第十九話
フーシェの精鋭部隊はセシルの領地から出ている。
徒歩で五時間ほどかけて移動したのだ。
「よし、この辺りで待ち伏せだ」
精鋭部隊を率いるエミールに直属の部下である隻眼の男が告げた。
「ここに天幕を張り、アルビオンの王軍を迎え撃ちましょう。王軍が村に向かうにはこの渓谷添いの曲がりくねった道を進むしかありません」
「うむ。ここで待つとしよう」
荒涼とした渓谷を見下ろせる場所で エミールは含み笑いを浮かべる。
エミールは、天幕にしつらえた簡易ベッドに腰かけてお茶を飲む。
(今頃、駐屯地の奴等は慌てふためいて行軍しているな。王都で何が起きるのかも知らずに……)
セシルの村にフーシェ達が侵攻したという知らせは、その日のうちにアルビオンの王の元にも届いている。
リユンとアルビオンの国境を巡る争いは、いずれ起きると噂されていた。
実は、三百年前はセシルの村の半分はリユンの司教の領土だったからだ。
けれども、その司教とセシルの先祖の子爵とが争い、子爵が勝ち、現在に至っている。
歴史書を見て以来、フーシェは村を取り戻すという妄執にとりつかれていた。
三百年前、あの土地も神王の物だったと聞かされた信者達はもちろん、この闘いに参加している武闘派の私兵達も、セシルの村をいただくのは当然の報復だと思っている。
フーシェは、今回の任務が成功したなら村の土地の三分の一をエミール達に与えると言った。
つまり、この戦いの大将であるエミールは念願の地主になれるのだ。
エミールには勝算があるからこそ、のんびりと構えていられる。
こちらが血を流さなくても済む算段だ。
ブラウンが率いる革命隊が王の首を捕まえるまでの間、ここで奴等を足止めをしておけばいい。
革命の知らせを受けて、駐屯地の歩兵どもが王都に向かわぬように、王都からの伝令を殺す男も駅宿に配置している。
もちろん、革命隊がアルビオン全体を掌握した暁には、ブラウンがフーシェから村を奪還しようとする可能性はおおいにあるだろう。
だが、それはずっと先のことだ。
それに、もしそうなったとしても、その時は、革命時に交わされた密約の内容をアルビオンの国民に暴露すると脅せばいい。
国民の味方であるはずのブラウンが、そのような真似をしたとなっては信用を失うことは間違いなしである。
ブラウンは自らの恥部を隠すために、フーシェに領土を譲るしかない。
(ブラウンが否定しようとも、ブラウンがお忍びでリユンに来たという証は旅券に残っている。フーシェ様は策士だ……。さすが、わが主だ)
実は、エーミールとフーシェは幼馴染である。エミールはフーシェの母親の侍女の息子で、子供の頃からフーシェを護衛しているのだ。
(フーシェ様のおかげでオレの家族は豊かに暮らせている。これからも、フーシェ様には出世していたたかないとな……)
アルビオンの地方都市にいる王軍がここまで来る事は予測しているけれど、どれほどのスピードでここまで来るのかは分からない。
王軍が通りかかったなら、上から馬めがけて矢を放ち、丸太を上から落として道を塞ぐことになっている。
エーミールは天幕で地図を眺めて、あれこれと戦略を練っていた。
秘密警察、もしくは国境警備兵と呼ばれるエミールの部下達の食事は豪華なのだが、数合わせで連れてきた異端者にはカラス麦の粥が与えられている。
ちなみに、移動する際の道案内人としてトーマスは一緒に移動している。
それにも数人の村の婦人達も飯炊きの女として同行している。
ユリンの精鋭部隊は百人。武術の達人だ。
異端の烙印を押された男が百人。戦果を上げたなら待遇を良くしてやると言うと志願してきたのだ。
トーマス達は、お互いに目配せをしていた。そろそろ、我が国の王軍がこの峠にやってくる。彼等を死なせてはいけない。
トーマスは緊張感を持ったまま作業する。ヒリヒリするような喉の渇きを感じながら、周囲を窺う。
(何としても、ここにいる奴等を無力化したい。そして、助けに来た王軍を村まで通さなければならないんだよ。そうしないと、駄目なんだ)
自分達でここを何とかしなければならない。そう思うと、トーマスの心臓は爆発しそうなほどに脈打ってきた。
事前にシャルロットやセシルと打合せをしているが、成功するかどうかは神のみぞ知る事である。ちなみに、エミールの精鋭部隊にも調理係がいる。
「おい、それは椎茸に似ているがそうではないぞ。まぁ、我々もニオイを嗅がないと区別はつかないのだがな。これは食うと気絶する危険なものだぞ」
そう言うと、ポイッと捨ててしまったものだからトーマスは焦った。
茸汁で奴等を一網打尽にするつもりだったが、そうはいかなくなってきた。
仕方ないので、ひっそりと下剤を混ぜておいた。
これは食べてから半時間後に効くようになっている。
とはいうものの、汁を飲まない奴もいるだろう。
村で醸造したジンにも睡眠薬を入れておいた。
アルギーナ達は酒なんて飲まない。いや、飲ませてもらえない。彼等は水しか与えられない。
同じ人間なのに奴隷のような扱いを受けている彼等が気の毒だった。トーマスは、アルギーナの少年に自分が持っていた干し芋を差し出していくと、彼は首を振った。
「異端の食べ物を口にしたら穢れるんだ。だから駄目なんだ」
「おいおい、オレは穢れてるのか?」
「あんたは外国人だから平気なんだと思う」
「それなら、おまえもアルビオン人になっちまえよ。オレのじいちゃん、ほんとはリユン人だったんだ。こっちに亡命して八十二歳まで生きたんだぜ」
そう言うと、少年は驚いたようにトーマスを見つめた。
トーマスの黒に近い髪色とはしばみ色の瞳はアルビオン人というよりも、リユン人に近いような気がする。
「リユンの常識なんて、ほんとはちっぽけなものなんだよ。そんなものにとらわれてないで自由に生きろ」
少年は思った。こっちの国に来たのは初めてだが、ここの村の人達はみんな血色がいい。
(こういう村で暮らせたら幸せだろうな)
トーマスはアルギーナ達に呼びかけ始めた。逃亡のチャンスだと訴えている。
それに対して戸惑うアルギーナ達。
しかし、もう既にトーマス達は精鋭部隊の者達を腹痛で悶絶させている。
同行した雑貨店のエルザは、事前にトーマスから作戦を聞いているのだ。
「糞ばばぁ、酒を注げ」
「あいよ。たーんと召し上がれ」
ばばぁと呼ばれてもエルザは愛想よく接している。そしてどんどんお酒を注いで眠らせてしまった。してやったりという心境だ。エルザは意気揚々と天幕から出てきた。
「トーマス、こっちは爆睡だよ。縄で縛り付けておいたよ」
「おお、さすが手際がいいな」
まるでドミノを倒すかのように状況がめまぐるしく変わっている。
「なぁ、オレ達も闘おうぜ」
アルギーナの中でも若くて元気のある者が立ち上がった。
ここには自由がある。
「このまま惨めに生きるぐらいなら、ここで闘って運命を変えたい」
そんな想いが、アルギーナの若者達を突き動かしていく。やがて、皆、その気持ちを固め、精鋭部隊と戦うと誓った。弱腰になっていた他の者達も次々と動き出している。
武闘派の奴等も激痛と嘔吐のせいで動きが鈍い。
アルギーナ達が銃を手にすると、武闘派の者達も降参するしかない。
トーマス達は武闘派の者達を縄でくくりつけると、そのままアルギーナを引き連れて村に戻った。
武闘派の私兵達は、そのうちアルビオンの正規軍が何とかしてくれるだろう。
そう持っていたのだが、さすが、武闘派の秘密警察の者達だ。
トーマス達が村に引き返している間に自分達で縄を解いた。そして、彼等は予定を変更した。
峡谷の狭間を通過するアルビオンの軍隊を待ち伏せする予定だったが、逆らったトーマス達と逃亡したアルギーナを殺す方が先決だと判断した。
アルビオンの正規軍の侵入は渓谷に入る前の小川にかかった橋を壊す事で足止めすればいい。
(絶対に許さん)
トーマス達はもちろん、彼等の指導者である子爵令嬢を嬲り殺してやると誓ったのだった。
☆
深々と夜が更けていく。
その頃、神学校のエリートの六人が深刻な様子で顔を付き合わせていた。
フーシェが院長を務める神学校の生徒の多くがここに駆り出されている。他の者は村の男達の見張りをしたり、村へと通じる他の道を塞いで誰も通れないように見張っている。
屋敷の周囲を見張る者達も、お弁当として配布された異端のパンを口にしている。
しかし、その恐ろしい事実に気付いているのは六人だけ。
二コラはイライラしたように部屋の中を動き回った。
他の五人は、自分達の部屋で憑りつかれたように祈りの言葉を呟き続けている。
二コラの輝かしい未来に陰湿な影が覆いかぶさろうとしている。
「嫌だ……。お父様に今回の事を知られたくない」
二コラの父親はリユンの侯爵で、偉大なる神王の従弟にあたる存在だ。
他の貴族と同じように二コラの父は愛人を囲っていたが、生まれてくる子は、みんな女の子で、父はガッカリしていた。父が気まぐれにメイドに手を出し、健やかに生まれたのが二コラである。
父の正妻も子供を産んでいるけれど、五人全員が女。
(ママは侯爵から褒められて有頂天になっていたけど、正妻が男の子を産んだ途端にママも僕も冷遇されたんだ)
一時は二コラが跡継ぎ候補だったというのに、二コラが七歳の時、ガラリとその道筋が崩れてしまう。
二コラは神学校へと追いやられ、去勢された。
(もう、僕は侯爵にはなれない。絶望したよ)
子孫を持つことも出来ない。そんな自分を父の正妻がクスクスと陰で嘲笑っている事を二コラは知っている。
(僕のママは、あの女の命令で、またメイドをやらされた。その屈辱に耐えられなくなって自殺したんだよ。糞ーー)
あの女をギャフンと言わせたい。ずっと復讐の機会を狙ってきた。もしも、将来、枢機卿になったなら父の正妻と息子をとことん冷遇してやる。絶対に、いつか見返してやる。
(そうさ。こんなところで転落する訳にはいかないんだよ。これまでの努力が無駄になるじゃないか……。男色の趣味はなかったけれど、自分を騙して男と付き合うようになったんだ。それもこれも、学校で伸し上がる為だった……)
現在、神学校の生徒達の頂点にいるエリートの二コラは決意していた。
「みんな聞いてくれ。子爵と子爵令嬢を含む屋敷にいる全員を殺す。そうすれば、我々の異端の罪は神王様に知られずに済むのだよ」
しかし、他の者が怯えたように言う。
「フーシェ様の子飼いのシャルロットに知られたぞ。あいつは、もう伝書鷹を送ったって言ったよ」
「心配ないさ。その鷹の手紙を受け取り、フーシェ様に届けるのは僕の恋人のミシュランだよ。僕の恋人は僕に不利な情報を渡したりしない」
神学校は男だけ。つまり、ミシュランは同性愛者なのだ。
(僕に首ったけのミシュランはフーシェ様への忠誠心よりも、僕への愛を貫くさ。僕は、その為に、あの醜いミシュランに何度もキスをしたんだぞ)
こんなところで邪魔されてたまるものか。
絶対にセシル達を殺してやる。
しかし、フーシェからは絶対に殺すなと言われているので、表立って殺すことは出来ない。策を練って何とかするしかない。
そうだ。火事で死んだ事にすればいい。
「あいつらが、将来を悲観して自殺しようとして自ら火を放ったと報告すればいい」
そう考えた二コラは、その夜、実行に移したのである。
☆
「大変。焦げ臭いじゃないか」
真夜中、屋根裏部屋にいた料理長は煙に気付いて目覚めた。
火元は一階の廊下と階段のようだ。セシル達は三階の一番奥の部屋に閉じこめられている。
そこは、以前、セシルの父が使っていた部屋。外から南京錠がかけられていたので、料理長は泣き出しそうになった。
「お嬢様、大変です。火事でございます。どうしましょう。部屋から出られないのでこざいますね」
セシルの部屋の前にいる筈の見張り役の者達は姿を消している。
ドンドン。外から料理長がドアを叩き続けている。それに対してセシルが叫んだ。
「いいから、あなたは先に避難しなさい。あたし達、ちゃんと脱出するから心配ないわ」
「南京錠でしたら、私が外しますよ」
料理長はヘアピンを駆使して何とか扉を開けてくれたのだが、一階の廊下が燃えている。階段を伝って炎が三階まで来るのも時間の問題だ。これでは下に向かうのは無理だ。セシルは言った。
「油でも撒いたのかしら。あたし達の部屋の見張りもないし、これは妙だわ」
火の勢いに恐れをなして三階に戻った。
すると、料理長は尋ねた。
「おや、クロードはどこでですか」
「心配ないわ。あの子は外よ」
セシルは、兄と料理長に向かって告げた。
「秘密の通路から脱出しましょう。さぁ、ついて来て」
「あら、驚いた。こんなところに隠し扉があるなんて」
料理長はポカンとしている。
前に一度、クロードと共に梯子を降りているのでセシルは慣れたものだ。セシルが先頭をきって進む。縄梯子はグラグラ揺れる。気をつけていないと足を滑らせてしまうかもしれない。
地下へと伸びている竪穴と通路は石で出来ている。焼ける心配はないのだが、それでも二酸化炭素を含んだ煙が追いかけてくるので時間との戦いだ。
地下通路まで着くとカンテラをかざして合図をした。
「マーガレット、この火を目印に降りてきてーー」
料理長が何とか地下まで降りたのを確認した後、セシルの兄も縄梯子を降り始めた。
(火事で怖いのは火だけじゃないのよ。むしろ。煙がヤバイわ)
このままでは窒息してしまいそうだ。
空気が秘密通路まで垂れ込むのはマズイ。
ゲホゲホッと咳き込みながら必死になって梯子を伝って兄も途中まで降りていたというのに、兄が急に慌て始めた。
「おい、シャルロットがいないぞ」
「それなら、大丈夫だと思いますよ。あの女なら、きっと騒ぎに気付いて先に逃げていますよ」
料理長がそう言ったにも関わらず、兄は、制止を振り切って三階へと戻ろうとしている。
「シャルロットは、まだ部屋にいるかもしれないじゃないか」
「お兄様ーーーー。やめてーー」
黒煙が迫りくる中、セシルの兄はシャルロットを探すと言い張っている。
「おまえたちは先に外に行ってなさい」
「お兄様、やめてーーー」
兄は、また三階へと戻り、シャルロットを連れてくると言い張っている。止めたくても、セシルにはどうすることも出来なかった。
☆
セシルの兄は三階の部屋に戻ったのだ。すぐに水差しの水を頭にかぶると煙が充満しているというのに階段を降りて二階へと突き進む。
必死だった。
シャルロットに会いたい。彼女が裏切ったなんて思わない。
「シャルロットーーー。どこにいるんだい?」
兄は、シャルロットの部屋には一度も入ったことなどない。
確か、シャルロットの部屋は廊下の突き当りにあったはず。しかし、どれがシャルロットの部屋なのかも分からない。黒煙が館全体に充満してきた。いつのまにか前が見えなくなっている。
暗闇の中、意識が朦朧としている。兄は、いつのまにか、シャルロットが口ずさんでいた童謡を思い返していた。
『迷子の迷子の小鳥ちゃん。あなたのママが泣いてます。早く寝床にお帰り』
彼女は本当は優しい人だ。
彼女への愛を確信している。こんなにも人を愛せるなんて自分でも驚きだ。
(シャルロット……。僕は、君がいないいと駄目なんだ)
シャルロットと二人で暖かな家庭を築いてみたかった。
(もしも生まれ変われたなら、僕は、今度こそ、君と結婚する。絶対に、いつか君に会いに行くからね)
愛する人の微笑みを瞼に浮かべたまま泣いていた。
そして、息絶えたのだった。




