10話 狂犬ギャルの襲来、初めての手繋ぎ
中間テストという名の地獄が終わり、教室では解放感に満ちた生徒たちの声が響いていた。
浅川さんの指導のおかげで、無事に赤点回避に成功した俺と雪。教室の外に出て、しばらく歩いていると。
「お、推しカプ発見!」
廊下の向こうから、いつもの軽いノリで手を振る浅川さんの姿が見えた。
「浅川さん、この前はどうも――」
お礼を言おうとした俺の視線は、彼女のすぐ後ろに立つ見知らぬ少女に釘付けになる。
女子にしては背の高い浅川さんよりも、更に高い。髪は黒のウルフカットで、切れ長の瞳も相まってクールな印象を与える。
スタイル抜群で全体的に大人っぽい見た目をしている彼女は、簡単には人を寄せ付けなさそうな独特なオーラを放っていた。
(モデルみたいな人だな……)
そう思ったのも束の間。その少女は、俺の隣にいる雪のつま先から頭までを、獲物を品定めするような恐ろしい目でジロジロと見回し始めた。
雪の身体がカチコチに固まる。
次の瞬間、その少女は凄まじい速度で急接近し、雪の両手をガシッと掴んだ。
「ぴゃっ!?」
「かんわいいぃぃぃ〜!!」
突如として、少女のクールな仮面が完全に崩壊した。
「ひ、ひえ……っ」
「ほっぺモチモチで柔らか〜い! なにこれ天使!?」
狂ったように雪の頭をなで回し、そのまま両手でほっぺをぷにぷにぷにとこねくり回し始める。
「あはは、この子は私のクラスメイトの黒崎杏。可愛いモノを見ると見境無くなっちゃう病気なんだよね〜」
「小さい……フワフワ……尊いが具現化してる……生きててよかったぁ……」
完全にトランス状態に入っている黒崎さんの腕の中で、雪が涙目でこちらを見る。その瞳は悲痛なSOSを俺に送っていた。
「あのぉ、黒崎さん?」
「なに」
ギロッッ!!!
(俺に向ける顔、怖ぇーーー!!)
一瞬で般若のような顔になった黒崎さんにビビり散らかしながらも、俺は必死に声を振り絞った。
「ゆ、雪は恥ずかしがり屋だから、その辺で勘弁してくれないかな〜なんて……」
「誰なの、あなた」
「本城聡太。一応、雪の彼氏、なんだけど……」
「はああぁぁっ!!?」
その大声に、雪の身体がびくっと跳ねる。黒崎さんは俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで身を乗り出してきた。
「こんな、こんなっ……チャラそうな見た目のナヨっちぃ男が、この子の、彼氏……!? 絶対に認めないわ、この子の可愛さは絶滅危惧種! 国家レベルの保護対象なのよ!」
「そんなこと言われても……」
「ハイハイ杏さん、その辺でストーップ!」
浅川さんが間に入って、黒崎さんの襟首を後ろからグイッと引っ張った。
「この二人は私の大事な推しカプなんだから、尊み成分の供給が無くなったら私が困る。これ以上邪魔するならもう勉強教えてあげないよ? 今回赤点回避できたのは誰のおかげかなー?」
「ううう……花さまのおかげです……」
黒崎さんは一瞬の内に、ガルガルモードから従順な子犬へと切り替わった。
「じゃあほら行くよ。お二人さん、邪魔してごめんね〜!」
「ガルルルル……」
浅川さんに引きずられながらも、黒崎さんは最後まで俺を威嚇し続け、曲がり角の向こうへと消えていった。
「な、なんか騒がしい人だったな……」
「怖い……やっぱり陽キャ怖い……」
しばらくの間、雪は生まれたての小鹿のように、ガタガタと膝を震わせていた。
◇
放課後。夕日に照らされた帰り道を歩きながら、雪はようやく人心地ついたように息を吐いた。
「さっきは酷い目に遭ったわ……」
「なんつーか、予想外の方向から騒がしい人が来たな」
「私、あの人苦手。無理……」
「まあ、変な奴に目を付けられたもんだな」
他人事のように呟いた俺の言葉に、雪がピタッと足を止めた。眼鏡の奥の瞳が、冷徹な光を取り戻して俺を射抜く。
「聡太、自分の役割を忘れてない?」
「え?」
「最初に言ったわよね。聡太に彼氏役をやらせてるのは、私が変な人間に絡まれたくないからよ」
「お、おう。覚えてるよ」
「だったら! もっとちゃんと彼氏ヅラして私を守りなさいよ!」
「えええ……そんなん言われましても、相手は女子だし……」
「私がその気になれば、いつでも聡太の中学の卒アルをクラス中に公開出来るんだからね」
「分かってるって……! それだけはマジで、人生終わるからやめてくれ!」
必死に手を合わせる俺に、雪はふっと視線を斜め下に落とした。その横顔が、夕日の赤とは明らかに違う熱を持って、みるみる紅潮していく。
「だったらもっと、コイツは俺の女だ、みたいな……そういうの、してくれなきゃ……また、変なのに、狙われる、から……っ」
消え入りそうなたどたどしい言葉で、そんなことを要求してくる雪。
顔を真っ赤にして俯く彼女の姿を見ていたら、俺の胸の奥が、どうしようもない衝動でいっぱいになった。
たじたじになりながらも、俺は右手を伸ばし――雪の小さくて白い手を、そっと包み込むように握りしめた。
「!!」
雪の身体がびくっと強張る。
お互いの体温が、手のひらを通じてダイレクトに伝わってくる。心臓の音がうるさすぎて、耳の奥でドクドクと警報のように鳴り響いていた。
「こ、こういうことでいいのか……?」
「……」
「い、嫌なら……振りほどけよ」
俺がそう告げても、雪は何も言わなかった。
その代わりに、ほんの少しだけ、俺の手をぎゅっと握り返してきた。
(何だこれ、手柔らかすぎだろ、心臓うるさい、顔熱い、やばいやばいやばい!!)
偽装のはずの関係が、初めて繋いだ手の熱によって、完全に溶かされていくような気がした。
夕暮れの帰り道、俺たちは一言も発せられないまま、ただ繋いだ手の感覚だけに全てを奪われていた。




