pt.10 影に囚われた二人 -Autommune disease- ①
ここから第二部ラストスパートです。
お昼すぎ、ギルドのお客さんからお菓子をもらったからといって、ボルターがふらっと家に帰ってきた。
しかも珍しいことにボルターがお茶まで淹れてくれるらしい。
誰が声をかけるでもなく四人でテーブルを囲んで集まり、ティータイムとなった。
「なあセリ、そういやあこの前の返事、まだだったよな」
「返事? なんかあったっけ?」
ボルターから紅茶のカップを受け取りながら、セリは聞き返した。
カップを口元に近づけると、ほのかにハチミツの香りがする。一口含むと、温かい甘さが口いっぱいに広がって――、
「ほら、お前が俺の子供を産んでくれるって話だよ」
っぶぁぁんっ!!
セリの飲んでいた紅茶が突沸した。
「うわあ!! セリ姉、なに!? 爆発!?」
「しぇりっ! おぎょうぎわるいのよ!」
ありえない音を立てて紅茶を吹きだしたセリに驚き、レキサとロフェが椅子から慌てて飛び退る。
「げっほ! 鼻に逆流した! あー! 鼻痛い!」
セリが顔を押さえて、のたうち回っている。
「つれねえな。いつまで俺を焦らす気だよ。俺はいつだって準備万端だぜ?」
のたうつセリを全く気にせず、ボルターがキメ顏キメ声を発動する。
「……いままで何度もあんたを刺そうと思ったけど……今回が一番……もう……ミンチにして……ハンバーグにして……ぐちゃぐちゃのメタメタにしてやりたい…………」
セリが鬼の形相でボルターを睨むが、ボルターは全く気にしていない。
「なあ、すっごい素朴な質問なんだけどな。お前、俺と夫婦になるの、もしかして嫌なのか?」
「なっ!? そ……っ!! そんなのあたりまえでしょ!! 嫌に決まってんでしょーが!!」
セリは机を激しく叩いて叫んだが、ボルターの方はセリの反応がまったく理解できない様子で問いかけた。
「嘘だろ? 1年も一つ屋根の下で暮らしておいて、俺のどこが嫌なんだ? 普通、嫌な相手となんかそんなに長く暮らせるわけねえだろ?」
「どこがってそれは……っ」
そこから先が出てこなくて、セリは焦った。
何で出てこない? なんかあるでしょ! ありすぎてどれを選べばいいのか分からないだけ! ほら出して! 急いで出して!! たくさんあるから!! こんな変態なんだもん! ぜったいに……。
「そう! 変態!! あんたが変態だから!!」
ビシッと指を突きつけたセリへ、ボルターは驚愕の表情をあらわにした。
「お前……っ、まさかこの世に変態じゃない男がいるとでも思ってんのか!?」
「ええっ!? なにそれ!?」
「この世に生きとし生けるすべての男は変態だ。それを隠すか、さらけ出すか、この2択しかない。いいか? 見た目には分からんだろうが、インディもロキも、粘液は……分かりやすいな。
とにかく、中身は普通に変態だ。
隠すタイプはやばいぞセリ。夫婦になった途端、本性を出してくる。気づいたときにはもう遅い。お前は心の準備もないまま変態の餌食だ」
「……うそ。そんなのウソ……」
顔面蒼白になりながら、セリは頭をかかえる。
「その点俺は常にオープンタイプだ! 夫婦になったあとも基本この仕様だ! お前の変わらない安心と生活を約束するぜ!!」
決して安心ではないが、ショックが大きすぎて何も言い返せない。
変態じゃない男なんていない……? そんなことがあっていいのだろうか?
しかし、自分にはその論を覆せるだけの知識も経験もない。
いや、今はそれよりもボルターと夫婦になりたくない理由だ。
「すぐ! すぐにベタベタさわってきたり、距離が近すぎるのとか! そういうの嫌なの!!」
「そりゃ夫婦でスキンシップするのなんて当然だろ? 夫婦でイチャイチャしねえで誰とするんだ?」
お前、大丈夫か? と心配するようにボルターが見つめてくる。
おかしい。変なことを言っているのは向こうのはずなのに、なぜかこっちの方がおかしいことを言っているような気がしてきた。
「ぐ……っ、と、とと、歳が! 歳が私の倍以上のおっさんだから! 離れすぎてるし!!」
「枯れ専の異名を取ったお前が何を言うか。考えてみろ、それは今この瞬間だけだろ?
今お前が14、俺が28。あと2年したらお前が16、俺が30だ。
さらにお前が20なら俺は34だ! どうだ! すっげーちょうどいいだろ!!」
何がどうちょうどいいのかは理解不能だが、自信満々で言い切られてしまい、自分がボルターを拒否する根拠がついに底を尽き始める。
自分の勝ちを確信したのか、余裕の表情でボルターが笑う。
「おいおいセリ。クロムじゃないんだ。お前はこれから先、着実に大人になってくんだぞ?
どんどん色気が出てくるだろうし、まわりの男どもがそういう目でお前のこと見るようになる。お前だって年頃だし、俺みたいなイケてる男と付き合ったりしたくなるもんじゃねえのか?」
ボルターの言葉がきっかけとなり、セリの頭の片隅で鍵が開いたような錯覚を覚えた。
――大人に、なったら……?
ダメ。大人になんか、なりたくない。だって……、大人になったら……。
(……セリ。ねえ、セリ……? アンタが……大人になったら…………)
団長……。
団長の声が聞こえる。
ナナクサの声の上に、ボルターの脳天気な声が重なる。
「いいか? 若造はヤることしか考えてないようなのだって多いんだ。誠実につきあってくれる男を見極めるってのもいい女の条件なんだぞ。その点、俺の忍耐力はもうお墨付きだろ? なかなかいないぞ、ここまでの男は。俺の誠実さはお前が一番わかってるはずだ! なんてったって……」
(アンタもアタシ……を…………かい?)
「ちょっと。黙ってボルター……」
セリはボルターを黙らせようとするが、声がかすれてボルターにセリの声は届かない。
(スズスロ…………の…………だろ? アタシ……を………)
必死でナナクサの声に集中するが、肝心なところがよく聞こえない。
自分は過去にこの言葉を聞いている。この言葉を言われている。
それだけはわかるのに――。
でも、思い出せない。
そしてボルターの声がうるさい。
「だからセリ……このまま俺と」
「――っ!? さわらないでっ!!」
自分に触れようとしたボルターの手を、セリはとっさに弾き飛ばした。
「セリ? どうした?」
男が自分に近づこうとする。手を伸ばしてくる――。
(……逃さない……セリ。お前は……アタシに……)
「来ないで!!」
とっさにセリは自分の腰もとに手をやる。しかし、自分の望んでいるものは何も身につけていない。
武器がない――。
鼓動が全身を揺さぶる。息ができない。
これじゃあ、戦えない。
あの時と、同じ――。
――あの時?
冷たい眼をして自分を見下ろすナナクサの表情。
手を伸ばして、助けを求めたのに。
あの人は私の手を取ってくれなかった。
激痛で息が止まる。
頭が割られたような、激しく鋭い痛みがセリを襲う。
(……もう……忘れろ……!)
声が強く責め立てる。頭の中で嵐が吹き荒れる。
たくさんの記憶がぐちゃぐちゃになって踊り狂っている。
手が追いかけてくる。無数の手が自分をつかもうと――。
ひゅっ、と自分の喉がなる音が聞こえた。
「……っいや!! 来ないで!!」
「おい!! セリ!! 落ち着け!! どうした!?」
「……来るな!! 触るな!!」
セリは夢中で、手当たり次第に近くにあったものを目の前の男にぶつける。
逃げなくては。逃げなくては。逃げなくては。
セリは錯乱したまま家を飛び出した。
すぐに誰かとぶつかる。
「うわ! セリちゃん、危ないよ! ……どうしたの? 顔色良くないけど」
また別の男が現れ、自分へと手を伸ばしてくる。
否応なく嫌悪感がわき上がり、相手を突き飛ばして逃げた。
「セリちゃん? どうしたの? ケンカでもしたの?」
集まってくる。どんどん。人が。
どんどん。
集まってくる。
逃げなきゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ。
耳をつんざくような悲鳴をあげてセリは走った。
助けて。
誰か助けて。
誰か?
って……それはいったい誰?
私を助けてくれる人……そんな人、いるの?
どうして団長は、あの時私を助けてくれなかったの?
セリの中で、何かがざわりと蠢いた。
……殺せばいい。
……殺せば安心するだろ?
誰も助けてくれないなら……ひとりなら……。
……殺し方は……教えただろう……?
胸の中で蠢き出した何かが、セリの中で拡がり始めた。
セリは足を止める。
そうだ。逃げなくてもいいんだ。
自分が助かる方法があったんだ。
簡単な方法――。
そう、みんな……死んでしまえばいいんだ。
セリの喉の奥から笑いがこぼれる。
「……ふふ……あは。あははは………」
這い出ようとしてくる。中で渦巻くドロドロが、目からあふれて、とめどなくこぼれて落ちていく。
逃げられない。逃げる場所なんかない。
もういい。なにも考えたくない。
どうにでもなればいい。
風を切る音がした。
やけに鋭い音だと気がついたときには、すでにセリの体は石畳に倒れこんだあとだった。
石畳の冷たさと体を縛る金属の鎖が。セリの体の熱を奪っていく。
「何をしているんだ君は」
固い靴音を響かせながら、男が静かに近づいてくる。
油断した。まったく気配を感じなかった。
セリは歯を食いしばって近づいてくる男を睨む。
男の顔には、何の表情も感情もない。
セリの中にいるざわつきが、この男を警戒しているのを感じた。
「来るな……! 来たら殺す! ……殺すっ!!」
「……強い毒の気配で来てみたら、まさか君だとは。
少し人目もあるが……悪く思わないでくれ」
男が小瓶を取り出すとセリの口へ中身を注ぎ込む。
抵抗もむなしく、セリの意識は闇の中へと落ちていった。
・・・・・
暗い。
自分はどこを歩いているのだろう。
どこに向かっているんだろう。
思い出せない。
人の気配を感じ、剣を構えた。自分の手の中にある剣は異様に黒い。なんでこんな色をしているのだろう。もともとこんな色をしていただろうか。
思い出せない。
風が過ぎていく。
雲の切れ間から月明かりが差し込んで、辺りを照らした。
目の前にいたのは、知っている相手だった。
ほっと胸をなでおろす。
何気なく手元の剣に目をやる。
黒いと思っていた剣は、月光を浴びると深紅にぬらめいていた。自分の手も、腕も、同じ色をしている。
これは、血だ。
怖くなって剣を放り出した。
気持ち悪い。この血を洗いたい。染み込んでくる。汚い水が、自分に侵食してくる。
取り乱している自分を見て、その人は笑った。
いつもとなにも変わらない表情と口調に、少しだけ安心を覚えた自分がいた。
そうだ、血ぐらいで何を怖がっていたのだろう。
その人は報告を要求した。いつもどおりに。
そうだ。いつもどおりだ。
また少しだけ、自分の中に平静が戻ってくる。
「気がついたら縛られていて、集団に襲われました。縄は……なんとかほどいたので……すぐに、始末しました」
何かを思い出しかけ、恐怖で頭を激しく振った。報告を続ける。
「人数は……すみません。覚えてません。でも、たしかに全員、始末しました。それは確実です」
自分の報告を聞いて、その人は一言だけ返事をする。
いつもどおりの素っ気ない返事。
でも自分の頭の上に、いつもとは違う優しい重さが乗る。
「俺が教えた技、役に立ったか? ちゃんと使ったな?」
静かに首を縦に振る。
この人の声は、こんなに優しい声だっただろうか。
「よし。よくやったな。78点……いや、85点くらいにしといてやるか」
今までつけてもらったことがないような高得点を。
今まで聞いたことがないくらいの、別人のような優しい声で。
今まで見たことがないような、別人のような優しい表情で目を細めるその人がいた。
視界が歪む。
気がつくと声を上げて泣いていた。
怖かった。怖かったです。
そう言って泣きながら、その人の胸にすがりついていた。
この人に、こんなふうに甘えたことなんて今まで一度だってなかったのに。
その人はまた、いつもどおりの意地悪を言う。
いつもどおり。そう、いつもどおりだ。
何も変わらない。
――でも。
背中に刺すような強い視線を感じて、慌てて振り返った。
誰もいない。
――違う。
そんなことはない。たしかにいたはずなのだ。
思い出せない。誰がいたのか。
「セリ、どうした? 何見てる?
……ああ、セリ。気にすんな。………は、……………から」
私は、なんて言われた……?
私に、そう言ったのは……誰だった……?




