3話 偽装彼女と、ガチオタギャルの邂逅
月曜日の朝、ホームルーム前の騒がしい教室。
席に着くなり、一軍グループの男子がニヤニヤしながら俺の机に身を乗り出してきた。
「なあなあ聡太、お前普段折尾さんとデート行ったりすんの?」
唐突な質問に心臓が一瞬跳ねたが、俺は週末の記憶を脳内から引っ張り出し、余裕を装った気だるげな笑みを浮かべる。
「まあ、時々な」
「マジか! どんな感じなんだ?」
「別に普通だよ。この前は駅ビルで飯食ったり、ゲーセン行ってプリ撮ったり〜、みたいな」
(危ねえええ! 耐えた、耐えたぞ……! 予習デートしといて本当に良かった……!)
内心でガッツポーズを連発する俺をよそに、モブ男子は羨ましそうに天を仰いだ。
「くはぁ~っ、いいなあ! 青春じゃん!」
その時、ガラッと教室の扉が開いた。
長い黒髪を揺らしながら、いつも通りの猫背で雪が入ってくる。
「お、おはよ、雪」
周囲の目を意識しつつ、昨日決めた通りに名前で声をかける。
「おはよ、聡太」
雪は一度だけ視線を俺に向けると、それ以上は何も言わず、そっけない態度ですぐに自分の席へと向かってしまった。
その徹底した省エネぶりに、モブ男子が怪訝そうな顔で俺の耳元に口を寄せる。
「なあ聡太、折尾さんって教室ではいつも大人しいけど、お前に対してもそっけないよな?」
「あ、あ〜、はは……。教室ではそういうの恥ずかしがってるだけだって。あんま触れてやるなよ」
「てことは……お前だけがあのクールな仮面の裏側を知ってるってことか〜。くそっ、このリア充め!」
(仮面の裏側……。あいつの場合、そんなイイものでもないけどな)
そんな心の中のツッコミは、一軍の笑顔の仮面で綺麗に覆い隠しておいた。
◇
昼休み。友達との昼食を終えた俺は、一人図書室へと足を運んでいた。
静寂に包まれたその場所で、俺は大きな円形机の席に深く腰掛け、そっと大きなため息を吐き出した。
(はぁ~、しんどい……)
自分で選んだ道とはいえ、やはり一軍陽キャのノリはしんどい。常に周囲の目を気にし、好感度の高そうなセリフを選び、無難を手繰り寄せる。精神的なエネルギーは、ほんの数時間で完全にすり減っていた。
紙の匂いと、静まり返った空気。図書室こそが、今の俺にとって唯一にして絶対のオアシスだった。
そのとき、向かいの席に一人の女子生徒が座った。
何気なく目を向けた俺は、心の中でぎょっとする。明るい金髪に、短すぎるスカート。どこからどう見ても典型的なギャルだった。
なんでこんな奴が図書室に、と不審に思いながら見ていると、彼女は机にノートを開いた
イラスト帳と思われるノートには、特徴的なツインテールとヘッドセットのイラスト。
あれは、間違いない。
「末音ミコ、上手……」
あまりの神イラストっぷりに、思わず心の声が口をついて出てしまった。
静かな空間に響いた俺の呟きに、目の前のギャルがバッと顔を上げる。
(やべ、声に出ちゃった……!)
自分の愚行に気付いた時にはもう後の祭りで、ギャルがこちらに身を乗り出してきた。
「あなたも末音ミコが好きなの?」
名前も知らないギャルが目を輝かせ、圧倒されるばかりの俺。
サブカルシーンに突如として現れた電子の歌姫、ボーカロイドの末音ミコ。本当は大好きだ。新曲は欠かさずチェックしている。
しかしここでオタク趣味がバレれば、俺の高校デビューは一瞬で水の泡になる。俺はオタクの血をグッとこらえ、淡々と返した。
「い、いや、俺は……姉ちゃんがよく家で聞いてて、それでちょっと知ってるだけで。詳しくはあんまり……」
必死に予防線を張る俺に、彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ちな、好きな曲1位と2位と3位は?」
その瞬間、俺の脳内で何かが『バチン』と音を立てて弾けた。
「やっぱ自分の中で不動の一位は『ネルト』だな。この曲は末音ミコの曲で一番最初にニヤニヤ動画十万マイリスト達成した曲で、ボーカロイドの歴史を変えたと言っても過言じゃない。単に記録が凄いだけじゃなくて、メロディのキャッチーさと歌詞の爽やかさは現代でも余裕で通用する。何より作り手みんなが手探りだった時代にあれだけの物を作り上げたっていう功績込みで、一位はこの曲以外あり得ない。天下一武道会でヤムチャが優勝するくらいあり得ない。次点はほぼ同率で『バブルラリアート』っしょ。最初出来ない事ばかりだった奴が、少しずつ出来る事が増えていくんだけど、でも最後に『疲れた時はそばにいて下さい』っていうあの歌詞、なんなん反則すぎるだろ! 泣くわっつうの! そんであの動画のミュージックビデオ、停止ボタン押しても真ん中でミコが回り続ける演出、というか技術が凄すぎな! 三位はマジで迷うけど、俺的にはやっぱり――」
ハッ、と我に返る。
自分の口から信じられないスピードで出力されていた早口の怪文書に、俺は血の気が引いた。
(や、やらかした……! 好きなものを聞かれた時のオタクとしての本能が、つい……!)
目の前を見ると、金髪のギャルがこれ以上ないほど満面の笑みでニヤニヤしていた。
「うおおおおやっぱりミコラーだったぁぁぁ!! これは神回! 運営ありがとう!」
静かな図書室に響き渡るオタクワード。すかさずカウンターの奥から「ゴホン!」と鋭い咳払いが飛んできた。
「あっ……失敬。リアルでテンション上がるイベントなんて滅多にないもので」
「……。」
俺はもう、恥ずかしさと絶望で顔を覆うしかなかった。
「ささっ、ここでは迷惑になりますゆえ、場所を移しましょうぞ!」
そうして俺は図書館外のベンチに連行される。
ギャルはそこで、今一度俺に向かってビシッとポーズを決めた。
「改めまして! 一年二組、浅川花です! 好きなボカロPはryuさん、wawakaさん。推しはもちろん末音ミコ一択!」
「……五組の、本城聡太です」
がっくりと肩を落としながら、力なく名乗る。
「聡太氏とはこれから末永く語り合える予感しかありません! ジブン、LIME交換イッスか!」
「あ、あ〜……」
ぐいぐいとスマホを突き出してくる浅川花を前に、俺は完全に主導権を握られ、冷や汗を流すことしかできなかった。
◇
その日の放課後。校門を出た俺と雪は、いつものように一定の距離を保ちながら歩いていた。
沈黙を破ったのは、隣を歩く雪の冷ややかな一言だった。
「見たんだけど」
「……何をだよ」
心臓が嫌な音を立てる。完全に、嫌な予感しかしない。
「さっきの昼休み。図書室に行ったら、聡太が知らない女子と親しげに話してた。おかげで本を返しそびれたわ」
「見てたのかよ……っ」
雪は歩調を緩めず、眼鏡の奥の瞳を冷酷なまでに細めた。
「偽装とはいえ、私達は恋人関係なんだから。他の女子と親密にされると色々都合が悪いんだけど」
「ち、違うんだ! 俺もそんなつもりなかったんだけど……あいつが描いてた末音ミコのイラストを見て、つい俺のオタクスイッチが入っちゃって……」
「ふーん。クラスではいつも取り繕ってるくせに、あの子の前ではそんな簡単に素を出せるんだ」
「それは……っ」
「ま、どうでもいいけど。とにかく、二股みたいな動きはやめてよね。私の体面に関わるから」
ツンとへそを曲げる雪に、俺は慌てて首を横に振った。
「二股なんて滅相もない! ただこのタイミングであの子と距離を置くのはマズイんだよ」
「なんで?」
「完全に俺のオタク趣味のことを握られた。下手なことすれば、クラスの奴らにもバラされるかもしれないだろ……」
俺の必死の訴えに、雪はふっと視線を斜め下に落とした。少し寂しそうな、それでいて突き放すような低いトーンに声が変わる。
「……バレればいいじゃない」
「いやだ! オタク趣味がバレたら一軍陽キャのグループから追い出される!」
「ふん、くだらない」
雪はいつもの無表情に戻ると、冷たい口調で言い放った
「せいぜいバレないように頑張れば。私があんたの特大の爆弾を抱えてるってこと、忘れないでよ」
「わかってるよ……くそっ」
◇
帰宅後。お風呂から上がって自室のベッドに寝転がった時、机の上のスマホがブブッと小刻みに震えた。
今日登録したばかりの、浅川花からのLIMEだった。
『聡太氏!』
『ネルトの神アレンジCD、貸してあげますぞ!』
『明日の昼休み図書館前に来て下され』
(アレンジCD……! しかもあの『ネルト』の……!?)
オタクの血が騒ぎ、思わず返信しようとしたその瞬間、もう一つの通知が画面の上部に割り込んできた。
相手は、雪。
『そろそろ学校でも彼氏彼女っぽいことしないと怪しまれる』
『というわけで明日、お昼一緒に食べるわよ』
二つの画面を交互に見つめ、俺の思考は完全にフリーズした。
浅川さんの指定は、明日の昼休みに「図書館前」。
雪の指定は、明日の昼休みに「一緒にお昼」。
「詰んだ……」
手の中に収まるスマホが、まるで信じられないほど重い時限爆弾のように思えてならなかった。




