8話 勉強会、ガチオタギャルを添えて
中間テストを間近に控えた、ある日の放課後。
教室内は、焦燥感と解放感が入り混じった独特の空気に包まれていた。
雪はいつも通り静かに帰り支度を始めている。一方、俺の周りには一軍グループの面々が集まり、今日の放課後の予定について議論を交わしていた。
「今日の勉強会どこにする? スタバは?」
「いや普通に腹減ったしマックに一票」
彼らの議論に適当に相槌を打ちながら、俺の視線は自然と雪の方へ向く。
(げっ……!)
雪の机の周りを、クラスのトップカーストに君臨する一軍ギャルたちが取り囲んでいた。
「折尾さん、本城くんと付き合ってるって本当?」
「ぴゃっ……」
突如として向けられた一軍からの質問に、雪から情けない悲鳴が漏れる。
「ぴゃっ、て何それウケるw小動物みたいで可愛いーw」
「ねえねえ、本城君とはどうやって付き合ったの?」
「告白はどっちから?」
「てかさ、ぶっちゃけどこまで進んでるの?」
ギャルたちの容赦のない質問攻めに、雪の顔からみるみる血の気が引いていく。
「あ、えと、その……」
完全にキャパオーバーを迎えた雪が、縋るような目でこちらを振り返った。分厚い眼鏡の奥の瞳が、明確に救難信号を発している。
そのアイコンタクトを受け取った瞬間、俺の身体は勝手に動いていた。
「すまんお前ら、やっぱ今日の勉強会パス!」
「なんだよ、最近連れないぞー聡太」
「聡太には愛する彼女さんがいるんだよな〜w」
「そういうワケだ、すまんなリア充でw」
「けっ、はよ行ってこい!」
一軍男子たちのからかいを軽いノリでいなし、俺は真っ直ぐに雪の元へと歩を進める。
「雪、すまん待たせた」
「あ、ウワサの彼氏くん来たよーw」
ギャルたちがニヤニヤしながら道をあける。俺はわざとらしく肩をすくめて、彼女たちの輪に割り込んだ。
「あんま俺の彼女にウザ絡みすんのやめろってーw」
「あは、彼氏くんに怒られちゃったwじゃあね~折尾さん」
ひらひらと手を振って去っていく一軍女子たち。その背中を見送ってから、俺はカバンを肩にかけ直した。
「ほら雪、行くぞ」
「……うん」
雪は小さく俯いたまま、俺の斜め後ろをついてくるように歩き出した。
ピンチを脱した安堵からか、その肩はかすかに震えているようだった。
しばらく廊下を進み、少しずつ人の数がまばらになった頃。雪は大きく肩を落として深い溜め息を吐き出した。
「陽キャ無理……怖い……」
「雪……そろそろその辺の耐性を身につけてもらわないと……」
「無理なもんは無理……」
しゅん、と耳まで垂れ下がりそうな勢いで落ち込む雪。
「ていうか、助けに来るの遅い」
「すまんって。一軍のノリを崩さずに抜けてくるの、結構大変なんだよ」
「でも……ありがと」
「お、おう……」
不意の素直な感謝に、俺は思わず顔を熱くした。
「てか、そろそろ中間テストの勉強しないとな」
「うっ、勉強……」
露骨に嫌そうな顔をする雪に、俺は苦笑した。
「雪も勉強苦手だったよな。俺も偉そうなこと言えないけど、そろそろ本気でやらないと赤点に関わる」
「聡太、特にヤバい教科は?」
「数学が圧倒的にヤバい。公式がゲシュタルト崩壊を起こしてる。雪は?」
「……全部」
ずーんという効果音が聞こえそうなほど、雪の周りの空気が重くなった。
「……とりあえず今日、図書館で勉強していかね?」
「うん……」
◇
図書室へ向かう途中、後ろから馴染みのある声が掛けられた。
「おーっ、聡太氏に雪氏!」
「あ、浅川さん」
「こ、こんにちは……」
おどおど挨拶をする雪の頭を、浅川さんがヨシヨシとなで回す。
「雪氏は今日も可愛いですなぁ、むふふ」
「ぴゃ……」
相変わらずギャルの距離感に圧倒されつつも、雪は前ほど嫌がっていない様子だ。
「ちな、二人はもう帰り?」
「これから二人で図書館で勉強しようかなーって思って」
「むほー! 彼氏彼女二人きりでお勉強! 青春ですなぁ、ごちそうさまでヤンス!」
「からかうなよ……。ところで浅川さん、勉強って得意?」
「ははーん、さては勉強を教えて欲しい、と?」
「はい……」
藁にもすがる思いで俺が頷くと、浅川さんは胸を張って不敵に笑った。
「ミコラーの同志の頼み! 断るなどあり得ない! ヤムチャが天下一武道会で優勝するくらいあり得ない!」
「それ、俺がこの前言ったやつ……」
「では、図書館へレッツゴーであります!」
頼もしいギャルを仲間に加え、俺たちはテストの修羅場へと足を進めた。
◇
静まり返った図書室。浅川さんはイラスト帳と思われるノートに鼻歌交じりにペンを走らせていた。
見た目は完全に遊んでいるギャルそのものだが、その実力は俺たちの想像を遥かに超えていた。
「浅川さん、数学のこの問題なんだけど……」
「あー、これはね。この式をここに代入して、それからこっちを展開すれば一発だよ」
「浅川さん……この英文、どうやって訳せばいいの……?」
「あー、そこはね。この単語が関係代名詞になってるから、後ろから修飾する感じで訳すと綺麗に繋がるよ」
的確かつ、驚くほど噛み砕かれた解説。
「教え方上手すぎるだろ……」
「わ、わかりやすい……!」
俺と雪は思わず感嘆の声を漏らした。
さっきから浅川さんは、俺たちの質問に一瞬で答え、それ以外の時間はひたすらお絵描きしかしていない。
「あのさ浅川さん。さっきから俺らに教えるのとイラストばっかりだけど、自分の勉強は大丈夫なの……?」
「問題無いでありんす! 私テスト勉強とかしたことないけど、学年一位以外取ったことないから」
「「すごっ!」」
綺麗にハモった俺たちの驚愕の声を、浅川さんはどこ吹く風で受け流す。
「学校のテストなんて所詮、授業でやってるところしか出ないからねー。楽勝っすわ」
「天才っているんだな……」
「えー、私またなんかやっちゃいました?」
お茶目にウインクを決めた浅川さんは不意にペンを置くと、すっと席を立った。
「失礼。あたくし、ちょっとお花を摘んで参りますわ」
浅川さんが席を外して、図書室の片隅に二人きりの静寂が訪れる。それぞれの問題集に向き合っていた時、隣で雪がもぞもぞと動いた。
「ねえ、聡太」
「どうした? どっか分からないところでも――」
振り返りかけた俺の太ももに、ぽふん、と柔らかい重みが乗る。
見下ろすと、雪が俺の膝の上に自分の頭を乗せて丸くなっていた。
「ちょちょちょ、雪、さん!?」
「集中力切れた。ちょっと膝貸して」
「ここ図書室だぞ! 誰かに見られたら……」
「彼氏彼女ならこれくらい普通だから。偽装彼氏ならこういうのにも慣れなさいよ。あらかじめ言っとくけどあくまでリアリティの追求のためだから……!」
眼鏡の奥の目をぎゅっと瞑り、雪は耳まで真っ赤にしながら早口で言い訳を並べ立てる。
膝から伝わる体温と、かすかに香るシャンプーの匂いに、俺の心臓は小学生がイタズラしたメトロノームのように尋常じゃないリズムを刻んだ。
生きた心地がしない。このままでは俺の理性が持たない。
テンパった俺の脳裏に、最悪の悪戯が浮かんだ。
「あ、浅川さん戻ってきた」
「!!」
ビクゥッと、陸に打ち上げられた魚のように跳ね上がった雪は、勢いよく頭を持ち上げ――
『ゴンッ!!!』
「う……っ!」
図書室の机の角に、思いきり後頭部を強打した。
「……ごめん、嘘」
静まり返る空間。俺は自分の口から出た言葉の取り返しのつかなさに、一瞬で血の気が引いた。
(や、やってしまったか、俺……)
雪は涙目で頭を押さえたまま、一切の声を消して、奈落の底から這い上がってきた怨霊のような目付きで俺をキッと睨みつけてくる。怒りと恥ずかしさと痛みで、感情が限界突破している様子だ。
「ご、ごめんて……痛かったよな、悪かったって……っ」
「……バカ聡太」
小さな声で最大の罵倒を吐き捨て、雪はへそを曲げてノートに顔を埋めてしまった。
テスト勉強の修羅場に、別の意味で恐ろしい冷気が吹き荒れていた。




