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戦わずに大陸を落とした男――気づけば公爵令嬢と参謀と商人に囲まれている  作者: 慈架太子


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53:レオニア「それでいいのか」

夜明け前、王都は奇妙な均衡の上にあった。灯りの絶えない通りと、完全に沈黙した区画が同時に存在する。流通が生きている場所は温かく、止まった場所は冷たい。差は明確で、残酷で、そして誰の目にも見える形になっていた。エルガード・カウフマンは城壁の上に立ち、その境界線を見下ろしていた。魔力は絶え間なく循環し、体内を満たしている。火も、水も、風も、土も、光も、闇も、意志一つで動く。だがその力は、今この瞬間に最も必要なこと??「全てを救う」ことには使えない。


背後から足音が響く。躊躇のない、まっすぐな歩き方。レオニア・アルディウスだった。若き前線指揮官は隣に並び、同じ景色を見る。「……ひどい光景だな」「現実だ」エルガードは短く答える。レオニアは腕を組む。「分かってる。だから来た」一拍置く。「それでいいのか」問いは、静かだが鋭い。


エルガードは答えない。視線を動かさず、ただ街を見ている。レオニアは続ける。「今日の選別、三割が落ちた。明日はさらに増える」「ああ」「止める気はないのか」「ない」即答だった。だがその声には、僅かな歪みがあった。「……そうか」レオニアは息を吐く。「じゃあもう一回聞く。それでいいのか」


沈黙が落ちる。遠くで怒号が上がる。食料を巡る小競り合いだろう。エルガードは目を閉じる。浮かぶのは数字ではない。顔だ。並んでいた人間、押し出された人間、泣いていた子供、怒鳴っていた男。すべて同じ重さで、頭の中に残っている。「……よくはない」ようやく言葉が出る。「でも、必要だ」レオニアがすぐに返す。「その言葉、便利だな」「便利じゃない」エルガードは目を開く。「逃げ場がないだけだ」


レオニアは横目で見る。「逃げてるように見えるぞ」「どこに」「答えからだ」痛いところを突く。エルガードは苦笑する。「答えなんてない」「あるだろ。お前が決めてる」レオニアは一歩踏み込む。「切るか、切らないか。それだけだ」エルガードは首を振る。「違う。どこを切るか、だ」言葉は静かだが、重い。「全部は救えない。だから選ぶ。それだけだ」


「それが気に入らないんだろ」レオニアの声が低くなる。「ああ」エルガードは迷わず答える。「気に入らない」その一言に、感情が滲む。「でもやる」続く言葉は、決意だった。「やらないと、もっと落ちる」レオニアは黙る。否定できない。「……じゃあ、その顔でやるな」唐突に言う。「その顔?」エルガードが眉をひそめる。「苦しんでる顔だ」レオニアは吐き捨てる。「見てる方が迷う」


その時、別の足音が近づいた。規則的で、迷いのない歩み。エルディア・ヴァレンティナが現れる。侯爵家令嬢であり軍参謀、そして全体を俯瞰する者。「二人とも、ここにいたか」視線を街に向ける。「順調だ」短く言う。「順調?」レオニアが噛みつく。「人が落ちてるのにか」「計画通りだ」エルディアは一切揺れない。「流通の再構築は成功している。損失も想定内」エルガードが低く言う。「それを順調って言うのか」「言う」エルディアは即答する。「そうでなければ、全体が崩れる」


「それでいいのか」レオニアが再び問う。今度はエルディアに向けてだ。エルディアは一瞬だけ視線をレオニアに向ける。「必要だ」同じ言葉。だが、意味が違う。「私は“よいかどうか”で判断しない。“持つかどうか”で判断する」冷徹な基準。「持たせるために切る。それだけだ」レオニアは歯を食いしばる。「人間性はどうする」「優先順位を下げる」迷いのない答え。「秩序がなければ、人間性は成立しない。順番だ」


さらに軽やかな足音。マリナ・ルクレツィアが現れる。微笑みを浮かべながら、三人の間に割って入る。「いい議論ですね」手にした書類を差し出す。「市場の動きです。価格は安定。ただし、二つの大商会が裏で結託しています。供給を絞り、暴騰を狙っている」エルディアが受け取る。「潰すか」「利用します」マリナは即答する。「一部を残して依存させ、主導権を奪う。流通・経済・人材支配を一体で」レオニアが吐き捨てる。「やり方が汚い」「効果的です」マリナは笑う。「利益になります」


エルガードは地図を見る。線が引かれ、切られ、繋がれている。「……ここを切る」静かに言う。三人の視線が集まる。「その代わり、ここを繋ぐ。供給は落ちるが、全体は維持できる」エルディアが頷く。「妥当だ」マリナが補足する。「損失は最小化されます」レオニアは眉をひそめる。「そこは人が多い」「分かってる」エルガードは言う。「だから先に動かす。避難を優先する」レオニアは何も言えない。


「それでいいのか」三度目の問い。今度は逃げ場がない。エルガードはゆっくりと息を吐く。「分からない」正直に言う。「でも」一歩踏み出す。「やる」声は静かだが、揺れない。「選んだ以上、やるしかない」レオニアはじっと見る。「……そうか」小さく呟く。「なら、忘れるな」「何を」「切った顔だ」レオニアは言う。「助けた顔じゃない。切った方だ」エルガードは一瞬だけ目を伏せる。「……忘れない」「人は忘れる」レオニアは首を振る。「だから繰り返す」「じゃあどうする」「忘れられないようにしろ」


沈黙。風が吹き抜ける。遠くで鐘が鳴る。新しい一日の始まりを告げる音。「時間だ」エルディアが言う。「決断は終わり。実行に移る」マリナが微笑む。「市場も動きますよ」レオニアは一歩下がる。「……やれ」短く言う。「その代わり、最後まで見ろ」エルガードは頷く。「ああ」


四人の視線が、一瞬だけ交わる。立場は違う。価値観も違う。だが、やることは同じだ。動かすこと。止めないこと。選び続けること。エルガードは城壁を離れる。足取りは重い。だが、止まらない。背後でレオニアの声が追う。「それでいいのか」エルガードは振り返らない。「……分からない」歩きながら答える。「でも、進む」その一言だけを残して、彼は闇と光の境界へと降りていった。

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