第八十二服 千歳の目
「すげぇ…こんなんワクワクっすね!」
光瑠がそう言うのも当然だ。他の二人も目を輝かせて千歳が持つスマートフォンを覗き込んだ。
「西陣織の技術で作る宇宙服やなんて、めちゃ夢あるわぁ〜」
そこには、京都大学の教授が西陣織の緻密な織の技術を取り入れ、高機能でありながら、無機質な宇宙服にデザインという要素を組み込んだと書かれた記事があった。
「この先生は大学院の教授やから、直接教えてもらえるわけやないけど。
うち、元々着物だけやなくて、生地の素材そのものや、織り方とか構造にも興味あって、工学研究の分野で新しいマテリアル開発ができるんは面白いんやないかって」
ここにも『自分の好き』を語る目が、一つ。
「宇宙服が作りたいわけやないんやけど、西陣織が宇宙まで行けるなんて、おもろすぎるやろ?
日本の織物技術がどんな夢を見せてくれるか、それが知りたいんや」
千歳のその顔は、銀次郎が料理を語る時、雪乃が京菓子を語る時、光瑠が焼き物を語る時、茉莉が茶葉について語る時、そして千歳が着物の話をする時のどれよりも輝いて見えた。
それは、好きなことや、やりたいことだけじゃなくて、未来を見ている…もっともっと先に、ワクワクしているんだ。
「色々調べて、それにはここが一番やと思ったんや。
やから光瑠も、一口に陶芸とか工芸いうても、いろんな道あるさかいに、視野狭めんと、いろんな大学見て、いろんな選択肢見つけてみるとええよ」
その笑顔には、裏側に隠れた『この道を見つけるまでに、自分も色々悩んだんだよ』という言葉がくっきりと浮かんでいた。
「千歳先輩! めっちゃカッケェっすね!」
その言葉は光瑠からだった。自分もそんなふうに素直に口に出してみたかったけど、なんだか出遅れて、大きく何度か頷くことしかできなかった。
やりたいことがあっても、普通はそんな気軽に京都大学の工学部に行こうとなんて思えない…と、少し前の自分だったら表面上の言葉だけを読み取ってしまう気がした。
けれどこの人がこんなにサラリと言ってのけたのは、その過程できっとすごく悩んだし、努力をしたんだ。だから、この人から滲み出る知性や品性は、生まれ持ったものじゃないんだと、内臓のどこかを強く掴まれたような感覚になった。
そして、少し前の自分なら、『なにも持っていない自分、やりたいことのない自分』と比較して心がザワザワしていた。そしてその胸の奥の揺らぎを隠そうとして逃げたり背を向けていた。
今の自分は…格好いいなとか、追いつきたいなとか、こんなふうになりたいなって純粋に思える。
「先輩!俺、今までやりたいこととか、好きなこととか全然無くて…今は、茶をやってて楽しいって思うんですけど」
勉強の時間なのに、いつの間にか進路相談室のようになっている…でも今のこの感情のまま言葉に出さないと、手繰り寄せたい何かをつかめなくなってしまうのではないかと思ってしまった。
「先輩みたいに自分のやりたいことから進む道を見つけるのって、どうやったらいいんでしょうか…」
千歳は少し黙った。よく考えたら、自分が楽しいと思えるのは茶だけなのに、そこから進む道がどうのなんて言われても、進路相談の先生に聞けと言われそうなもんだ。
「そやなぁ、結構いっぱいあると思う」
千歳はケロッとした表情で続けた。
「碧。茶は、日本の美学と哲学、つまり日本人の精神が創り上げた総合芸術やってこと、忘れたわけやあらへんな?」
「…!あ…」
「文化人類学、考古学、哲学…茶に関わる学問はいくらでもある。岡倉天心やって、美術家でありながら思想家や。もちろん建築とか、書とか掘り下げたらもっとや」
千歳は相変わらず優しく微笑んだ。
「『今』好きなことに向き合う方が、きっとその先の解像度も高くなると思うんよね。
やから、茶に関わる何かの中から、よりワクワクするのを見つけるのがオススメや」
その表情は最初に部室に行った時に見たあの気品と変わらなかった。
『茶に関わる何かの中から、よりワクワクするものを見つける』それは『茶は面白い』そう感じた時と同じ光を放っていた。
「光瑠もそうやけどな、頭柔らかくして、色々調べてみるとええよ。
あとなぁ、前提として大学で将来全部決まるわけやないよ。やりたいことを見つけたり決めたりするステップの一つなんやから」
光瑠を見ると、うんうんと頷いている。その目には、何かまた少し、淡く朧げな小さな光が宿ったように見えた。
「あとな、碧。
これはあまりピンと来るかどうかはわからへんけど…」
そう言って、千歳は少し言い淀んだが、一つ息をついて、僅かに強張ったような声で続けた。
「もし、碧が興味あるんやったら、茶道家を目指したってええんやで。
絶対に血縁やないと茶道家になれないわけやないんや」
「…!? 茶道家…!? って、血縁じゃなくてもなれるんですか!?」
自分の中で、何かが弾けた気がした。
『茶道家』という職業があることを知らなかった。というか、茶の先生とかはみんな茶道家なのか。そんなこと今まで全く意識もしていなかった。
「血筋が強い世界ではあるけど、ちゃんとその流派の稽古を重ねたら、その流派の名前で茶会を開いたり、もらった茶名を名乗っていいことになっとる」
「そうなんですね…」
「まぁどの流派に入門するかによって、免状や名前をもらえる過程も変わってくるけど…」
(ということは、あの人…フジ先生も、茶道家ってことなのか…)
「おお!ええやんあおっち!ひかるっちみたく大学で、ぶんか…じんるいがく?哲学?とか勉強しながら茶人めざすのありやん!
有名な茶道家になって、うちが合組した茶葉、つこうてや!」
茶師を目指す茉莉には、有名な茶人に認めてもらうことは重要なことだろう。
「気になるんやったら、知り合いの茶道家の先生、紹介しよか?」
「…え?」
予想したのとは違う言葉が返ってきて三人は揃って声を上げた。
「物腰の柔らかい、おばあちゃん先生やで。花道の先生でもある。うちは小さい頃からずっとその先生に習うとるんよ」
千歳は変わらず笑顔でそう続けた。
「え〜フジ先生に聞くんじゃあかんのです?」
茉莉の空気を読まない性格はこういう時に助かる…。
すると、千歳の目がまた『あの時』のように静かに、冷たくなった。
「あの先生は、藤の家の血筋というか嫡子・当代の長男や。参考にならんやろ。
それこそ、碧が嫌な思いするだけやと思う」
「あ〜そっかぁ…うち…いつも考え足りんなぁ」
茉莉は千歳の言葉をそのまま受け取ったのか、少ししゅんとした。
この、千歳先輩の目…前にも感じた、敵意のような…。
「さ、ちょっとお喋りがすぎたな。残りの箇所さらってから今日はもう終わりにしよか」
千歳先輩はやっぱり、真紘露さんと…というか、藤家と何かあったようだ。
気にするべきではないのか、このままスルーして何も気づかなかったふりをするべきなのか。
でも、千歳先輩の目は…。
静かで、冷たくて…悲しそうだ…。
参考記事:
Amateras Space株式会社、大阪・関西万博における京都大学主催イベントで、「西陣織」を使った日本発次世代宇宙服「VESTRA」を展示。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000166430.html
京都大学大学院総合生存学館SIC有人宇宙学研究センター(山敷庸亮教授ら)、岐阜医療科学大学、宇宙服開発のAmateras Space株式会社などの西陣織メーカーやベンチャー企業が参画し、伝統的な京都の絹織物「西陣織」の技術やデザイン性を応用した次世代の船外活動用宇宙服「VESTRA」の開発を進行。




