第六話
「な、ないぞ」
焼き印がないと分かった後も、彼等は苛立ったように怒鳴った。
「金髪か。おまえは外国人だな。旅券を見せろ」
セシルの旅券はアンヌに手渡している。
(ど、どうしたらいいの?)
ここで捕まれば、きっと強引に連れ出されて収監されてしまう。
(自分は隣国の貴族だと名乗れば助かるのかもしれない)
ドクドクッ。息が詰まる。迫りくる不安によってセシルの呼吸は乱れている。
(それで、アンヌが強制送還されたりしたらアランに恨まれて、あたし、革命で死ぬわ。いや、この場合、アランもリユンに収監されるのよね。この先、どうなるのよ。どっちにしても、みんなが不幸になってしまう。やだーーーーーーっ!)
冷や汗を流していると、アランが淡々と告げた。
「オレ達はリユン人なんで旅券なんて持ち歩きませんよ。まっ、確かに、妹はアルビオン人のような髪色ですが、祖母がアルビオン人だったせいですね」
リユンには金髪の人が少なくて栗毛が多い。
だから、彼等は金髪のセシルを見て外国人と判断したようだ。なぜか、アランは唐突に歌い出した。
それは、昔から、リユンに伝わる民謡である。すると、それを聞いた役人達はすぐさま頷いた。
「ほほう。おまえらは北部出身なんだな、その民謡は懐かしいぜ。地方によって民謡の歌詞が微妙に違うんだな」
セシルは黙ったまま成り行きを見守るしかない。
『ウエーン峠の仔牛、泥棒に食べられた。ウエーン峠の仔馬、盗賊に盗まれた』
先刻、アランはそう歌った。
髭面の役人は眼を細めている。
「オレは都会っ子だから、そんな歌詞じゃねぇぜ。ウエーン峠の子豚、市場で売られた。ウエーン峠の仔馬、司祭に献上されたって内容だったな」
セシルはハラハラしながら見守る。
(うーむ。田舎と都会で歌詞が違うのね)
セシルが心の中で感心していると、役人達は納得したのか表情を軟化させている。
「旅行中、女が男装するっていうのは賢いぜ。道中、悪い奴に誘拐されると困るからな」
ユリンでは男装は罪にならない。それに関しては何となく意外だと思ったけれど、聖女ジャニスが男装をして旅を続け、遥か彼方の滝の聖水を汲み、病に悩む王を救ったという記述が聖書にあるので、それはオーケーという事らしい。
アランが言った。
「ところで、こんな夜中に何があったのですか?」
「それがだなぁ、酒場から卑しい小娘が逃げたのさ。市場に買い物をしに出かけたきり、戻ってこないと連絡を受けたので探している。どうも、この街道筋を馬で走っていたようなのだ」
アランは愛想笑いを崩さなかった。
「そうですか。何とも罰当たりな娘ですね。早く捕らえて処刑して下さい」
「うむ。そうだな」
役人達は部屋から出ていったのだが、セシルは脱力したように座り込む。
「怖い目に遭わせてすまなかった」
そう言うと、アランがセシルの頭を撫でたものだからドキッとなった。
『早く捕らえて処刑して下さい』
先刻、その言葉を呟いた時、アランの目の奥が軋んでいた。心にもない事を呟く時、ストレスがかかる。
アランは感情を必死にコントロールしているように見えた。
前世では、冷酷な男としての印象が強かったけれど、こうやって、相手の事情が分かると胸が痛む。
もしかしたら、前世でもアンヌを逃がそうと画策していたのかもしれない。
それなのに、セシルの兄かアンヌを捕らえて引き渡したのかもしれない。
今となっては前世の事は確認できないけれど、類似の出来事があったからこそ、セシルの家は標的にされたのかもしれない。
「アンヌは、ちゃんとアルビオンに辿り着いたのかしら」
「辿り着いたと思うぜ。今度は、オレがあんたを無事に届ける番だよな。本当に泳げるのか? というか、普段、お嬢様はどこで泳ぎを覚えたんだ?」
「蓮根の収穫の時に、池に入るわ。あたしが、みんなに泳ぎをレクチャーしたのよ」
「蓮根って何だ?」
「今度、食べさせてあげるね。蓮根と豚肉を挟んだものをフライにすると美味しいのよ。あとは、蓮根を粉にしたものをお餅にするのもいいわね」
「餅が何なのかよく分からないが、食べるのが楽しみだ」
そう言ってフッと微笑む横顔は色っぽい。
これがハリウッド映画なら、互いに見つめ合ってキスでもしているところだ。しかし、アランにとって、セシルは小娘。アランは、一応、異性であるセシルと同じ空間にいてもリラックスしている。
(あたしはケツの青いガキってことなのね)
しかし、セシルにとっては前世の宿敵。
まだまだ油断はできない。
翌日、宿のチェックアウトギリギリまで滞在して、ゆったりと過ごすと、アルビオンに戻る為に街に戻った。
今後、川を超えるのだが、それを行う時刻は御前三時頃がベストだという。ちょうど、その頃、夜勤の警備の者が睡魔に負けて寝ていたからだ。
セシルとアランは市場の片隅にある屋台で食事を取った。アンヌの捜索の進捗状況を探るとアランが言っている。
アランだけが例の酒場に立ち寄り、セシルは、その間、目立たぬように市場の喧噪に紛れる事にした。
すると、市場の買い物客達の噂話が聞こえてきた。
「ジャガイモの種芋をアルビオンから持ってくる奴がいるようだぞ。だから、今後、こっちに入ってくる旅人の荷物を徹底的に探る事にしたそうだ」
「ジャガイモは美味いらしいな。まだオレは食った事はないけど、アルビオンの街では普通に食えるらしいぜ」
「いいよなぁ。アルビオンは自由で……」
「シッ。そんなことを誰かに聞かれたら粛清されるぞ。神の耳が市場をうろついてるんだからな」
神の耳というのは、治安維持の為に市民を監視している組織の事をさしているようである。
(聖職者は国民をマインドコントロールしているって事なのね)
もしも、この国で貧民が芋を求めて革命が起きたなら、『ジャガイモ革命』と呼ばれるかもしれない。
そんな事を考えているとアランが戻ってきた。
「アンヌはおそらく無事に到着している。あいつらは、まだアンヌが見つからないと言って苛立っている」
「ふふっ。やったわね。それじゃ、川べりへと移動しましょうか」
市場から北側の川べりまで徒歩で一時間はかかる。
さぁ、レッツゴーという気分だったのだが、細い路地でコソコソと話していたセシル達の前に思いがけない人物が現れた。昨日、セシルが喘息の薬を渡した貧しい婦人である。
てっきり、お礼を言われるのかと思っていたのだが、意外な事を言われてしまった。
「あなた、子爵令嬢のセシル様ですよね。アンヌの服を着て市場を歩いているのを見ましたわ。あなたがアンヌの逃亡を手伝ったのですね」
「えっ?」
まさか、この人に顔を見られていたなんて。
「この事をフーシェ様に密告されたくなかったら、私の言う事を聞いて下さい」
「金か?」
アランは険しい顔をしている。
「いいえ。お金など持っていてもフーシェ様に搾り取られるだけですわ。わたしの願いは、うちの娘もアンヌのように隣国に逃がしてもらう事ですわ。アンヌはセシルお嬢様のフリをして国境を渡ったのでしょう? そのせいで、酒場のユーゴは新しい娘を欲しています。きっと、うちの娘が狙われます。あなた達のせいですよ」
「あなたの娘にも烙印が押されているの?」
「いいえ。だけど、それも時間の問題ですわ」
「えっ?」
不思議そうにしているセシにも分かるようにアランが補足してくれた。
「魔女や異端者だと誰かが密告すれば、そうでなくともそうなるって事だよ。あなたの娘さんは美人なのか?」
「ええ、とても綺麗ですよ。私はロメーヌ。上の娘はシャルロット。あの娘は喘息の発作を起こすのでユーゴも娼婦として役に立たないとみなしていたようですが、アンヌがああいう形でいなくなったからにはシャルロットも標的にするかもしれません」
アランは乾いた声で言う。
「生憎だが、オレ達はアンヌの逃亡とは無関係だ」
「そんなふうにおっしゃるなら役人に密告しますよ。あなた達は投獄されてもいいのですか。あなた、うちの夫の遠い親戚のアランでしょう。あなたの父親とソックリだからすぐに分かったわ」
凄まじい形相だ。
昨日、会った時は弱々しい婦人のように見えたというのに、今は、娘のために我々を脅迫している。
アランは相手を見据えたまま言う。
「セシルお嬢様はオレに誘拐されている。お嬢様の従者達もお嬢様を殺されたくなくて仕方なくアンヌの逃亡計画に協力した。これが真相なんだ。つまり、セシルお嬢様は何も悪くない。悪いのは、オレだ。あんたの娘もオレの仲間だと言ってやろうかな」
「なっ……」
母親のロメーヌは絶句している。
脅しには脅しを……。
刃物のように鋭いアランの視線にロメーヌはたじろいでいる。
そんなに追い詰めなくてもいいのに……。でも、これがアランという男なのだな。
セシルはロメーヌに言った。
「シャルロットは、まだ烙印を押されていないのよね。つまり、一般市民なんでしょう?」
「はい。そうでございます」
「それなら、季節労働者として外国に自由に出られるはずよ。うちの領内にもリユン人が収穫を手伝いに来ることがあるわよ」
「しかし、それには就労ビザが必要なのでございます。虚弱なシャルロットが農業をすると言っても当局からは許可が出ません」
「うーん。それは困ったわね」
しかし、何とかしたい。シャルロットが外に働きに出ても不自然に思われなければいいということか。
すると、アランがドライな表情でボソッと言った。
「アルビオンの貴族の愛人という形なら容易に出国できるぞ」
書類には愛人とは書かないけれど、特別な秘書と書かれていたら、リユンの当局も便宜をはかってくれる。
「それなら、あたしの兄様の愛人、いや、秘書ということにします。あたしがスカウトした事にすればいいわ」
ニコニコしているセシに対してロメーヌは不安そうにしている。
「心配しないで。本当に愛人になる訳じゃないわ。あなたの娘には経理の仕事でもしてもらうわ。あなたの娘は頭はいいのかしら」
「はい。それに関しては問題ありません。喘息の発作さえなければメイドの仕事も出来ます」
セシルはその場で雇用契約書を書いて手渡した。
「はい。これを役所に届けて旅券を取ってね。ずっと滞在していても誰も不思議に思わないわね。だけど、あなたは娘に会えなくなるわよ」
「構いません。天国の主人も賛成してくれると思いますわ。お嬢様、本当にありがとうございます。わたしのように不躾で恩知らずな者に対して、こんなによくして下さるなんて本当に天使のような方だわ」
セシルは善行をした事でいい気分になっていたのだが、アランはどこか浮かない顔をしている。
「アラン、どうしたの?」
「シャルロットを信用してもいいのだろうか?」
「どういうことよ」
「リユンという国の恐ろしさを、お嬢様は分かっていないようだな。弱者のフリをして、スパイ活動をしているのかもしれないぞ」
「やだ。まさか……」
そんなの考え過ぎだよと思っていたのだが、この時、建物の部屋から美しいシャルロットがアランとセシルを凝視していたのである。
これが後に、セシルの村を震撼させるほどの波乱を呼び込むとは……。
アランもセシルも予想していなかった。
☆
「早く家に帰りたいものだわ」
「もうすぐ河川敷だ」
大橋の国境の検問所は通れない。密航する為に目立たないように徒歩で進んだ。
日没になり、夜更けになってから河に隣接した村へと侵入していく。
あらかじめ、アランは川べりを警備する男達がこの区域を訪れる時間帯を調べている。
リユンの村の明かりも遠い。今から一時間ぐらいは誰も来ない。
「今夜は月が明るいから、夜中でも川の向こうが見える。オレが先に行くから、お嬢様もついて来い。先に確認するが、本当に泳げるんだな?」
コクンと頷いた。
「衣服は出来るだけ少なくしろ」
アランはほぼ全裸。
セシルも下着姿だ。
こうやって改めてみると、川というよりも河だなと感じる。幅が広い。しかし、その分、その流れは緩やかなので助かる。
アランが河に踏み込もうとした時、背後から見回りの国境警備員の男が来た。
「おい、おまえら何をしている」
警備員は一人だけ。肩からぶら下げた長銃を構えており、こちらを威嚇している。
(ひぇーーーーー。勘弁してよ)
セシルの心臓は爆発しそうになっていた。




