第五話
アランが妹を救いたい気持ちは理解できる。よし、それならば決めた。助けよう。
ほぼ、毎日、アンヌは午後の二時になると市場へと向かうという。市場の喧噪を抜け出して、アンヌはセシル達がいる空き家に一人でやってきた。
早速、セシルが言った。
「あなた、あたしのフリをするのよ。いいわね」
棺桶に入る予定が変更されてアンヌは戸惑っているのか、不安そうに兄の顔を見つめている。
トーマスがコソコソと囁いた。
「お嬢様、本気ですか?」
「あたしなら心配いらない。泳ぎは得意よ」
「アンヌがいなくなったとなれば、川沿いに犬を放って捜索するかもしれませんよ。そうなるとやっかいですよ」
トーマスの心配するのも当然である。セシルは言った。
「アンヌは西側のアルビオンではなく東北側の沼地へと逃げたと思わせるといいのよ。トーマス、あとは任さたわよ」
その為に、セシルとアンヌは空き家で衣服を交換したのである。
☆
急に、知らない娘を連れてきたトーマスを見て、サリーとエドは仰天した。
セシルの侍女であるサリーはトーマスを睨んでいる。
「そのアランという男はお嬢様を誘拐する目的でそんな妙な作り話をしたかもしれないじゃないのよ。あんた、馬鹿なの」
サリーの言う事も尤もだとトーマスも思ったが、アランはトーマスに手持ちの金貨を渡している。
令和の日本円で言うと五百万くらいの価値だ。大金だ。それに、トーマスはアランの妹の哀し気な日常をこの目で見ている。
『アンヌを無事にアルビオンに届けてくれたなら、あとで、もっと払う。オレはどんな恩返しでもする』
その顔は真剣そのものでアランが嘘をついているとは思えない。
トーマスもアンヌという娘の境遇には同情していたし、何より、セシルが強く主張したのだ。
『あたし、可愛そうな女の子を見捨てられないわ』
セシルは本気だ。
長年の付き合いでセシルがどういう女の子なのかトーマスも分かっている。
「仕方ねえだろ。お嬢様を信じるしかねぇんだよ」
トーマスはアンヌを連れて移動しながら、セシルの無事を祈るしかない。
☆
(アンヌと髪の色が違うから、帽子で隠したわ。扮装はこれでバッチリだわ)
トーマスが街を出る頃、セシルはアランと共に市場付近の小道をわざと歩いた。
そして、馬を借りると、それぞれが馬に跨りユリンの東へと向かった。
トーマス達が検問を受けている頃、セシル達は東門の外に出ていた。
ユリンの北東の果てにあるのは沼地が多いマチョレク公国である。
この公国では亡命者を暖かく迎え入れているのでマチョレ公国経路で亡命する人もいるのだが、ただし、熟練のガイドがいないと沼にはまって死んでしまう。
「アンヌは途中で死んだと思わせましょう」
「オレがお嬢さんを脅しておきながら、こんな事を言うのはあれだが、どうして、そこまで協力してくれるんだ?」
当初のアランの予定ではトーマスを地下室に閉じ込めてトーマスを人質にしてアンヌ輸送作戦にセシルを巻き込む予定だったらしい。
しかし、実際には子爵令嬢自らが囮となってアンヌの逃亡を手伝おうとしているものだから、さすがに面食らっている。
(アラン、将来、あなたに殺されない為に布石を打っているのよ)
心の中でそう呟くけれど、転生したとか、そういう事は言えない。
だから、セシルは涼しい顔で言い放った。
「うちは貧乏貴族だからね。あなたがくれる報酬に目が眩んだのよ」
これは説得力があったようだ。
何しろ、セシルが大きな声を張り上げて市場で物売りをしている様子をアランも見ている。アンヌの服を身に着けたまま街道をひた走っていくうちに日が暮れてきた。
ちょうど、夕刻になったので近くにあった食堂に入った。
セシルは右肘のところにXの異端の焼き印を入れている。
いや、正確には焼き印の痕に見えるようにメイク道具で描いているのである。
昔、農業高校でハロウィンの仮装をした時に施した特殊メイクのテクニックを生かしたのである。
色粉や蝋などを駆使して焼き印らしく見せている。セシルは、始終、ビクビクしたように俯いていた。一方、アランの頬には大きな傷跡を描いておいた。
(あたし達、いかにも怪しい二人組だわ)
コソコソと一目を避けるようにして夕飯を食べた後、二人はすぐに出発した。
移動しながら、アランがまたしても聞いてきた。
「噂で聞いたんだが、アルビオンで最初にジャガイモを植えたのは、おたくの領主のようだな。今ではアルビオンの各地でジャガイモが栽培されている。それどころか、リユンでもジャガイモの噂が届いている。といっても、山奥の田舎じゃないと作った事がバレてしまうけどな」
「この国ではジャガイモを食べるのは御法度だけど、うちの王様はその点は寛大だわ」
というか、庶民が何を食べようと関心なんてない。
(自分達が、今まで通りに暮らせたらいいという考えなのよ)
天候のせいで小麦が不作の年もある。それでも、別の作物があれば補える。
『パンがないならお菓子を食べればいいのに』
その言葉、マリーアントワネットは言ってないようだが、これには一理ある。
パンがないなら、芋を食べればいい。
食料自給率が上がれば我が国では革命は起きないかもしれない。
それを狙ってコツコツとやってきた事が成果として出ているような気がする。
(アルビオンでは誰も食べた事もなかった蓮根も収穫したわ)
カエルも食べるように推奨してきた。
(フランス人はカエルを食べてたんだもの。この世界でも美味しく食べられるわよ)
最初は嫌がっていた村人も今ではカエルのフライが大好きだ。イナゴも食べる。
(食料の多様性が人類を救うのよ)
セシル達はひたすら辺鄙な方向へと進む。アンヌが逃亡していると見せかける。やがて、完全に日が暮れると街道の脇の林に入った。
「アラン、ここらで着替えましょうか」
小川を見つけると、セシルは肘に描いた焼き印を洗い落した。
アランも頬に描いた傷のメイクを洗い落していく。セシルはアンヌの服を脱ぐと、持参していた男物のスボンに着替えた。
アランも新しい服に着替えると、古い服は森の中で燃やして消去していく。
その後、セシルは困ったような顔でアランに言った。
「えっと、あの、おトイレはないわよね」
こんな時なのに大便をしたくなってしまい、おおいに焦った。
(は、恥ずかしい。せめて、おしっこなら良かったのに)
ファンタジーのヒロインとして有り得ない展開だ。
「あの、見ないでくださいよ」
情けない事に森の中でしゃがみ込んだ。しかし、アランは、セシルの羞恥心などお構いなしで茂み越しに葉っぱを手渡した。
「これで拭くといい」
いくら、セシルが子供でも、そんなポーカーフェイスで言わないでほしい。
恥ずかしくて死にそうだというのに、アランはニヤッと笑っている。
「森の猪は何でも食っちまう。おまえの排泄物もきっと食ってるさ」
「その話はやめてよーーー」
いつしか、夜の九時になっていた。
遠くに見える村の明かりを頼りに馬で進む。
合計八時間も鞍に跨っているのでお尻が痛い。そろそろ限界だ。
「今夜は、もう司祭領の城門は閉じられていて入れない。その手前の村の宿で泊まろう。馬も飼い葉を与えないとバテてしまうぞ」
明日の朝、門が開いたら駅宿で馬を乗り換えよう。
来た道を戻り、アルビオンに帰る予定なのだ。
夜の九時半。
宿屋の主人は寝ていたようだが、無理に叩き起こして泊まらせてもらった。
「部屋は一つしかありませんよ」
主人が言うと、アランは頷いた。
「構わない。屋根があるところで眠れたら充分だ。そうだ、御主人、残り物でいいのでパンはないか?」
「そんなのないですよ。明日の朝まで食事は提供できませんな」
その言葉にアランはいささかショックを受けているようだった。
セシルは部屋に入るとズボンから干し芋を取り出した。
「良かったら、これ食べる?」
「何だ。これは……。腐って干からびた草のように見えるが」
「それは、サツマイモという珍しい異国の芋を乾燥させたお菓子なの。おやつみたいなものよ。サツマイモは知らない?」
「焼き芋というものを行商人が冬に売り歩いているのを見たことがあるが、まだ食べた事はないな」
「それなら、まずは干し芋を召し上がれ」
「えっ?」
アランは嫌そうな顔を見せたけれど、無理に食べさせると、だんだんと頬を緩ませた。
「仄かに甘いな」
「何度も咀嚼するのよ。そしたら、口の中で美味しさがじんわり広がるわ」
その後、セシルは、ここの国について質問した。
「この国って、他の国々と比べて排他的よね。それに、教会が無駄に豪華だわ。やっぱり、先王の時代からおかしくなったの?」
「先王の息子、つまり、今の王が幼児の頃、一時的に目が見えなくなったことがあったんだ。それを髪の祈りで治せますと言って、ある司教が治した。そこから、すっかり、先王は神の虜になっちまった」
司教の領地はリユンの各所にあるという。聖職者達は割り当てられた司祭館に派遣されていく。その司祭を導くのが司教。
トップは大司教様となっている。
「高位の聖職者は貴族の子弟と王の庶子で占められている」
出世をすれば、もっと大きくて王都に近い領地の主、つまり大司教様になれる。
金銭を王に献金すればするほど聖職者の地位が上がっていくからこそ、フーシェはここで強引な献金を強要しているようである。
前世では、そういった事を知らなかったけれど、知れば知るほど、お布施という名の鎖に縛られたこの国の人達が気の毒に思えてくる。
ちなみに、王には三人の王子と十人ほどの庶子がいる。
当然、その十人の庶子はみんな司教だ。
ちなみに、フーシェの母親は塩問屋の末娘である。王の愛人になることはとても名誉なことなので、未婚で子を産む事も厭わないらしい。
一般人が誰かの愛人になるのは堕落とみなされるが、相手が王だとオーケー。
ああ、ほんと、聞けば聞くほど嫌になる。
ユリンの王は五十歳。
フーシェは三十五歳。
あちこち王の子供だらけになって相続争いに発展しないのかしらと思うのだが、何と、聖職者は去勢するそうなのだ。昔の中国の宦官みたいな存在になるという。
なるほど。そうなってくると、王家を継げるのは王子だけ。
「国境沿いの領地は入国者から通行料を請求できるから、フーシェは儲かってるよ」
そう言われてみれば、入国するのに日本円に換算して千円、往復だと二千円を支払わなければないと言われた。
「ここリユンには海がない。だから、塩は高値で取引される。でも、アルビオンから安く仕入れて高く売れば儲かる。アルビオンから塩を密輸してフーシェに寄付すれば旅人も色々と優遇されるって事が分かった。アルビオンとして金を払えば妹を買い取れるんじゃないかと思ったんだが、焼き印を押された者達を他国に出すのは国の恥だと王がお触れを出したせいで、それも難しくなった、先王の時は金で売買することも出来たんだよ……」
なるほど。この人も妹を救う為に足掻いてきたのね。
いつのまにか、時刻は十時を過ぎている。
「今夜は疲れただろう。明日に備えて休んでくれ」
アランはドアにもたれるようにして眠り始めている。
「えっ、そんなところで眠れるの?」
セシル一人でベッドに寝るのは申し訳ないような気もするが、十三歳のガキとはいえども子爵令嬢である。
付添いなしで異性と同じ部屋にいること事態が異例なのだ。
「セシルお嬢様……。こんな事に巻き込んで申し訳ないと思っている。何もかも済んだら、あなたに命を捧げると誓うよ」
「その言葉、忘れないでね」
恐怖の断頭台回避。
それが目的でアランに恩を売っている。
「もしも、私の国で革命が起きて貴族が皆殺しになるような事になったとしても、私と私の兄を殺さないと誓って……」
「はぁ?」
アランは怪訝な顔をした。
「オレはアルビオンの貴族に恨みはない。確かに、我儘な貴族はいるが、それでも、ここの聖職者に比べりゃマシだ。もしも、殺すとしたら、ここの王族や貴族だよ」
いずれ、アランは革命隊に入る。この運命を回避できるのだろうか。
(だけ、本当に革命が必要なのはこの国だわ)
リユンこそ変革が必要だ。
とにかく、もうクタクタ。
うつらうつらとしていたのだが、真夜中に異変が起きた。廊下で何か騒いでいる。
「お、お役人様……。そこにいるのは男だけですよ」
駅宿の主人の声。
複数の役人が逃亡したと思われるアンヌを捜索しに踏み込んできた。ドアを蹴破るようにして役人三人が踏み込んできた。
「貴様ーーー。女だな。腕を見せろ」
そう言うと、セシルのシャツの袖を強引にめくりあげた。




