第九話
それから、三年余りの歳月が流れていった。
「今年もジャガイモの生育はバッチリね」
せっせと荒れ地を開拓したおかけで村の農地が増えている。
いい天気だ。
ほっかむり姿のセシルは鍬を置いて水を飲む。
「セシル様、おやつの米粉ドーナッツ、食べませんか?」
「あたしは、おやつはいいわ」
用水路の脇の木陰で農民達は休憩しているところなのだ。
(病気が流行ったらジャガイモが全滅するわ。品種改良してバリエーションを増やさないと駄目よね)
これまで色々あったが、幸いなことに村の収益は年々増えている。
かつては少年のように日焼けしていたセシルだったが、最近は日焼けを気にして大きな帽子を被って農業に勤しんでいる。だって、そばかすになるのは嫌だもの。
「セシル様ーーー。王都から苗が届きましたわよ」
夕刻、帰宅するとサリーが教えてくれた。
今年からスイカを作ることにしているのだ。例によって、王都の植物学者からスイカの苗を譲ってもらっている。
スイカは新大陸ではなくて旧大陸の砂漠地帯のオアシスで取引されているものなのだ。
こっちでも作れるんだから、作らないともったいない。
(よっしゃーー。今年の夏はスイカ割りが出来そうね)
後は、あれだ。落花生も欲しい。
なぜだか分からないが、この国の人は地中に生えている作物を下に見ている傾向がある。由々しき問題だ。
(特に貴族は根菜類を下賎で汚いものとみなしているようだわ)
それが、もったいなくてしょうがないが、逆に言うと、貴族に没収される心配がなくていい。
(ピーナッツバターを売れば儲かりそうだわ)
子爵だった父は病死しており、半年前から兄が家督を継いでいる。
セシルは十七歳。
他の貴族達は王都で夜な夜な繰り広げられるパーティーに夢中だが、セシルは社交界に踏み入れた事がない。
たまに同年代の女友達が欲しいと思うこともあるけれど、隣の領地まで行くには馬で四時間もかかる。
(お茶会に行くのも一苦労だものね。あたしの家からだと、隣国のリユンに行く方が遥かに近いわ。でも、あんな国、もう二度と行くものですか。ほんと、おぞましいったらありゃしない)
という訳で、セシルは地元に残ったまま目新しい保存食や、新種の食べ物の開発に勤しんでいる。
その服装は領主のお嬢様というよりも、低賃金の労働者のように見える。
せっせとキャッサバを収穫しながら、これまでの苦労を振り返っていったのだ。
(キャッサバのパンを腹いっぱい食べられて、みんな喜んでいるわ)
農業高校の生徒なので米作りに関しては熟知しているが、いざ、米を製粉するのに、なかなかの手間がかかるので難儀した。
何しろ生の米は硬い。
村の鍛冶屋さんやら何やらの知恵を借りて、米を粉にする機会を手に入れたが、米の生産量を増やすのは無理だった。
(小麦に比べると米は人手がかかるのよね~)
そこで、キャッサバを植えたところ、どんどん採れた。
(ジャガイモみたいに他所の村でも簡単に作れるんだけどね……。布教は出来ないわ)
キャッサバには毒があるので、それを天日干しをしたり煮たりして、無毒化するには技術と手間がかかる。
それ故に、ここの村人でないと作れない。
だから、手間のかかる米粉やキャッサパのパンやお菓子を焼いて行商すると、すぐに売り切れる。
砂糖ダイコンから砂糖を抽出するので、村人は甘いケーキをおやつにする事も出来る。おかげで、村の子が虫歯になるという弊害も起きてしまった。
(歯磨きの習慣を徹底することで、それは丸く収まったんだけどね)
セシルは兄に頼んで茶の木を入手すると屋敷の周囲に植えたおかげで、自家製の緑茶と紅茶を飲めた。
「お嬢様~ 行商人が手紙を持ってきましたよ」
アルビオンには郵便制度というものはない。知り合いに荷物を託すというシステムなのだ。
この日も商人が来た。開けてみると、そこには、女子修道院で作られたハーブが入っていた。
「これ、料理に使うといいわ」
アルビオン南部はここよりも暖かくて乾燥している。エーゲ海のように美しい海の景色が堪能できるし、ここでは作れないハーブも栽培できるし、海の幸も豊富で過ごしやすいようである。
(あそこは冬でも雪が降らないし、日照時間も多いから気持ちいいわよね)
アランの妹のアンヌと盗賊の娘はアルビオン南東の修道院に入り慎ましく暮らしているようである。
(アンヌも、今ではフライドポテトが食べられるようになったのね。良かったわ)
ちなみに、アランは王都で商人として働いており、そこで、未来の革命総長のマーク・ブラウンと出会い意気投合しているらしい。
(あーあ、やっぱり、アランは前世と同じ様に革命隊に入ったのね……)
最近、総長のブラウンは革命を願う支援者を増やしている。
こんな田舎にいても、街では貴族の腐敗を嘆く者達がいて、貴族も税を払うべきだと訴えているという噂か届く。
いつものように、本や文具や雑貨など、前から頼まれていたものを持ってきた行商人を、セシルの使用人が取り囲む。
「へい、また来月、注文の品を持ってきますぜ」
セシルは大きな鍋と新しいノートを注文しておいたのだ。
この世界にネット通販はないのでこうやって手に入れるしかない。帰り際、行商人が感心したように言った。
「立派な工房ですな。ここでパンも焼くんですな」
二年前から、セシルの屋敷の納屋を改造して食品加工をする工房にしており、そこの責任者としてクロードが村人達に指示を飛ばしている。
「髪の毛が落ちるから、作業場に入る奴は櫛てせ髪を梳いてから入れって言ってんだろう。それと、手は石鹸でごしごしと洗え。駄目駄目。おまえら、マスクをつけろと言ってんたろう」
今日から村の子供が新しく作業に参加するので、クロードはピリピリしている。
(新入りの女の子は十三歳。新入りの男の子は十歳か……。クロードったら、張り切ってるわね)
今でこそ、衛生面をちゃんとするように厳しく言っているけれど、最初は、クロードも泥だらけの手で食材に触れていたのである。
うちの商品の強みは長期保存できるところだ。
だからこそ、調理の段階で雑菌の繁殖を押さえる為の対策が必要で……。
クロードは、セシルのレシピの内容や調理のコツや注意点を必死になって覚えてくれた。
クロード曰く、亡くなった母親が教師の娘だったのでクロードが五歳の頃から文字を教えてくれていたらしい。こっちで暮らすようになってからのクロードは牧師から勉強を教わっており、今では、なかなかの知識人である。
そんなクロードが、革命隊の総長であるブラウンについて苦言を呈した。
ブラウンは貴族も課税せよと叫んでいるらしい。
「ブラウンってのは現実を分かってないと思うんだよなぁ。貴族に税金を課したら、ますます、庶民は苦しくなると思うぜ。貴族は自分達が倹約すりゃいいなんて事に考えが及ばねぇからな。小作人への税率を勝手に引き上げるぞ」
「いっそのこと、農地を小作人の物にしてしまえばいいんじゃない?」
「おいおい、お嬢様、そんなことしたら、お嬢様が飢えるぞ」
「あら、だけど、商売で儲けるから平気よ」
「お嬢様は他の奴等とは違うんだな。オレ、まじて尊敬するよ」
「あ、ありがとう」
セシルも前世では、村人の生活のことなんて考えていなかった。
光熱費や人件費。
そんな事に思いを馳せて暮らしている貴族はごく一部。別に、貴族でなくても、裕福な商人の娘などは働いた事がないので金を浪費することに対する罪悪感などないだろう。
「お嬢様、大変ですわ」
この日の午後、侍女のサリーが血相を変えてセシルのもとにやってきた。
「どうしたの? サリー」
「奥様とクロードが言い合いをしております」
奥様というのは兄と結婚したジェーンの事だ。
兄は、一年前に妻を娶ったのだが、セシル達がジェーンと初めて会ったのは半年前。
爵位を継いだのを機に兄が妻を連れ帰ってきた。兄嫁のジェーンは我儘だ。
ぼってりと太っており、いつも、何か食べている。知的な兄には相応しくない愚鈍な女性だ。そんなジェーンがセシル達の製品を勝手に運んだというのである。
セシルはおおいに慌てた。
「お義姉様、そんなことをされては困ります。明日、出荷する予定なんですよ」
瓶に入った鴨のコンフィを百個単位で製造している。その半分を実母に土産として渡したという。
数日前に、ジェーンの母が泊りがけで遊びに来た。それでつい、先刻、帰ったところである。
「いいじゃない。うちのお母様が欲しいと言うんだもの。あれを御近所や取引先の人にも贈ると喜んでもらえるわ」
「お義姉様、売らなければ、お金になりません」
「あなた、商品が売れる度に、使用人に配当金を出しているそうね。それを止めたら家計は楽になるのよ」
「メイドや御者の仕事の余分に工房の仕事をしてくれているのですから、払うのは当たり前です。ブラック企業みたいな真似はいたしません」
「ブラック企業ってどこの会社よ」
「うっ」
しまった。つい、前世のワードを口走ってしまっている。
「と、とにかく、あれは返して下さい」
これでは埒が明かないという事でセシルは馬を飛ばして馬車を追いかけようとしたのだが、ジェーンがヒステリックに叫んだ。
「みっともない真似はやめてよ。お母様が驚くわ」
確かに、娘婿の妹にコンフィを返せと道端で迫られたら困るだろう。ジェーンが言った。
「分かったわよ。コンフィ代を払えばいいんでしょう」
しかし、お金の問題ではない。これは信用問題に発展してしまうかもしれない。商売は信用第一。
隣街の商業ギルドに収めると約束したからには期日を守らなければならない。
セシルが行動しようとしていると、そこにシャルロットがしなやかに現れた。
「お嬢様、ここは私に任せていただけますか?」
シャルロットは、子爵家の差配と工房の経理や注文受付や配送などの仕事を担当している。
(そうね。あたしが言うより、使用人のシャルロットが言う方が角が立たないかもしれないわね)
それから数時間後。
シャルロットは大量のコンフィの瓶の入った箱を取り戻して帰ってきたのである。
「これ、どうやって取り戻したの?」
すると、彼女は美しい笑みをこぼした。
「この商品にはカビが発生しており、食中毒になる可能性が高いので回収すると言いましたの」
「えっ、カビなんて生えないわよ」
「もちろんですわ。しかし、巷では粗悪品もありますわ。ジェーン様のお母様も不安になったのか、すぐに返品してくれました。嘘も方便ですわ」
まさか、この美しく聡明な女性が口から出まかせを言ったなんて誰も思わないだろう。
「だけど、悪い噂が立つんじゃないの?」
「いえいえ、ジェーン様のお母様は生粋の商売人ですから、娘婿の商売が不利になるような事はおっしゃりません」
ジェーンの実家は王都にあり、王宮の侍医とも関わりのある有名な薬問屋である。
薬業界も粗悪品に振り回されることは多々ある。
お嬢様育ちのジェーンと違って、彼女の母は夫と共に行商をしたりして苦労をしている。
しかし、末娘のジェーンは一度も金の苦労をした事がないので困る。
セシルは先週のジェーンと兄のやりとりを思い返して溜息をもらす。
ジェーンは兄を困らせていた。
『どうして、湖畔の別荘を買ってくださらないのですか』
アルビオン南部に別荘を建てたいと夢みたいな事を言っている。
『そのような余裕はないのだよ。公民館の壁の修復を優先させなければならないのだよ』
『だけど、ここの冬は寒くて死にそうよ。冬の間、南部に行けば、きっと、あたし達、子宝に恵まれるわ』
ジェーンは、セシルより二歳年上の十九歳。
セシルの兄は三十歳を超えている。
二人がなぜ結婚したかと言うと、ジェーンが兄に一目惚れしたことが原因のようだ。
兄はジェーンの両親に恩があるので断れなかったという。
ちなみに、鴨のコンフィ騒動の翌週もジェーンのせいで事件は起きた。
農民達に分配する予定のお金を勝手に使い込んだのである。
「お兄様、ジェーンを叱って下さい」
「すまないね。妻が使い込んだ分は、わたしが何とか埋め合わせをするよ」
セシルはもどかしさを感じていた。
前から穏やかな人だったけれど、今は、穏やかというよりも腑抜けになっている。
王都にいた頃、無料で薬草を処方したり医療行為をしていたが、半年前、窓から転落して大怪我を負ったそうなのだ。
何があったのか、詳しい事を尋ねても兄は教えてくれない。腰の怪我が癒えると、診療所だった自宅を売り払い妻を伴って領地に帰ってきたのである。
気鬱に陥っている兄は、民を思うセシルと贅沢を欲する都会育ちのジェーンとの板挟みになっている。
とにかく、お金のことばかり要求するジェーンに、みんなうんざりしていた。
また、今日もジェーンは甲高い声でキンキンと喚いている。
「お友達の夜会に招待されたのよ。同じドレスなんて着て行ったら笑われるわ。古いドレスなんて嫌ですわ」
ジェーンは貴族と結婚した事をみんなに自慢しているからこそ、こんなにも幸せなのよと見栄を張りたいらしい。
ジェーンは、何とかして金を得ようと悪足掻きしている。
「あなたが言えば、セシルも改心するんじゃない? 小作人や使用人にばかり金を与えて、領主である兄をないがしろにするなんてどうかしているわ。この土地も小作にもあなたのものだわ」
キンキンとした声に耐えながら、兄は泣き笑いの声で呟いた。
「そうだね……」
それを聞いたジェーンは自分の要求が通ったと解釈して部屋から出ていった。
「はぁ、どうしたものか」
眼鏡を外した兄は物憂げに嘆息する。セシルは稼ぎ頭だ。食品加工の工房に全精力を傾けている。兄としては それを邪魔したくない。
かといって、学生時代にスポンサーとして尽くしてくれた妻に不自由はさせられない。
そんな兄に対して、セシルの事業の経理を担当しているシャルロットがコソコソと囁いたのだった。
「隣国と密貿易すれば良いのですわ。そうすれば、あなたの所得が増えますわ。奥様は機嫌が良くなるし、ここの領民に支払う給与も維持できますよ」
「そんなことは無理だ」
「実は、私はフーシェ様から要請されているのです」
ヒソヒソ。
コソコソ。
シャルロットの話を聞きながら、兄は、だんだんとその気になっている。
「ここは辺境の村ですわ。アルビオンの王の監視もありませんわ」
「しかし、法律違反だ」
「でも、子爵様の奥様がセシル様にたかるのを防げますわよ」
確かに、妻をおとなしくさせるには金がかかる。セシルに迷惑をかけないようにするには、自分が頑張るしかない。
こうして、セシルの知らぬ間に兄はフーシェの罠に陥ろうとしていたのである。
☆
夕刻、仕事を終えたクロードはハトと鶏を飼育している森の中にある小屋へと向かった。
鶏の卵を狙う狐の罠を仕掛けているので、注意して森を歩かなければならない。
すると、どこからともなく鷹が飛んできた。
「えっ」
鷹を肩に乗せて微笑むシャルロットを見かけた。シャルロットは鷹を手なずけているようだ。
(何だ、あいつ……)
鋭い爪を持つ鷹の足には何か手紙が結ばれている。
(あの女、鷹を使って文通をしているのか?)
リユンの家族と通信していたとしても不思議ではないが、それを隠すというのは腑に落ちない。
クロードは奇妙な苛立ちを抱えながらその後ろ姿を見ていた。
セシルは裏で何が起きているのか分かっていないが、セシルの下僕となったクロードは、シャルロットの怪しい動きに気付き始めていたのだった。




