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戦わずに大陸を落とした男――気づけば公爵令嬢と参謀と商人に囲まれている  作者: 慈架太子


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89:でも言わない

静寂は続いていた。

戦争は止まり、国家は機能を失い、命令は消えた。


だが――

何も終わっていない。


むしろ、“終わったことで露わになるもの”がある。


言葉にならないもの。

言葉にしてはいけないもの。


そして――

言葉にすれば、壊れるもの。



エルガード・カウフマンは歩いていた。


瓦礫の街でも、戦場でもない。

再建途中の都市。


石畳はまだ不揃いで、建物も半分しか完成していない。

だが、人はいる。


働く者。

笑う者。

ただ、何もせず空を見ている者。


――命令が消えた世界。


それでも人は動いている。


「……悪くない」


小さく呟く。


それは評価ではない。

ただの確認だ。


世界は、自分がいなくても回る。


その事実を、受け入れつつある。


だが――


完全には、割り切れていない。


「……」


足が止まる。


背後に、三つの気配。


言わなくても分かる。


レオニア。

エルディア。

マリナ。


距離は変わらない。


近すぎず、遠すぎず。


絶妙に、踏み込まない位置。



レオニアは、何も言わなかった。


言いたいことはある。


山ほどある。


だが――


「……はあ」


ため息だけが漏れる。


言えばいい。


簡単だ。


“気に入らない”でもいい。

“放っておけない”でもいい。


それでも――


言わない。


理由は単純だ。


「……ダサいだろ」


それを言った瞬間、何かが変わる。


関係が変わる。


戦場での距離感が崩れる。


それが――怖い。


だから言わない。


代わりに、ただ隣にいる。


それでいい。


今は、それでいい。



エルディアは、もっと厄介だった。


彼女は理解している。


この感情が何か。


そして、それが合理的でないことも。


「……無駄」


小さく呟く。


だが、その“無駄”を切り捨てられない。


本来なら、排除すべきノイズ。


だが今、それは――


意思決定に影響を与えている。


「……認めるのは、まだ早い」


結論を先延ばしにする。


それが彼女の選択。


言えば、確定する。


確定すれば、選択を迫られる。


それを避けるために――


言わない。


ただ、観測する。


距離を保つ。


そして――


「……見ている」


それだけでいい。


今は。



マリナは、最も冷静で、最も危うかった。


彼女はすべて分かっている。


自分の感情も。

他の二人の感情も。


そして――


エルガードが気づいていないことも。


「……ほんと、滑稽」


笑う。


だが、その笑みはわずかに歪む。


言えばいい。


一番簡単なのは、自分だ。


状況を動かすこともできる。


関係を壊すことも、作ることもできる。


だが――


「……やめとく」


それをしない。


理由は単純だ。


“つまらなくなる”。


確定した関係など、価値がない。


曖昧で、不安定で、揺れているからこそ――


面白い。


そして。


「……壊したくない」


小さく、本音が漏れる。


だから言わない。


絶対に。



三人は言わない。


理由は違う。


だが、結果は同じ。


沈黙。


距離。


均衡。


そして――


エルガードだけが、それを知らない。



「……何かあるのか?」


振り向く。


三人を見る。


一瞬、空気が揺れる。


言うか。


言わないか。


その境界。


レオニアが目を逸らす。


「別に」


短く答える。


エルディアが続く。


「問題はない」


完全に嘘ではない。


マリナが笑う。


「何も?」


挑発的な言い方。


だが、踏み込まない。


エルガードは数秒だけ考え――


「……そうか」


それ以上は聞かない。


聞かないという選択。


それは、無自覚の優しさか。

それとも、ただの無関心か。


誰にも分からない。



再び歩き出す。


四人の足音だけが響く。


言葉はない。


だが――


完全な沈黙ではない。


そこには確かにある。


共有された空気。


揺れている関係。


未確定の感情。


「……」


誰も言わない。


言えば終わる。


言わなければ続く。


だから――


言わない。



世界は崩壊した。


だが――


関係は、まだ崩れていない。


むしろ。


最も不安定で、最も壊れやすい形で――


保たれている。


それは奇跡ではない。


選択だ。


言わないという選択。


踏み込まないという選択。


壊さないという選択。


そして。


まだ、決めないという選択。



風が吹く。


誰も止まらない。


誰も振り返らない。


ただ、歩く。


同じ方向へ。


同じ距離で。


同じまま。


――でも、言わない。

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