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世話焼き令嬢は拾った獣人に全てを奪われる  作者: 柊原 ゆず


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第十九話 排除すべき魔女


「……約束、ですよ」

「もちろん!」


 第三皇子レオンの執務室の前でのやり取りを経て、アメリアは足取りも軽く、最後の目的地である第四皇子ノアの部屋へと向かっていた。その後ろを、ルカが極めて重たい足取りでついていく。ノアの部屋の前に到着し、アメリアは「今度こそ私がノックを」と張り切ってドアの取っ手へ手を伸ばした。しかし、獣人の反射神経に人間の少女が敵うはずもなかった。ルカの大きな手が、アメリアの小さな手をふわりと覆うようにして取っ手を掴み、またしてもノックもせずにガチャリと扉を開け放ったのだ。

 しかし。


「……っ?」


 扉を開けたルカは、かつてないほどに、目前の光景にたじろいで動きを止めた。

 重厚な扉のすぐ目の前、開くのを今か今かと待ち構えていたかのように、一人の少年が立っていたのだ。第四皇子、ノアである。

 先ほどのシリウスやレオンは、ルカの後ろにいるアメリアの存在にすぐさま気づき、視線を向けていた。だが、この幼き皇子は違った。ノアは、大きなアメジストのような紫の瞳を、ただ真っ直ぐに、ルカ一人だけに向けていたのだ。


『ルキウス兄上っ!!』


 部屋の中に、割れんばかりの明るい声が響き渡った。


『兄上の足音が外から聞こえてきたので、ここでずっと待ってました!』


 ノアの背中にある尻尾が、ちぎれんばかりの勢いでブンブンと左右に振られている。獣人語でまくしたてる彼の瞳は、純粋な憧憬と熱狂的な崇拝の光でキラキラと輝いていた。突然の強烈な『好意』の奔流を一身に浴びたルカは、内心でひどく戸惑いながらも、眉間に微かなシワを寄せて短く応えた。


『……ああ、出迎え感謝する』

『お、おれっ!今日初めて兄上を一目見て、そんけー、したんです!あんなに強くて、格好良くて、いげん?があって……兄上は、オレの憧れです!!』


 ノアのルカに対する心酔ぶりは、尋常ではなかった。彼にとって、圧倒的な力と覇気を纏って帰還した第一皇子は、まさに神のような存在として映っていたのだ。

 一方、その光景をルカの背後から覗き見ていたアメリアは、ベールの下でニコニコと保護者面の笑顔を浮かべていた。獣人語の会話の内容はまったく分からない。しかし、尻尾をブンブンと振って懸命に言葉をかける幼い弟と、その猛烈なアピールに少し困ったような顔で応じているルカの姿は、アメリアの目には非常に微笑ましい『兄弟の再会』として映っていたのだ。


『今日は、何のご用ですか!?オレと遊んでくれるんですか!?剣の稽古をつけてくれますかっ!?』

『……いや、今日は挨拶のために寄っただけだ』

『あいさつ……?』


 ルカの冷淡な返答に、ノアはそこでようやく小首を傾げ、ルカの背後に立っている人物の存在に気がついた。

 紫のアメジストの瞳が、頭からつま先まで分厚いベールと外套に包まれた奇妙な不審者を凝視する。そして次の瞬間、ノアの顔から先ほどの無邪気な笑顔が消え失せ、敵意に満ちた険しい表情へと一変した。


「おまえ、だれだ」


 ノアの口から飛び出したのは、獣人語ではなく、習いたての拙い『公用語』だった。大好きな兄の言葉に合わせようと、彼なりに必死に勉強していたのだろう。ノアは、この人物が誰であるか、知っていた。ルカの同伴者に人間がいると、レオンが伝えていたからだ。けれど今、明確に存在を問うことで、招かれざる客であると暗に伝えているのだ。

 突然、自分に向けられた冷たい声色に、アメリアは少し驚いたように肩を揺らしたが、すぐに気を取り直して優しく声をかけた。


「あ……ごめんなさい、驚かせてしまいましたね。私は、アメリア・ルーベンスです。ルカの……いえ、ルキウス殿下の付き人として来ました。よろしくお願いしますね」


 なるべく刺激しないよう、柔らかく温かい声で名乗ったアメリア。しかし、ノアは彼女の挨拶を受け入れるどころか、ビシッと指を突きつけて、小さな牙を剥き出しにして吠え立てたのだ。


「お前、兄上を狙う魔女だな!?」

「えっ……?ま、魔女?」

「そうだ!兄上は、強くて格好いいんだ!お前みたいな気味の悪い人間が、偉大な兄上の傍にいるなんておかしい!兄上の邪魔をするな!!」


 それは、明確で容赦のない、純粋な敵意だった。大好きな兄の隣にいる得体の知れない人間。ノアにとって、アメリアは『完璧な兄』の経歴に泥を塗る、忌まわしい不純物でしかなかったのだ。

 ノアのその暴言を聞いて、ルカの内心では二つの相反する感情が激しくせめぎ合っていた。愛しいアメリアを『魔女』呼ばわりし、あまつさえ『気味が悪い』と罵倒したことに対する、今すぐ首を刎ね飛ばしてやりたいほどのドス黒い怒り。

 だが一方で……この生意気なガキがアメリアを徹底的に拒絶し、嫌悪してくれるのは、ルカの『鳥籠作り』にとっては極めて『好都合』な事実でもあった。アメリアがこの国で傷つき、孤立すればするほど、彼女は僕にすがりつくしかなくなるのだから。

 怒りに任せてこの小僧を黙らせるべきか、それともアメリアが傷ついて泣きついてくるのを待つべきか。ルカが冷ややかな目で様子を窺っていた、その時だった。


「…………ふふっ」


 アメリアの口からこぼれたのは、悲鳴でも泣き声でもなく、どこか懐かしむような、柔らかい笑い声だった。彼女はノアの敵意に怯むどころか、ゆっくりとその場にしゃがみ込み、威嚇してくる幼い皇子と真っ直ぐに目線を合わせたのだ。


「……っ、なんだよ!」

「ごめんなさいね。貴方があまりに一生懸命にお兄様を守ろうとするから、なんだか可愛らしくて」


 ノアのガルガルと牙を剥く姿が、アメリアにはどうしようもなく重なって見えてしまっていたのだ。あの日、冷たい雨の降る路地裏で、ボロボロになりながらも必死に虚勢を張り、自分に威嚇の声を上げていた『幼き日のルカ』の姿と。アメリアの胸の奥で、底なしの母性と『お姉ちゃん気質』が、激しく、温かく溢れ出した。


「殿下。どうか、心配なさらないで」


 アメリアは分厚いベールの下で、春の陽だまりのような、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。そして、ルカに向かってではなく、目の前のノアに向かって優しく言い聞かせたのだ。


「私は、お兄様がこの国で『皇子』としての生活に慣れたら、人間の国に帰るから。だから、お兄様の邪魔はしないつもりよ。安心してね?」


 ――帰る?

 ――人間の国に?

 その言葉を背後で聞いたルカは、微かに氷のような青い瞳を細めた。アメリアは、未だに自分の役目が終われば国に帰ることができると、本気でそう思っているのだ。

 ……馬鹿な人だ。僕が貴女を帰すことなど、天地がひっくり返っても絶対にあり得ないというのに。例え彼女がこの鳥籠の異常さに気付き、怯えて逃げ出したとしても。その時は、僕の権力で帝都の分厚い扉をすべて永遠に閉ざすだけのこと。彼女は一生、僕の手のひらの上から逃れることなどできない。

 だから、彼女の『帰る』という言葉自体は、ルカにとってさしたる脅威ではなかった。ルカの心を苛立たせたのは、その後の展開だった。


「……本当か?」


 アメリアの『帰る』という宣言と、春の陽だまりのような優しい声に、ノアの敵意が少しだけトーンダウンした。


「ええ。勿論よ。殿下は、お兄様が大好きなのですね」

「あ、ああ!ルキウス兄上は、他の兄上よりも大きくて、強くて、格好いいんだ!」


 アメリアがふわりと微笑みかけると、ノアは頬を少し赤らめながら、目を輝かせて兄への自慢を口にした。


「ふふふ、そうね。殿下もルキウス殿下の弟君ですから、きっと素晴らしい皇族になれますわ」

「もちろん!」


 ノアの威嚇は完全に鳴りを潜め、そこにはただの無邪気な少年と、それを温かく見守る『お姉ちゃん』の穏やかな空間が出来上がっていた。

 ――しかし。

 この穏やかな会話の背後で。ルカは、鋭い氷の刃で何度も何度も、酷く、残酷に抉り取られるような痛みに見舞われていた。

 アメリアが、ノアへと向けているその眼差し。それは、まさに幼き日のルカへ向けていたものと、全く同じだったのだ。路地裏で拾われ、言葉を教わり、スプーンの持ち方を教わっていたあの頃。彼女が僕だけに向けてくれていた、慈愛に満ちた、絶対的な『可愛い弟』への温かな眼差し。

 やめろ。やめてくれ。他の雄に、同じ眼差しを向けるな。

 ルカの腹の底で、ドロドロとした真っ黒な嫉妬と殺意がマグマのように煮え滾っていく。

 この温かな目は、僕だけのものだったのに。僕だけが独占していた光なのに。どうして、それをそんな見ず知らずのガキに、いとも簡単に分け与えてしまうのだ。

 アメリアが『弟』としての特別な眼差しを、自分以外の雄であるノアにも向けている。この事実は、ルカの心を八つ裂きにし、必死に保っていた理性の首輪を根底から粉砕するには、十分すぎるほどの破壊力を持っていた。


『……ルキウス兄上?』


 突然、背後から凄まじいまでの、文字通り空気が凍りつくような冷気と殺意が膨れ上がったのを感じて、ノアがビクッと肩を震わせた。

 だが、アメリアはその恐ろしい冷気に気づかない。彼女はしゃがみ込んだまま、目の前のノアを優しく見つめ続けている。

 アメリアからは見えないルカの瞳は、もはや光を失った虚無の闇のように濁りきっていた。彼の内で静かに研がれていた狂犬の牙が、ついにその限界点を超えようとしていた。

 ――もう、限界だ。

 これ以上、彼女を誰の目にも触れさせてはならない。早く、あの完璧に整えられた鳥籠の中に、彼女の身も心もすべて閉じ込めて、完全に囲ってしまわなければ。これ以上一秒でもこの空間にいれば、僕の理性が崩壊してしまう。


『……ひっ』


 突然、目の前で強がっていたはずのノアが小さな悲鳴を上げ、ガクガクと肩を震わせ始めた。その後ずさりするような異常な怯え方に気付き、アメリアは不思議そうにノアの視線を辿るようにして、ゆっくりと背後へ振り向いた。そこには、逆光を背負い、顔に深い影を落としたルカが立っていた。アメリアがしゃがみ込んでいたため、見上げる形となった彼の姿は、普段よりもさらに圧倒的な体格差が強調されていた。それはもはや人間の姿をした青年のものではなく、今にも哀れな獲物を噛み砕こうと見下ろしている、巨大で冷酷な『獣』そのものの威圧感を放っている。

そのただならぬ気配と、いつもの『可愛い弟』の面影が欠片もない空虚な貌に、アメリアもようやくルカの様子が決定的におかしいことに気がついた。


「ルカ……?」


 おそるおそる、確かめるように名前を呼ぶアメリア。その声に、ルカは濁りきった青い瞳をわずかに動かし、地を這うような、それでいてどこか甘く粘着質な声で告げた。


「……アメリアお嬢様。帰りましょう」


 それは提案でも、弟の我が儘でもなかった。有無を言わさぬ、逆らうことなど絶対に許されない王の『命令』だった。その言葉に込められた強烈な圧に、アメリアはビクッと肩を跳ねさせた。


「え?……え、ええ。そうね」


 ルカから発せられる得体の知れない熱と威圧感に押され、アメリアは慌てて立ち上がる。そして、まだ怯えて震えているノアに向かって、少しぎこちない笑顔をなんとか取り繕った。


「それでは、殿下。また会いましょうね」

『……ルキウス兄上……っ』


 ノアは蚊の鳴くような声でただ兄の名を呼ぶことしかできず、アメリアの挨拶に応える余裕など全くなかった。大好きな兄から放たれた無差別な殺気は、幼い彼を縛り付けるには十分すぎたのだ。

 アメリアは、強引なルカの太い腕に腰を抱き寄せられるまま、その圧倒的な力と圧に素直に従い、逃げるようにノアの部屋を後にするのだった。

 バタン、と。

 静かに、しかし有無を言わさぬ威圧感を残して、重厚な扉が閉ざされた。

 一人取り残されたノア。ルカの放った凄まじい殺気と冷気の余韻が、未だに部屋の空気にへばりついている。ノアは、震える身体を慰めるように、自身の小さな身体をぎゅっと抱きしめて床に丸まった。

 ――兄上、やっぱりすごい……!

 本能が抱く強烈な恐怖。一歩間違えれば、あの殺気は自分に向けられ、本当に殺されていたかもしれないという戦慄。しかし、それと同時に。自分を完全に圧倒し、平伏させたその底知れぬ力への、狂信的なまでの尊敬と憧れがごちゃ混ぜになって、ノアの口元は歓喜と恐怖でガタガタと震えていた。

 格好いい。もっと傍にいたい。あの偉大で冷酷な兄上の隣に並び立てるような、強い獣になりたい。

 ……でも、あの『魔女』が邪魔だ。

 ノアの紫のアメジストのような瞳が、昏い光を帯びる。先ほど、自分に向かって微笑みかけたあの人間の女。確かに彼女の眼差しは底抜けに優しく、春の陽だまりのように温かかった。もし自分に『姉』がいたとしたら、きっと彼女のような人なのだろうと、一瞬でも本能が絆されそうになったのは事実だ。

 けれど。偉大なルキウス兄上の輝かしい覇道を邪魔する不純物であるのなら、たとえどれほど優しくとも、容赦はしない。兄上の隣に立つのは、弱い人間ではなく、このオレだ。


「……グルルッ……」


 薄暗い部屋の中で、幼い第四皇子は、その紫の瞳に危険な執着と殺意を宿し、小さく獣の唸り声を漏らすのだった。


つづく

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