第十三話
突然の話にセシルは面食らう。
「結婚ですって」
兄は反対するのかと思いきや、意外にも乗り気だった。王の従弟にあたる公爵の長男のモーリーとの結婚は地方貴族にとっては光栄な事だからだ。
モーリーは小太りでもっさりした容姿だが頭は良くて性格は温厚だ。
「セシル、おまえも、もうすぐ十八歳になるんだぞ。いつまでも実家にいる訳にもいかないよ」
兄の言う事は尤もだが、この時期に王党派の公爵家に嫁ぐなど自殺行為だ。
もうすぐ革命が起きるのだと叫びたかった。相手の事が好きとか嫌いという次元ではない。嫁ぐと処刑フラグが作動してしまう。
ちなみに、公爵の息子のモーリーがセシルを見染めたのは一年前。王都の市場で村の加工品を売っていた姿を見て一目惚れしたようなのだ。モーリーは内気で真面目な若者で、園芸や調理が趣味という貴族としては変り者に属している。
革命の事がなければ、それなりにいいお相手と言えるのかもしれない。いや、そもそも、セシルは愛だの恋だのという事に現を抜かす余裕などない。
しかし、ジェーンの借金を返さない事には結婚させられてしまう。
子供達の学校と老人ホームを作る予定でコツコツとお金を溜めてきたというのに、何が悲しくてジェーンの無駄遣いの犠牲にならねばならないのだろう。
そもそも、なぜ、兄とジェーンは結婚したのか。
兄は大学で学びたかったが貧乏で学費の支払いにも困っていた。そんな時、ジェーンの両親が援助してくれた。
『その代わり、うちの娘をよろしくお願いします』
向こうにしてみれば、おブスなジェーンが貴族の妻になってくれたなら万々歳なのだ。
兄は一度もジェーンを愛したことなどない。しかし、珍しい事ではない。貴族で恋愛結婚をする人の方が少数派である。
「ああ、それにしても借金をどうすりゃいいのよーーー」
とりあえず、一度、モーリーとやらのお宅に行くことになりそうだ。
しかし、今は、村祭りについて考えよう。
(珍しい事に、今年はアランが来るのよね)
手紙を受け取った時から、妙にソワソワしていたのである。
☆
アランの商会の使者が定期的に村に仕入れにやってくる。
王都から、セシルの村までは馬で船を曳いて北上するので、かなり時間とお金がかかる。その代わり、帰りは川の流れに乗って早く王都まで行ける。
平たい船に村の加工品を船に乗せて王都まで運び、それらを代理で売ってくれている。
ざっくり言うと、アランは前世のAmazonや楽天のような役目を果たしてくれる。
わざわざ売りに出かけなくても済むのでは助かる。
売り上げの一部を手数料として払っても、それでも、こちらの利益はデカイ。
いつもは、アランの番頭さんがやって来て、セシルと商談をするのだが、今回はアランが来ると聞いていたので、今か今かと待ちわびていたのだ。
「アラン、久しぶりね」
多分、二年近く会っていない。
その間、手紙のやりとりはしていたけれど、内容は主に仕事の事だった。あの時、追剥ぎをしていた男達も荷運び人としてまっとうに働いている。ちなみに、アンヌと共に修道院に入ったフローレンスは読み書きを習い、淑女への道を歩んでいるらしい。
川船から降りてきたアランの顔色は陰っているように見えた。もしかしたら、彼は船酔いしたのだろうか。
(アラン、前より、ちょっと痩せたんじゃない?)
河の護岸でアランと再会したセシルは、うっかり躓きそうになる。
(あっ……)
草むらに顔から倒れ込むかと思いきや、アランによって抱きとめられていた。
逞しい腕に包まれている。
不意にセシルの鼓動が騒がしくなった。
なぜか、アランは苦悩に満ちた顔つきをしている。とても疲れているように見える。
アランは少し困ったように言った。
「どうした? オレの顔に何かついてるのか?」
「ううん」
この時、顔を赤く染めていたセシルはアランの端正な顔を見つめ返す勇気がなかった。
馬子や船頭たちは村に向かうが、二人は河べりに座り込む。セシルは、ずっと革命の行方が気になっていたのだ。だから、それとなく尋ねる。
「最近、王都では王政を皮肉る新聞が発行されているそうね?」
「財務大臣が国庫が枯渇してる事を暴露する本を出したからな。王妃と王妃の取り巻きのドレス代や香水代が幾らなのかを知ってしまった民衆は腹を立てている。覆面をした追いはぎが貴族の馬車を襲う事件が頻発している。だから、貴族達は紋章入りの馬車には乗らないようになっているみたいだな」
妙な感じがした。
(今回は、あたしを殺したりしないわよね?)
少なくとも、セシルはアランのことを親友だと思っている。
セシルが十四歳の時、王都の下町でポテトの惣菜店を展開した時、最初は、お客が来なかった。セシルは大きな声で呼び込みをして、みんなに試食するように勧めた。
それを見ていたアランは知り合いの俳優や女優を連れてきた。
有名人による口コミの力は偉大だ。
その後、王都にキャッサバや米粉を使ったパンやお菓子の店を開き、アランに委託した。いわゆる、フランチャイズの店を展開しているようなものである。
セシルは街の人達に伝えた。
『麦のパンがないなら、他のパンを食べたらいいわ』
国中の小麦やライ麦を買い占めて値段をつり上げる悪徳商人がいたので、セシルとアランは小麦の代替え食品で対抗してきた。そうやって、需要と供給のバランスを取ってきたのである。
(あたしは、あなたのことを疑いたくないのよ。今、こうやって仲良くしているのに、将来、あたしの首を切り落としたりしないで欲しいの)
時々、胸が苦しくなり彼に問い詰めたくなる。
『国民を飢えから救うのが革命の目的なの? うちの領民は飢えていないわ。それなら、もう、あたしや兄を殺さないで』
そんな事を祈っていると、彼が手土産をくれた。
「アラン、ありがとう」
包みを開けてみると、それは王都で流行っている銀細工のブローチだった。それを胸に就けると、アランは優しく微笑んだものだから、セシルの鼓動は早くなる。
何だか照れくさい。
「ところで、タピオカミルクティーの専門店はどんな感じ?」
「順調だぜ。朝飯の代わりに娼婦や労働者が買いに来る」
「そっか、安心したわ」
やはり、異世界でも 民衆はタピっているようだ。
☆
アランは苦い表情で回想していく。
王都では様々な思惑と陰謀が蠢いている。
指導者のブラウンはカリスマ性を発揮しているけれど、ブラウンを失脚させて、我こそがリーダーになるぞと息巻く奴もいて、街は混沌としている。
革命を指示する者達も一枚岩ではない。
王から権力を奪い、自分達に有利な法律を作りたい一心で革命に投資する商人もいる。
本当に市民の幸せを願って革命に身を投じる若者もいる。
ブラウンもそうだ。
少なくとも、あの男は自分の国を良くしたいと願っている。
(ブラウンの肩にすべてがかかっている。オレは、ブラウンがリーダーであるべきだと思う)
もちろん、セシルを傷つけるつもりはない。しかし、例の作戦はセシルを絶望に突き落とすことになる……。
どうすればいい?
このところ、アランの心は引き裂かれている。
セシルは、久しぶりにやってきたアランに見せたいものがあるという。
河から村へと続く道を歩いていくと、小川の橋が見えて来た。橋の向こうにそれが建っている。
「見て。新しい粉ひき小屋よ。やっと建てられたのよ」
加工食品の工房から得た利益の賜物である。
「それと、あの空き地には小学校を建てる予定なの。村の子供達を、お兄様が教えると言って下さってるの。だから、教師代はタダだわ」
辺境の貧しい村が、セシルの奮闘によって一新されている。
それがアランにはとても眩しく感じられる。
テクテクと村の広場前を通りながら、あの日のことを思い返していた。
(オレがリユンから亡命して最初に辿り着いたのは、この村だったんだよな……)
あの時、必死だった。アランが伯父と共に川を渡ったのは夜中だった。
ブルブルと寒さに震えながら、アランはこの村に辿り着いた。伯父は首から下げた巾着袋に少しだけ金貨を入れていたが、それ以外の荷物は持っていなかった。
深夜、伯父は、川岸から近い民家の納屋に忍び込んだ。そして、その納屋の藁の中で一夜を過ごした。
すると、翌朝、その納屋に住民が現れた。
勝手に入ったのだから殴られるのかと思い、アランは伯父と共に覚悟したが、その人は、アラン達の哀れな姿を見て悟ったらしい。
『おまえさん、ひょっとして、リユンから逃げてきたのかい? 東方派の信徒かね』
その人は山羊みたいな髭の老人だった。
『ちょっと待っていなさい』
そう言うと、老人は豆のスープとパンを持ってきてくれた。
バンはカチカチに硬くてスープはしょっぱい味がしたけれど、それでも嬉しかった。
銀杏が色付く季節だった。その老人はアランが薄着なのを心配して上着をくれた。
『十五年前に死んだわしの孫の服だ』
『ありがとうございます。必ず、返しに来ます』
『別にいい。わしは一人暮らしだし、息子も孫も、もうこの世におらんからな』
そう言うと、老人は畑仕事に出かけたのだが、あの時の老人はまだ生きているのだろうか。
アランは記憶を手繰り寄せながら尋ねる。
「水車小屋の裏手にある農家の人は、まだ生きておられるのか?」
「コネリーさんなら、二年前に亡くなったわ。あの人がどうかしたの?」
「昔、少し世話になったんだ」
それなのに、ちゃんとお礼をしていない。あとで、墓に花を添えようとアランは思った。
(あれから王都まで歩いて進んでいった。他の街では石を投げられたこともある。だけど、この村の人は優しかった)
自分は何て薄情な奴なんだとアランは自己嫌悪に陥ってしまう。
コネリーさんは、自分も貧しいのに食べ物を運んでくれた。それだけではない。その後も、アランと伯父が裸足で歩いてると、それを気の毒に思った牧師が古い靴を手渡してくれた。
(この村はオレにとって特別なんだ……)
それなのに、革命を成功させる為にこの村を犠牲にしていいのか?
そんなのいい訳がない。
アランの心には、ここの人達との思い出が湧き上がり、泣き出したくなるような気持ちが湧いてきた。
誰よりも憎いフーシェの魔の手が、この村に忍び寄ろうとしている。それを思うと吐き気を感じて眩暈がする。
そんなアランの葛藤とは裏腹にセシルは溌剌としている。
村人と顔を合わせる度に挨拶を返していく。
「お嬢様、いい天気ですな」
「あなたの畑はどうなの?」
「はい、今年も豊作でございます」
セシル。この娘には計り知れない英知がある。
いつも先頭に立って周りの人達を導いてきた。すごい娘だ。
「セシル様ーーー。こんにちはーー。今日もいいお天気ですね」
柵の向こうから手を振る少女がいる。
村の教会の近くで暮らしているセーラが洗濯ものを取り込んでいたようだ。
「ほら、見て。あの子、セーラって言うのよ。リユンからシャルロットが救い出したの。シャルロットって勇気があるわ。彼女も、本当はフーシェのこと嫌いみたいよ」
それに対してアランは、ぼんやりとした表情でそうだねと頷いている。
「ねぇ、シャルロットって美人だと思わない?」
「えっ? 何だ?」
「シャルロットは美人だって言ったのよ」
なぜか、アランは不思議そうに聞き返してきた。
「美人……?」
「えっ、違うと思うの?」
「オレは、外見に惹かれるタイプじゃないが、まぁ、色っぽいことは認めるぜ。それに、多分、おそらく頭は切れるだろうな。だけど、シャルロットは好みじゃない」
「それじゃ、どういう人に惹かれるのよ?」
「明るくて逞しい女」
そう言うと、アランは真面目な顔で呟いた。
「人間的に尊敬できる人がいい。それと、ユーモアがあって、そのくせ真面目で律儀でバイタリティもあって表情が豊かで一緒にいて楽しい人がいい」
「ずいぶんと盛り込んだわね」
「そういうおまえはどうなんだよ」
「ええーー。どうかなぁ」
セシルもお年頃だ。
しかし、生きることに必死で、今まで恋愛モードになった事がないらしい。
「そうね。あたしのこと見捨てないで最後まで寄り添ってくれる人がいいわね。あたしが殺されそうになった時、真っ先に助けてくれるような人がいいわ。喧嘩が強いとかそういうんじゃないのよ。要するに気持ちの問題よ」
「……そうか」
心なしか、やっぱり、アランの眼差しは煙るように暗く陰っている。何か背負っているかのような、そんな重たい雰囲気なのだ。
その夜、アランはセシルの館に泊まった。
兄嫁のジェーンはハンサムなアランの訪問に少し浮かれていた。
夫が相手にしてくれないのなら、アランと不倫しようとするが、アランは素っ気なく振り払う。ジェーンはブスッとしている。
(この村を守るにはどうすればいい?)
アランの心はそのことで一杯だ。アランの気持ちは揺れ続けていた。
夕餉を済ませると、さっさとセシルが消えた事が気になり、ジェーンに尋ねた。
「セシルはどこですか?」
「ああ、あの子、新作の練乳とやらを作る為に厨房に行ったわよ。ほんと、変な子だわ。公爵様の御子息のモーリーも、なんで、あんな子と結婚しようと思ったのかしら」
「結婚?」
アランが怪訝な顔をすると、ジェーンは誇らしげに告げたのだ。
「そうよ、相手は公爵様の子息だもの。こちらから断るなんて選択肢はないわ」
アランは神妙な顔で尋ねている。
「セシルはその気なんですか?」
「そんなの知らないわ。だけど、あの子にはもったいないようなお相手なのよ」
アランは、その時、ぼんやりと思い返していた。
モーリーのことなら少し知っている。
(あいつの父親は革命隊の天敵だ……。ブラウンが最も敵視している奴だぞ)
良識ある財務長官がモーリーの父である公爵に言った。
『これ以上、国の借金を増やしてどうなるのですか? 宮殿の建て増しなど、もっての他です。どのように返すつもりですか』
『異教徒の銀行家から借りたのだろう? 難癖をつけて、そいつの家族もろとも国から追い出せばいい』
『そんなことをしたら我が国お金を貸すものがいなくなりますぞ』
『心配するな。銀行家なら他にもいる』
借金を踏み倒すことに何の躊躇もない奴だが、その息子のモーリーは人畜無害の間抜け野郎である。
カラクリ人形の愛好家の王とモーリーは気が合うとの噂だ。どちらも玩具作りに夢中らしい。
そんなことを思い返していると、ジェーンが言った。
「セシルがモーリーと結婚すれば贅沢三昧よ。何しろ、あの家の農地は大きいし、特産品のワインの出荷本数も多いわ。モーリーと結婚したら安泰よ」
「……」
アランはそうは思わない。革命が成功したなら、王党派の貴族は滅びる。
アランは革命によって市民の生活が良くなる事を願っている。その為にも、王政は崩壊した方が良いだろう。
(でも、セシルには無事でいてもらいたい)
元々は余所者だが、この国を愛している。ここがアランの第二の故郷となっているのである。
☆
翌日、アランはジェーンに付きまとわれた。屋敷で暇を持て余すジェーンの相手をするのは疲れる。
「しかし、参ったな」
アランは欲求不満のジェーンと話したことでドッと疲れている。食後、客間でぼんやりしているとクロードが入ってきた。
「話があります。外に行きませんか」
「ここじゃ駄目なのか?」
「ええ、ここだと誰が聞いているか分かりません」
屋敷の東屋まで向かうと、クロードが小声で囁いた。
「シャルロットはフーシェの手下に違いないですよ。あの女、子爵様をたらしこんで骨抜きにしてます。しかし、セシル様も、あの女の裏の顔に気付いていません。言っても信じてくれないんです」
クロードはシャルロットが鷹を飛ばしている事もアランに告げたところ、アランも頷いた。
「確かにきな臭い女だな」
あの女がスパイだったとしても特に驚きはしない。アルビオンに出稼ぎに出ている奴の大半がスパイだと思ってもいいぐらいだ。しかし、アランの盟友のブラウンはもっと恐ろしい事をしようとしているのである。
「クロード、シャルロットのことはオレに任せてくれ」
革命の流れを止める事は出来そうにない。
アランとしては王政から共和制になることは好ましい事だった。
しかし、その代償としてセシルの愛した村が狡猾なフーシェに蹂躙されるのは耐えられない。しかし、アラン一人でどうにか出来るものではない。それならば、せめてセシルだけでも救いたいと思い、深夜、アランはシャルロットの部屋をノックする。
アランは救いを求めてシャルロットに打ち明けようとしたのだ。
☆
たまたま、その時、セシルは自室へと戻るところだった。
アランは二階の客間から、同じ二階で暮らすシュルロットの部屋まで歩いていた。
(アラン、こんな時刻にどこに行くの?)
蝋燭の燭台を盛ったアランがシャルロットの部屋に入る姿を見てしまい衝撃を受けてしまう。
(何なのよ)
時刻は深夜の十一時。この時間まで厨房であれこれと試作していたせいで、もうヘトヘトなのだ。やっと洗い物を終えて自室に戻ろうとして階段を上がり、廊下を見た瞬間、その光景に触れてしまった。
アランが思い詰めたように呟いている。
「シャルロット、ちょっといいか。大事な話がある」
「いいわ。どうぞ」
そう言うとシャルロットが招き入れたものだから、セシルは息が止まりそうになる。自分の胸を押えて、その場に立ち尽くしたのだった。




