。経験が多ければ、必ずしもこの店に合うというわけではない。
真理子も少し考えてから頷いた。
「まあ、それはある」
「じゃあ人柄重視?」
香織が言うと、真紀が笑う。
「最初からそう」
「じゃあ私に任せて」
「全部は任せない」
真理子の即答に、香織が声を上げた。
「なんで!」
恵は笑いながら、今日も何人連れてくるのだろうと少しだけ心配になった。
*
その日の午後、香織は一人の若い女性を連れて戻ってきた。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。落ち着いた色合いの服を着ており、少し緊張した様子で入口に立っている。
けれど、これまでの候補者とは少し違っていた。
店に入った女性は、恵と目が合うと小さく頭を下げた。それから厨房の奥や客席へ視線を移し、香織の動き、真理子の会計、真紀が厨房で作業する様子を順番に眺めていた。
ただ店内を見回しているのではなく、何かを観察しているように見える。
恵はなんとなく、そんな印象を受けた。
「募集見て来てくれた子」
香織が紹介すると、女性はもう一度頭を下げた。
「よろしくお願いします」
真紀が尋ねる。
「飲食店やったことある?」
「ないです」
「接客は?」
「ありません」
真理子が少しだけ眉を上げた。
「でも話してみたら良かったから連れてきた」
香織の言葉に、真理子は小さくため息をつく。
「そこはもう驚かない」
恵は思わず笑った。
「じゃあ何で応募したの?」
真紀が聞くと、女性は少し迷ってから答えた。
「ここの店、好きなので」
四人の動きが止まった。
「来たことある?」
恵が尋ねる。
「はい」
「いつ?」
「祭りの次の日くらいから」
「顔覚えてない」
香織が驚いた表情をすると、真理子が横を向いた。
「あなたでも?」
「最近人増えたから」
女性は少し笑った。
「一人で来ることが多いので」
真紀が続けて尋ねる。
「何が好き?」
女性は店内を見回した。
「ご飯も好きなんですけど」
少し考えてから、言葉を続ける。
「店の人が、みんな違うところです」
四人が顔を見合わせた。
恵は少し驚いた。そんなところを見ている客がいるとは思わなかった。
「接客する人はすごく話すし」
香織が笑う。
「私だ」
「数字見てる人は、ずっと何か書いてるし」
「私ね」
真理子が頷く。
「厨房の人は、急に家具動かすし」
真紀が笑った。
「見られてた」
「料理してる人は、忙しくなると急に全員黙らせるし」
恵が固まった。
三人が笑い出す。
「そこまで見られてるの!?」
女性は慌てて頭を下げた。
「すみません!」
「いや、怒ってないけど!」
香織が笑いながら言う。
「かなり見てるね」
女性は少し恥ずかしそうに頷いた。
「でも、それで店回ってるのが面白くて」
真紀の表情が変わった。
ほんの少し目を輝かせたのを見て、恵は思った。
これは、たぶん気に入った顔だ。
*
面接は、いつの間にか雑談になっていた。
「名前は?」
「セラです」
「休みの日何してる?」
「本読んだり」
「何読むの?」
「旅の話とか」
「へえ!」
香織が身を乗り出すと、真理子が口を挟んだ。
「また脱線してる」
「こういうの大事」
「仕事の話もして」
真紀が笑いながら、セラに尋ねた。
「忙しい時、分かんないことあったらどうする?」
セラは少し考える。
「聞きます」
「誰に?」
「近くにいる人」
「その人も忙しそうだったら?」
「急ぎなら聞きます。急ぎじゃなければ覚えておいて後で」
「いいね」
真紀が頷くと、今度は真理子が尋ねた。
「計算は?」
セラは少し困ったような顔をした。
「得意ではないです」
「仲間!」
香織が嬉しそうに声を上げる。
真理子がすぐに振り返った。
「あなたは喜ばないで」
そのやり取りにセラも笑った。
恵は、その自然な笑い方を見て少し安心した。
この人なら、香織に振り回されても、真理子に細かく言われても、真紀が急に何かを変えても、ちゃんと自分の言葉で返してくれそうな気がする。
まだ話したばかりなのに、不思議と一緒に働いている姿が想像できた。
*
面接が終わり、セラが帰ったあと、四人は厨房に集まった。
「どうする?」
真理子が尋ねると、真紀が即答した。
「私はあり」
「私も」
香織が頷き、恵も続いた。
「私もいいと思う」
真理子は三人を見た。
「早い」
「だって良くない?」
「悪くないけど」
真理子は少し考え、それから頷いた。
「……私もあり」
「全員一致!」
香織が嬉しそうに笑う。
「今度こそ決まるかな」
恵が言うと、四人とも前回の面接を思い出した。
採用したいと思った相手に、別の仕事が決まったと断られている。
「じゃあ今回はその場で聞けばよかったね」
真紀の言葉に、真理子が首を振った。
「だからって即決させないの」
「明日返事聞きに行く?」
香織が尋ねると、真理子が答えた。
「今日伝える」
「どっち?」
恵は笑った。
「採用したいって今日伝えて、返事は急がなくていいって言えばいいんじゃない?」
「それで」
真理子が頷き、真紀も賛成した。
「いいね」
香織が恵を見る。
「やっぱまとめるのうまいよね」
恵は首を傾げた。
「そう?」
三人は顔を見合わせた。
本人だけが、あまり自覚していないらしい。
*
翌日、セラから働きたいという返事が届いた。
改めて店に来てもらうと、香織は開口一番に尋ねた。
「本当に?」
「はい」
セラが頷くと、恵も嬉しくなった。
「よかった」
真理子はさっそく紙を広げ、勤務時間、賃金、食事、休み、仕事内容を一つずつ確認していった。
セラは説明を聞きながら、ときどき質問を挟み、最後にはしっかりと頷いた。
「分かりました」
「分からないことあったらすぐ聞いて」
真紀が言うと、恵も続けた。
「無理して全部覚えなくていいからね」
「困ったら私呼んで!」
香織の言葉に、真理子も付け加える。
「数字のことは私に聞いて」
セラは四人を順番に見て、少し笑った。
「誰に何を聞けばいいか、分かりやすいですね」
四人が顔を見合わせた。
「そう?」
真紀が尋ねると、セラは頷いた。
「はい。料理は恵さん、店のことは真紀さん、お金は真理子さん、分からない人のことは香織さん」
香織が笑った。
「人専門みたい」
セラも笑う。
「だいたい合ってますよね?」
「合ってる」
真理子が答えると、恵は妙に感心してしまった。
自分たちではそんなふうに考えたことはなかった。
けれど外から見ると、それぞれにちゃんと役割があるらしい。
*
数日後、セラの初出勤の日を迎えた。
朝の店内には、仕込みの音と温かい料理の香りが漂っていた。開店前の静かな客席で、セラは少し緊張した面持ちで恵の説明を聞いている。
最初の仕事は客席の片付けだった。
「食べ終わった皿、これにまとめて」
恵は食器を重ねながら手順を見せた。
「水は減ってたら足して、分からなかったら香織に聞いて」
「分かりました」
横から香織が言う。
「私も分からなかったら誰かに聞くけどね」
セラが少し笑った。
開店すると、いつものように客が入り始めた。
最初の一時間は何も問題なかった。
セラは慎重だった。皿を下げ、水を足し、客に呼ばれたら香織を確認する。分からないことはそのままにせず、一つずつ尋ねていた。
恵は厨房からその様子を眺めた。
「いい感じだね」
真紀も頷くと、真理子が言った。
「まだ初日」
「厳しい」
「普通」
恵と真紀が笑った。
*
昼頃になると、少しずつ客が増え始めた。
香織が注文を取り、セラが水を運ぶ。恵は煮込みを用意し、真紀は焼き台に立ち、真理子が会計を担当する。
いつもの役割に、一人分の動きが加わっていた。
そこへカイルが入ってきた。
店内を見回したあと、セラを見て足を止める。
「……店員増えてる」
香織が嬉しそうに言った。
「本物の店員!」
「本物?」
カイルが首を傾げると、恵が笑った。
「あなたと違ってね」
「俺は客ですからね!」
戸惑っているセラに、香織が紹介する。
「この子、うちの常連。半分息子」
「違います」
即答だった。
「よろしくお願いします」
セラが頭を下げると、カイルも慌てて姿勢を正した。
「こちらこそ」
その直後、真紀が厨房から声をかけた。
「悪いけど、その箱こっち運んで」
「ほら!」
カイルが声を上げると、セラが吹き出した。
「本当に働いてる」
「働かされてるんです!」
店に笑い声が広がった。
*
昼のピークを迎えると、セラは初めてこの店の本当の忙しさを知ることになった。
次々と扉が開き、客席が埋まっていく。食器の触れ合う音や注文を呼ぶ声が重なり、厨房からは肉の焼ける香ばしい匂いが流れてきた。
「肉二! 煮込み三!」
「水!」
「持ってきます!」
「会計!」
「私!」
真理子が返事をし、香織は新しい客を案内する。
真紀が厨房から客席を見た。
「四番もうすぐ空く!」
「片付けます!」
セラがすぐに動き、空いた食器を下げていく。
恵は煮込みを皿に盛りながら声を上げた。
「次何!?」
「スープ二!」
「はい!」
「パン――」
恵が振り返った瞬間、香織が口を閉じた。
「あ」
セラも動きを止める。
恵は一度息を吐いた。
「今、スープ二」
香織が頷く。
「それ出したらパン」
「了解」
セラはそのやり取りをじっと見ていたが、すぐに動き出した。
「じゃあスープ、私運びます」
恵が顔を上げる。
「お願い!」
「はい!」
セラがスープを運んでくれたおかげで、恵は次のパンに集中できた。
「いいじゃん」
真紀が小さく笑ったが、セラには聞こえていない。
恵には聞こえた。
たしかに、いい。
まだ教えていないことは山ほどある。それでも、今何をすればいいのかを自分で考えて動こうとしてくれている。
それだけでも、十分ありがたかった。
*
昼のピークが終わった頃には、セラもすっかり疲れた様子だった。
客席の片付けが一段落すると、椅子に腰を下ろして大きく息を吐く。
「……すごいですね」
香織が水を渡した。
「疲れた?」
「疲れました」
「正直」
真理子が言う。
「最初はそんなもの」
セラは水を飲み、少し落ち着いてから顔を上げた。
「でも」
四人がそちらを見る。
「楽しかったです」
「でしょ?」
香織が笑うと、真理子がすぐに言った。
「あなたが言うな」
真紀が尋ねる。
「どこが?」
セラは少し考えた。
「みんな、言うこと違うのに」
恵が笑う。
「まあね」
「でも、誰か困るとすぐ別の人が入るんですね」
四人は少し黙った。
セラは続ける。
「最初、覚えること多そうだなって思ったんですけど、恵さんは一気に言うと止まる」
恵が苦笑した。
「もうバレた」
「だから一個ずつ言えばいい。真理子さんは数字ちゃんとすれば怖くない」
真理子が眉を上げる。
「怖いと思われてた?」
香織が笑った。
「思われるでしょ」
「なんで」
セラは次に香織を見る。
「香織さんは話し始めると長い」
香織が固まった。
「私だけ褒められてなくない?」
セラは最後に真紀を見る。
「真紀さんは勝手に変える」
真理子が吹き出した。
恵もつられて笑い、香織はテーブルを叩いている。
真紀だけが少し不満そうだった。
「勝手じゃないよ」
真理子が言う。
「勝手よ」
「ちゃんと考えてる」
「考えてから勝手にやってる」
セラも声を上げて笑った。
その笑顔を見ながら、恵は思った。
ああ、この子、たぶん大丈夫だ。
まだ初日なのに、もう四人の中に自然と混ざっている。
それがなんだか嬉しかった。
*
閉店後、セラが帰ったあとも四人は店に残っていた。
客席には片付けを終えた椅子が整然と並び、厨房には洗い終えた食器が重ねられている。昼間の騒がしさが嘘のように静かだった。
「いい子だったね」
香織が言うと、真理子も頷いた。
「続いてくれればいい」
「たぶん続くよ」
真紀が言うと、恵が尋ねる。
「また勘?」
「うん」
真理子が呆れたように言った。
「根拠は?」
真紀は少し考えてから答えた。
「楽しそうだったから」
真理子は何も言わなかった。
恵も少し笑う。
それなら、自分にも分かる気がした。
「当たるといいね」
真紀が笑った。
「当たるよ」
「その自信が腹立つ」
真理子の言葉に香織が笑い、恵もつられて笑った。
新しい人が一人増えた。
それだけで、今まで当たり前だと思っていた四人の癖が、少しだけ外から見えるようになった。
自由すぎる人、現実的すぎる人、人と仲良くなりすぎる人、一度にいろいろなことができない人。
どれも誰かにとっては欠点で、誰かにとってはちょうどいい役割なのかもしれない。
恵はそんなことを考えながら、明日の仕込みを始めた。




