第八十九服 自分次第
(同じだ…)
いや、この人ほど苦しんだわけではないのだから、同じだなんて烏滸がましいのかもしれないけれど…。
──やりたいことのない中で出会った、茶という世界。
血筋でなければ…という自ら作ったコンプレックスの壁に臍を曲げて、逃げようとした。
くだらないプライドだと気付かされて、もう一度向き合おうと決めた。
そして、やっぱり茶が好きだということを確信した。
そう考えてから、ふと自分の考えを改めた。
(全然…同じじゃない!)
今また、光瑠や先輩たちが悉く、すでに自分の進む道をその目でしっかりと見据えていることに焦りを感じて、茶を好きなだけでいいのだろうかと、ぐるぐると考え始めた自分がいる…。
(まだ…何も、していないのに。
まだ、入り口に立っただけなのに)
自分の共感覚も、茶のことだって、まだちっとも知ろうとしていないのに、周りのことばかり、進路のことばかり気になって、この人みたいに全力で向き合ってない。必死になろうとしてない。まだ、なんだか他人事だ。
「…あの…!!」
いつまで経っても食べ進められない皿と、一向に箸置きから離れない箸を視界に収めながらも、碧は腰を浮かせて雀雲を見据えた。
「…共感覚って、色が見えることって、雀雲さんにとって、どんな存在ですか?!」
「…?」
「俺…あ、僕…自分の中に浮かんでくるいろんな感覚をいつも感じるわけじゃなくて。
しかも、その感覚があることで茶に何かしらのアドバンテージがあるわけでもないし…」
そう言うと真紘露の方を無意識に見てしまった。
すると、真紘露はあの日の自分の発言を少々申し訳なく思っている表情を見せた。別に謝って欲しいと思ったわけではないのだが…。──そんな表情をされると自分が攻撃したように思えて、今度はその気まずさを隠すように目線をそらした。
「雀雲さんの書には、色が見えることは、その感覚は、なくてはならないものですか?」
『その感覚なんて、なくても問題ない』という回答を期待しているのか。
それとも『その感覚を使いこなすことができたから、今書道家としての自分がいるのだ』と言って欲しいのかはわからなかった。
雀雲は少し考えると、長めの前髪を小指でふわりと掻き上げて、碧の目を見つめた。
「まぁ、同じ『道』とはいえ、茶道と書道では考え方が違うかもしれへんけどね。僕はね…」
どちらの答えが返ってきても、次に質問したいことは、決まっている。
「結論、あった方が、カッコええ」
「へ…」
「ふふ。取材の時とかな、インタビューでそう答えんねん。
『雀雲さんのあの文字はどんなインスピレーションから生み出されるんですかぁ』とか、そんなん聞かれた時にな『文字から色が見えるんやぁ』って。
なんや、人と違うこと、格好良くあらへん?」
(え〜…)
悪びれもせずにそう答える雀雲に、鳥肌のようなゾワゾワとしたものが湧き立った。
自分の横に鎮座する美形妖怪と同じ要素を感じ取ったからなのかも知れない。
「あはは。というのは、冗談」
無意識に軽蔑したような碧の内心を感じ取ったのか、白い歯をきらりと見せて笑った。
「色が見えるんは『きっかけ』に過ぎひん。
いや、もしかしたら、『結果』かもしれへん。
僕は、色が見えることに救ってもらったんはあるけどね、その後は、どう自分でそれを超えられるか…や」
また、その人からゆらめく色が、紅く赫く染まっていくのを眩しく感じた。
「下手な字ぃ書いたら、グチャって色しはるんよ。ていうか、ええ色が見えるくらいのええ書は、百枚書いて一枚あるかないかや。
なんならな、まったく色が見えへんことなんて、いくらでもある」
「全身全霊を込めてな、これ以上息もできひんってくらい、身体中の全部使い切った後に…ようやく見えてくる」
「やからね、その感覚を、色を、どうするかは自分次第やし…もしそれが見たいって思うんなら、それが見えるまで、やるだけや」
その人を取り囲む色は次第に柔らかくなっていく。
「あとはね、たとえ色が見えんくなっても、今の僕なら、もう大丈夫やと思うとる」
「…!」
「まだまだ未熟もんやけど。でも、僕、よう頑張ってるもん」
ゆっくり、ゆっくりと、白く光って漂う。
「ごめ〜ん、答えになってへんかなぁ?」
雀雲は右人差し指で目の上にかかった髪を軽く耳にかけた。
「あの…俺…」
さっき言おうって決意したのに、また逡巡している。
この言葉を口に出そうって。
これを言葉にしてみないとって。
「あの…!
茶道家を…!目指したいんです!」
しんと静まる藤家の二人を直視することはできなかったが、心音の高鳴るままに吐き出したその言葉が本心であることに、碧は疑うことはしなかった。




