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第七話

 やばい事になったと思い、セシルとアランは互いに見詰め合う。絶体絶命の空気を感じていると、なぜか、警備員の背後から誰かが忍び寄ってきた。


 ボロボロの服。痩せた手足。警備員の男は少年の殺気に気付いていない。


(えっ。この子は誰?)


 いきなり現れた少年が警備員の男の頭を棒でぶん殴ったのだ。やったのは十三歳ぐらいの少年だった。


 少年の足には鉄の足枷がつけられている。


 少年は気絶している警備員の男を憎々し気に蹴っ飛ばしてから、こちらに来た。


「なぁ、あんたら、アルビオンに亡命するんだろう? オレも連れて行ってくれよ」


 アランは少年に対して断った。


「無理だ」


「それなら大声を出してやる」


 少年はセシル達を密告すると脅してきたが、こんなところで時間を無駄にしたくない。


「分かったよ。オレがおまえを背負って泳いで渡ってやる」


 その言葉を聞いた少年の顔に安堵の色が広がる。けれども、少年を安心させた後、アランは、その痩せた腹部を殴って気絶させた。


 少年はアランに騙されたのだ。


 こんなの酷いとセシルが言うと、アランは無情に言い切った。


「出来ない事は安請け合いできない」


 やはり、この男は冷酷なのだ。


「そんなにこいつを助けたいなら、まずは、おまえがアルビオンまで泳げ。その後で船でも何でも出して迎えに行けばいいだろう。おまえが帰って来なかったら、オレの妹はおまえの下僕に殺されるかもしれないんだぞ」


「……」


 さすがに殺したりしないと思うのだが、彼女に辛く当たる可能性はあるだろう。


 確かに、一度は屋敷に戻るべきなのかもしれない。


(まずは、あたしが元気だという事をトーマス達に知らせるのが先決なんだわ)


 前世では、小学生の頃から、スイミングスクールに通っていたこともあり、泳ぐのは好きだ。


(だけど、プールと川って、やっぱり違うのよね)


 セシルは必死で泳いで向こう岸に辿り着こうとする。七十メートルぐらいはありそうだ。


 ぜぇぜぇ。はぁはぁ。やっと向こう岸に到着した。しかし、呑気に休んでいられない。


(さぁ、急ぐのよ)


 びしょ濡れのまま屋敷に戻るとトーマス達を叩き起こす。


「お嬢様、御無事だったのですね」


「アランは約束を守ってくれたわ。アランの妹は元気なの?」


「ええ、とても物静かな女の子です。兄が無事かどうか心配している様子でしたが、今は、客間で寝ておられます」


「そうなのね。あのね、あなた達の助けが必要なの」


 手短に説明すると、気のいいトーマスが頷いた。


「とにかく、その少年とやらを助けてあげましょうか。オレにちよっとした考えがあります」


 そう言うと、トーマスは荷馬車に小型の樽と縄を積んだ。


 セシルが上陸した川岸。つまり、アルビオン側の土手へと戻ると、そこには、びしょ濡れのアランがいた。ちょうど、泳ぎ終えてへばっているところだった。


「アラン、あなた一人でこっちに来たの? あの少年は置き去りにしたのね」


「当たり前だろう。オレだけでも泳ぐのはきついんだぞ」


「お願い。あの少年を救って。トーマスがいい物を用意してくれたのよ。あの子には、この樽にしがみついてもらうのよ」


「その樽を向こう岸まで誰が運ぶんだ? オレにもう一度、あっちに行けって言うつもりかよ」


「あなたが嫌だと言うのなら、あたしが行くわよ」


「駄目だ。危険過ぎる」


「だけど、誰かがやらなきゃ駄目なのよ」


 少年を救おうとしてアランを説得していく。


「彼の悲痛な顔を見たでしょう」


 その剣幕にアランは驚きながらもセシルの澄んだ瞳に引き込まれていく。


「もう時間がないわ。警備兵が目覚めたなら、あの子はどうなるの?」


「撃ち殺される」


「そんなの嫌よ」


 きっと、あの子も人間らしく生きたい。ただ、それだけなのだ。


「あたしが、あの子のところに戻るわよ。フンッ」


「やめろ。分かった。オレが行く」


 アランは川に飛び込む前に小さく舌打ちしていた。


「クソッ。今夜はハードだな」


 ゆっくりと平泳ぎでアランはリユン側へと戻っていったのだが、進むペースがゆっくりだった。縄を腕に巻き付けて泳ぐので、その分、水の抵抗があるが、それでも、何とか泳ごうと頑張っている。


 水に浮くビールの樽には長い縄をくくりつけておいた。


 セシルのいる岸から縄を引っ張り、アラン達を回収するので、復路は泳がなくていいのだが、あそこまでなかなか辿り着けそうにない。それに、縄を引っ張って、二人をこっちに寄せるにはトーマスだけじゃ力が足りない。


 セシルはアランが泳いでいる間に、川のすぐ側に住んでいる大工のハドソンを叩き起こした。


「ハドソン、お願い。あなたの力が必要なの」


 すると、ハドソンは寝ぼけた顔のまま頷いた。


「おいらの嫁も連れて行きますよ、あいつ、女だけど怪力なんです。あと、うちの犬も連れて行きます」


「ありがとう、助かるわ」


 セシルは助っ人と共に灰色の川面を見渡すようにして目を細めていく。


 雑草の間を這い上がる人影が見える。どうやら、アランは向こう岸についたらしい。


 体力的に辛いのか、しばらく、アランは仰向けで横たわっていた。


(ごめんなさい。あまり、泳ぐのは得意じゃないみたいね……)


 しぱらくして立ち上がった後、アランが気絶している少年を叩き起こしていく。さぁ、行くぞと言っているようである。


 川に入った後、二人は樽にしがみついた。さぁ、引っ張ってくれとばかりにアランが口笛を吹く。ピーッ。


 それを合図に、トーマス達が力を合わせて綱を引っ張っていく。


 ハドソンの妻は気のいい女だ。よっこいしょ。どっこいしょ。


「セシルお嬢様の為なら何でもしますよ」


 そう言いながら、懸命に綱を引っ張り続けている。


         ☆


 亡命者の少年の名はクロード・マルソー。十四歳。


 クロードは樽にしがみつき、必死の思いで河を渡る間、これまでの事を回想していた。


『父ちゃんと母ちゃんは仲が良かった……』


 クロードの父親は、クロードが五歳の時に教区の司祭が乗った馬車に荷車をぶつけた罪で服役された。そして、教区にある銅の採掘所で働かされた。その結果、一年後に落盤事故で死んでしまう。


 後から知ったことだが、司祭は、手押し車を押している行商人に因縁をつけて、労働力となる囚人を確保していたようなのだ。


 それが、あいつらのいつものやり口だ。


 夫からの収入が途絶えてしまい、クロードの母は苦労した。内職の仕事をしても、たいした金にはならない。


 徹夜で働く日々を続ける母に対して、教会は、しつこく寄付を迫ってきた。金額が少ないと信仰心が足りないと言われてしまう。それが怖くて母は無理をして働いたのだが、その結果、過労で死んでしまう。


 あれは、クロードが八歳の時だった。


 親を亡くして路上生活をしていたせいで異端者として焼印を押された。


 それからは、父と同じように銅山での厳しい労働を課せらた。いつ、崩落するか分からない恐怖と空腹に耐え続けた。惨めで苦しい毎日。


(ずっと人生に絶望してきた……。オレはもう死にたかった)


 だから、川で入水自殺をしようと思ったのだが……。


 たまたまアラン達がそこにいた。


 あっちの国は自由だ。


 あっちに行けば何かが変わるのではないか。そんな期待も抱いていた。だから、泳いで渡ろうとしている奴等に話しかけたのだ。


『オレも連れて行ってくれ』


 断られたら、それはそれで仕方ないと思っていた。けれども、自分はこの人達のおかげで、憧れの世界に辿り着いたようだ。意識が朦朧としながらも、土の匂いを感じ取っていた。


        ☆



「ねえ、あなた大丈夫?」 


 ゆっさゆっさとクロードの肩を揺らしている金髪の女の子は自分と同年代のようである。


 クロードは、セシルの青く澄んだ瞳に魅了されていた。


(すっげぇ可愛い娘だな)


 緊張の糸が切れたせいで、クロードは気を失っていたのである。


「どうしたの? せっかく岸に辿り着いたのに……。具合が悪そうだわ」 


 クロードの顔を覗き込みながらセシルは動揺していた。


 しかし、アランは淡々と言い捨てた。


「心配ない。生きてるよ。こいつ、哀れなほどにガリがリだな。なんか食わせてやったら元気になるさ」


 ハックションとアランは盛大にくしゃみをしている。


 川の向こうが心配なのか、振り返りながら大工のハドソンがソワソワしている。


「オレ達、密航に手を貸したって事になりますぜ。隣国に知れると大変ですぜ」


「そうだよ。ここは、早く立ち去った方がいいわよ。あなた達、今夜は、ありがとう。この事は、みんなには内緒にしてね」


 そう告げるセシルも寒気を感じ始めていた。


 濡れた服を着たままだとよろしくない。セシルは、急に猛烈な寒気に襲われている。


「さ、寒いわ」


「こりゃ大変だ。早く着替えて身体を温めた方がいい。暖炉の前に行きましょう。さぁ、荷馬車に乗ってください」


 トーマスの一声でセシル達は屋敷に直行していく。


 まだ十月に入ったばかりだが、夜は冷える。


 暖炉の前にバスタブを置くと、セシルは身体を芯からじんわりと温めた。


(それにしても、我ながら、よく働いたわ)


 この後、クロードをどうするのか。そんな事は何も考えていない。


 すると、翌朝、クロードは言った。


「あんたの下僕になる。雇ってくれ」


「下僕?」


 屋敷の使用人を増やす必要はないけれど、加工食品の製造に関するスタッフが欲しいと思っていたので、ちょうどいいかもしれない。


「あなた、調理に興味ある?」


「興味はないけど、死ぬ気で覚えるよ。きっと、あんたの期待に応えてみせる」


 真剣な目だ。クロードは他に行くあてもないのだろう。


「うん。そっか。それなら、うちの厨房でジャガイモの皮をむくところから始めてね」


 野菜の下処理。瓶の殺菌。野菜やハーブの収穫。砂糖の精製。


 シイタケ栽培。パン焼き、ケーキ作り、その他、諸々。


 やることは多岐に渡っているのだが、時間をかけて順番に覚えてもらえばいい。


「よろしくお願いしまーす」


 その数日後。すっかり元気になったクロードが厨房スタッフに挨拶をした。


 屋敷の料理長のマーガレットがクロードの痩せた胸板を見て笑った。


「あんた、ガリガリだね。しかも、顔が可愛いから女の子みたいだ。ごはんを食べな」


 差し出したのは焼きたてのパンである。


「このパン、めちゃくちゃ柔らかい。これが、金持ち専用の白パンなのか?」


 庶民は、日持ちする硬くて酸っぱいライ麦や大麦のパンしか食べた事がない。いわゆる黒パンは硬くて酸っぱい。だが、おかげで日持ちする。


 アルプスの少女ハイジが言うところの白パンとは、普段、日本人が食べているのと同じものだ。


 上等な小麦のパンを食べられる人間なんて、リユンでは豪商と貴族と宗教関係者ぐらいなものである。


 料理長はガハハと豪快に笑った。


「聞いて驚きなさんな。これは米粉で作ったパンだよ」


「米?」


 初めて聞く言葉にクロードは目を見開いた。


 料理長は、どこか得意げに話している。


「うちのお嬢様は博識なんだよ。あの方のおかげで、こんなに美味いもんが、あたしらも食べられるんだ。あんた、この村に来て幸せだね」


 頷くクロードは少し涙ぐんでいた。こんなもっちりと柔らかなパンを朝から食べられるなんて夢みたいだ。


         ☆


 ちょうどその頃、フーシェの館では美人のシャルロットがフーシェと密談をしていた。


 リユンの宗教界においてトップに君臨しているのは王だ。


 王は神王と呼ばれており、他の国で言うところの教皇の地位に就いている。その下に枢機卿や司教がいる。


 フーシェは司教として地域の信者や教会を管理している。


 市民達からお布施という名の上限のない税を集め、それを神王に進呈することが司教の役目である。


 金を効率良く集めた者が、他の者より早く出世できる。


 ちなみに、フーシェは貴族のように領地を持っており、小作人から地代を集めている。


 そんなフーシェの司教館は貴族のカントリーハウスのようにたくさんの使用人がいる。


 リユンの市民の質素な暮らしとは対照的に、フーシェは絹のローブを身にまとい、海外から輸入した紅茶やコーヒーを飲んでいる。もちろん、高級なワインも夕食には欠かせない。


 フーシェには自分の為に暗躍する部下がたくさんいる。シャルロットもその一人だ。


 シャルロットはフーシェの命令でセシルの館に潜入することになった。


 フーシェはシャルロットに向けてニヤリと笑う。


「シャルロット。おまえは賢い。やるべき事は分かっているな? おまえは男を骨抜きにする天才だ。頼んだぞ」


「お任せください。フーシェ様」


「期待しておるぞ」


 フーシェに忠誠を誓い、その手にうやうやしくキスをするシャルロットの微笑はゾッとするほどに綺麗だった。


























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