第四章~二度目の……~
ガドネア歴 九七九年 一月 マリア・スナー
ミリアが里から帰ってきて、話を聞いたのだけど。
レアの結婚式には、周辺の龍族がこぞって集まり、大盛況だったそうだ。メルセアにしても、カル=アストロフにしても、あの辺りは人とともに暮らす龍族がとても多い。それで集まったのは、龍族だけでも一〇〇人を超えたとか。学園時代の友達も都合がつく人たちが集まってくれて、かなり大規模な結婚披露宴となったそうだ。私も、心から祝福の言葉を。おめでとう。
さて、私の話。
ミリアがこちらに戻ってきてから、毎年恒例の健康診断となった。
その話を聞いて逃げだそうとしたが、先手を打たれてとっ捕まった。
逃げる理由? 決まってますよ。
第四章~二度目の……~
がしっと、ミリアとアーサーがマリアの両腕を捕まえた。
「ぐっ……、は、放して? ね、お願い。あとで何でも言うこと聞くから、ね?」
「放しません」
「何でも言うこと聞くんなら、今も後も一緒。そん時も健康診断受けろって俺は命令するぞ?」
マリアは、空間を渡る技術を持っているが、しかしここまでがっちりと身体を掴まえられてしまえば、それができない。空間を渡れば、その人共々移動するだけとなるのだ。一緒に転移した者たちは平衡感覚を滅茶苦茶にかき回されるため、そこで酔って力を緩めるという算段もあるのだが、今のマリアにはそこまで考える余裕は一切無い。
「ね? うがいするだけの試薬ってありますよね? あれで大丈夫なんじゃないかな?」
マリアの二つの性格が交互に訴えるも。
「あれは特定の事柄しか診断できませんからね。広範囲を調べるには採血しかないんですよ?」
諭すミリアに、マリアは涙目だ。
「じゃ、先生。サクッとやっちゃってください」
ミリアは実に良い笑顔でそう話す。フィンチェスカ医師のモノクルと、手に持つ注射器、その針先が煌めいた。
「ぴっ!?」
マリアはミリアの腕から逃れようとするが、人龍の腕力と龍族の腕力とでは比べるべくもない。全く腕を動かせないマリアは、抵抗空しく、超音波絶叫を挙げるのだった。
「……まだ耳がキンキンします」
「ううううう……」
耳元での絶叫は、さすがに痛かったらしい。耳の調子を整えながら、ミリアも採血をしていた。
「んぬ……、ふう」
「痛いですよね? 痛いよね? お願いですから、痛いって言って?」
未だ涙目のマリアが、ミリアに懇願するも。
「別にそこまでは。……マリアさん大げさですよ?」
「だ、だって~」
すっかり子供の行動だな、とアーサーは小さく溜息を吐いて。
「なあマリア」
「うん?」
振り返る彼女に、アーサーは尋ねてみる。
「そんなに注射、嫌か?」
「人類の敵だよ」
そこまでか、とアーサーは苦笑した。
「お前の方は?」
そしてマリアにもう一度呼びかける。
「……人類の敵です」
二つの人格共通の認識のようで、アーサーは苦笑に苦笑を重ね、吹き出した。
「何でまた」
「痛いからに決まってるじゃないですか」
ご尤も、とアーサー。
ミリアも採血が終わり、四人ともこれで終了だ。後はその結果を聞くだけである。
四人で話し込んでいたところで、医師が結果を纏めて持ってきた。
「順番に話しましょう。アーサー殿は特に問題ありません。ファーネル様も問題は全くありません。ミリア様は、若干運動不足と食べ過ぎですね」
「……ぐ」
食いしん坊さんは、身に覚えがあるから唸るだけだ。
「そ、それよりも。私よりもマリアさんの方が先に検査を受けているはずですが、何故私が先に恥辱を味わっているのでしょうか?」
「恥辱て」
ファーネルがツッコミを入れ、ミリアが睨む。最近はファーネルたちと鍛錬をしているので、それなりに身体を動かしているものの、しかしその分以上に食べる量が増えてしまっている。遠回しに太ったと言われているものなので、女性としては実際屈辱的なのだろう。いつでもミリアはファーネル好みでいたいのだ。
「……アーサーさん、マリアさん。お二人には少し嬉しい報告があります」
「ん、なんだ?」
アーサー達は、医師に注目して次の言葉を待つ。
「結果から申しますと、母子共に健康、妊娠二月目に入った、とご報告させていただきます」
「え……?」
「はい。前回の流産で懸念されていたことは杞憂で済みました。おめでとうございます」
マリアは驚きの表情のままアーサーに視線を戻し、アーサーは力強く頷く。
「……っ~~~」
そしてガバッと言う勢いでアーサーに抱きつき、その顔を胸にぐりぐりと押しつける。
「よっしゃあっ」
と、ファーネルは全身で喜びを表す。
「なんでお前がそこまで嬉しそうなんだよ」
アーサーがツッコミを入れるが、彼自身もかなり嬉しそうだった。その傍ら、ミリアが何故か涙していた。ファーネルはそれにすぐに気がつき、懐からハンカチを取り出して手渡した。
「……ありがとうございます。感極まってしまって、……ぐす」
ミリアは涙を拭う。涙はすぐに止まったようだった。
「で、このタイミングでミリア太ったと言われたらさすがにショックだろうと、順番を入れ替えたって事か」
「ちょっ!?」
フィンチェスカ女性医師の、せっかくの配慮を台無しにするファーネルに、ミリアが叫ぶ。その頬に手を伸ばし、むにっと掌で揉むように撫でる。確かに以前と比べて肉が付いてしまっているが。
「俺はこれぐらい肉ついている方が好きだけどな?」
「もお、もおっ……」
途端に顔を真っ赤にさせるミリアだった。
「そうですね、私はアーサーの実家で産みたいかなって、そう思います」
アーサーとマリアが、これからどうするかについて話し合っていたところ、主性格のマリアがそうしたいと話した。
「そうか? あっちは本当に何もないぞ?」
「それが良いんじゃないですか?」
アーサーの実家、聖龍島。最北にデイドラグンと呼ばれるちょっとした港町があり、すぐ南の崖の上に人龍の里がある。里の総人口は僅か五〇人程度。そちらには店も宿も何もない、本当に民家が並ぶだけの場所だ。アーサーの生まれは、そんな辺鄙な場所である。一応彼の実家はスナー流の総本家でもあるのだが、剣技を教えるような道場などを設けたりもせず、周りよりもほんの少しだけ大きな、普通の家があるだけだ。
マリアは、アーサーと出会って間もない頃、ファーネル達の勧めでこの里を一度だけ訪れたことがある。アーサーはこの頃、女性を近づけたくない一心で、スナー家の内情を話してマリアを遠ざけようと、そんな考えで実家に招いた。そこでマリアに伝えられたのは、スナー家にかけられているであろう、呪いの話だ。結局の所、マリアはより一層アーサーの側にいることを誓うこととなり、そして今に至る。互いに愛し愛され、理想的な夫婦像だ。
彼の話すとおり、里には遊べるものは何一つない。そんな環境でよく子供の頃は遊べていたな、と本人が不思議に思うぐらいである。街に繰り出しても、ちょっとした商店が数軒並ぶ程度の商店街、奥まったところにある温泉、後は地産地消を地で行くような小規模な魚市場があるぐらいだ。
「なんで?」
「都会は賑やかすぎます。のどかで自然が沢山あって。そんなところで、のびのびと子育てしたいなって。そうしたら、……その」
急に言い淀むマリアに、アーサーはどうした、と声をかける。するとマリアは恥ずかしそうにはにかんで答えた。
「アーサーみたく、優しい子供になるのかなって思ってね」
その言葉は、アーサーを撃沈させた。二人して照れてしまい、会話が途切れる。
「最初、私たちを近づけさせないってしていたの、結局はアーサーが優しいからですもんね」
「なんでそう思う?」
アーサーは反論するが、マリアは恥ずかしそうな視線をそのままに続ける。
「スナー家の呪いに巻き込みたくなかった、ですよね?」
これは以前からファーネル達にも指摘されていたことだ。
スナー家に嫁げば、確実にスナー家の呪いに見舞われる。一度呪いを受けてしまえば、逃れる術はない。そんな過酷に巻き込むのだ。だから、それ相応の覚悟を持たない女性を受け入れないと、アーサーは考えていた。裏を返せば、そうした過酷に、むやみに引き入れたくないという気持ちもあったのだろう。その部分を、マリアたちは優しさだと指摘している。
アーサーは、人龍の中では背が高い方であるし、整った顔立ちで強いともなれば、冒険者の中では結構モテる方だった。そのため、言い寄ってくる女性もそれなりにいたが、その全員を袖にしてきた。なお食い下がってきた女性には、スナー家の呪いの話を打ち明けることで、心が離れていくところを何度も経験している。
この時彼が感じたのは、少しの寂しさと後悔、そして安堵だった。
離れていった女性の中には、アーサーの心を奪いそうになったほどの人物すらいる。彼女と別れたときは、本当に安堵した。その安堵がどこから来ていたのか、今解った。単純に、スナー家の呪いに巻き込まずに済んでほっとした、そういうことだったのだろう。
「……そうかも、しれないな」
その時の女性の顔が、ふと頭をよぎった。今彼女は何処で何をしているのだろう。自分なんかよりももっと素敵な男を見つけ、自分らのように結婚したのだろうか、と。次に出会ったとき、その自慢の旦那を紹介してみろ、と。ただ、幸せを掴んでいればいいな、とそう考えるのだった。
ドンッとマリアが背中にぶつかってきた。
「昔の女の子と考えてる?」
「い、いや? そんなこと無いぞ?」
図星を突かれ、慌てるアーサーだった。
数日後。二人は馬車と船を乗り継ぎ、聖龍島デイ・ドラグンへと到着した。日の長い夏ということもあり、まだ夕刻という時間帯である。
今回自らの翼を使って飛ばなかったのは、単純に旅を満喫したい、というマリアの希望だからである。飛べば、ユニス王城から五~六時間強の旅。交通機関を使用すれば最短で一泊二日だが、週に一往復しかない船便にあわせ、日程の調整が必要になる。そんな辺鄙な場所が、彼の故郷だ。
下船して身体を伸ばし、桟橋を駆け抜け、マリアはアーサーより先に上陸して手を振る。アーサーは苦笑してその後を歩いて追う。そして二人並び、里のある上地を目指す。
「飛んで行けばあっという間だけど、そうする? 階段はきついぞ」
「そうですね。では階段で。少しでもこうして一緒に歩きたいな、と思います」
「了解」
「……えへ」
そして二人、いやもう一つの性格も合わせて三人。共に歩き、階段を上る。
途中にある休憩所で身体を伸ばし、日が暮れる町を見下ろす。
「綺麗ですね」
「そうか?」
アーサーにとっては、昔から変わらない見慣れた風景でしかない。それでも、愛する妻と見る風景は、何処か違って見えた。
「そうかもな。……日が暮れると足下が見えなくなる。少し急ごう」
「はい」
アーサーが先に立ち上がり、手を差し出す。マリアはそれを握り、立ち上がった。アーサーは何気にこうして手を差し出す。彼自身は何も考えずの行動なのだろうが、それがマリアにとっては、嬉しくてたまらなかった。
上地に到着すると、暗い森が眼前に広がる。この森自体が結界となっており、その結界を越える魔法が必要となるのだ。
「そうか、マリアにはもう教えておかないとな。そうしないと一人じゃ帰れないだろうし」
取り繕うように、アーサーはそんなことを話す。
呪文を教えて貰う中、マリアは気付いていた。結界を越えるのは里の住民のみに限られる。その住民として認めるということだ。アーサーはそれを意識し内心照れつつも、顔には出さないようにしているが、マリアたちには丸わかりだった。
呪文を覚え、マリアは早速唱えてみた。目の前の結界が揺らぎ、揺らいだ先に篝火が見えた。
マリアは結界を越える前、アーサーに手を差し出す。呪文を唱えていないものは、こうしないと結界を越えられないことを思いだしたからだ。アーサーは苦笑し、その手を握り返す。
そして二人は、里へと踏み入った。
村の中央には、ちょっとした広場がある。以前はタイミングのせいで無人だったが、今は何人かの男達が集まり、何やら宴会をしている様子だった。
アーサー達はそれを避けるように歩くのだが、あっという間に捕捉された。
「よお、誰かと思ったらアーサーじゃないか? ずいぶん久しぶりだぁ」
「あ、ああ。久しぶりだ」
気さくに話しかけてきた男は、アーサーの友人だ。小さな頃は一緒に遊んでバカをやって。冒険者として旅に出るまでの長い間を過ごした、そんな人物だ。もうかれこれ数年ぶりの再会となるのだが、改まって挨拶するような間柄でもない、気心の知れた幼馴染だ。
広場に集まっているうちの一人が彼であることは最初から解っていたが、宴会の邪魔をするのに気が引けたため、わざと大回りをしたのだが。
「今日は何かあったのか?」
発見されてしまったら、もうどうでも良かった。
「ああ、デイルさんだけどさ、少し前に怪我しちまってよ、それで今日ようやく完治したって医者のお墨付きを貰ってさ、それでお祝いってとこだ」
「ほう、そりゃまた。余り事情を知らん俺が、おめでとうなんて声をかけて良いのかな?」
苦笑するアーサーに、デイル本人が笑う。
「良いって事よ。ともかく理由を付けて酒飲みたいだけだ」
「ちげえねえっ」
と周りの皆も笑った。
「ホントお前らは」
アーサーもつられて笑った。
「でアーサーよ、そこにいる女の子は誰だ?」
まあ気付かれるよなあ、と呟く。マリアは少し離れた位置から眺めていたのだが、アーサーが手招きすると、歩み寄ってきたが、さっとアーサーの後ろに隠れる。今は、よりによって人見知りの性格の方だった。
「紹介するよ。マリアだ」
「よ、よろしくお願いします、ね?」
集まっている男四人が、マリアの顔をのぞき込もうとするが、マリアは益々アーサーの背中にぴったりと引っ付き、顔を隠してしまった。
「なんだなんだ? 見せつけてくれるじゃねえか。アーサーのこれか? あん?」
友人が小指を立てる。
「まあその、……そのとおりな訳で」
「……ほお? アーサーにもついに恋人か?」
と煽り始めるデイルという男。
「恋人っつーか、俺の妻」
「え?」
「な?」
男衆、沈黙。ややあってから、驚きの声が上がった。
「なんだってぇ!?」
四人一斉の叫び声に、遠くからうるせえ、と怒鳴る声が聞こえてきたが、それは仕方ないだろう。
「するってーと、お嬢ちゃんはスナー家の呪いとか、大丈夫なのか?」
「う、うん。私はちゃんと覚悟を決めて、アーサーのお嫁さんになりました、よ」
マリアの言葉を聞いて、アーサーの友人が立ち上がる。そしてばんっとアーサーの肩を両手で叩いた。
「アーサー、おめでとう。心から祝福する」
「ああ、ありがとなファルグ」
「じゃあアーサーの結婚祝いで飲み直すぜ! アーサーお前も飲め!」
「いやいや、俺は家に帰るからな? 親父にも色々話を通しとかなかん話とあるからな?」
「ブラストのオッサンなんか放っぽって飲も飲も飲も!」
と、既にできあがっている男が吠える。こいつら昔から馬鹿騒ぎする連中だったな、とアーサーは苦笑する。だからといってこの宴会に参加する気は更々ない。それなりの長旅で疲れているのだ。
「ま、近所迷惑にならん程度にしといてくれな。俺たちは帰る」
といって、アーサーはマリアの手を引き、そそくさとその場を後にした。その後もアーサーを呼び止める声が聞こえてきたが、無視した。
「……ビックリしました。でも何であんな場所で?」
「まあ、ここには皆が集まって飲めるような大きな家がないからなぁ」
家の前に到着したアーサーは、扉に手を伸ばしかけ、止める。
「? どうしたの?」
「一難去ってまた一難。あのクソ親父、扉にトラップしかけてやがる」
「え? また?」
アーサーは慣れた手つきで、そのトラップを順番に解除していく。
「悪い癖だ。俺を驚かせようと、職人魂を無駄な方向に使いやがるんだよなぁ」
そして最後に扉を蹴り飛ばすと、その奥でガタン、という音が大きく響いた。その後もしばらく様子を見ていたアーサーは、ようやく扉に手を伸ばして。
ボフっと扉から白煙が舞い上がり、顔が真っ白になった。
「………」
「あ……」
「爪が甘いなアーサー」
少し上の方、壁を開いてほくそ笑む男がいた。壁である、窓ではなく。わざわざ窓の横に隠し扉的なのぞき窓を作っているのだ。
「……なあクソ親父」
アーサーは、真っ白になった顔のまま、白い粉を吐き出しながら話す。
「あん?」
「これからしばらくマリアが一緒に住むから、トラップ全部解除しておいてくれ」
ブラストはアーサーの後ろにいるマリアに視線を向ける。彼女ははにかんで軽く手を振った。
「一緒に来てるんだったら先に言えよ」
ブラストは壁を閉めると、ややあってから正面の扉を開いた。アーサーにタオルを投げ飛ばしつつ、マリアの元まで歩み寄る。
「ようこそスナー家へ。こりゃまたどうしたんだ?」
アーサーはタオルで顔を拭きながら答える。
「ああ、こっちの静かな環境」
「ぎゃっははははっ!!」
アーサーの言葉に、広場からの馬鹿笑いが重なる。
「……あれは除く。……静かなところで産んで育てたいってマリアの希望でさ」
ブラストは一瞬顔を強ばらせ、すぐにニヒルに笑う。
「そうか」
一言そう答えると、二人を招き入れた。
リビングダイニング、その食卓の席へ二人を案内したブラストは、紅茶を淹れてから席に座った。
「俺の書斎を片付けた。子供部屋にするなり、お前らの部屋にするなり、好きに使ってくれ」
「……良いのか?」
「ああ。どのみち余り使っとらんからな。町の方に事務所があるでよ、仕事なら全部そっちでもできる。アーサーの部屋じゃあ狭いだろ、何をするにしても」
確かに、アーサーの部屋は狭い。一人用のベッドがあり、机があり、それで一杯一杯である。書斎の部屋が一番広く、ベッドを二つ並べてもなお余るぐらいだ。スナー家には後二部屋、ブラスト夫妻の部屋、物置代わりとなっている部屋もある。そちらも整理すれば、もう一部屋何とかなりそうではある。
「物置の方は追々な。あっちも古くて使っとらん工具や昔アーサーが使っていた子供服とかそのまんま押し込んであった。思い出の品っちゃー品なんで捨てるに捨てられずそのまんまにしてある。……みるか?」
「ぜひ」
マリア、即答。すっと立ち上がり、ブラストも立ち上がった。
「と言っても、子供の頃の服とかがあるぐらいだぞ。あいつの恥ずかしい思い出とかはさすがにないと思うが?」
「それでも、アーサーのちっちゃい頃の話とか知りたいですね」
「おう、それならいくらでも話せることはあるぞ? 何なら酒の肴に一杯話してやる」
「止めろクソ親父」
「おう? やんのかコラ?」
と、ブラストは挑発的に笑い、アーサーも不敵に笑った。実に仲の良い親子だった。
翌日。広場の中央で酔い潰れて寝ている男三人、おそらく一人帰ったのであろう、そんな連中を尻目に、アーサーとマリアは二人でデイ・ドラグンの町へと向かう。早朝はかなり冷え込んでいたが、大丈夫だったのかな、とマリアは心配するが、それを余所に三人とも大いびきだった。
森を抜け、高台へとさしかかる。そこからは、町全体を見下ろすことができた。
港町、デイ・ドラグン。日が高い時間帯は、人龍の誰かが大体空を飛んでいることから、そう名付けられたといわれている。南北は僅か一〇〇フォーセル。崖と海に挟まれ発展の余地はない。左右、東西は一フォーカイほどある。発展するなら、東西に延びていくことになるだろう。町の中心に港があり、その周辺がこの町の中心地でもある。役場があり、ちょっとした商店街があり、診療所がある。その西側に民家が建ち並び、東側は茶畑を中心に、様々な畑と農家が点在する。また、それなりに漁業も盛んだ。
島の総人口は、およそ八〇〇人程度。なんとか自給自足を賄える程度には、収穫量は確保されている。
町に降りてきた二人は、まず診療所を目指した。
すれ違う人は疎らだ。さすがに人口が少ないこともあるのだろう。とはいえ、寂れた町特有の悲壮感というものは全くない。中にはアーサーの知り合いもいて、元気な声で呼び止めるおばちゃんもいた。
アーサーが帰郷したこと、マリアと結婚したことなどを話せば、大層喜んでくれて、手にしていたタマネギを貰ってしまったりと、そんな感じだった。
「……食べる?」
マリアは貰ったそのままを差し出す。
「いや、調理しないと駄目だろ?」
新鮮なタマネギは、その日の晩のおかずに化けることとなった。
二人は、当初の目的地となるオルディン診療所へと到着する。
扉を開ければ、かららんっとベルが鳴る。何処か冒険者協会のような音で、二人は懐かしさを感じた。
院内には数人の老人達が会話をしながら自分らの番を待っている、という状況だった。そしてここにもアーサーの知り合いがいたため、先ほどのおばちゃんと同じような会話となる。
「ほお、アーサーくんもいつの間にかお嫁さんをねぇ」
「ええまあ」
「本当に、レイチェルはこぉんな良い子を産んで。ああ、天国から見守ってあげてねぇ」
そんな感じで、皆から祝福の声がかけられた。
「それで、アーサーくんたちはどうしてここに来たんだい? 何処か身体の調子でも悪いのかい?」
「まあ、俺たちは健康そのものだ。今後のこともあってちょっと相談したいことがあってね」
「ふぅん?」
老人は興味深げにしているが、丁度診察室に呼ばれたため、会話はそこで打ち切られた。
そんな感じで時間も過ぎ、二人が呼ばれることとなる。
「マリア・スナーさん、どうぞ」
「は、はい」
夫婦という自覚はあるが、マリアは他人からフルネームで呼ばれることはほとんどない。スナー姓で呼ばれると、恥ずかしさと嬉しさがない交ぜとなってしまった。
「ほら」
アーサーが席から立ち上がり手を差し出し、マリアがそれを握って立ち上がる。二人はそのまま診察室へと入っていった。
「ふむ、やはり君たちか。まず結婚おめでとうと言わせてくれ」
女医、サルア・オルディン。かつてはレイチェルのお産を手伝い、アーサーを取り上げた人物でもある。それなりに齢を重ねているはずだが、それを感じさせないバイタリティを、その声から感じさせた。
「ご無沙汰しています」
「うむ。元気そうで何よりだが、そんな元気な二人が何故ここへ来たのだい? まさか早速お産の相談か?」
とオルディン院長は冗談交じりに話すが。
「……そのまさかだったりするんですが」
アーサーは、苦笑交じりに答えた。
「おや? ……ふむ。これはふざけて悪かったね。心から祝福させてくれ。おめでとう」
「ありがとうございます」
「では軽く診察を始めようと思う、のだが、彼が横にいても大丈夫かい? 場合によっては、でら恥ずかしい質問をすることになるが?」
「私は多分大丈夫、だと思いますけど」
チラリとマリアはアーサーに視線を向ける。アーサーも頷き、マリアも頷き返した。
「よかろう。では、質問させて貰うよ」
オルディン院長の診察は滞りなく進む。幾つか本当に恥ずかしい質問がされたが、それも重要な内容であることは間違いなかった。
「なるほど、妊娠二ヶ月ぐらい、というところだね。マリアくんは元気そうだから、月一ぐらいでも問題は無いだろう。定期的に経過を見させてくれ」
「解りました」
「うむ。それではな」
診察は終わり、次の患者と入れ替わる。二人は診察代を支払った後、町を一通り見て回ることにした。とはいえ、繁華街と呼べるような場所は、数軒の商店が建ち並んでいるだけだ。軽く覗く程度であれば、十数分もあれば全部回れてしまえる程度の広さしか無い。
沢山の店がひしめくユニスの城下町に慣れてしまったアーサーとしては、物足りない町である。あちらでは、いろんな店でいろんなものが売られ、同じ商品が重複していることはざらだった。こっちの店の方が安い高いと、そんな感じで走り回ったこともある。
こちらはそうではない。数軒しかない商店同士で話し合って、売り物が重複しないように協力している。発展こそできないが、潰れることもない。そんな塩梅で、商店は営業している。
輸入雑貨のお店には、ユニスからのものばかりではなく、バース王国、デニアス王国の品も並ぶ。アーサーはもっと悲惨なラインナップを想定していたが、そうでもなさそうだった。流石に輸入の経費分だけ価格は高いが、それでも良心的な値段での販売だ。
夕食に使うナッツ類を購入し、二人は別の店へと入る。そちらは武具店だった。この島の住民はほとんどが人龍のため、軽くて小さめのものが主流となる。鎧は背中が大きく開いた皮の胸当て、刀剣類はアーサーが使う短剣の類いが最も多いが、ロングソードも何本か取りそろえていた。他には漁で使う銛などの扱いもあった。
「よお、アーサーじゃないか? いつ帰ってきたんだ?」
「ああ、昨日。そういうお前こそ、いつの間にか町に帰ってたんだな?」
「おうっ」
店主もまた、アーサーの幼馴染だ。懐かしい顔ということもあって、二人とも再会を喜び合う。今の店主の方が先に一六歳修行に出て、アーサーよりも大分先に旅を終え戻ってきている。
「聞いたぜ? お前結婚したそうじゃないか。ユニスからのニュースで知ったけどよ、なんでも王子様と合同結婚式って、どれだけ出世したんだよ?」
「まあ、色々と成り行きでね」
「で、こちらが奥さんってわけか?」
店主は、マリアをじっと見る。マリアも先ほどからその視線に気付いており、じっとにらみ返している。
「……なるほど、アーサーの理想そのまんまじゃねえか」
「え?」
子供の頃の話として、好きなタイプの話は定番中の定番だ。例えば、店主の理想はグラマラスな女性像だった。この島はほとんどが人龍のため、そういった体型の女性なんていない。だから理想を求め、アーサーよりも一足先に外の世界へと旅立ち、そして戻ってきていた。……成果無しで。
一方のアーサーの理想像は、人龍の女性であるが、平均よりも小柄で華奢、というものだった。その理想像は、まんまマリアである。マリア自身は、色々小さすぎることを気にしている質なのだが、アーサーの友人のその言葉に驚き、アーサーを見上げる。当人はばっと視線を逸らしているが。
「ま、年下好みって奴だ。俺が旅に出るすぐ前だから、アーサーが一四歳頃、二つかそれぐらい年下の女の子って言うんだからさ、後は想像……怖いなあ二人とも?」
アーサーは性癖を暴露されたこと、マリアは遠回しに子供そのものと言われたことで、友人を睨む。その睨むタイミングなどが二人同時だったことで。
「お前ら仲いいな」
とツッコミを入れた瞬間、二人ともそれで沈黙してしまうのだった。
武具店を後にした後、少し前を歩いていたマリアが振り返る。
「次は何処回る?」
「そうだな」
といっても、食料店以外では雑貨屋と武具店ぐらいだ。その二つも既に回っているので、実質もうこれとした場所はない。
「ま、夕食の買い出しという意味ならあの辺とか、あの店とかかな」
「解ったわ、一緒に回りましょ」
ちょっと強めの口調だったことで、いつの間にか性格が入れ替わっていたことに気付く。
「……もしかして、怒ってるのか?」
「違うわよ」
と、マリアは溜息を吐いて。話しづらそうにしながらも、訳を話す。
「あ、アーサーの理想像がまんま私たちって話を聞いて、……その。お姉ちゃん恥ずか死んでるだけだから。……わ、私だって恥ずかしいんだけどね? お姉ちゃんが先に逃げちゃったからこうして出でてきてるわけだけど、……その」
天真爛漫な方が照れているのも久しぶりである。
「わ、私だって、私たちだってアーサーのこと夢見で見知ってから、ずっとアーサーのことが理想像だから。当時は理想が大人すぎるって周りから馬鹿にされちゃったこともあるけど、……えへへ」
マリアははにかむ。
「お互いに理想の人と一緒になれて幸せ。それでいいじゃない」
そう締めくくるのだった。
買い物を終え、スナー家に戻ってくると、扉のギミックは完全に沈黙していた。ちゃんと話を聞いてくれたようで何より、とアーサーは胸をなで下ろすのだった。
二人が聖龍島で暮らし始めて、時間はあっという間に過ぎていく。
夏の一番暑い時期を過ぎ、すこしだけ日が短くなってきた頃合い。島に来てから手持ち無沙汰だったアーサーは、少し前から漁を手伝いはじめた。バイトの扱いで僅かならがも給金を貰い、それを生活の足しにしている。貯金はあるが、こうして働いて身体を動かしたい、というのが本音である。
今は上半身裸で、銛を担いでいる。引き締まった身体に、所々残っている冒険者時代の傷跡。今は太陽に焼け、よりたくましさが強調されていた。最初ごろはその姿にマリアは照れてしまっていたが、今はもう慣れた。
「じゃ、行ってくる」
「気を付けてね?」
「ああ」
アーサーはマリアの頭を一撫でし、崖から跳躍する。翼で風を掴み、更に風の魔法を併用してゆっくりと魚市場へと降りていった。その後集まってきた漁師達と打ち合わせをした後、皆で上空へと上がっていく。
人龍達の漁は、水鳥のそれと似たようなものだ。
上空から獲物を探し、見つけたら銛を先端にして急降下、一撃で仕留めるというものだ。成功率は一〇回中四回。慣れている漁師がこれぐらいで、俄バイトのアーサーは索敵魔法を併用しても彼らには追いつけない。
アーサーは狙いを定め、急降下を始める。狙いは少し大きめの魚影だ。海に突き刺さり、水しぶきを上げ、水の抵抗で一気に速度が落ちる。銛はギリギリ狙った魚に突き刺さり、アーサーは急いで海面へと浮き上がる。銛を海から上げ、先端に魚が刺さっていることを確認した。
「よっし!」
アーサーは童心に帰ったように、笑った。
その様子を、マリアは高台から、座って眺めていた。距離があるためさすがに顔や声までは確認できないが、それでも楽しんでいる雰囲気は伝わってきた。
アーサーは獲った魚を魚市場に届け、再び上空へと上がっていく。こうして何度か繰り返して、本日の目標漁獲量を目指すのだ。
「そろそろ、かな?」
マリアは立ち上がる。もうすぐお昼ご飯の時間だ。漁師達は漁の後集まって昼食を取るのが恒例なのだが、そこにお酒が入ってしまう。ほとんどが町暮らしなので酩酊状態でも何とか帰宅はできるが、アーサーだけは崖の上が住居だし、マリアを待たせていると話して昼食は家で食べることにしていた。周りからは、新婚でお熱いこと、とはやし立てられるが、そこは仕方ないことだろう。そんな感じで、もうしばらくしたらアーサーは帰ってくる。それまでには、マリアが昼食を準備しておくのが最近の生活の流れだった。
マリアは、食材は何があったかな、と考えながら、森の結界を抜けていった。
スナー家。
最近、ネズミがうろちょろしていると、ブラスト達は気になっていた。一家が全員外にいるとき、ネズミは屋根裏から部屋まで出てくる。それで食材やらいろいろなものが囓られてしまい、台無しになっていることもある。それなりの対策は行っているが、いたちごっこだ。
今日も、ネズミは元気よく走り回る。器用に玄関脇の柱を駆け上り、そこに垂れ下がっている紐を囓る。しばらくしてその紐はプツッと切れ、切れ端はそのまま床に落ち、支えを失った紐はネズミをぶら下げたまま扉へと振り子となって、軽い音を立ててぶつかった。
ネズミは扉を駆け下りて、何か食べ物はないかと、別の場所へと走っていった。
それから遅れて、かちゃり、と扉から音が出た。
マリアは広場にさしかかる。
近所の年配の女性が、マリアに挨拶をしてきた。マリアも会釈して答えると、呼び止められた。
島に来て既に一月半。もうすぐ四ヶ月目に突入する彼女だが、小柄で華奢ゆえにお腹も若干目立ってきている。経過も順調だ。だから油断しちゃ駄目だよ、とその女性はマリアを気遣ってくれる。その気遣いに感謝はしつつも、マリアは焦る。もうちょっとしたらアーサーが帰ってくるので、料理がしたいのだ。
その様子に年配の女性も気付いて、呼び止めて悪かったね、と軽く会釈して別れた。
マリアはようやく、という感じでスナー家の前へと辿り着く。
そして躊躇無くその扉を開け。
―――そこで、意識を閉ざした。
次に目覚めたのは、見知らぬ場所だった。
意識ははっきりせず、朦朧とする。果たしてこの意識は、どちらか。もう片方は完全に沈黙しており、呼びかけても応じない。
周りは何か騒がしい。何かを話しているが、理解できない。身体の感覚が、しびれている。頭も朦朧としている。それでも、必死に呼びかける。お姉ちゃん、と。それで自分が妹の方の意識であると、ようやく自覚する。もう一度お姉ちゃん、と呼びかけてみるが、それでも相方は何ら反応が無い。
なにがあった、と考えようとするが、うまく思考も回らない。
そして唐突に、全身に、特に腹部に強烈な痛みが走った。
「がっ……いたっ……」
訳が分からない、と彼女は考える。徐々に意識が鮮明になり、ようやく自分が目を閉じていることに気がつく。その目を開け、周りを見渡そうと首を回そうとする。しかし痛みがそれを邪魔した。
「マリア!? マリア!?」
必死に呼びかける、愛おしい人。その人の顔は、焦りのそれだった。何があったのか、マリアは尋ねようとするも、しかし痛みが先行して、口から漏れるのは苦しみの声だけだ。その痛みに耐えかね、マリアの意識は再び闇に引きずられていく。それにあらがうこともできず、マリアは気を失った。
次に意識を取り戻したのは、どれぐらい時間が経ったときだろうか。マリアは、すぐ近くで苦しそうに涙を流すアーサーの姿を、その目で確かめた。彼は、マリアの手を握りしめていた。どうしてそんな苦しそうに泣いているの、と彼女は呼びかけようとしたが、全身くまなく力が入らず、口すら動かせなかった。辛うじて、アーサーが握っている手をほんの僅か動かすぐらいしかできなかった。
アーサーははっとなって、その手を強く握りしめる。一瞬の安堵の表情と、より強い悲しみの表情だった。
身体は全く動かなくとも、意識は少しだけはっきりとしてきた。そして掠れた声で、アーサーの名を呼ぶ。
「アー……サー……?」
「マリアっ!? ……良かった。お前だけでも……っ」
アーサーの周りで、誰かの気配が動く。真っ白な、白衣だった。それでようやく、マリアはここが診療所の一室であることを理解すると、意識はゆっくりだが鮮明になってきた。それに合わせ、身体の感覚も戻ってきた。
「……え、っと、なにが、……あったの?」
マリアは、力ない声でアーサーに問いかける。その瞬間、アーサーの表情が強ばった。その表情の中に感じられたものは、マリアもよく知っているものだった。
「マリアくん、その話は君がもう少し元気になったら話そう」
オルディン院長だった。彼女もかなり神妙な表情で、マリアを見て、そう話す。
「……ん」
マリアは短く返事をした。
「今はまだ休んでおくがいい」
神妙ながらも、優しげな声色だった。マリアは、アーサーの手の温かさを感じながら、まどろみに身を任せる。はっきりしていた意識も急速に輪郭を失い、朦朧となってきた。マリアは意識を手放し、眠りについた。
マリアの寝顔は、先ほどまでの苦悶のものから一転して、安らぎのそれに変わった。
「……アーサー殿、ブラスト殿、……すまない」
オルディン院長は、二人に謝罪する。
「……ああ」
「……」
アーサーはオルディン院長の謝罪を受け、何も答えられなかったブラストを睨む。
「なあ。……なんでトラップが発動したんだ? テメエ、あれを止めたって話だろ?」
アーサーは、父に静かに凄む。しかしブラストは、それすら見えていなかった。怒鳴ろうと立ち上がったアーサーだが、しかしその手はマリアが握ったままだった。アーサーはそちらを見て、しばらく葛藤した後座り直した。
「……すまねえ」
そしてブラストは、膝から崩れ落ちた。そして床を見つめて、そう声を絞り出した。
ぎり、とアーサーが歯を食いしばる音が聞こえる。それだけ、アーサーは腹を立て、それをこらえている。
「……解ってるんだよ。親父がそんな凡ミスをする訳ねえって。だからこの怒りを何処にぶつけりゃいいのか、解らねえんだ」
と、アーサーは呟く。
「…すま」
「謝るんじゃねえ。……テメエが謝ったら、俺は親父をぶちのめしたくなる」
アーサーはブラストの発言を遮るように声を絞り出す。
本心では解っているのだ。彼が犯人ではないこと、これが偶発的な事故であることを。
だが、それを確かめる術は、ない。
マリアが家に戻って、扉を開けた。その瞬間、その扉が爆発した。その一部始終を、広場にいた年配の女性が見ていたという。彼女はすぐに駆けつけたが、その惨状に驚き、足がすくんで何もできなくなってしまったそうだ。
マリアのお腹に、扉の破片が突き刺さっていたのだ。
間もなくしてアーサーが家に帰ってきたところで、その光景を目の当たりにし、マリアを唯一の診療所へと運んだ。その後懸命な治療が施され、マリアの一命は取り留めることはできた。破片も全て取り払われ、その傷跡も残らないだろう、とオルディン院長は力なく話し、その後謝罪した。救えたのは、マリア『だけ』だと。
アーサーは、これが『スナー家の呪い』と痛感していた。だから、誰も悪くはない。ブラストがトラップを完全に無効化していたことも知っている。何らかの運命のいたずらで、ロックしていたはずのものが発動してしまった。その運命のいたずらに、『スナー家の呪い』が関与している。ただそれだけの、事故だと。
あれから数日間、マリアは眠り続けた。手術は眠りの魔法ではなく、薬剤を使用した。その結果、薬が効きすぎたかも知れない、とオルディン院長は話す。
目覚めたマリアは、まだ何も説明していないにも関わらず、すべてを悟っていた。
「……夢見で、ね」
理由は、その一言で十分だった。
「見たのは、多分事後なんだと思う。いまいち時間感覚が分からなくて、自信ないけど」
マリアが苦笑する。アーサーはその手を取って。
「…つらくは、ないか?」
「つらいよ? 当然。……せっかくの、アーサーとの赤ちゃんだったのに、ね」
ほろり、と涙がこぼれる。
「……ほら」
アーサーは胸を開き、マリアはその中へともたれ掛かる。そしてアーサーはその華奢な身体を抱きしめた。するとマリアは声無く泣き始めた。
彼女が泣き止むまで、アーサーは抱きしめながら、その頭を撫でつづけるのだった。
その胸の中で、彼女は決意する。
こんな不幸は、自分の代で終わらせよう、スナー家の呪いを打ち払おう、と。自分の代だけで駄目なら、『子供たち』に委ねられるよう、できるだけ多くの布石を遺してあげよう、と。自分に固く誓うのだった。
あの事故から、一週間経っていた。マリアは、自身も生死を彷徨う程の大怪我だったにも関わらず、この短い時間の間に完治し、元気と気力を取り戻して退院した。
今回のことで、ブラストは事情聴取された。この時に判明したのは、幾つかの不可解だけだった。
まず、ブラストが仕掛けていたトラップは、扉の表面で小さな爆発を起こし、目くらまし程度の光と白煙が出て、白い粉……小麦粉をまき散らす程度の火薬しか使用していなかった。火薬の増量も、扉の隙間の物理的な制限で行うことはできない仕組みとしていたこと、改造して増量となれば扉を外しての分解作業が必要になるなど、到底威力を上げられないようになっていた。ただ、その証拠は爆散してしまった為、何も証明するものがない。小麦粉と火を使うことで粉塵爆発の可能性も考えられたが、そうならないよう構造には細心の注意が払われていた。
トラップの精度については、子供の頃からずっと付き合わされてきたアーサー自身が知っている。緻密に計算され、僅かな狂いもなく組みあげられていることを知っている事、自分自身がトラップに引っかかっても今まで怪我はしたことがないよう配慮されていたこと、客が来たときのトラップを無効化する安全機構は何重にも仕掛けることができること、その解除方法は知らなきゃできないことなどを証言した。
役場で行われた取り調べの結果、ブラストについては不問とされた。これについては、アーサーもマリアもほっと胸をなで下ろしている。また、彼が社長を務める建築事務所の面々も、それで安心したようだ。ただ、事務所の方は社長のやらかしという話が先行してしまい、信用度が落ちてしまったそうだ。
ブラストは自ら社長の座から退き、事務所自体を副社長へと譲り渡す手続きを行っている。
この事故は、こうして幕を下ろすこととなった。
マリアが目覚めてから、ファーネルとミリアがお見舞いに来てくれた。二人とも、今回の事故については非常につらそうな表情だった。
「なんでっ、なんでっ! マリアさんだけこんなことにっ!! ひどぅ……ひどいですぅぅ……」
最初の流産の時も、彼女は相当なショックを受けていた。そして今回もまた、そんな不運な事故が起こってしまったのだ。もう一年以上にもなるが、その時のショックを引きずっていたのであろう。ミリアは泣き崩れてしまい、ファーネルが彼女を抱きしめていた。
マリアはその手を握り、私はもう大丈夫だから、と伝える。今度はマリアに抱きついて大泣きするミリアだった。
マリアは、ファーネルがしていたように背中をポンポンと叩き、あやす。そうしながら、彼女は考えていた。この呪いは、自分らだけではなく周りも不幸にするものだ。だから、絶対に止めなくてはならない、と。
事故後。マリアはスナー家の離れに籠もることが多くなった。
こちらは、スナー家でやたら子供が大勢生まれたときに追加で建てられたものである。リビングはないが、ダイニングとキッチン、二階に寝室が二部屋という間取りとなっている。本が並べられているのはそのダイニングとなる。
こちらの蔵書は、本当に様々な分野の本が収められている。中には先史文明時代で量産されたものもあり、その価値は計り知れないものも混じっている。
アーサーは、差し入れに紅茶とサンドイッチを手にして、部屋の奥へと歩く。マリアは紅茶の香りに気付き、顔を上げた。
「ありがとうございます」
今日は、主性格の方だった。
「何か解ったことはあるか?」
マリアは頷く。
「とはいっても、ほんの少しだけです。ほとんどが私たちの仮定に基づくものですが、聞きます?」
「是非」
アーサーもまた、呪いの被害者と言っても過言ではないだろう。母レイチェルは自分を産んだ直後に亡くなったし、マリアも呪いのせいで、二人を流産させてしまっている。特に二人目のときは、彼女自身も瀕死の重傷を受け、ブラストをも巻き込んだ。彼もまた母のことでの被害者でもあるのだ。様々な人を不幸に巻き込んでいる呪いだ。何とかしたいとは昔からそう思っていたものだ。
最初に考えたのは子供の頃。自由恋愛できないじゃないかという子供の我が儘からである。今は、スナー家の呪いを受け入れてくれたマリアをおもんばかって、そして憤りを感じてのものだ。
おそらくは、とアーサーは考える。こんな想いを、代々ずっと繰り返してきたんだろうなと。
「私たちが到達した結論、と言うより仮定なのですが、当事者の運を徹底的に下げるだけの呪いだと感じました」
「……は? いやそんな単純な……」
これまで死因について纏められた文献は存在する。しかしそれでは不十分だと、マリアは考えた。
彼女が調べたのは、スナー家に嫁いだ女性が、結婚後どの様な生活を送り、そしてどの様にし亡くなったかである。ここには歴代スナー家夫婦の手記が数多く遺されていたため、マリアはそれらをとりまとめ、彼女らがいつどの様な事があったのか、調べ上げていた。
「結婚後に大怪我に結び付くような事故を、解る範囲でピックアップしてみました。その多くは、単純な事故がほとんどです。ちょっとした確認不足、ちょっとした不注意など。本人がもっとよく注意していれば防げたようなものも多くありますが……。それらを除外したのが、こんなところですね」
マリアは、数枚にまとめ上げた資料をアーサーに見せる。
「……これは」
自然災害などの大規模な事件事故はないが、馬車同士の衝突事故、或いは脱輪による転覆、宿ならテラスの留め金がたまたま緩んでいたための滑落事故など、ほとんどが『運悪く巻き込まれた』としかいいようのないものばかりだ。中にはこれで亡くなったというケースもある。スナー家の代は、始祖となるリーン・スナーを零として、次世代から順に数えて、およそ五〇代目ぐらいであるが、ほぼ全員が事故に遭遇していることが解る。その中にはマリア自身の名を追加しているが、そこにアーサーの母レイチェルの名はなかった。
「……俺の母さんは?」
「うん、でき婚だったみたい。子供ができていたことが発覚して、すぐに結婚して。それからすぐに病床に伏せってしまっているから、そうした事故には巡り会っていないみたいなの。出産後に亡くなったのも、元々の病気の所為もあるから。唯一スナー家の呪いを受けなかった、という言い方はできるわね」
いつのまにか口調が変わっていた。天真爛漫な性格の方にバトンタッチしたようだ。会話の途中でこうして交代することも、アーサーはもう慣れっこである。とはいえ、最後までその性格で話してくれれば、とは感じることはある。それが顔に出ていたのだろうか。
「……お姉ちゃんともっと話したかった?」
マリアはそう言って、アーサーの顔をのぞき込んできた。
「いや、そうでもないけど、急にどうしたのかなって」
するとマリアはやや恥ずかしそうに苦笑して。
「アーサーとお話ししたくて、無理に起きていたからね。途中で寝落ちしちゃった」
「そっか。まあ、それならしょうがないか」
言ってから気付く。
「いやしょうがなくないだろ。昨日からずっとこもりっぱなしってことは、徹夜したのか?」
「あ……、あはは」
笑って誤魔化すマリアに、アーサーは溜息を吐く。
「か、片方ずつ起きていれば、ずっと作業を続けられるよ」
「だけど身体に負担がかかるんだろ?」
「う、……まあね?」
心が交代で眠ったとしても、身体自体は一時も休んではいないのだ。そんな状況を続ければ、体調を崩しかねない。そう思ったアーサーは、頷く。
「? アーサー? えっと?」
ずいっと迫ってきたアーサーに、マリアは反応が遅れた。その遅れ自体が、疲れがたまっている証拠とも言えよう。
アーサーは、マリアを椅子からひょいっと抱き上げる。
「ひゃぁっ!?」
「強制連行。今日はもう休んでおけ。せっかく体調が戻ったのに、また無理して壊したら元も子もないだろ?」
眼前で優しく諭してくるアーサーに、マリアは何も言えなくなってしまった。そして好きな人の顔が目の前で、吐息もかかる。マリアは紅潮してしまうのだった。
翌日、朝。
昨日夕食後、仮眠を取ってから続きを調べるつもりでベッドに横になったのだが、その直後から本日朝までの間の記憶が一切合切無かった。それだけ深く眠っていたようだった。おかげで頭の中はすっきりとしており、身体もとても軽く感じられた。
リビングに顔を出せば、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「おはよう」
「おはよお……ふぁ……うございます」
途中あくびを挟み、マリアはアーサーに答えた。それが何となく恥ずかしくなったマリアは、顔を赤くして視線を逸らした。
そのままダイニングテーブルに着席し、既に用意されていたパンを手に取った。マリアが食事を始めたところで、アーサーもパンを食べ始めた。
「……もしかして待っててくれたのですか?」
「まあ。……気分転換がてら、散歩にでも誘おうかと思って。どう?」
「是非」
アーサーが最後まで言い終わらないうちに、マリアは快諾した。
今日はどこから研究に手を付けようなどと考えて居たのだが、アーサーの一言でそれらは全部吹き飛んだ。久しぶりに二人でのお出かけだ。ただの散歩でも、一緒に歩くだけで十分、と考えていたのだが、ふと冷静になる。自分、どれだけアーサーのこと好きなのか、と。それがなんだか恥ずかしくなってしまうマリアだった。
食後、道中簡単に食べられるようサンドイッチを作り、スナー家を出てからアーサーは家に振り返る。今の扉は、正真正銘ただの扉だ。トラップどころか怪しげなギミックも一切合切ない。それでも心配になるアーサーだ。むしろトラウマ必至だったはずのマリアの方が、普通に扉を開け閉めしているぐらいだ。
「どうしましたか?」
「ああ、いや。なんでもない。それじゃあ行こうか」
「はいっ」
マリアはアーサーに手を伸ばし、彼はそれを握り返す。そしてマリアは広場に身体を向けた瞬間、ガクンと手が引かれた。
「?」
「ああ悪い。町の方じゃなくてさ」
いきなり行く方向が逆だった。やや勇み足だったマリアに、二人して笑いあって、改めて出発し直した。
里の南側へは、一本の獣道ほどの道が繋がる。しばらく歩くと、一面のお花畑が広がる。あぜ道は右手側、西へと延び、その先は墓地となる。アーサーの母でありブラストの妻であるレイチェルがその一角で静かな眠りについている。
その途中に東屋があり、お花畑を一望できるのだ。
お花畑自体は、レイチェルの墓参りの度に見ている。季節の花が入れ替わり立ち替わり、いつでも咲いている。
マリアは、東屋へ向かうものと思っていたが、その逆の方をアーサーが指し示していた。アーサーは、このお花畑を一周しようと、そう話した。
彼自身、うんと小さな頃にぐるっと回ったぐらいなので、記憶は曖昧だ。お花畑はどれぐらいの広さなのか、一周どれぐらい時間がかかるか、その当たりはほとんど覚えていない。今回の散歩は、それを確認するためでも何でもなく、ただマリアと歩きたかっただけに過ぎない。綺麗な花を見て、少しでも気分転換になるのなら、とそう考えて。
「いつ見ても、綺麗な場所ですね。……ねね、冬はどうなの?」
二人の性格が順番に質問してきた。
「まあ、いつでも咲いてるな。冬は、どうだったかな……」
アーサーは、冬の光景を思い返してみる。ドカ雪で真っ白な雪原だ。それをそのままマリアに伝える。
「ま、仕方ないか。なんだかんだ言って冬は豪雪地帯だ。海も流氷で航路閉鎖だ」
「そ、それはそれですごい、ですね?」
マリアは素直に驚きの声を上げる。
ゆっくりと外周を歩きながら、そこに咲き乱れる花に魅入る。マリアは時々足を止め、その花の端にしゃがみ込んで、じっくりと眺める。こうして花を愛でている姿は、アーサーの心をかき乱す。
お花畑は中央が盛り上がっている関係で、今二人がいるは、里からは完全な死角だ。それにこの辺りまで足を伸ばして散歩する人もほとんどいない事は、アーサーは幼少の頃から知っている。だから、ここで事に至ったとしても、誰からも邪魔されない。何て、邪なことを考えてしまうアーサーだった。マリアはしゃがんだままアーサーに振り返った。
「今、アーサーえっちなこと考えたでしょ? え、ここで? ……それはそれで、困っちゃうなぁ」
まるで心を読んだかのごとく指摘してくるが、まんざらでもなさそうな反応に困り果てるアーサーだった。
取りあえず、今は我慢することにした。マリアが少し残念そうにしていたのは見なかったことにして、散歩を続けることにした。
「これはフテンプリウムですね。この花がこんなにまとまって自生しているのは珍しいのですが……。夢見の力を増強させることができる花ですね。熱湯に通してから乾燥させて、粉にしてお香にするんです。そうすると独特な香りが出て、よりはっきりとした夢を見ることができます」
「……危ないものじゃないよな?」
「えっと……、その」
マリアは立ち止まり、もじもじとし始める。
「はい、危ないです」
そして、その返答にアーサーは驚いてしまった。
「……熱処理をしないと、その、え、えっちな気分になっちゃう副作用があって」
「……」
かわいらしい仕草と、先ほどの想像のこともあって、アーサーは欲求不満なんだと自覚する。マリアは、少し恥ずかしそうな表情でアーサーを見上げた、その吐息に、熱いものが混じる。そして急に何かを感じたようで、その場にペたんっと座り込んでしまった。そんなマリアに、アーサーはしゃがみ込み、マリアの顔をのぞき込む。すると、マリアは勢いを付けてアーサーに飛び込んだ。
「うわっと!?」
アーサーはあっという間にバランスを崩し、その場に仰向けに倒れる。すると、その上にマリアがのしかかってきた。
「……駄目です、我慢、できなくなってしまいました。これだけ群生していると、花の香りだけでも、どうしようもなくなります。……えと、えと。これは、事故です。事故ですから、ね?」
マリアはとろんとした表情で、アーサーに口づけをする。
先ほどからおかしな気分になっていたのは、この花の所為か、と責任をなすりつけて。こんなところで、と思いつつその手をマリアに伸ばすのだった。
気分が落ち着いたところで、乱れた衣服を整えてから二人は立ち上がる。
「なんか、悪いな。ここに連れてこなきゃ良かったかな?」
ぷるぷる、とマリアは首を振る。逆に。
「たまに、たまになら良いよ? 毎日はさすがにあれだけど、週に一度、いや二度、三度? ぐらいなら全然。だけど、お姉ちゃんが恥ずか死ぬからほどほどにしないと、ね?」
と、数を増やして真っ赤になるマリアに、アーサーも照れてしまう。
「ま、冗談はおいといて。さすがにここはやばいな」
「……うん、そうだね。あ○かん真っ最中に魔獣に襲われたらひとたまりも無いだろうし」
「あお○んゆーな。もう少し自嘲しろ」
「アーサーこそ。いつもよりもその……、すごかったし」
そして二人して照れてしまった。
とりあえず聖龍島には魔獣の類いはいない。なのでその辺りは無用な心配だ。誰か知り合いがきたら、ある意味どうしようもないが。
取り急ぎ、花の香りがする場所から遠ざかり、二人は改めて深呼吸をする。新鮮な空気を身体に入れると、気分が一気に落ち着いてくる。
「しかし、あの花一体何なんだ? なんであの場所に群生してるんだ?」
「理由は分からないけど……、フテンプリウムって花。花言葉は恋の成就(物理)、夫婦円満(物理)、子孫繁栄」
花言葉に、マリアは俄に顔をしかめる。
「……って、物理ってそう意味でかい」
どんな成就のさせ方か、と二人大きく溜息を吐いた。
「き、気分を変えよう」
「そ、そうね」
そして何度目かの深呼吸をしてから、なるべく花の香り、いやもう匂いで良い、が届かないよう大回りして、散歩を続けた。
「……ね、アーサー、あれは?」
「うん? ああ、遺跡だな。古くからここにあって……? あれ? なんでここのこと忘れてたんだろ。ガキの頃ここで良く遊んでたんだはずなんだが。武具店のあいつとか、少し年上のお姉さんとか。……そういやあのお姉さん、今どこで何し……、ごめんなさい」
急に女性の話をすれば、マリアとて気分を害する。ちょっぴり嫉妬深いマリアに、まだ先ほどの花の効果が残っているのでは、と邪推してしまうのだった。
「もう、良いわよ別に」
スタスタと遺跡に向かって歩くマリアを、アーサーが追う。
遺跡はこぢんまりとしたものだった。ちょっとした岩壁と石畳が残っており、一番奥は丁度盛り上がった小山に壁がある、ただそれだけの場所だ。回りには大小様々な割れた石材が転がっているが、それらを合わせても小規模な祭壇があった程度ではと予想できる。アーサーはここで散々遊び倒したことを思いだしているが、どうして忘れていたのだろうか、と疑問に思う。状況としては、冒険心をくすぐる絶好の場所だというのに。
「ただのど忘れじゃないの?」
「かもしれないけど、でもなぁ……」
腑に落ちない、とアーサーは首を捻る。
「ここは、どんな謂れがあるの?」
しばらく考えた末、アーサーは一言。
「解らん。これについては親父に聞いたこと……」
ある、と言おうとして違和感を感じた。
「あれ? なんでこれのこと、親父に聞いたこと無いんだ?」
マリアも、そこでなんとなしの違和感を感じ始めていた。ここでの記憶が、すっぽりと抜け落ちているのでは、と。マリアは取り急ぎ手記を取り出し、この場所のスケッチを始めた。念のためここに至る経緯なども併記し、……しようとして一部ははぐらかした。さすがにそのまま書くのは恥ずかしいからだ。
「念のためにね。……ノイスク・アストラーリナヴァ」
手記に書き記しながら、マリアは索敵魔法を展開した。しかしこの魔法では、特に何も感知することはできなかった。ただ。
「……あの壁の向こう、空間がありそう。完全に魔力的に遮断されてるっぽい」
「そうなのか?」
マリアは自信なさげに頷き、手記に追記した。
「ただの散歩のつもりが、思わぬ発見になったわね」
「まあ、そうだな」
気になる壁とその周りを調べてみたが、所々子供が付けた足跡があるぐらいで、それ以外には何も見つからなかった。これ以上は時間の無駄だと考えた二人は、その場を離れ散歩を継続した。
花畑に咲き乱れる花の種類が変わったところで、二人は再び花畑のほとりを歩き始めた。
「……しかしビックリだな。その花にそんなおかしな副作用があるとはさ。近くに住んでいてなんで気付かなかったんだろう」
「咲く時期がかなり限定されているからね。秋の、朝が急に冷えてくるような時期に、数日ほど花を咲かせて、すぐに散るの。だから気付きにくかったのかも。多年草だから、数年ほど狩れずに生息するわね」
そう話したマリアは、腕を組む。
「……花の香りに媚薬成分が含まれているのは確実ですね。となると、実の方にもあるのかな?」
マリアは心の中で会話をしているつもりだ。声は見事に口から漏れているが。
「俺は知らん」
「……ね、アーサー、試してみる? 実を食べて、えっちな気分になれるかどうか」
「しない」
アーサーの否定に一瞬にして表情を沈ませる。そこまで残念か、と思わせる勢いだ。
「んなもんに頼らんでも良い、という意味だ」
そして、ぱあっと表情を輝かせるマリアだった。
ぐるりと一周回って、東屋に到着した。
持ってきていた籠を紐解き、サンドイッチを取り出す。それを二人で食べながら、アーサーは話しかける。
「楽しかったか?」
「うん。……お姉ちゃん、いつまでふてくされてるの? ……もうすこしそっとしておいてください。……だそうよ」
よほど恥ずかしかったのだろう。いつもよりも余計に塞ぎ込んでいる様子だった。それに関しては二人とも苦笑するしか無かった。
「あの後ぐるっと回って、……結構時間がかかったわよね。思ったよりもお花畑広かったし。いろんな花が咲いていて、それだけ見ていても楽しかった。……また来よ?」
「ああ。……でもその頃はもうあの花は散ってるかも?」
「……アーサーは意地悪だなあ」
そう苦笑するマリアに、アーサーもつられて笑う。
「遺跡も興味が引かれましたね」
「……遺跡?」
アーサーが首をかしげ、妹の方も疑問符という感情を姉は感じとる。一度主導権を奪い、懐から手記を取り出す。そこで先ほどメモしたページを開いた。そこには克明に、その場所について書き込まれていた。それで二人とも思い出す。
「確かに寄っていたな。あれ、でもなんで忘れて……」
そしてアーサーは、そしてマリア二人も、その答えに行き届く。
「あの場所一帯に、認識阻害がかけられている?」
「だからアーサーは、忘れてしまっていた、ということかもね。……お義父さんにも聞いてみる? なにか知ってそう」
アーサーは頷く。
アーサーのスナー家は、町の統治権はとうの昔に放棄はしているが、今でもこの地の、そしてリーン・スナーから代々受け継いでいる人龍族全体の代表氏族だ。代々何かが伝えられている可能性もあると、彼はそう考えたのだ。
「善は急げ、だな。認識阻害があるなら、もしかしたらまた忘れるかもしれない。しかしよく覚えていたな、マリア」
アーサーは手を出し、マリアの頭を撫でる。マリアはくすぐったそうに目を細めた。
「塞ぎ込んでいたのが、逆に良かったのかも知れません。なので、あの辺りの認識阻害の効果から逃れられたんだと思います。偶然の産物、ですね」
怪我の功名だといえよう。
サンドイッチを味わって食べてから二人は立ち上がった。善は急げといっても、この時間ブラストは町にある建設事務所で働いているのだ。現場に入っていれば捕まえようがない。それに、仕事中にお邪魔するのも駄目だろう、という事で、二人はブラストが帰ってから、この話を切り出すことにした。
「とはいえ、親父が帰ってくる時間は、早くても昼遅い時間か。それまでどうする?」
「……」
マリアは、ひょいっと、花を取り出した。白い花、花言葉は恋の成就となっている、あれだ。
「……だめ?」
「ざけんな」
とアーサーは一言申し上げるのだった。
夕刻。夕飯の準備をしていた頃に、ブラストが帰ってきた。
「お帰り」
「ああ、ただいま」
挨拶を交わしたブラストは、何故かニヤニヤしていた。
「なんだその気持ち悪い顔は?」
「いきなりひでえな? ……ま、帰ってきたら誰かがいるってのは、それはそれで良いもんだからよ」
ブラストは素直に今の気持ちを話す。
最近はアーサーとマリアがここで暮らしているが、その前は一人暮らしだ。気ままな生活ではあったが、一種の寂しさもあったのだろう。
「あ、そうだ。風呂、要らんか?」
「……風呂って、藪から棒に。まああれば嬉しいが?」
「オメーに聞いちゃいねえ」
「おいクソ親父」
ブラストはひょいっと手をすくめ、顔をマリアに向けた。
「マリア、風呂は要らんか?」
「そうね。……あれば入りたいかも」
「じゃ、作るか」
「だからなんでそう突然……」
ブラストはダイニングの席に座りつつ、訳を話す。
「いやよ、今日の船便で運ばれてきたものの中に、でっけえ鍋があった訳よ。アルケミストが薬品合成に使う奴。思わず買っちった」
「買っちったって、ただの鍋だろ? なんで風呂と結び付く?」
「人一人入れるサイズだぞ。それはもう風呂にするしかねえ」
「鍋で風呂……」
マリアとアーサーは想像する。ぐらぐらと煮えたぎる鍋の中にいる、ネギやら野菜や等と一緒に煮込まれる自分らの姿を。なかなかにシュールな場面だった。
「ま、そこまで温度を上げたらさすがにアホだろ。普通に入れる温度にすりゃあ良いだけだろ?」
「心を読むなよ」
「テメエの考えはお見通しなんだよ」
笑うブラストに、アーサーは撃沈する。そのやりとりを見て、マリアは親子だなー、と微笑む。
「どんな感じになるか想像できないけど、お願いしても大丈夫そう?」
「ああ、任せおけ」
ブラストは景気よく胸を叩き、快諾した。
「……で、あれは何のつもりだ」
ブラストは、リビングの棚に置いてある一輪活けを顎で差す。なお花瓶に水は入れていない。ドライフラワーにするのが目的だ。
「インランソウだぞ。余り匂いを吸い過ぎると、……余り良くないぞ」
実は体験してます、とは口に出せない二人。
「フテンプリウムという花で、湯煎した後乾燥させて粉にして、お香として焚くことで、夢見の精度を飛躍的に高めることができるの。普通は山奥の涼しいところで取れるものなのだけど、あのお花畑の一角に群生していたから、一つだけ採取してきたの」
マリアはもっともらしい説明をする。実際に、湯煎しているのでもう媚薬効果は無い。
「夢見、か」
ブラストは、どこか懐かしそうな表情となった。その様子からすれば、夢見というもの自体は知っているようだった。
「それよりも、酷い名前ね。インランソウって」
「里のみんなそう言ってるぞ。あの花の匂いを嗅ぐと我慢できなくなるとか。それから実には注意しろよ? 実を飯に混ぜられると三日三晩助平中毒になる。……一体誰だよあんなところにそんな危険な草植えたのはよぅ。俺がチビの頃はなかったはずだ」
草扱いするブラストは遠い目となった。実の方にも催淫効果はあるようだが、どうやら相当強いらしい。試さなくて良かったと思う反面、気になることが一つ。
「……もしかして、お義父さん盛られた口?」
「その結果がアーサーだコンチクショウ」
もう苦笑するほかなかった。
夕食を取りながら、アーサーは話を切り出す。
「そう言えば親父、南の遺跡って何か謂れがあるのか?」
「遺跡? ……ああ、あれか。相当昔からある見てえだな」
ブラストは首をかしげる。
「そんな年食ったつもりじゃないが、どうもあれに関してだけは忘れっぽいな」
腕を組み、ブラストは考え込む。ややあってから口を開いた。
「俺も昔離れで調べたこともあるんだが、あれに関した書物は一切合切なかった。一週間返せって当時はそう思ったものだ」
ブラストは笑い飛ばした。
「ま、離れで何を調べているかは知らんが、そのついでに調べてみりゃ良いんじゃないか?」
何も知らないようだと、アーサーは解釈する。認識阻害の魔法がかけられているという話は、結局することはしなかった。
アーサーとマリアが寝室に向かった後、ブラストはグラスに残っていた酒を一気にあおった。
「祠、か」
彼は、そう呟く。遺跡ではなく、祠、と。一瞬噎せ、軽く咳をして、話題を無理矢理変える。
「まさかあの草を持って帰ってくるとか、一瞬ビビっちまったぜ」
彼にとっても、とても思い出深い花である。
一六歳修行でガドネア本島へと出発し、たった数ヶ月で旅を終わらせ、宮大工を目指して邁進していた当時のことだ。
一つ上のレイチェルとは、当時近くに住む友達という関係だった。が、彼女が料理を作ってあげると言って、二人で食べた料理にフテンプリウムの実をすりおろしたものが混ぜられていたのだ。なので二人とも当然食してしまったわけだが、病弱だったはずのレイチェルからは信じられない力で押さえつけられ、その後流されるままに関係を持ってしまった。その後は色々なし崩し的に結婚し、アーサーが生まれ、今に至る。
今群生しているフテンプリウムは、レイチェルが植えたものだとブラストは確信している。おそらくはブラストが冒険者の旅に出た直後当たりに、どこからか種を入手してきたのだろう。そして理由もまた、理解している。レイチェルが、そのフテンプリウムを必要としていたからだ。一服盛られたのは、そのついでだ。
ブラストは軽く頭を振る。かつて愛した妻の思い出に浸っていても良かったが、アーサーたちが持ち帰ってきた話が、今は重要だ。
「済まねえな、アーサー。あの祠……、遺跡にまつわる文献は、最初から一つとして作られていねえ。伝承は、口頭でのみ伝えられているんだ。……今は時期尚早、まだ何も語れねえ。語れるのは、何もかも手遅れになったとき、お前の息子に、だそうだ。何気にひでえ『夢見』だな、レイチェルよ?」
小さく溜息を吐きながら、ブラストはグラスを片付けるため席を立つのだった。
翌日。
「……ホントにでけえ」
「でかい、ですね」
スナー家前に、鍋が運ばれてきた。直径はマリアの背丈を軽く超え、深さもマリアの首まですっぽり入るほどの土鍋だ。重さはとんでもなさそうだが、それを一人の男性が運んできた。おそらくは龍族なのだろう。翼も尻尾も出していないので、はっきりとは解らないが。
「ブラストの旦那、この辺りで良いですかい?」
「もう少し右に寄せてくれ。……そうそう、その辺りだ。よし、仮の足場をすぐに組んでくれ」
ブラストは周りにいる部下達に、次々と指示を飛ばす。
彼らは、建設事務所の従業員である。あの事故後、ブラストは会社を副社長に譲って辞めるつもりだったのだが、社員全員に引き留められたそうだ。彼なくしては建設事務所が成り立たなくなることが解っていた事もあるが、彼自身の人徳が一番大きな理由だった。折衝案として副社長を社長へと昇格し、ブラストは平になるという人事を行ったが、それでも部下達は不服とし、最終的にはブラストは棟梁という平社員プラスアルファという立場として、今の体勢に落ち着いたという。そんなブラストが陣頭指揮を執って、彼の自宅に風呂を設置しようとしているのだ。なので社員全員が、嬉々としてしてこの仕事に参加している。
土鍋の周りにレンガが積まれていき、かまどの形を形成した。その周りを粘土で塗り固められていく。これでサイズの狂った土間の調理場、そのままの出で立ちだが、風呂の原型がこれで完成した。
アーサーたちの考える風呂とはまるで違うものだった。彼らが旅先で見てきた風呂は何種類もあるが、多くは金属の湯船に魔法か施設に備え付けの水道・井戸などから水を入れ、火の魔法で温めるというものだ。希にお湯が出せるような魔導具を備え付けた水道というものもあったが、お湯にするにはいずれも魔法に頼っている。魔法に頼らないお風呂は、決まって温泉だ。それはそれで乙なものではあるが。
目の前にあるものは、魔法が全く使えなくても入浴が可能なものだ。水は近くの井戸から汲んできて、かまどに火を入れてお湯にする。しかも土鍋だから一度温まったら簡単には冷えない。温度管理は難しそうだが、そこは魔法を併用すれば良いかも知れなかった。
「後は、粘土が乾いたら火を入れて、焼きを入れる。入浴できるのはその後だ。それまでには壁も屋根も付けて、……概ね完成まで四週間程か」
「結構かかるな」
「ま、粘土が乾燥するのがどうしても時間がかかる」
二時間強の作業も終わり、ブラストを含め一同はやいのやいのと話ながら事務所へと戻っていった。
「しかし、こうしてみると慕われていますよね」
「なんだかんだいって、親父は腕も良いし、面倒見も良い。結局あの事故があっても誰も親父のことを非難しなかったんだよな」
「……そう、ですね」
マリアは寂しそうな笑顔となるが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻った。
「ただ単に運が悪かっただけですから。今はもう身体も健康そのものです」
マリアの目つきが一瞬変わる。性格が交代した瞬間だった。
「邪魔者も行ったことだし、子作りしよ?」
「ぅをいっ」
真っ昼間からのどストレートな一言に、アーサーは足を滑らせかけるのだった。
事故から二ヶ月経ち、ガドネア歴九七九年五月。聖龍島に本格的な冬がやってきた。流氷が聖龍島の南側に押し寄せてきたことで、月初めの便で最終と設定された。これを逃すと九月まで便がない、そんな状況だ。
人龍は空を飛べるので船はあまり関係はないが、極寒の空を飛ぶのはやはりつらいものがある。特にマリアは砂漠地方生まれのため、この寒さはさすがにつらいらしい。
また、二人ともファーネルの近衛の隊長と副隊長という肩書きもあり、本来長期に王城から離れることはできない立場なのだ。これはファーネル本人と、理解のあるコール王とソニア王妃の配慮もあって実現できているに過ぎない。
この辺りが潮時か、と二人は考え、ユニスへと戻ることにした。
「じゃ、またどこかのタイミングで帰ってくるつもりだ」
「ああ、言ってかましてこい」
「だから何を?」
冒険者定番の挨拶を交わし、アーサーは踵を返しながら手を振る。マリアも頭を下げてから、アーサーとならんで桟橋へと踏み入る。
乗船した二人は、船が出発するとブラストへ、そして島へと手を振り、第二のふるさとを目指すのだった。




