pt.10 影に囚われた二人 -Autommune disease- ②
早朝の湖面からは霧がわずかに立ちのぼり、霞が朝日を浴びて輝いていた。
「セリ姉さま、ごめんなさい。洗い粉を持ってくるの、忘れてしまったみたいです」
「え? そうなの? んー、どうしよっか。じゃあ水洗いだけでごまかしちゃおっか」
たいして気にもせずに返事をしたが、おチビの一人は泣きそうな顔をして首を横に振った。
「ダメです! そんなことして、もし姉さまたちにバレたら!
またセリ姉さまがイジワルされてしまいます!」
「別に平気だよ? 大丈夫だって。バレないバレない」
あははと笑って聞き流そうとすると、おチビの一人が半泣きで袖を引っ張った。
「でも、この前すすぎが足りなくて衣装に粉が残ってたの、スズシロ様が見つけて……セリ姉さま、代わりにひどい罰を……っ!」
「そんな……っ! あたしたちのせいでセリ姉さまが!?」
「え? ヤダ。見てたの?」
いつのお仕置きだろうか。心当たりがありすぎてどれを目撃されたのか見当もつかない。
「あたしたち、取りにもどります!」
「セリ姉さまは先に水洗いして待っててください! すぐに行ってきます!」
もはや取りに行かないという選択肢はおチビたちには皆無らしい。
「うーん。じゃあ森で怖い動物とかに襲われないように、みんなでちゃんと固まって行くこと。バラバラに行動しないでね? あと、一応これ、お守りに持ってって」
懐から短刀を出すと、おチビの一人の手に握らせた。
「それはセリ姉さまが団長からもらった大切な短剣じゃないですか! ダメですよ!」
「ちょっと貸すだけだから。お守りだよ、ね?
最強の団長パワーがおチビたちを守ってくれますようにって。じゃ、洗い粉、お願いするね」
そんなやり取りをして、おチビたちを送り出してからかなりの時間が経った。
不安になって耳を澄ますが、おチビたちの声どころか鳥の鳴き声すら聞こえない。
嫌な予感がして、濡れた洗濯物をその場に置いたまま、キャラバンの野営地に走った。
もうさすがにみんなが起き出してもいいころだ。
食事係が大きな鍋に大量の雑炊を煮詰める匂いがしてくるはずだ。
でも、今朝に限ってそんな匂いはしない。煮炊きの音どころか、薪を割る音も聞こえない。
異様に静かだった。
――血の臭い……?
自分の胸が早鐘のように鳴っているのは、走っているせいだけではなかった。
人が倒れている。
キャラバンのメンバーだ。
赤い軌跡が、その人のたどった道筋をはっきりと記していた。
傷が深い。地面に描かれた軌跡の濃さで、相当な出血だったと分かる。
瀕死の状態で這いながらここまで逃げてきたらしい。
襲撃? いや、そんな音は絶対に聞こえなかった。
死体を確認すると、声が出せないように喉が斬られている。
声を出せないようにして殺す――その手法は……、そんなのって、まるで――。
疑問が次々に頭の中を駆け巡っていく。
口の中がカラカラに乾いていた。
「おチビたち!? おチビたち、どこ!? 聞こえたら返事して!!」
声を張り上げておチビたちを探す。襲撃者を呼び寄せることになってもいい。とにかく叫んだ。
まだ、間に合って……っ!! お願い……っ!
進むたびに死体の数が増えていく。
まるで自分を導くように、赤い道ができている。
これはもう、皆殺しだ……。
頭のどこかではもうわかっていた。
これから自分が見る光景を。
おチビたちの小さな体がうつ伏せに倒れている。
真っ赤な湖に浮かぶ、小さな島みたいに。
そしてもう一人。
真紅の衣装を身にまとった人間が立っている。真っ赤な曲刀を手に携えて。
その後ろ姿は――見間違えるはずがなかった。
凛とした立ち姿。
長くて綺麗な髪。
大好きな人――そして、一番いてほしくなかった人がそこにいた。
「なんで……? なんでっ? なんで!? どうして!?」
「お前のせいだよセリ」
その人は言った。悲しそうに。
「お前がこんなチビたちばかり、かわいがるから……」
言っている意味が分からない。
「嘘……ですよね? これ……やったのって……?」
「お前が悪いんだ。だからこんなことになったのさ」
そう言って、その人は狂気に染まった瞳で嗤う――。
そんな嗤い方、今までしたことないのに。
どうして嗤うの? 何がそんなにおかしいの?
嗤わないで。
笑わないでよ。
許さない。
許さない――!!
・・・・・
「――――――っ!!」
叫んで気づく。
体が動かないこと。どこか知らない部屋の中にいること。
「……早いな。もう意識が戻ったのか」
声のする方に顔を向けると、ずいぶん顔色の悪い男がいた。自分はこの男を知っている気がする。
レミケイド……。そうだ、レミケイドだ。
なんでレミケイドがいるんだろう。それにここはどこだろう。
声を出すよりも先に、体の中で不快な何かが這いずり回る感覚に襲われる。
毒だ。毒が拡がろうとしている。
(お前もアタシを置いていくんだろう!?)
圧倒的な殺意の渦に捕らわれていく。
真っ黒な泥の奥深くへと引きずりこまれる感覚がよみがえり、身体が一気に冷えた。
そうだ、さっきもこれに飲み込まれた。
底なし沼に沈んでいく恐怖が再びセリを襲う。
(逃がすもんか! お前もアタシと同じになるんだ!)
もう、あの中に落ちるのは嫌だ。
(嬉しいだろう? セリ? アタシとずっとずっと繋がっていようじゃないか)
「いや……! レミケイド! 助けて! はやく……お願い……!」
「少し待ってくれ。まだ準備ができていない」
レミケイドは治療に使う杖をテーブルに置いたまま、もう1本の杖を組み立て始めた。
(許さない……。お前も……っ、どうしてアタシから離れようとするんだ……!)
力強い手が、セリの腕を、首を、顏をつかんで爪をたてる。
飲まれる。
落ちる。
――嫌だっ!! そっちには行きたくない!!
「レミケイド……っ!! 早く!! ここままじゃ捕まる!! 嫌……っ、早く! 急いで……っ」
「頼む。大きな声を出さないでくれ」
「レミケイド……っ! 早く打って! お願い……助けて……お願い……っ」
「頼むから黙ってくれ!!」
レミケイドの悲鳴のような叫びに、セリの身体がすくんだ。
レミケイドはテーブルの上に置かれた杖を手に取ると、セリではなく自らの腕に突き立てた。
「レミケイド……? なんで……?」
セリは何が起きたのか理解できなかった。
「それはね、あなたに触発されてしまったからよ」
突然、女性の声がした。
入り口のドアのすぐ隣で、フードを深くかぶった人物が椅子から立ち上がった。
口の中で呪文をつぶやきながら、固い靴音を鳴らして近づいてくる。
セリとレミケイドの額へそれぞれ手のひらを押しつけると、黄色の閃光がほとばしった。
セリの中にいた毒が、光を浴びてバラバラにちぎれていく。崩れていく毒が、ナナクサの声で叫びながら消えていく。
この叫び声も、聞き覚えがある。
斬った感触も、今は鮮明に思い出せる。
私が斬った。
大好きだった人を。この手で斬った。
今まで、一度だって大きな声を出したことのない人だったなのに。
私のせいで、あんなにも狂って、叫んで、苦しめてしまった。
団長を殺したのは、私――。
私だったんだ……。
セリの目から、涙が一筋流れていった。
フードの女性が、レミケイドへ静かに叱責する。
「あなたらしくないわね、レミケイド。あとで状況報告書、出しなさいね」
「……面目……ありません」
杖を腕に射したまま、レミケイドは苦しそうに汗をかいている。
「もしかしてメティさん……ですか?」
聞き覚えのある声に、セリはかすれた声で尋ねる。
フードからわずかに目をのぞかせたメトトレイが、冷たい声で応じた。
「セリさん、私のあげた薬を飲んでなかったのね。レミケイドまで巻き込むほどの毒をまき散らして、どういうつもり?」
「……ごめんなさい」
セリは最初こそ真面目に薬を飲んでいたが、飲み方が複雑なのも重なり、途中から飲んだり飲まなかったりしていた。
どこかで薬を飲むことを避けようとする気持ちがあったことも、本当は否定できない。
「私たちが間に合わなかったら……あなた、どうなっていたかわかる?」
メトトレイに睨まれ、セリは直視に耐え切れず視線を外す。
殺していたかもしれない。
違う。『殺していた』、だ。
あの人と同じように。
嗤って、狂って、泣き叫びながら、大事な人たちを傷つけて――。
もしかして、あの人も毒に囚われていただけだったの?
殺したくないのに、殺していたの?
それなのに私は――あの人を斬った。
あの人を殺してしまった。
でも――。
でも、私はまだあの人とつながっていて。
あの人はまだ生きているのかもしれなくて。
もしそうなら。
あの人はきっと、殺しに来るはずだ。
私を。
そして、私が大切だと思う人たちを。
全部奪いに来るはずだ。
「メティさん……私、ここを出ていきます……。
最初の約束通り、ディマーズに置いてもらえますか? 私を、まだ使ってくれる気があるのであれば……ですけど」
フード越しにセリの表情を見つめ、メトトレイはおもむろに背を向けた。
「レミケイド。セリさんの鎖を解いてあげて。あなたはここで2時間大人しくしてなさい、いいわね?
セリさん、歩けるかしら? 隣の部屋で話しましょう」
レミケイドが無言でセリの鎖を緩めた。
あまりにも具合が悪そうなレミケイドに、セリは声をかけようか迷ったが、決して視線を合わせようとしないレミケイドの雰囲気を察して、結局なにも言わずに部屋を出ることにした。
メトトレイが用意した隣の部屋に移ると、窓からは夕日が差し込んでいた。
大きな窓からグレイスメイアの町が一望できる。セリはようやく自分のいる場所に見当がついた。
この建物はおそらく町の高台にある、裕福層区画にある宿屋なのだろう。インディが以前、景色が良くて町が見渡せるよと言って、セリを連れ込もうとしていた宿と、もしかしたら同じ建物かもしれない。
真っ赤に染まる日暮れの町。
赤い色はあの人の色だ。
「毒の怖さを思い知ったって顔をしてるわ。
この前の時には、それはなかったわよね。いい勉強になったかしら?」
メトトレイがソファをすすめながら、セリの前に紅茶を用意する。
「レミケイドにいろいろ聞きたかったのよね? あの子、落ち着くまでしばらくかかりそうだから、私が代わりに応えるわ」
セリは出された紅茶に口をつけた。ほんのり花の香りがして、心が少し落ち着いたような気がした。
頭を整理しながら、セリは今までの経過をメトトレイに説明した。
竜の火に焼かれたこと。純化の炎である竜の火を浴びれば本来なら毒が消えること。でも毒はセリの中に残っていること。それは毒を自分に移した人間がまだ生きているかもしれないということ。
その相手はもし生きていたら自分を激しく恨んでいるかもしれないこと。
「私が知りたかったのは……その人が生きてる限り、私はずっと毒から解放されないんじゃないかってことです。正直、どんなに毒がコントロールできるようになっても、その人を前にしたら、私……たぶんダメになってしまうような気がするんです。抵抗できる自信がないんです。
でも私……もうその人の言いなりになるのは……怖いんです」
セリの言葉に、メトトレイは静かにうなづいた。
「そうね、たしかに生きていたら影響力は強いでしょうね。それに相手は意地でもあなたを自分の方に引き込もうとするに決まってるわ。あなたが怖がるのも無理はないと思う。
ただね、レミケイドを見たでしょ? あの子、あなたに触発されて自分の毒が表出したのよ」
目を見開いたセリの表情を一瞥し、メトトレイは紅茶に口をつけた。
「驚いた? そう、レミケイドも実は毒持ちなの。あの子に毒を植え付けたのは実の姉よ。……あの子に殺されてしまったけれど」
どくん、とセリの胸が震えた。
「たとえ相手が死んでしまっていても、毒を強く刺激する因子はたくさんあるわ。大切なのは油断や動揺、そして過信をしないこと。
レミケイドは相当の努力を続けて自分の毒を制御しているわ。あなたは、それができる? それができるのであれば、あなたが怖がるその相手と向き合うこともできるかもしれないわ。もしかしたら、あなたがその人を救うことだってできるかもしれない」
――救うことができる?
言い表せないような感情がセリの全身を駆け巡った。
狂ってしまったあの人を、元に戻せる……?
「いい表情ね。あなたの頑張り次第で自分を保ちながら毒と対峙することは十分可能よ。
レミケイドが目をかけてるんだもの。きっとあなたにも資質があるんだと思うわ。
ディマーズの貴重な戦力として、期待してる」
とても綺麗に微笑むメトトレイの口元が、口紅で紅く彩られている。
団長も、いつも綺麗な口紅を塗っていた。
いつもきれいに微笑んでいた。もう一度、あの笑顔で私の名前を呼んでほしい。
そう願ってもいいのだろうか。
(もう、忘れな。ここでのことは……。セリって名前もここを出たらもう使うな。いいな……? 最後の命令だ)
血まみれの団長が笑いかける。優しい表情で。
――待って。これはいつの記憶――?
「ああそうだわ。レミケイドが落ち着いたら、レミケイドの処置も受けてもらうわね。
遅い時間になると思うから、今日はここに泊まっていきなさい。あなたの家には、宿の人に頼んで連絡しておくわ。――セリさん?」
メトトレイに呼ばれ、セリは浮かびかけた疑問をあわてて脇に置いた。
「――あ、はい! でもメティさん、あの……逢いに行かないんですか? せっかく来たのに」
あなたの家と言われたが、元はメトトレイの家族だ。
メトトレイはわずかに目を細めて微笑むと静かに、ええ、と答えた。
「離婚して出ていった女がウロウロしてたら、こんな田舎町、すぐに噂で持ち切りになってしまうわ。よりを戻すだの子供だけ奪いに来ただの、変な噂が広まったら迷惑でしょう? だからこうやってコソコソお忍びで来たのよ」
いたずらっぽくフードをかぶり直してメトトレイは笑った。
この人も、笑顔の裏にたくさんの苦しみや悲しみが隠れているのかもしれない。
綺麗に笑う人は、強い人だ。
たくさんの闇も痛みも、みんな抱え込んで、その苦しみを綺麗な微笑で包み込んで、まわりに悟られないように隠しているんだ。
私も笑おう。
強くなりたいから。
あの人に逢ったときに、綺麗に笑っていたいから。




