2話 偽装カップル、初デートへ
翌朝。ホームルーム前の教室は喧騒に包まれていた。
ストレスのせいで昨日からキリキリと続く胃の痛みに耐えながら、俺は自分の席につく。
「よーし。今日も俺、折尾さんにアタックしてみよっかなー」
昨日折尾をナンパした男子が、俺の近くの席でニヤニヤと笑う。その姿を見た瞬間、脳裏に昨日の折尾の脅しが鮮明によみがえった。
やるしかない。俺は乾いた喉をごくりと鳴らし、ソイツの肩を掴んだ。
「あー……そのことなんだけどさ。俺、お前に謝らなきゃいけないことがあって」
「ん? なんだよ改まって」
「じ、実はさ……付き合ってんだよね。折尾さんと、俺」
「え、ええっ!? マジで!?」
素っ頓狂な声を上げ、周囲の視線がいくつかこちらを向く。俺は慌てて声をひそめ、昨日雪とLIMEで一緒に考えた設定を口にした。
「実は中学が一緒でさ。卒業式の日に俺から告白して、付き合うようになって今に至る……って感じなんだよ」
「んだよ、そういうことなら早く言えよー! 聡太に一人で踊らされてんじゃん俺!」
怒るかと思いきや、ソイツはケラケラと笑いながら俺の背中をバシバシ叩いて笑った。
「すまん、昨日はなんか言い出しづらくてさ」
「まあいいや! 女は折尾さんだけじゃねえしな。やっぱ高校っつったらギャルっしょ!」
「お、おう。頑張れよ……」
サバサバした奴で助かった、と胸をなでおろす。
ふと気配を感じて前方を向くと、最前列の席で折尾雪が教科書に目を落としたまま、じっとこちらの会話に耳を澄ませているように見えた。
◇
そして、放課後。
教科書を鞄にしまい帰り支度をしていると、ポケットの中でスマホがブブッと短く震えた。画面を見ると、通知は雪からのLIMEだ。
『一緒に帰ろう』
『って感じで、聡太から声かけなさいよ』
(あ、あいつ……指示が細かいんだよ……!)
俺は心の中で毒づきながらスマホをしまい、カバンを肩にかけた。
「お、俺、あいつと一緒に帰るから」
グループの男子に声を掛ける。
「おう、彼女と仲良くなー! あそうだ、俺に彼女ができたらさ、ダブルデートしようぜ!」
「お、おう……」
笑顔で手を上げるソイツに、俺は引き攣った笑みを返すのが精一杯だった。
ダブルデートなんて展開になったら、ソッコーでボロが出て高校生活死ぬわ! などと考えながら、俺は折尾雪の座る窓際の席へと歩み寄った。
「……帰ろうぜ」
「ん、」
折尾雪は短く応じると、ゆっくりと席を立って俺の隣に並んだ。
その瞬間教室のあちこちから、小さく、けれど確実にヒソヒソと噂する声が聞こえてきた。
『え……嘘、マジであの二人付き合ってるの?』
『全然雰囲気違くない……?』
『折尾さん、本城くんに脅されて付き合わされてたりしないよね……?』
誰が誰を脅してるって? 逆だよ、完全にパワーバランスは逆なんだよ!
内心で血を吐くような叫びを上げながら、俺は彼女を連れて逃げるように教室を後にした。
◇
校舎を出て、しばらく歩いた静かな帰り道。
周囲に同じ高校の生徒がいないことを確認してから、俺はたまらず雪に文句をぶちまけた。
「おい! 俺にだって男子グループの中での付き合いってもんがあるんだが! 教室であんな堂々と声かけさせやがって!」
「恋人っぽいことを定期的にしておかないと、本当に付き合ってるか怪しまれるでしょ。カモフラージュよ」
彼女は猫背のまま、分厚い眼鏡の位置をクイと直して淡々と言う。
「それに、あんた」
「なんだよ」
「あんな連中と一緒にいても、疲れるだけでしょ」
「うっ……」
痛いところを突かれ、言葉が詰まった。
図星だった。周りに合わせて笑いたくないところで笑い、無理に声を張り上げ、一軍陽キャのノリにしがみつく。そんな振る舞いに、俺自身も心のどこかでしんどさを抱えていたのだ。
「ガワだけ取り繕っても疲れるだけじゃない」
ボソリと、まるで心の内を見透かすような言葉。俺は何も言えず、折尾の横顔を見つめるばかりだった。
二人の間に流れる気まずい沈黙に耐えかねてか、隣を歩く彼女が「ねえ」と短く声をかけた。
「一回くらい、デートとか行っといたほうがいいと思うんだけど」
「はあ!?」
思わず足を止め、折尾の顔をまじまじと見つめてしまう。眼鏡の奥の表情は相変わらず読めない。
「本当に付き合ってるわけじゃないんだし、そういうの必要か? こうやって学校帰り一緒に歩いたり教室でちょっとつるんどけば、虫除けの役目は十分に果たせるだろ」
「甘いわね。一軍男子のグループにいるなら、そのうち彼女とのデートの話も振られたりするでしょ」
折尾は歩調を緩めることなく、淡々と正論を紡いでいく。
「そういう時に全くの嘘を並べたところで、アンタのことだからどこかでボロが出るわよ」
「うっ、たしかに……」
彼女の言う通りだ。もしデートの詳細を聞かれて、デート経験皆無の俺が適当な嘘で話を濁そうものなら、一発で怪しまれること必至だ。
「だから、リアリティを持たせるために、ね。必要なことなの」
これは命令だと言わんばかりの冷たい口調だった。
「カモフラージュのための業務的なデート。分かった?」
「……へいへい、分かりましたよ」
女子とデート……相手が折尾雪とはいえ、数か月前まで陰キャだった俺にはなかなかのハードル。
さてどうしたものかと、俺は内心でため息をつきながらその日は彼女と別れた。
◇
そうして迎えた週末、デート当日。駅の改札前で、俺は手持ち無沙汰にスマホを眺めていた。
高校デビュー用にセレクトショップで新調した服が、妙に体に馴染まない気がして落ち着かない。
「……お待たせ」
聞き慣れた声に顔を上げ、俺は言葉を失った。
いつものボサボサ髪を少し整え、ゆるっとしたシルエットのサマーニットに身を包んだ折尾雪の姿が、そこにあった。
相変わらず分厚い黒縁眼鏡はかけているものの、制服の時よりもあの暴力的な胸の膨らみが強調され、どこか目のやり場に困る。
(落ち着け俺……! 相手はあの折尾さんだぞ、動じるな……!)
必死に理性を保とうとする俺に、折尾が尋ねた。
「で、どこ行くの?」
「えっ、えっと……」
「女の子とのデートでノープランとか。あんた本当に一軍陽キャになる気あるの?」
「う、うるせえ! 業務的なデートなんだから、行き先なんてどこでもいいだろ!」
「とりあえず私、お腹空いたからどっかでお昼食べたい」
◇
折尾の先導で入ったのは、駅ビルの中にある少しお洒落なハンバーガーショップだった。
注文したタワーのようなバーガーが運ばれてくると、彼女の目が眼鏡の奥でキラキラと輝いた。
「おいしそ〜!」
学校では見たこともないような高いトーンの声。嬉しそうにハンバーガーを両手で持つと、小さな口をめいっぱい大きく開けて、豪快にガブッと齧りついた。
意外と良い食べっぷりだな。
「んふぅ、うま……っ」
ソースを口元につけながら、幸せそうに頬張っている。
美味しいものを食べて、無防備に破顔するその様子は……なんというか、庇護欲をそそられる。
平たく言えば、ただただ可愛かった。
「何さっきからジロジロこっち見てんのよ。私の顔に何かついてる?」
「な、なんでもねえよ!」
折尾雪相手に何を考えているんだ! と、一瞬で我に返った俺は慌てて目を逸らした。
◇
食後は近くのゲームセンターに移動した。
一軍グループといる時には絶対に近寄らないであろう、奥の音ゲーエリアへ俺の身体が勝手に吸い寄せられる。
オタクから圧倒的な支持を集める最新音ゲー。萌えキャラの歌声と共に、画面に猛烈な速度で降ってくるノーツを、俺の指先が完璧に捌いていく。
「よっしゃ、ハイスコア更新!」
「ガワは陽キャのくせに、やってることはオタクなのね」
「うるせえよ! 身体が勝手に動いちゃうんだから仕方ないだろ!」
呆れたように腕を組む折尾だったが、すぐにふいと視線を逸らし、別のコーナーを指差した。
「あんたの音ゲーがすごいのは分かったから。次、あれ行くわよ」
「ぷ、プリクラ!? 折尾さんのくせに、あんなのが好きなの?」
「折尾さんのくせにってなによ。別に好きじゃないわよ」
嘆息を吐きながら彼女は続ける。
「一緒に撮ったプリクラの一枚や二枚あったほうが、クラスの連中に突っ込まれた時に彼氏彼女っぽいでしょ」
「たしかに……」
正論に押し切られ、カーテンを開け狭いブースに入る。
最新のプリクラ機の指示に従って、ぎこちなくピースをする俺の隣で、折尾は普段見せないような笑顔で撮影に臨んでいた。
その後の落書きタイムでは「どれにしようかな〜」と、鼻歌交じりで楽しそうにタッチペンを動かしていた。
(……業務とか言いつつ、やっぱコイツが撮りたいだけだろ)
プリクラでの撮影を終えた後、俺は一度折尾と離れてトイレに立った。
用を足し元の場所へ戻ってきた時、自分の顔面から血の気が引くのを感じた。
プリクラの筐体前で、折尾が他校の派手な男子高校生二人組に囲まれていたのだ。
「ねえ、一緒にカラオケ行こーよ。ねえってば」
「あ、あわわ、あわ……っ」
完全にいつもの陰キャモードに戻り、涙目で困り果てている。
俺は一軍グループで培った陽キャのノリを脳内に降臨させ、あえて少し大きめの声を張り上げて彼らの間に割って入った。
「雪ちゃ〜ん、お待たせ〜。あれ、この人たちは知り合い?」
「っ! もぉ〜う聡太く〜ん、おそ〜い!」
折尾が瞬時にこちらの意図を察し、話を合わせながら俺の腕にしがみついてくる。腕に当たる柔らかい感触に心臓が跳ね上がった。
「チッ、彼氏いたのかよ。行こーぜ」
他校の連中がつまらなそうに去っていくのを見届けてから、俺たちは大きく息を吐いた。
「ったく、戻ってくるの遅いわよ。仮にも彼女とのデート中に大とかありえないんだけど」
「う、ウ〇コじゃねえし! トイレがなかなか見つからなかったんだよ!」
「それより、何が『雪ちゃ〜ん』よ、鳥肌立ったんだけど」
「あ、あの場合仕方ないだろ! お前だってノリノリで『聡太く〜ん』とか言ってたじゃんか」
「……さっきのはお互い忘れましょう」
耳まで真っ赤にして、ぷいと顔を背けられた。
◇
そんなこんなで時間は流れ、夕暮れ時。
電車に揺られて二人の最寄り駅まで戻り、そこから自宅へ続く静かな道をしばらく歩く。影が長く伸びるアスファルトを見つめながら、折尾が口を開いた。
「これで恋人とのデートについて聞かれても大丈夫ね」
「ああ、多分な」
「じゃ、明日からも彼氏役よろしく」
「おう」
やがて二人が別れる道に差し掛かる。じゃあな、と言って背を向けようとしたその時。
「ま、待って!」
裾をクイと引っ張られ、振り返る。折尾は顔を真っ赤にして、モジモジと俯いていた。
「なんだよ」
「その……名前、呼び方……」
「呼び方?」
「だ、だから! 彼氏彼女が苗字で呼び合ってたら変でしょ! カモフラージュにならないわ!」
「そういうもの、なのか?」
「そういうものなの! だからこれからは……聡太、って呼ぶから。あんたも私のことは……雪って呼びなさいよ」
「学校でも?」
「当たり前でしょ!」
眼鏡の奥の瞳を潤ませながら、彼女は必死に主張した。
「……分かったよ。また明日な、雪」
「……っ。バイバイ、聡太」
名前を呼んだ瞬間、折尾雪はこちらに背を向け小走りで去っていった。
◇
夜、自分の部屋のベッドに転がり、スマホを開く。
なんとなく、LIMEでの雪とのやり取りを見返そうと思った。彼女とのトーク画面を開くと、そこで俺は思わず目を見張った。
昨日まで初期設定の風景画だった彼女のアイコンが、今日のデートで一緒に食べたハンバーガーの写真に変わっていたのだ。
(……なんだかんだ、あいつもしっかり楽しんでたんじゃねえか)
ちょっとした嬉しさが胸に広がるのを自覚しながら、俺はベッドの上で静かに口元を緩ませていた。




