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毅とアネッサは入った時とは逆に吐き出されるように紙芝居から出てきた。
「うわっ」
あまりの勢いに身体が反応できず床に尻もちを付く。アネッサは何事もないように見事な着地を見せその黒く優雅なドレスを整えると呆れたように言った。
「この程度ですっ転んでいては、先が思いやられますよ」
「っ、誰のせいだってんだ」
状況は紙芝居に入る前となんら変わらなかった。傍に祖父が気絶しており、夏の日差しはまだ下がり始めた頃、風鈴は涼やかに鳴っている。時が進んでいない、そう認識するのに毅は少々の時間を喰った。まずそのはずで、誰も止まった時を経験したことなどないのだからそれは毅にも当てはまることだった。
いよいよ自分の順応力に驚きを隠せなくなってきたが、今その事を考えるには脳のキャパが足りなかった。とにかく“普通”というものを取りこんで事態を落ち着かせることが今の毅の最高重要事項だった。
「じーちゃん!おい、起きろー」
毅は祖父の肩を強引に揺らした。祖父は居眠りから覚めるようにふがふがと鼻を鳴らして目を開けた。
「お・・・・・・おぉ、毅か。どうした?」
「どうしたじゃないよ、ちょっと説明するから聞いててもらえる?」
「おぉ、いいぞ」
毅はイスに座って祖父と向き合い、事の顛末を説明した。といっても全て丸々ではない、アネッサの事をできるだけ気絶しないよう曖昧に、言葉を隠しながら。とてもじゃないがあの出来事をそのまま話すことはできない。話したところで祖父は分かってくれないだろう。
「と、いうわけで。アネッサさんはメイドとか、秘書とか、なんかそんな感じの人だと思ってくれればいいから」
「ふむ、まぁ良いわ。歳をとるとややこしいことにゃ着いて行けん、難しいことは全部お前に任せるよ」
これは良いのか悪いのか、面倒事を押しつけられた感じが否めないが、これ以上話もまとまらなそうだったので毅はこの話を切り上げた。
事態を切り替えようと毅は手を打って口調を変えた。
「っつーわけで、アネッサは今日からこの家に住み込みます」
「えぇ、どうもありがとう」
アネッサは気前の良い笑顔で返した。
「なんだけど、じーちゃん。アネッサに家を買ってくんない?」
「家?」
「あー、家って言ってもその家じゃなくて。あのーほら女の子が買ってもらうようなミニチュアの家あるじゃん?あれでいいんだって」
さて、この問題を祖父がどう理解してくれるか。もしかしたらまた嘘八百でごまかすことも必要かと思っていた毅だが、その心配はいらない様子だった。
「いいぞいいぞ、ははっなんだかまた孫を持った気分じゃ」
「言っとくけど、そんな豪華じゃなくていいんだからな!普通のでいいんだからな!」
「わかっとるわかっとる。早速買ってこよう」
祖父がわかってないことが毅にはわかっていた。小さい頃から自分や近所の子供に物やお菓子を買い与えていたことを両親や亡くなった祖母に度々注意を受けていた祖父。決まって「わかっとるわかっとる」といい、そしてそれはわかっていないのと同じ意味を持っていた。毅は何も言わなかった。
「あ!」
祖父は上機嫌に店先に出ようとしたところで突然何かを見つけた様に声をあげた。
「どーしたん?」
「しまった。これを忘れとったわい」
悔し声で祖父が持って来たのは駅前にあるあの洋菓子店のロゴの入った袋だった。店に来る時に買ってきたのをどうやら第一次気絶時に落としてそのまま忘れてしまったらしい。まぁ突飛な出来事があり過ぎてそれどころじゃなかったのは確かではある。これは仕様が無い。
「あーぁ、アネッサちゃんにも食べて貰いたかったんだがのぉ」
心底残念そうに熱を帯びて温まったケーキの箱を覗く祖父。しかし騙されてはいけない。祖父は大金に目が眩んでワイロのために、穢れきった感情で駅前のあの洋菓子店まで行って買ってきたのだ。それを知ってか知らずかアネッサは祖父の持っている袋を一緒に覗いた。
「まぁ私のためにわざわざ」
アネッサの方が申し訳なさそうに礼を言った。
「すまんのぉ、家を買った後また買ってくるかの」
「えー、また今度でいいよ」
何と言うこともなく、アネッサは祖父から袋ごと貰い受け、リビングのテーブルに置いた。するとなにか仕事でも始めるかのように手を叩き、ぷらぷらと準備運動を始めた。
「では、今回はサービスと言う事で」
「は?サービスって何・・・・・・」
ある程度済ますとアネッサは気持ちの良い弾き音を指で鳴らした。紙芝居の中での如く、または店先でのテーブルや茶器の如く、妙にキラキラしたものがあの洋菓子店の袋を纏ってぽんという間の抜けた音と共に弾けた。
「おぉ!こりゃなんとも!」
祖父は感嘆の声をあげた。無理もない、魔法とでしか説明が付かない状況が起きた。あの見るからに夏の熱気に当てられ中身を覗くのも怖くなっていたケーキの箱が白い冷気を纏っている。祖父が中身を確認すると、ショーケースの内側で宝石のように陳列されていた時のまま、保冷材も綺麗に凍って残っていた。思わず聞いた。
「アネッサ、お前何したんだ?」
「何をしたも何も、先程貴方に見せたようなものですよ」
先程、紙芝居の中では確かに見た。魔法、本当に魔法なのだろうか。そもそも魔法と言うニュアンスはテレビで放送するアニメかここ大歓楽書店にも並ぶ幻想小説の中でしか感じたことが無い。果たしてこれは魔法だろうか、それとも夢か幻か。
「現実としか言いようはありませんよ」
心の中の疑問にアネッサが応えた。
「でも普通こんなのありえないだろ、なぁじーちゃん?」
「おっほほぉ!最近はホントに便利になったもんじゃ!わしの知らぬ間に魔法の様なグッズが巷には溢れておる」
まるで聞いていない様子だった。はて歳を取るとはこういうことなのだろうか、これを現実逃避と呼ぶか世代の流れと呼ぶかは今となっては問題ではなさそうである。祖父の頭の中には人生経験というフィルターがあり、世に起きた出来事はそのフィルターを通る事により最も合理的に最適化されるのだ。晴れた日に街中の人が傘を差しても「近頃のファッション」といったカテゴリで処理されるのだろう。
「いいよ、俺が頑張って不可思議に立ち向かうから」
毅は諦めたように溜息を吐いて、取りあえず“元通りになったケーキ”を冷蔵庫にしまった。
「これは家を買ってきてからにしよう。とりあえずじーちゃん、アネッサの家よろしく」
先程動揺、毅は“普通”を取りこんだ。
「おぅ、まかせとけ。いくぞアネッサちゃん」
意気揚々と足踏みをして店を出ていく祖父。アネッサは不適な笑みを顔に貼り付けたまま祖父について行った。
「どーなることやら、先が思いやられる」
と、どこかで聞いたようなフレーズを口にして、毅はまた椅子に座りこんだ。こんなことで済むはずがない事も、考えなければならない事も、不可思議なことに立ち向かう力もない事も色々な事が保留のケースの中に収まっている。毅は気付かない振りをするしかなかった。そしてただ目の前に出された信じがたい事実を受け入れることに対して精一杯を使い果たし、今日の晩御飯をウトウトと考えつつ、眠りへと入っていった。




