16話 偽装カップルの試練、爆発する独占欲
そして運命の日が訪れた。
同人誌即売会の当日。会場内は、冷房が効かないほどの凄まじい熱気と、各地から集まったオタクたちの熱情で満ち溢れていた。
開場と共に一般入場口から入場した俺は、人混みをかき分けながら、浅川さんと雪が先に待っているサークルスペースへと向かった。
「聡太氏、こっちこっちー!」
浅川さんの声が聞こえ、俺はそちらへ視線を向けた。
そして次の瞬間、俺の思考は完全に停止した。
「雪……って、うおっ!?」
そこにいたのは、頭に小さな悪魔の角を生やし、胸元がハート型に大きくくり抜かれた、布面積が絶望的に少ない黒の衣装を纏った雪だった。
サキュバスを模したそのコスチュームは、雪のワガママバストをこれでもかと強調し、暴力的なまでの存在感を放っている。
いや、なんつー破壊力だよ!
「……な、何よその目は……」
雪は顔を真っ赤にし、恨めしそうに俺を睨んできた。
今にもこぼれんばかりの豊満な胸元を隠すようにしながら、腕をクロスさせている。その姿勢が余計に自分のバストを目立たせていることなど、意識が回っていないようだ。
「い、いや、変な意味じゃない! 普段と違う魅力というか、新たな発見というか、とにかく、その……すごくいいと思うぞ」
「うう……恥ずかしすぎて死ぬ。お願いだから殺して……」
「雪氏、サキュバスたるもの、もっと自信を持って『ざぁこ♡』と言い放つザマスよ!」
「言えるわけないでしょ!!」
そんなやり取りをしていると、浅川さんのブースは忙しくなり始めた。実は相当な人気作家だったらしく、彼女の元にはスケッチブックの執筆依頼が殺到していく。
更には雪の圧倒的ビジュアルのサキュバス姿が誘蛾灯のように機能して、気付けばブースの周辺には凄まじい人だかりができ始めた。
「あの子ヤバくね?」
「マジもんの神コスプレイヤーじゃん!」
「写真いいですか!?」
飢えた狼のようなオタクたちの視線が、一斉に雪へと集中する。
その異様な熱気とプレッシャーに、恐怖で一歩後ろへ引く雪。
「ぴゃぁぁ……」
見知らぬ人間が一気に押し寄せてきたことでいつものコミュ障が発動し、雪は完全に怯えきっていた。
その時、俺の脳裏にあの日の帰り道の約束が蘇った。
『彼氏として、全力で護衛を務めなさい』
――そう言われたはずだろ、俺!
この気持ちは雪への庇護欲か、あるいはどす黒いほどの独占欲か。いずれにしろ俺は、劣情を滾らせた男たちの視線に雪が晒されるのが、どうしても許せなかった。
俺は鋭い目つきで周囲のオタクたちを睨みつけながら、雪の前に一歩踏み出し、その華奢な身体を遮るように立ちはだかった。
「すみません、うちの売り子は撮影NGなんで! 本の購入者以外は下がってください!」
毅然と言い放った俺に対し、いかにもオタクっぽい一人の男性客がチッと舌打ちをして吐き捨てた。
「チッ、キモッ。彼氏ヅラかよ」
「あ?」
俺は一歩も引かず、そいつを真っ向からギロリと睨みつけた。
「俺はこの子の彼氏なんだが、何か文句あるか?」
「ひっ……す、すんません!」
ガワだけは一軍陽キャのソレをまとった俺の気迫に圧されたのか、オタク風の男は逃げるようにして人混みの中へと消えていった。
完全に周囲を威圧し、毅然とした態度で雪を背中に隠し続ける俺。背後では雪が涙目で固まったまま、俺の服の裾をギュッと強く掴んでいた。
「……んん〜! 最高の尊み成分を受信中ンゴね〜!」
修羅場の一方で、浅川さんはペンを走らせながら、満足そうな笑みを浮かべていた。
◇
イベントの終了を告げるアナウンスが響き、あれほど熱気に満ちていた会場からは潮が引くように人がいなくなっていく。
俺たちは荷物をまとめて会場を後にし、近くのファミレスへと入店した。
冷房の効いた店内。サキュバスからいつもの私服に戻った雪は、疲れ果てた様子でパフェのアイスを口に運んでいる。
「いや〜、今日は大収穫でありんした! 雪氏のおかげで本も完売、スケブの依頼も過去最高!」
メロンソーダのグラスを片手に、浅川さんはホクホク顔で戦果を報告した。そしてニヤニヤとした笑みを浮かべながら、ずいっと雪に顔を近づけた。
「というわけで雪氏。大好評につき、次の冬コミも看板娘をお願いしていい? 次はもっと布面積を削ったハイレグ系とか――」
雪はパフェのスプーンを持ったまま、完全に顔を青くして固まっている。
俺はグラスをテーブルに置き、浅川さんの言葉を遮るようにして、こう告げた。
「悪いけど、浅川さん。雪のコスプレはこれっきりにさせてくれ」
自分でも驚くほど、トーンの低い真面目な声だった。
もうあんな風に、他の男たちのイヤらしい視線に雪を晒したくない。
あの衣装の破壊力を知っているのは、俺だけでいい。そんな独占欲が、自分でも気付かない内に完全に形成されていた。
浅川さんは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに全てを察したような深い笑みを浮かべた。
「彼氏さんにそんなガチトーンで言われちゃ、これ以上は食い下がれないンゴね〜」
「からかうなよ……」
「いやいや! 聡太氏のプライスレスな独占欲、ごちそうさまでヤンス!」
ヒューヒューと煽ってくる花を無視して隣を見ると、雪が真っ赤になった顔を隠すように、メニュー表の裏に完全に隠れてしまっていた。
虫よけとして始まった、折尾雪との偽装恋人関係。
気付けば俺の胸の奥に芽生えた感情は、もう完全に偽装の枠を飛び越えようとしていた。




