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戦わずに大陸を落とした男――気づけば公爵令嬢と参謀と商人に囲まれている  作者: 慈架太子


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90/100

90:距離だけ近い

世界は静かだった。

崩壊の余波はすでに過ぎ、炎も悲鳴も消え、ただ“残ったもの”だけがそこにある。


都市は再建されつつある。

商業国家の大商会は、かつてのように流通と経済を握ろうとするが、その支配はもはや絶対ではない。

人材は散り、上位貴族の命令は届かず、情報統制担当がいかに網を張ろうとも、世界は一度“命令なき状態”を知ってしまった。


戻らない。


その中心にいるのが――エルガード・カウフマンだった。


彼は、何もしていない。


ただ、“止めなかった”。

それだけで、世界は変わった。


そして今。


「……」


彼は歩いている。


隣には、誰かがいる。


常に。



レオニア・アルディウスは、半歩前を歩いていた。


前線指揮官としての癖だ。

自然と位置取りがそうなる。


だが――


「……チッ」


気づいている。


今は戦場じゃない。


守る必要も、先に出る必要もない。


それでも、この位置を崩さない。


理由は簡単だ。


「……隣、行きにくいだろ」


小さく呟く。


距離は近い。


手を伸ばせば届く。


だが――


“並ぶ”のは違う。


それをしてしまうと、何かが変わる。


変えてしまう。


だから、半歩前。


それが限界。



エルディア・ヴァレンティナは、逆に半歩後ろにいた。


全体を俯瞰する位置。


軍参謀としての最適解。


だが――


「……非効率」


自分で理解している。


今は戦術も戦略も必要ない。


それでも、この位置を維持する。


なぜか。


「……隣は、近すぎる」


それだけだ。


距離が縮まれば、判断が鈍る。


感情が介入する。


それは――許容できない。


だが。


完全に離れることもできない。


それは、もっと許容できない。


だから、半歩後ろ。


最も安全で、最も曖昧な距離。



マリナ・ルクレツィアは、最も近かった。


だが――


触れていない。


触れない。


「……あと少し、ね」


笑う。


距離は最短。


だが、決して越えない。


越えれば終わる。


この均衡が崩れる。


彼女は理解している。


この関係は、“未確定”だから価値がある。


確定した瞬間、すべてが単純になる。


「それ、つまらないでしょ?」


誰に言うでもなく、呟く。


だから維持する。


最短距離で、最大の曖昧さ。


それが彼女の位置。



そして――


エルガードだけが、普通に歩いている。


位置も、距離も、何も意識していない。


だが。


無意識に、調整している。


レオニアの半歩前を詰めすぎない。

エルディアの後ろを置き去りにしない。

マリナの距離を踏み越えない。


すべて自然に。


「……妙だな」


小さく呟く。


違和感がある。


だが、言語化できない。


ただ――


「……まあいいか」


それ以上考えない。


それが、今の彼の選択。



四人の距離は、近い。


誰が見ても近い。


だが――


“近いだけ”だ。


触れていない。


踏み込んでいない。


言葉にしていない。



通りを抜ける。


商人たちが頭を下げる。


「エルガード様」


その声に、三人がわずかに反応する。


レオニアは眉をひそめる。


エルディアは冷静に観察する。


マリナは、面白そうに目を細める。


「……様、ね」


レオニアが吐き捨てる。


「必要な呼称よ」エルディアが即答する。


「でも距離は開くわよ?」マリナが笑う。


三人の視線が、一瞬だけ交差する。


理解している。


“あれ”は距離を作る。


外からの呼称。


内側の関係を固定する力。


「……別に」


レオニアがそっぽを向く。


「問題ない」エルディアが淡々と返す。


「どうでもいいわ」マリナが肩をすくめる。


だが――


誰も納得していない。



エルガードは振り返る。


「どうした?」


何も分かっていない顔。


三人が一瞬だけ沈黙する。


言うか。


言わないか。


その境界。


だが――


「何でもない」


三人とも、同時に言った。


完全に一致する拒絶。


エルガードは少しだけ眉をひそめるが、追及しない。


「……そうか」


それだけ。



再び歩き出す。


距離は変わらない。


レオニアは半歩前。

エルディアは半歩後ろ。

マリナは最短距離。


そして――


エルガードは、その中心。



夕日が差し込む。


長い影が伸びる。


四つの影が、地面に並ぶ。


だが――


完全には重ならない。


微妙にずれている。


そのずれが、すべてだった。



距離は近い。


だが、関係は遠い。


触れられる。


だが、触れない。


言える。


だが、言わない。



それでも。


離れない。



「……」


誰も何も言わない。


だが、歩幅は揃っている。


呼吸も、自然と合っている。


意識していないのに。



距離だけが近い。


それが――


今の答えだった。

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