7話 一本のマイク、縮まる距離(物理)
一本のマイクを二人で握り、顔を寄せ合う。お互いの吐息が触れ合いそうなほどの至近距離に、俺の心臓は激しく暴れ狂っていた。
いや、まともに声が出ねえ!
隣の雪も、分厚い眼鏡の奥の顔を真っ赤に染めている。
それでも俺はオタクとしての矜持を奮い立たせ、一生懸命に声を震わせ神曲を歌い続けた。
やがて、ドキドキのデュエットが終わりを迎えた。
「いや〜、生カップルによるラブソングのデュエット! イイもの見れたンゴね〜!」
浅川さんがパチパチと手を叩いて大はしゃぎする中、俺と雪は完全に意識し合ってしまい、どうしてもお互いの目を見ることができなかった。
「あ、マイク治ってる」
「おい!!」
わざとらしすぎる浅川さんのセリフに、俺は思わずツッコミを入れずにはいられなかった。
◇
カラオケ店を出て、駅前で浅川さんと別れる。
「また三人で行こうね〜!」
手を振る浅川さんに、雪は無言のまま、小さな手をふりふりと振り返していた。
二人きりになった帰り道、夕暮れのアスファルトに二つの影が並んで伸びる。いつも以上に気まずい沈黙が流れ、俺は焦っていた。
(なにか喋らなきゃ……空気が持ちそうにない……っ)
「た、楽しかったな」
「うん」
「その、なんつうか……意外と歌う声、カワイイんだな」
「意外とは余計よ」
ぷいっと顔を背ける雪。
「ご、ごめん」
(くそっ、なんか今日……全然会話が続かねえ!)
この妙な緊張感を紛らわせたくて、俺は気になっていた質問を投げかけた。
「そういえばさ、雪」
「なに?」
「何で急に、ボカロ聴くようになったの?」
「べつに……昨日聡太の家で聴いて、普通に気に入っただけ」
「そうなんだ」
自分の好きな世界を認めてもらえた気がして、普通に嬉しい。
だが雪の次の言葉に、その嬉しさは完全に思考停止へと叩き落とされた。
「それに……好きな人の好きな物は、もっと知りたいっていうか……」
「へっっ!? な、なんて!?」
耳を疑って聞き返す俺に、雪はあせあせと両手を振り乱して弁明を始めた。
「だ、だから! 私たちは偽装とはいえそういう関係だから! お互いの趣味とかよく知っておいた方が設定にリアリティが出るでしょ! それだけ!!」
「そ、そうだな! 雪の言うことは一理ある! 今度俺にも雪の好きなモノのこと教えてくれ!」
そうやって話を合わせる俺の胸の奥でも、鼓動が激しさを増していた。
◇
帰宅後、自分の部屋。
ベッドに寝転がり、俺はスマホで雪とのトーク画面をスクロールしていた。
文字だけのやり取りを何度も読み返してしまう。
(くそっ……最近のあいつ、流石に可愛すぎるだろ……)
自分の心境の変化に頭を抱えた、その時だった。
雪とのトーク画面がピコンと動く。まさにたった今、雪からの通知が届いた。
(うわっノータイムで既読つけちゃった! 恥ずかしっ……!)
一秒も置かずに「既読」の文字がついた画面の向こうで、雪はどう思っているだろう。
だが、雪からのメッセージを見た瞬間――
『聡太の好きな曲、他にも教えて』
――胸の奥が甘酸っぱい音を立てて跳ね回り、焦りはトキメキという名の劇薬で上書きされた。
俺はベッドから飛び起きると、お勧めのボカロの名曲を大急ぎでいくつかリストアップして送信した。
スマホを胸に抱きしめ、再び枕に顔をうずめてバタバタと足をのたうち回らせる。
カモフラージュから始まった関係が、少しずつ確実に、俺の心はコントロールできない方向へと引きずり回されている。
折尾雪という少女。
その存在は、俺の中で日に日に大きくなっていっていると、そう認めざるを得ない。




