18話 あふれそうな気持ち、夏祭りのお誘い
自室のベッドに転がりながら、私はスマホの写真フォルダを眺めていた。殆どは街中で見かけた猫や、変な看板の写真。それら不要な写真を削除フォルダに移していく。
後に残ったのは、私の偽装彼氏――本城聡太といる時に撮った写真ばかりだった。
初めてのデートで行ったお店のハンバーガー。音ゲーに夢中になっている聡太。初めて撮ったプリクラ。二人で歩いている時に、こっそり撮った後ろ姿。
どれも消せない、大切な思い出。
それらの写真を見る度、偽装の恋人として彼と重ねた沢山のあれやこれやが、まるで昨日のことのように蘇る。
陽キャに絡まれてる私を助けに来てくれた時の声も。
初めて繋いでくれた手の温度も。
プールで抱きすくめられた時に感じた鼓動も。
同人誌イベントで周りの男性客に『この子は俺の彼氏だ』と言い切った時の、あの表情も。
――ぜんぶ、ぜんぶ、好きだ。
偽装彼氏である本城聡太という人間に、私は痛いほど本物の恋をしている。
◇
じりじりと肌を焼く直射日光から逃れ、市民図書館の大きな軒下の日陰で、私は聡太を待っていた。
夏休み後半。爆撃のような蝉しぐれが降り注ぐ中、手持無沙汰に鞄の紐を触っていると、向こうから聡太が現れた。
少し明るめのブラウンの髪に、耳たぶではシルバーのピアスが光っている。今日もいつものように陽キャのガワで完全武装だ。
「わるい、待たせたか」
「別に、今来たとこだし」
そっけなく言い捨てると、私はすぐに彼に背を向けて図書館の自動ドアをくぐった。
今日は浅川さんから借りた『マル秘ハナノート』で、夏休み明けの試験に向けた勉強会だ。
館内はよく冷房が効いており、席につく頃には汗もスーッと引いていた。だが胸のざわつきだけが、どうにも収まらない。
「よしっ、やるか」
隣同士の席で、真ん中にハナノートを挟んで私たちはそれぞれの筆記用具とノートを広げた。
「……」
「……」
紙を擦るシャーペンの音と、時折ページをめくる音だけが、図書館の静寂の中で静かに響く。
なんとなく、空気が重い。
チラリと横目を向けると、聡太は難しい顔でハナノートを見つめたまま、ピタリと手を止めていた。
「……何よ。進んでないじゃない」
沈黙に耐えかねて声をかけると、聡太はバツが悪そうにヘラリと笑った。
「いや……ちょっと解説見てもよく分かんなくてさ。ここの数式なんだけど」
「……これは前の単元の応用。こっちで出した数字をここに代入すればいいだけよ」
「あ……本当だ。ありがとう雪」
聡太の表情がふっと緩む。陽キャのガワの向こう側にある、中学の頃と同じ屈屈のない笑顔が間近に迫って、私は慌てて視線を教科書に戻した。
――下の名前で呼び合うことを強要したのは、私からだ。初めてのデートの時、恋人として不自然だからと、嫌がる聡太にそう命じた。
だけれど私は未だに、彼から『雪』と名前で呼ばれる度、胸がドキドキして落ち着かない。
それからしばらく無言の時間が続き、少し休憩を取ることにした。机の上では飲食禁止のため、私たちは各々の水筒を持って館内の休憩スペースに場所を移した。
一人分程度の距離を空けてベンチに腰掛け、冷たいお茶を一口飲んだ。すると不意に、聡太が窓の外に視線を向けた。
「そろそろ夏休みも終わっちゃうな」
「……そうね」
「雪とプールに行ったり、同人イベントに参加したりさ。初めてのことばかりで、なんだかんだ楽しかったよ」
さりげなく告げられた言葉が、胸の奥にストンと落ちていく。
楽しかった。聡太がそう思ってくれたことが嬉しくて、けれど同時に臆病な私の心の中では、意地悪な疑問が首をもたげた。
「ねえ」
「ん?」
「私とばかり一緒にいて……聡太は、本当に楽しかった?」
「なんだよ急に……そう言ってるだろ」
怪訝そうに眉を寄せる聡太を、私はまっすぐに見つめる。
「本当は……私なんかじゃなくて、クラスの一軍の、もっと明るい女の子とかと一緒に過ごした方が良かったんじゃないの?」
自分でも驚くほど、トゲのある言い方になってしまった。
私といることが、偽装の義務感によるものではないと、ただ確かめたかっただけなのに。
「なっ……」
聡太は一瞬だけ言葉を詰まらせた。そして少し恥ずかしそうに視線を泳がせ、ぽりぽりと頬を掻く。
「お、俺なんかじゃまだ、そういう派手な人たちとは緊張するというかさ……。前に雪が言った通りだよ。いくらガワを取り繕って陽キャのフリをしたって、所詮俺の中身は陰キャのオタクだから」
聡太はそこで言葉を区切り、今度は少し照れくさそうな、けれど真っ直ぐな笑顔を私に向けた。
「……雪とだから素でいられるっていうか、一緒にいてこんなに楽しかったんだと思う」
ドクンと、心臓が跳ね上がった。全身の血が一気に顔へ集まっていくのが分かる。
ずるい。ずる過ぎる。そんな不意打ちの笑顔、反則もいいところだ。そんなことを言われて、ただの偽装の相手だなんて割り切れるわけがない。
――好き。大好き。今すぐその胸に飛び込ませろ。
などと、素直に言えれば苦労はしない。
破裂しそうなほど高鳴る胸の音を必死に抑え込む。ぷいと顔を背けながら、冷たさを装った声で突き放すようにしながら立ち上がった。
「……そろそろ、勉強再開するわよ」
そうしないと、真っ赤になっているであろう顔も、今にも溢れ出しそうなこの気持ちも、すべて彼に悟られてしまいそうだったから。
◇
学習スペースに戻ってからは、私たちの間に再びの沈黙が流れた。
雪とだから楽しかった、という言葉の余韻が耳の奥でずっとリピートしていて、私は無表情を保つだけで精一杯だった。
手元のノートに視線を落としながら、カバンの中に入っている地域の夏祭りのチラシのことで頭がいっぱいになる。
言わなきゃ。
これは新学期のカモフラージュのため。偽装恋人としての設定を補強するための業務。変な意味なんてこれっぽっちも無い。
そう自分に何度も言い聞かせるけれど、喉の奥がキュッと締まって、なかなか言葉が出てこない。
気づけば、窓の外は少しずつオレンジ色に染まり始めていた。
「ふぅ……今日はこの辺にするか」
聡太が大きく伸びをして、参考書を閉じ始めた。
まずい、勉強会が終わってしまう。今言わなきゃ、次いつ会えるか分からないのに。
「……あの、さ」
消え入りそうな私の声に、聡太が「ん?」と反応する。
「何、雪?」
「……これ」
私は四つ折りにしたチラシをカバンから引っ張り出して、机の上に広げた。
「……夏祭り?」
「そう。私たちの家の近くの神社であるやつ。新学期が始まったらクラスの陽キャグループで『彼女と夏祭り行った?』みたいな話になるでしょ。ちゃんと設定を固めておかないと聡太の事だからボロを出すはずよ。だから私と」
脳内で練習していた言い訳を、早口でまくし立てている途中――
「行く」
――私の言葉を遮るように、聡太が即答した。
「え……?」
「行くよ。俺も新学期用にそういうエピソード必要かなーって思ってたしさ!」
嬉しそうにスマホのカレンダーを開き始める聡太。
あっさり了承してくれた嬉しさと、やっぱり彼にとってもただの設定作りなんだという事実に、胸の奥が少しだけ痛む。
それでも……彼にとって義務感の偽装でも、私にとっては大好きな人の隣を歩くことができる、最初で最後になるかもしれない本物の夏祭り。
「……じゃあ、来週の土曜日。夕方の六時に聡太の家の近くのコンビニで待ち合わせね」
「おう、分かった」
バカ聡太。そんなに嬉しそうな顔をされたら、私の仮面が剥がされてしまう。
閉じたノートをカバンにしまいながら、私は必死に、胸のドキドキを平常心で抑え込んだ。




