12 - お医者様ならいませんが超人ならいます
機内には緊張の糸が張り巡らされている。
「この中にお医者様はいらっしゃいませんか」
キャビンアテンダントのこの一言で機内の雰囲気は一変した。
慌ただしく、機内を駆け回るキャビンアテンダント。一体何事かと喚きたち、落ち着きを失った乗客達。そんな非常事態の中でも、飛行機は揺らぐことなく正常運航を続けていた。
「何があったんです?」
私の一つ後ろの席に座っていた青年が立ち上がった。
「急病人が出たんです! お客様はお医者様でいらっしゃいますか?」
焦燥で顔を強張らせたキャビンアテンダントが駆け寄ってくる。
「いえ、医者ではありませんが、大学で医学を学んでおります。もし、力になれることがあれば……」
「ご協力ありがとうございます。それではついてきていただけますか」
そうキャビンアテンダントが言った時、私の隣の男も立ち上がった。私は完全に通路側に意識を向けていたので、彼が動き出す兆候を抑えることが出来なかった。
「何事じゃ⁉」
アダムの呼びかけにキャビンアテンダント、医学部の青年、そして私が一斉に振り向いた。
「アダムさん!」
「あなたもお医者様ですか? 一緒に来てください!」
私が制止を促そうとすると、それに合わせてキャビンアテンダントがもの凄い剣幕で被せてきた。相当焦っているのが見て取れる。
「良かろう!」
アダムが頷くと、キャビンアテンダントは先導するように、機体前方に向かって走っていく。その後を医学生も追随していった。
「どうするの? アダムさん、お医者さんじゃないのに」
「おいしゃとはなんだ?」
「わからないなら、気軽に返事しないで! とりあえず、行こう! 冗談じゃすまなくなる前に謝ろう。私も一緒に行ってあげるから」
アダムを責める口調が荒くなる。ただ、ここで必要以上に彼を責める気にもなれない。だって、彼に悪気は全くないのだから。
私はアダムと共に、病人がいるという機体前方に向かった。
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機体前方の状況は、私達がいた場所よりもずっと深刻だった。
一番広い入口付近の通路に倒れ込んだ老夫。顔をしかめたような苦しそうな顔をしている。彼が急病人で間違いない。
本来そこにいるはずの乗客は全員、後部座席に移動していて、この場にいるのは、老夫の妻にキャビンアテンダントが二人、医学生、それを少し後ろから眺める私とアダムの六人だけだ。
張り詰めた糸のような緊張感がそこには漂っている。とてもじゃないが、今さら医者ではないと言い出せる雰囲気ではない。
「……これどうするんですか?」
アダムを肘で小突いて、他の人に聞こえないように小声で言う。
「どうするもこうするも、我に訊かれても……」
アダムがいつも通りのテンションで平然と言う。
「主人は助かるのでしょうか……⁉」
老婦人が張り裂けるような声で医学生に泣きつく。
通路に膝をついた医学生が、老夫の容態を確認する。
「持病や常備薬等に心当たりはありませんか?」
「主人は……持病があり、いつも薬を服用しているのですが、今日はそれを忘れてしまって……」
泣きながら話すものだから、ところどころ聞き取りづらい。それでも、婦人は懸命に言い切った。
医学生は老夫の胸に耳を当てたり、瞳孔を確認したりしている。本当に医学を学んでいる人だ。この人がいて助かった。もし、この人がいなかったらと思うとゾッとする。
「今すぐ、近くの空港に緊急着陸した方がいいですね……。そうですよね、先生!」
医学生が真っ直ぐな目でアダムを見つめる。
——これはマズイ展開だ。
それなのに、アダムときたら。
「なんだ病人か……どれ、見せてみろ」
アダムが病人の方にかつかつと進んでいく。病人に群がるキャビンアテンダントと婦人を撥ね除ける。
通路に膝をついたアダムは病人の胸に手を当てる。
「エホッエホッッッ!」
病人は酷く咳き込み、もの凄く苦しそうだ。
「なるほどなぁ~」
アダム短く頷く。
「なにが『なるほどな』よ! ごめんなさい、この人医者でも何でもないんです。本当にすいません!」
これ以上はさすがに付き合いきれないと、勇気を振り絞った私が割り込む。
「少し黙っていろ、イブ」
アダムが低く威厳のある声で言ってくる。至極真剣な表情で威圧感さえ感じる。初めて出会った頃——神のような神聖な迫力があった。
病人の胸に当てたアダムの手が神秘的な光を放つ。光は徐々に勢いを増し、しまいには周囲がホワイトアウトするほどの閃光を放った。
「これでどうだ」
白んだ視界が色めいていき、世界は色を取り戻す。すると、どうだろう。苦痛で顔をしかめていた病人老夫の表情が、柔らかく穏やかなものとなっていた。呼吸も安定しているようで、咳も落ち着いている。
老夫がゆっくりと目を開ける。
「ここは……」
「気分はどうじゃ?」
「発作が起きる前より、ずっといいです。それに、夢でも見ていたかのようだった……」
起き上がった老夫が、まるで憑き物が落ちたような晴れやかな顔をする。そして、嚙み締めるように続けた。
「……あなたは神ですか?」
「我はアダム、神ではない」
「そうですか……」
そこに、やっと状況を理解した老夫の妻が入り込んできた。
「あなた、もういいの?」
「ああ、彼のお陰でな……。身体も軽いし、気分も晴れている」
「ああ、なんとお礼を申し上げればよいか……」
老夫の妻が、アダムを崇めるように頭を下げる。
「気にしなくていい。容易いことよ」
「……どういうこと?」
ひっそりと背後に回った私は、アダムに耳打ちする。
「なーに。病を治してやっただけじゃ」
「あの……先生? 状況の説明をお願い出来ますでしょうか? 緊急着陸の判断もありますので……」
申し訳なさそうにキャビンアテンダントの一人が訊いてくる。もう一人は機長に連絡をしているようだ。
「その必要はないよ。迷惑をかけたね……」
少し照れながら、老夫が手を上げてキャビンアテンダントを制止する。
「それでは、緊急着陸の件は一旦なしとさせていただきます」
そう言い残して、キャビンアテンダントは運転席の方へ向かっていった。
「我らも戻るとしようか」
「そ……そうだね」
我先にアダムは自席に戻っていく。
「お大事に」
私も一度振り向いてお辞儀し、自席に戻った。最後に見た、老夫婦は晴れやか表情をしていたのに対し、医学生はほぼ放心状態といった様子だった。
病を治した『眩い光』あれは一体何だったのだろう。これで、疑いの余地は完全になくなった。彼は本物のアダムだ。神に創られし、人類の始祖。
まごうことなき神の力に直面した私は、実はとんでもないことに足を突っ込んでいるのかも知れない。しかし、もう引くことは出来ないところまで来ている。
私は自席につくと、ぬるくなったお茶を一口啜った。




