第七十九服 憧れ
「碧く〜ん!これ、昨日の調理実習で作ったんや〜〜食べてくれへ〜ん?」
昼休みになると同時に、プラスチックのタッパーが目の前に差し出された。
「テラ…それなにキャラ?」
寺崎は、家庭科に入部してから早速、活動日に積極的に参加しているようで、実習で作ったものを自慢げに翌日持ってきてくれる。
料理実習だけでなく、お菓子調理や裁縫を実施する日もあるらしく、今日はレモンパウンドケーキだった。
「テラ、めっちゃ部活楽しんでんじゃん。お、ウマッ」
タッパーに入れられたパウンドケーキは柔らかくてほんのりと甘い。
「いや〜やっぱり自分が何かを作り出すってええよな。
ただ…聞いてや〜碧〜」
「ん?」
「遠藤さん、他校にずっと付き合ってる年上の彼氏おんのやって〜」
「え、なに?もう告ったの?」
「いや、同じ家庭科部の女子と彼氏のこと話してるのが聞こえてきてん…」
「それは…ドンマイ…。まぁ、俺がいるじゃん」
わざとらしく寺崎の肩に手を回した。
「え〜碧はさ〜俺より茶道部とったやんかぁ」
寺崎は口を尖らせて碧からふいっと顔を背ける。午後の穏やかな日差しが、このいつもの会話をゆっくりと撫でる。
「テラが茶道より俺のこと本気にさせてくれたら、まだワンチャンあんじゃね?」
残りのパウンドケーキを寺崎に向けて「あ〜ん」と言いながら食べさせようとすると、寺崎はジロリと睨み、碧の指まで食べる勢いで思いっきり噛みついてきた。
「うお!冗談じゃん!怒んなよぉ」
「俺は、茶道やってるお前が好きっつったやろ!」
モゴモゴと口を動かしながら睨みつける寺崎の目は、全然灰色じゃなくて、キラキラしていた。
「はは、それじゃずっと片想いじゃん」
「ちゃう!俺にはまだ未来の彼女がどこかにおるし!茶道を選んだこと後悔させてやるからな」
「何の話だよ…!ウケる」
寺崎とのこのくだらない会話がいつも通りなのに、いつもより前を向いているのを感じる。
「なぁ、テラ」
「んぁ?」
寺崎はタッパーに手を突っ込んで、結局最後のパウンドケーキまで自分で食べて口をまだモゴモゴと動かしている。
「テラはさ、憧れの人いる?」
「ん?好きな子とかそういうことやなくて?」
「う〜ん、この人みたいになりたいとか、追いつきたいとか、そう思う人」
「あ〜、難しい質問やな〜」
「難しいって?」
「やって、そんなんたくさんおるもん!」
寺崎はけろっとした顔であっさりそう答えた。
「まずクリスティアーノ・ロナウドやろ、ほんで大谷翔平、ジャスティン・ビーバー、横浜流星、スラダンの三井、ヒロアカのかっちゃん…え〜とまだまだあるで、ハイキューの及川と…」
「お、おい!全部スーパースターじゃねぇか!そういうこと聞きたかったんじゃなくてさ!しかもちょっと厨二病!キャラの性格全部バラバラだし…!」
寺崎の憧れの人が一体どんな人かと思いきや、手の届かない面々に加え、漫画のキャラクターまで出てきて拍子抜けだ。
(そりゃ全部かっこいいけど…てかお調子者のくせに、及川みたいなモテキャラに憧れているのもちょっとウケる。つうかハイキューは月島派だったんじゃなかったっけ)
寺崎はハハッと笑いながら、碧のツッコミを気にもせず続けた
「あとな、孫正義と、クソ親父と、お前!」
「は?俺!?そのメンツの中に並列させんのおかしいだろ!」
「ええやん、ほんまやもん。スーパースターだろうが、親友だろうが、こんなふうになれたらええなって憧れんのは勝手やん!」
「!?」
『親友』…寺崎は屡々(しばしば)ドキッとすることを言う。
「言ったやん、茶道にまっすぐなお前、ほんまかっこええって。それが好きやって。碧のおかげで俺もやりたいこと素直に向き合えるようになれたんやで?
他のもおんなじ理由。かっこええなって思うやつに憧れるんは当たり前のことやろ?」
「…そう言われると…そうだけど」
「なんや、そういう人らがいるから、俺ら追いつけ追い越せっていつでもモチベとか保ってられんのちゃうん?
あ、それでいうと最近は料理人の土井善晴先生にも憧れてんねん。ええよ『一汁一菜でよいという提案』ちゅう本。今度貸したろか?」
寺崎の純粋な言葉たちが碧の中にするりと流れ落ちて、それらを堰き止めるものは少しも現れなかった。
たしかにそうだ…また俺は追いつきたいという気持ちを、変なプライドで複雑に捉え過ぎていたのかもしれない。素直に『追いつこう』と、がむしゃらになればいい。そう思えるようになっていた。
それと同時に、先日光瑠に言った言葉を思い出すと、咄嗟に言った言葉ではあったものの、光瑠が欲しかった言葉はこういうことだったのかもしれないと、自分の浅学さや不甲斐なさを悔しく思った。
「本当意外と大人だよなぁテラは。
本も、今度見せて。ありがと」
「ま、クソ親父の受け売りなトコもあるけどな。
なりたい姿がクリアな方がええらしいで!俺はたぶん目標が高ければ高いほど燃えるタイプやとおもうわ!」
寺崎のこういう何でも素直に言えるところに、本当に憧れる。
かっこいいとか、こうなりたいと思う気持ちは、もっと単純で簡単なものだったのだ。
「改めて、惚れ直したわ、テラ。
やっぱ俺のテラはそうじゃなくちゃな」
「ふん。今更俺の魅力に気付いても遅いで」
先に甘いものを食べてしまったのを気にもせずに寺崎は弁当箱を二人分取り出した。
なんと最近は碧の分のお弁当まで、美代子さんと一緒に朝家を出る前に詰めてきてくれているのだ。
碧はありがたく弁当を受け取った。
「そういえば、テラのお父さんてどんな人なの?」
寺崎のお父さんは、寺崎が中学に上がってすぐに離婚してしまっていない。
今までその話題を何となく避けていたが、憧れの人に『クソ親父』と出てきたのが、この間の光瑠の件もあってか、どうしても口が開いてしまった。
「クソかっこいいクソ親父だよ。今たしか四国にいるってババァが言ってたけど、研究者なんだよ」
「へぇ」
「なんや気まずいんか、全然連絡よこしてこおへんねん。
まぁ、最後派手に喧嘩しとったから、アレなんやろうけど。俺は、親父の仕事してる姿、めっちゃ好きやったけどなぁ…」
「ふーん…」
『へぇ』とか『ふーん』とか相変わらず気の利いたことの一つも言えない自分が情けないのと、こんな自分に何を憧れることがあるのかと思ってしまう。
「お前んちの親父もクソカッケェよな。フォトグラファー!」
「はは、いつも褒めてくれるよな。今度親父が帰ってきたら一緒に店行くな」
あぁ、なんかこの間会ったばかりなのに、親父に会いてぇな…。
ふとそんな考えが浮かんだ。
ここ最近茶道部では来る夏の全国高校茶道部選手権大会に向けて、お点前の練習に励んでいる。
夏の大会は、八月の最終土曜日に開催予定と聞いており、ちょうど親父が帰ってくる日程と重なっているはずだ。
──『俺、また親父といろんなとこ行きてぇとか思ってんだけど』
──『八月、帰ってくるから。夏休み、どっかいこーぜ』
(旅もたくさん行きたい…)
ふと、春戦での出来事が浮かんだ。
忙しい中父親が会場に姿を現してくれた時の茉莉の嬉しそうな表情。
(親父、大会見にきてくれるかな…)
昼休みはいつもの通り、あっという間に終わった。
今日は水曜日だから部活がある日だ。また少しそわそわしながら、何とか六限を終えた。
「また明日な」と言って別れる。
寺崎は母親が切り盛りする小料理屋へ。
碧は茶道部へ。
それぞれの『なりたい』にまっすぐに進むために。




