11 - アダム空を飛ぶ
虹町ショッピングモールでのファッションショーの後、ショッピングモール内のパスタ屋で夕食を取り、程よく疲れた私はアダムを引き連れて帰宅した。本当は寝具や箸などの雑貨なんかも購入したかったのだが、それは青森に到着してからでもいいかということで帰着した。
自宅に帰ってからは、バタンキューで就寝したアダムをぼんやり見ながら、帰郷の準備を進めた。丁度、必要物資全てスーツケースに詰め込んだところで、不覚にもリビングで寝落ちしてしまった。
結局、朝まで寝てしまった私はスマホのアラームで起床した。寝る前に準備は全て完了していたので、隣で爆睡しているアダムを起こし、私達は空港へ向かった。
羽田空港国内線ターミナル。スマホでチェックインを済ませ荷物を預けた。ひと悶着起こしながらも保安検査場をクリアした私とアダムは、飛行機の搭乗待ちをしていた。
「この鋼鉄の怪鳥が人を乗せて空を飛ぶとはなぁ。にわかに信じ難い」
滑走路を一望できる大窓に張り付いたアダムが、飛行機に疑いの目を向けている。壁一面がガラス張りになっており、そこから横並びの飛行機を見ることが出来た。
「私も初めて乗った時は、ちょっと怖かったな」
「イブはすでに乗ったことがあるのか?」
「あるよ~。初めて東京に来た日のことを思い出すな~」
晴れ渡った空を見上げて物思いに耽ようとしていたのに「さきほど売店で買った菓子は食わんのか?」という、アダムの一言で遮られた。
「あれは、ママ達へのお見上げだからダメ」
くーんと鳴く犬のように、アダムの元気がなくなる。
「まあ、向こうに着いたら食べていいよ」
待合所に点在して設置されているスピーカーから、アナウンスが鳴り響く。
「——九時五十五分発、青森行き、JP141便、ご利用のお客様は二番ゲートよりご搭乗ください」
私達と同じく、ゲート前で待機していた人達がゲートに一斉に入場していく。ゲートが混み合い長蛇の列が形成されていく。
「もうすこしだけ、飛行機見てていいよ」
アダムに一言告げて、私はスマホを弄る。五分も待てば列はなくなり、スムーズに入場出来るようになった。
「そろそろ、行くよ」
「ああ、楽しみだな! 我とて空を飛ぶのは初めてじゃ!」
今にもスキップしそうな豪快な歩き方で、アダムはゲートと反対方向に進んでいった。
「そっちじゃなーい!」
慌ててアダムを呼び止めると、私はそのまま彼の手を引いて搭乗ゲートに向かう。
「……ありがとうございます。……こちらからどうぞ」
ゲートでは、担当のスタッフが流れるように乗客を捌いている。
「この切符はどこに入ればば良いのだ?」
いつからか先頭を行くアダムが、振り向いて訊いてくる。
搭乗ゲートは確かに電車の自動改札機に似ていた。
「さっき渡した用紙のQRを翳すんだよ」
私が先にゲートを潜り、見本をみせてあげる。
——なんかこの感じも慣れてきたな。
「こうか?」
探り探りアダムがゲートを抜けてくる。そんな様子をスタッフが微笑ましそうに眺めていた。
メガバンクのポスターが貼り付けられた連絡ブリッジを進んでいくと、開かれた状態の分厚い鋼鉄の扉が見えてきた。
「こんにちは。ごゆっくりどうぞ」
案内役のキャビンアテンダントが出迎えてくれた。
私とアダムは飛行機に乗り込む。絨毯が敷かれた連絡ブリッジと、同じく絨毯が敷かれた飛行機の床、足場の差異は殆ど感じられない。これが本当に空を飛ぶなんて、言われてみれば不思議ではある。
今回予約した座席は、もちろん普通だ。機体の中央で自分の座席を探す。
「A―17……ここだ」
自分の座席を見つけた私は、手荷物を上部の棚に収納する。
「アダムさん、せっかくだから窓際座っていいよ!」
「ここが我の席か?」
「うん」
アダムを窓際の席に座らせ、その隣に私も落ち着いた。
搭乗したのが最後の方だったということもあり、すでに殆どの乗客が席についている。
「——アテンションプリーズ——当機は間もなく離陸いたします。シートベルトはお締めでしょうか。今一度ご確認ください」
機内にキャビンアテンダントのアナウンスがあり、視界の上部にあるシートベルトマークが点灯した。
何の前触れもなく、飛行機がじりじりと動き出す。
「イブ! 動き出したぞ!」
窓の外を一瞥したアダムが、キラキラした瞳を向けてくる。
「楽しみ?」
「当たり前じゃ、我とて空は飛んだことはないからの」
「そろそろ、背凭れにしっかり凭れておいたほうがいいよ!」
「なぜじゃ?」
「そのうちわかるよ」
離陸時の反応が楽しみで、含みのある笑みが零れる。
私もシートにしっかりと背を凭せ掛けて、離陸を待つ。ゆったりと滑走路を巡回した飛行機が、助走位置につく。その瞬間、ジェットエンジンが轟轟と音を立てた。
私達を乗せた飛行機が発進する。徐々に加速し、飛ぶのに必要な速度を超えたところで上昇を始めた。
ドカッと全身に重力がかかる。
「ういっっっ⁉」
隣の席でアダムが目一杯歯を食いしばっている。
飛行機が安定高度に達し、頭上のシートベルトのランプが消える。
「びっくりした?」
私はアダムに笑いかける。
「知っているなら、先に教えておいてくれ!」
「ごめん、ごめん。ほら……窓の外見て!」
窓の外は真っ白でふわふわとした雲と、澄み渡った青空が広がっていた。
「これが、空か……」
目を丸くしたアダムが低く唸る。
「すごいよね」
「外に出てみたいのだが、どこから出ればいい?」
「出られないよ⁉ 出たら飛ばされて、地上に落ちちゃう」
「そうか……」
テンションマックスだったアダムが、急にしゅんとする。せっかくの空の旅だ。彼にはもっと楽しんでもらいたい。何かないかと周囲を見渡すと、前方からカートを押したキャビンアテンダントがやってくるのが見えた。
自分の番が必ず来るのはわかっているのだけれど、自分の番が来るのか心配になり、そわそわしてしまう。
待ちわびていると、国内線お決まりのイベントが始まった。これで、少しアダムの機嫌が良くなればいいのだけれど。
「お飲み物はいかがでしょうか」
ソフトドリンクや紙コップを乗せたカートを、押したキャビンアテンダントが美しく完璧な笑みを浮かべて訊いてくる。
「私はお茶を、彼には……アップルジュースってあります?」
「ございます。お茶とアップルジュースでございますね?」
「お願いします」
キャビンアテンダントがピッチャーに入ったお茶を紙コップに注ぐ。その次にアップルジュースのパックを取り出して、それをお茶と同様に紙コップに注いだ。
「どうぞ」
キャビンアテンダントの凛とした声。私が男なら名刺を渡しているところだ。
「ありがとうございます」
お茶とアップルジュースを受け取ると、ニコッと笑んだキャビンアテンダントは後方へ移動していった。
「アダムさん、アップルジュース」
受け取ったアップルジュースをアダムに手渡す。
「何だこれは?」
「りんごの果汁で作った飲み物だよ」
「禁断の果実を飲み物に?」
眉根を寄せたアダムが、恐る恐る紙コップに口をつける。
「んん!」
一口味わったアダムの目を見開く。
「美味い!」
「良かった……青森に着いたら、本場のりんごジュース飲ませてあげるから、楽しみにしてて」
「それは楽しみじゃな!」
満足そうなに笑うアダムを見て、私もお茶を一口いただいた。
さあ、これで少しゆっくり出来るかな、と思った矢先の出来事だった。
「——この中にお医者様はいらっしゃいませんか⁉」
緊張感のあるキャビンアテンダントの声が機内に鳴り響く。
その一言で、機内の雰囲気は一変した。楽しかった空の旅は終焉を迎え、張り詰めた緊張感で機内全体が締め付けられた。




