3-2
3-2
状況を整理しよう。今がまだ夏休みだということが不幸中の幸いである。こんな調子ではとても学校なんて行ってる場合じゃない。毅はつかの間の睡眠から目を覚まし、いい加減に暑苦しい部屋にうんざりしながらコップに麦茶を注いだ。
「まず、事の発端はこの本だ」
店のカウンターに置きっぱなしだった黒革張りの本。毅は本の表紙をリズムを取るように指で数回叩いた。題名は『ANNESSA』あの麗人と同じ名前。アネッサはこの本を自分の説明書だと言ったが、毅には内容の一切を理解する知恵を持ちえていなかった。次いで、端的に説明を求めた結果あの様だ。紙芝居の中に入ってアネッサが数々のショーを繰り広げる。
「どーしよう・・・・・・やっぱ警察かな」
市民の不安を取り除くという意味ならば、警察を当てにするのは適切だと思う。が、毅にはどうしてもその気にはなれなかった。何故かというに、如何に事が深刻だと言う事を伝えるにはそれなりのスキルを要すると言うことだ。警察に対し、事件のプレゼンをする・・・・・・警察側がこれを我々が動くべきかどうかを見極め、認可されてようやく事は進む。毅にはあの青服達に今の状況を端的に説明する自信が無かった。
また、これは本当に、全くもって不本意ではあるが、例え奇跡的に認可されたとしてアネッサの身柄を警察に引き渡す結果になった時。たぶんアネッサは警察に連れて行かれる事を厭わしく思うだろう。そうなればアネッサの魔法でちょちょいのちょいだ。あれさえあれば事態の収束など造作もない事なのであろう。
「となると、・・・・・・親かなぁ」
毅の両親は海外出張の多い職に就いている。息子のことは心配ではあろうが祖父と一緒に暮らしているということもあり自分の息子は大丈夫だと信じてくれているに違いない。それを意味不明な説明をする息子が電話越しに突然現れたらきっと悲しむだろう。
これも却下だ。
「相談する友達もいねーし」
万事休す。毅は汗のかいたコップで手を濡らしつつ麦茶を一気に飲んだ。手から腕へと伝う雫は身体の体温と夏の気に当てられすぐにぬるくなった。
「まぁいたとしても、こんなこと相談なんかできないか」
なんのことはない。ただなんとなくため息を吐いて椅子の背もたれに寄りかかった。外の蟬声は休むことなく鳴り続け、夏よ夏よと騒いでいる。風鈴も風に吹かれて涼しや涼しと乾いた音を鳴らしている。
よくあることだ。小説にはありきたりなのだ。夏の陽炎に混じって不可思議なことが起きたり、気温と同じように人の心も高揚していって、普段はなんてことない日常が不思議と楽しく感じたり。これはそんな、説明の要らないものなのだ。廃れた商店街の古本屋で暇そうに店番をしていた自分に神様が与えてくれた“何か”。ただ受け取ればいいだけだ。後は周りが何とかしてくれる。
「お悩みですか?」
「うわっ!」
突然、店側のリビングの入り口にアネッサが立っていた。夢ではない、この麗人は確かに自分の脳が現実として見ている。薄暗いリビング、アネッサはその宝石のような瞳を瞼で覆って笑みを作った。
「ただいま戻りました」
「あ、うん。おかえり」
すぅっと毅の頭の中からつっかえていたものが抜けていった。アネッサの笑顔を見て不覚意にも安心した。
アネッサの手には大きい袋が下げられていた。その袋を見て、毅の中に懐かしい記憶が蘇った。それは毅が小さい頃からあるおもちゃ屋で袋のデザインなんかはまるっきり変わってなくて、店のキャラクターが妙にダサくて安心する袋だった。あのときとは違って大人になったはずなのに、その袋を見ると心臓の底が震えるようにわくわくする気持ちになった。
「それ、買ってもらったの?」
言うまでもなく、それを買うために出て行ったのに、子供の頃言われた事を何故か口にしてしまった。
「はい、結構たくさん種類があるのですね。迷っちゃいました」
アネッサは嬉しそうに袋から中身を取り出し、テーブルに置いた。なかなかに豪華な作りのものだった。やはり祖父は高めの物を買ったようだ。
毅は食器棚からコップを一つ取り出した。
「おじい様には改めてお礼をしなくてはいけませんね」
「そーだな。てか、じーちゃんは?」
「お友達と会ったようで、暫く話して帰るとおっしゃってました」
麦茶を注いでアネッサの前に置く。アネッサは礼を言って両手で受け取り丁寧に口へ運んだ。ふと時計を見た毅は何かを思い出した。
「あ、そーだ俺夕飯の準備しないと」
「これ、開けてもいいですかね?」
聞いてるのか否か、アネッサはわくわくとした表情を浮かべておもちゃの家の箱を目で撫でまわした。
「夕飯の後にしろよ、散らかるから」
「はーい」
なんだか可笑しい。こんな筈ではなかった。今の自分は驚くほど冷静、というか和んでいる。アネッサは赤の他人で今日が初見だというのに、こんなに自分と馴染んでいる。今アネッサが品のある女性の声で子供の様な返事をしたのだって可愛いとさえ思ってしまった。考えすぎて何かが麻痺してしまったのだろうか、それともこうなる状況を自分の中では望んでいたのだろうか。
毅は決めていた。流れに身を任せると。それに今の状況が嫌ということではない、これでいいのかもしれない。
「うわー、見事に空だな」
冷蔵庫の扉を開けて、一切の食材の姿が無い中身を見て毅は言った。
「あらホント、何もありませんね」
横で覗きに来たアネッサはなぜだか楽しそうに言った。
「今から買いに行くかー」
「いえ、その手間は要りませんよ」
アネッサは片手で待ったのポーズを取ると、毅の肩を持ち、すすーっと傍の椅子に座らせた。
「な、なんだよ」
手をぷらぷら、足をぷらぷら、準備運動をしているアネッサに毅はある理解の到達を見出した。
「・・・・・・まさか!」
「ま・さ・か!」
「いやいやいや、お前さっき紙芝居で料理は作るのも楽しむ物だって・・・・・・!」
慌てて準備運動を制止させようと立ち上がるが、すぐにアネッサに押し戻されてしまった。
「それはお菓子の話ですよ。料理は舌が楽しんでなんぼです」
偏屈な話だ。お菓子だって同じようなもんだろう。
「今日一日はサービスでいいですよ、物々交換は明日以降のルールとします」
「俺は等価交換の話をしてるんじゃない!」
「まぁまぁ、減るもんじゃあるまいし良いじゃないですか、今日である程度の事は体験しましょう」
「さっき死ぬほど体験したよ!」
訴える度に、暖簾に腕押ししている感覚に少々の苛立ちを感じながら毅はキッとアネッサを見据えた。アネッサは気にする事もなく愉快な表情を浮かべて手をふらふらさせた。
「いいのいいの」
全くよくないし、ちょっとアネッサのキャラ崩壊パターンが見えた頃。毅は折れた。もう好きにやらせるしか選択肢は無いのかもしれない、明日になればきっとこのおんぼろ古本屋は新装開店でお客がわんさか入ってきて儲けが沢山入ってちょっとは気分が良くなるのかもしれないし、これはもうこれでいいのだろう。
「はぁ・・・・・・じゃもう、好きにしろよ」
毅は落胆した後テーブルに突っ伏した。
「了解です」
ビシッとものすごく楽しそうに敬礼をして見せたアネッサは、どこからかメモとペンを取り出し、いや正確にはポンと空中に出した。咳払いをして続ける。
「なにか注文はありますか?」
注文、夕飯のメニューか、と毅は少し考えた。
「夏バテ防止、うなぎとかオクラとかなんでもいいや」
長いものには巻かれてしまえ、毅はいよいよ考えるのが面倒になった。毅の注文にペンはさらさらとメモを取っていく。その間アネッサはふむふむとまるで人の話を聞いてない素振りで、料理とはまったく関係ない本を読んでいた。つっこむまい。
「酢の物、とか?」
「うん、俺もじーちゃんも好きだよ」
話を合わせてくるあたり、本を読んでいないのか。なればその態度は主人である毅に対する冒涜だろうか。だが今更、このアネッサにおいて感情の一切を真剣に向き合わせることはもはやしなかった。毅は学習していた。アネッサはふむふむと意味の無い独り言をいいながらふとペンの方を向いた。
「ふむ、あーあー、スペルが間違ってますよ」
誰に言っているのか。ペンだ。アネッサはペンと会話をしている。ペンは何度か書くが、「違う違う」だの「そこはエスじゃなく」だのペンにスペルを教えている。ペンの癖にあまり字は得な方じゃないようだ。
「そう、そうです!よくできました」
もう先生のようにアネッサはペンを褒めると、ペンは動きを止めてこちらへ向いた。あくまで気がするというだけの話だが。やがてまたアネッサの方へ向き直るとなにやら耳打ちをした。
「え?・・・・・・はい、・・・・・・・あー、わかりました」
アネッサは代弁する。
「もう一度最初から注文をお願いします」
「もうなんでもいいよ!!」
今日の夕飯はもしかしたら無しになるかもしれない。そうなったら失格として家から追い出そう。毅はそう決めた。




