第十話
毎年、シャルロットの就労ビザが更新されてきた。
セシルの兄は羽ペンで名前を記す。そして、公証人が見守る中、セシルの兄がシャルロットに書類を手渡していく。
兄が言った。
「また、一年間、よろしく頼む」
「はい、旦那様、かしこまりました」
雇用契約を終えると、公証人は出て行った。公証人というのは、行政書士とか弁護士のようなものである。公的な書類を書いてもらうのに呼んだのだ。
書類上、シャルロットの雇い主は子爵であるセシルの兄のハリー。
しかし、実際にはシャルロットはセシルの指示で働いている。
セシルとクロードは畑を見回ったり、工房で作業の指示を出したりして、外にいる事が多いのだが、シャルロットは違う。
書斎で書き物をしている事が多かった。
商売上の書類などはシャルロットが作成してきた。
悔しいけれど、クロードにはそこまでの学がない。
加工場での作業を終えたクロードがセシルに呟いた。
「お嬢様、シャルロットのことなんですけど、最近、やたらと子爵様と親しくしているように見えるんですけど、ほっといて大丈夫ですか?」
「んっ? どういうこと? 深夜に密会でもしているの?」
「いや、さすがに深夜に二人きりで会わないと思いますけど、なんか、怪しいんですよ」
「証拠もないのに疑うのは良くないわよ」
「オレ、あいつの作り笑いに虫唾が走るんです。あれは、絶対に裏に何かありますよ」
「そうなのかしら」
そんな事を言われると、さすがに気になってきた。
(不倫でもしているのかしら)
セシルは、ふと思い出していた。
シャルロットがここに来てすぐの頃、こんなことがあった。
サリーが、庭先で羽根の折れた小鳥を見つけた時、クロードはこう言った。
「猫の餌にしようぜ納屋や蔵を守ってくれるんだから、御褒美が必要さ」
それを見かけたセシルの兄がたしなめた。
「何を言うんだい。そんなの可哀想じゃないか。どれどれ、その小鳥を見せてくれないか」
クロードは恐縮したように小鳥を手渡す。あの当時は、まだ大学院に通っていたが、夏場は領地に戻ってくる。あの時、兄は、小鳥の骨折を治すと言った。
「今後も、こんな怪我をしないように籠の中で飼ってあげるからね」
そう言って、兄は小鳥を可愛がっていたのだが、翌月、シャルロットが兄に言った。
「もう飛べるようなら外の世界に返してあげませんか? この鳥は、きっと自由を求めていますわ」
「いや、しかし、外は危険だよ。僕は、この鳥を守りたいんだ」
二人のやりとりを見ていたセシルは考えた。難しい問題である。飼うのが幸せなのか。放すのが幸せなのか。
あの時、セシルはこう言った。
「小鳥の幸せは小鳥が決めたらいいのよ。もしも、ここがいいのなら出たりしないわ」
それもそうだなという事で、兄が小鳥を籠から出したところ、小鳥は、兄の肩に乗り、チチッと鳴いてから颯爽と飛び立ち、二度と帰って来なかった。。
兄は、その後、しんみりしていた。そんな兄に対してシャルロットは囁いていたのである。
「ハリー様の優しさを胸に飛び立ったのだと思います。あの鳥は、きっと、伴侶を見つけて幸せになりますわ」
「そうだね。閉じ込めるのはよくないね。僕は過保護なのかもしれないね」
雇い主の兄に対しても、自分の意見をちゃんと話す。
そんなシャルロットに関してセシルは好感を抱いたのだが……。
「オレ、見たんです。鷹の足に手紙をつけていました」
「文通をしているんでしょう?」
セシルは気にしていなかった。
というのも、以前、シャルロットが言ったからだ。
『わたし、妹と文通をしているんです』
あの国では手紙は検閲される。だから、わざわざ鷹を使っているのだ。
(なんで、クロードは、いちいち、あの人を敵視するのかしら)
もしかしたら、シャルロットがユリンの教会から配布された聖書を持っているせいかもしれない。
シャルロットはフーシェの許しを得て出稼ぎに来ている。出稼ぎに出られるのは、ゴリゴリのフーシェ信者だけである。
(聖書を携えていないと命取りになるんだから、持っていて当然よ)
とはいうものの、シャルロットは、この館で露骨にフーシェを賛美するようなこともなかった。
村の教会には祈りに行かないけれど、村の教会のバザーには参加している。
(確かに、お兄様、いつもシャルロットを見つめているわね)
そして、絶世の美女であるシャルロットのミステリアスな美貌に呑み込まれそうになっている男は他にもいる。トーマスがセシルに対して教えてくれた。
「オレ、実は、去年、シャルロットに交際を申し込んだんですよね。だけど、シャルロットは目に涙を浮かべながら言ったんですよ。自分は子供が産めない体質だから、誰とも結婚する気はないってね。誰の事も好きになったことなんてないそうです」
へーえ。そんなことがあったのか。
(子供が産めないなんて気の毒だわ)
気のせいだろうか。シャルロットは、セシルの兄と話している時、頬に張りが出て瞳がキラキラしているように見える。
不倫かどうかは別にして、シャルロットは兄の事を好きなのではないかしら。
兄は草食系男子だ。威張ったり意地悪な態度を見せた事が一度もない。
(彼女は美人だし、お兄様と知識のレベルが合ってるから、お似合いよ)
ただし、ジェーンに知られたら大変な事になるだろうなと思っていたのだが……。
後日、セシルは兄に呼び出されていた。
「このところ、シャルロットの母上の体調が悪いようなのだよ。僕は、薬の調合と診察を頼まれたんだ。僕も、シャルロット達と一緒にリユンに行こうと思っている」
「そうですか」
労働ビザを持っているシャルロットだが、勝手に自国に戻る事は許されていない。
しかし、雇い主の要請で仕事として移動するなら構わない。
「つまり、シャルロットはお兄様におねだりしたのね」
合法的に里帰りできるのだから、シャルロットには都合がいい。
「もちろん、彼女はこちらの利益も考えているよ」
兄に対してシャルロットはこう進言したらしい。
『大量に作って余ってしまった商品の在庫を処分するのにちょうどいいと思いますわ。私の自宅の近くの市場では保存食が人気ですもの』
セシルの村から最も近い都市が隣国のフーシェ領で移動時間も手間もかからない。
「みんなで売りに出てもいいだろうか?」
「ええ、ぜひ、どうぞ。いってらっしゃい」
医療の腕があるのだから、ぜひとも生かすべきだ。
(人助けをするのは良い事だわ)
兄の一声で、久しぶりに隣国の市場で商品を売ることになった。
エド、トーマス、サリー、シャルロット、兄。
この五人がリユンに向かう。
シャルロットは、母や親族への土産を持参するというのだが……。
まさか、この時、兄がフーシェに会いに行くなんて夢にも思っていなかった。
☆
そして、兄を含む一行はリユンへと出掛けた。到着後、トーマスは尋ねた。
「さぁ、市場に着きましたぜ。ハリー様はシャルロットの家に行くんですよね?」
トーマスの言葉に兄とシャルロットは頷いた。
シャルロットが微笑む。
「わたしの近所の子供達を無料で診て下さるの。でも、待ち合わせの時間までには終わらせるわ」
ハリーはトーマスに告げた。
「帰りの時刻までには屋台に戻って来るからね。心配しなくていいよ」
「わたしの家でお昼御飯も食べていただくわ」
しかし、それは嘘なのだ。診療なんてしない。シャルロットの自宅には行かない。
市場の裏手には箱型の二人乗りの馬車が待っており、兄だけが馬車に乗り込んでいた。
そこから半時間かけて移動すると立派な建物が見えて来た。
ここが司教の館だ。先が尖った鉄柵の門が開かれて、そのまま中に入っていくと、フーシェが笑みを湛えながら出迎えた。
「子爵殿、わざわざ、遠路、はるばる来ていただいて申し訳ないね」
フーシェと兄は初対面である。
「お互いの為に交易しようではないか」
フーシェは聖職者としての威厳を見せながらセシルの兄に告げた。
「貴殿には我が民を救う手伝いをしてもらいたいのだよ。君も知っての通り、我が国には海がない」
それ故に、塩は輸入するしかない。
アルビオンの大陸南部は海。国営の塩の精製所があり、アルビオンの国民が買う塩には塩税というものが加わっていて割高だ。
しかし、リユンはその割高の塩に関税が加わり、輸送費も重なると、塩の定価は二倍に跳ね上がる。フーシェは、自分の領民に安価な塩を提供したいと言い出した。
兄に塩を密輸してもらえないだろうかと持ちかけてきたのである。
「い、いくら何でも、あなたの領民全員分の塩を輸送するのは無理ですよ」
「ああ、分かっている。神の家と、その下部達の為に良質な塩を運んできてもらえたらいいのだよ。塩商人どもは、こちらの足元を見て、砂利の入った塩を平気で売り付けてくるので我慢ならん」
フーシェが言うには、フーシェが監督官を務める神学校があり、そこでは王族に献上するハムや乳製品を作っているので、その為にも、良質の塩が必要だという。
「我が国はアルビオンのような南海の植民地を持っておらん。だから、胡椒やナツメグなどの香辛料は手に入りにくい」
塩の他に香辛料も欲しいらしい。その代わりに、フーシェの領地で採れるハチミツで作った蜜蝋を安価で卸すと言ってきた。
フーシェの村の蝋燭は一級品だ。アルビオンの王都で売れば、ちょっとした金になるだろう。
アルビオンでは商人ギルドの許可なく個人的に他国と交易をする事は禁じられている。
バレたら大変な事になるだろう。
しかし、商人ギルドに加盟したなら、儲けはそちらに奪われてしまうので、この場合、秘密裏に取引するのが得策だ。
兄は、何も大儲けをしたいのではない。我儘な妻の衣装代や旅費などを捻出しなければならない。
いつも、妹に頼ってばかりでは情けない。
「分かりました。あなたと取引します」
その時、兄はフーシェと握手をしていた。これが、後に、どんな苦境を招くのかなど、予想もしていなかった。
そして、兄がフーシェと密約を交わしていた頃。シャルロットは自宅に戻っていたのである。
☆
「ただいま」
自宅と言っても、五階建ての集合住宅の片隅にある粗末な部屋だ。
「よう、シャルロット。待ちくたびれたぞ」
そこにいたのは、フーシェの私兵である精鋭部隊の大将のエミールだった。
この街にはフーシェの命を受けた男達がいて、常に市民を監視している。それを統括しているのがエミールだ。逆らう者には異端の印を付けて徹底的に痛めつけてきた。
「何をしてるのですか」
つい、金切り声になっていた。というのも、エミールはシャルロットの妹を膝の上に座らせてニヤニヤしながら、妹の赤毛のボニーテールの先端の香りを嗅いでいたからだ。
「妹は子供なのですよ」
まだ十四歳になったばかりである。
「ああ、そうだな。オレが、おまえと出会ったのもその頃だったかな」
エミールの目の奥が卑しく歪んでいる。エミールは怯えて震えているシャルロットの妹を開放すると、シャルロットに対してニヤッと笑った。
「久しぶりに、おまえがオレの相手をすればいいのさ。あの時と同じような顔を見せてくれよ」
シャルロットの目に怒りと憎しみが走る。だが、シャルロットは、あの時のように無力ではない。
「あなたは分かってないようですね。わたしはフーシェ様の持ち物なのよ。勝手に手を出したりしたら、フーシェ様に報告しますよ」
「ふん、おまえ、すっかり偉くなったな。フーシェ様の愛人気取りかよ?」
エミールもフーシェの機嫌を損なうのは得策ではないと思ったのかソファから腰を上げた。
「おまえ、アルビオンで楽しくやってるようだな。ただし、逃げようなんて思うなよ。おまえの妹のことは、いつも見張ってるからな」
言いたい事を言うと出て行った。シャルロットは拳を握りしめた。
「……」
こいつらはパトロールと称して、可愛い娘のいる家に上がり込み、狼藉を働く。逆らう者には異端の罪を着せてくる。
殺したいほど憎い相手だが、シャルロットにはどうする事も出来ない。
約束通り、子爵のハリーをここまで連れてきた。
今のところは妹も安全だが、この先、どうなるか分からない。
シャルロットの武器は美貌だけではない。
計略に長けた知能を使って生き延びてきた。
かつて、自分を卑しめたエミールが立ち去った後、涙目の妹を強く抱きしめる。
「あの男に手出しさせないわ。お姉ちゃんが守ってあげるからね」
シャルロットはその為なら何でもすると胸に誓っている。
(そうよ。どんな残酷なことでもやってみせるわ)
☆
その後、月に一度の割合で、セシルの使用人一行はフーシェが管轄している市場を訪れるようになった。何度か兄も帯同している。
シャルロットの近所で無料の診療活動をしているのだ。
兄は、薬草だと言って、そこに香辛料を詰めていた。フーシェに渡す品物である。
シャルロットも実家への土産だと言って、自分のトランクにフーシェに届ける物資を入れているが、毎回、大荷物だと使用人達に怪しまれてしまう。
ある時、シャルロットは密輸品を届けた際にフーシェに呟いた。
「フーシェ様、深夜、アルビオンのサマセット子爵領側から船で渡れるようにして下さいませんか。その時だけは川岸の警備兵をどかして下さいな」
「そんな事をしたら、亡命する者が増えてしまうぞ」
「死に損ないの子供達が少しぐらい消えても構わないではありませんか? あなたの利益の方が大切ですわ。万が一、私が密輸の現場に立ち会うのをセシル様に見られても、亡命を救う為だと誤魔化す事が出来ますわよ。渡し船での行き来が出来たなら、市場に行く日以外でも物資が送れますわよ」
「うむ。それは便利だな。好きにしろ」
シャルロットが去った後、フーシェはコーヒーの香りを楽しんでいたのである。
フーシェには偉大なる野望がある。
自分の偉大さを神王である父親に認めてもらいたい。領土を得たなら一目置かれる。いずれ枢機卿になるのも夢ではないだろう。
フーシェが産まれた時、父は、まだ王子という立場だった。当時のフーシェの母は二十歳。王子がお忍びで村祭りに来ると聞いていたので、わざと、王子の目に留まるように派手な色彩のドレスを身に着けて近付いた。
王子のお手付きとなったフーシェの母がフーシェを産み落とした頃、フーシェの父は王になった。
最近、フーシェは鏡を見る度に思うのだ。
(わたしは王に顔が似ている……。それは誰もが思うことだ)
王の長男は自分である。
王子達を含めた息子達の中で、最初に生まれたのがフーシェだ。
他の腹違いの弟達もフーシェと同じ司教の地位についているが、庶子の中で最初に神学校に入ったフーシェは腹違いの弟達を指導する立場になれた。
兄として尊敬するように仕込んできたので、フーシェが枢機卿になった暁には絶大な権力を得られるだろう。とはいうものの、弟以外の司教もいる。彼等は有力貴族の庶子達なのだ。
特に財務大臣の息子が目障りだ。ライバルを出し抜く為にも大きな事を成し遂げたい。
(アルビオンの実業家を中心とした若者どもが、アルビオンの王を倒して革命を起こすと息巻いているようだな)
政権を市民のものとするというのが革命隊の目標なのだが、アルビオンの王軍は武器と傭兵を所有している。
まともにぶつかれば、革命隊は多くの血を流すことになる。
だからこそ、先月、フーシェはアルビオンの革命隊のトップであるブラウンに手紙を送った。
『武器、弾薬。戦略。貴殿の欲しいものを差し上げる用意が出来ている』
最後の戦略。これこそが革命の肝となることは間違いない。
離間させて混乱させてしまえばいい。
フーシェは卑劣な戦略を思いついたのだ。
☆
何度か、フーシェは革命隊の総大将との接触を試みた。それで、ついに、ブラウンがリユンへとやってきたのである。
「これは我が神王も賛成してくれている話なのだよ。我々は、君の革命を助けることが出来るのだが、どうかね」
それは、こんなプランである。
革命前夜。フーシェの軍がアルビオンの最北の国境の村を制圧する。
当然、駐屯地にいる王軍はこの村を目指して村を取り返そうとする。
「私の私兵は、それを迎え撃つ用意がある。王都で革命が起きているとは知らぬまま、村で足止めを喰らい、わたしの私兵によって殲滅する」
「お宅の私兵はそんなに強いのですか?」
「万が一、こちらが負けそうになっても、君達が王を捕らえたと知れば闘うのをやめるであろうな」
「そうですね。間抜けな王が革命隊の手に落ちたなら、給与は支払われないと悟り、兵士達はとっとと家に帰るでしょうね」
王都に残るのは近衛兵と異国から雇われている傭兵だ。
近衛兵は王への忠誠心の塊なので、なかなか手強いが、アルビオンが雇っている傭兵は戦況が傾けば尻尾を巻いて逃げる公算がある。
「今あるアルビオンの兵力を分散すれば、君達は楽に闘えると思うのだが、どうかね?」
サマセット村、つまり、セシルの村は、元々、アルビオン人にとっては寒村で陸の孤島と呼ばれるところだ。失っても痛手にはならないというのを見越してフーシェは陰謀を持ちかけたのだ。
「わたしは小さな村をもらう。君は国を手に入れる。お互い、欲しいものを手にする。悪い話ではないだろう」
「ええ、そうですね」
ブラウンは秘密裏に協定を結んだのだが、まだ、そのことをセシルはもちろん、アランも知らない。




