第七十八服 陸郎叔父さん (キャラクターイラストあり)
しばらくの間、下絵付けを黙々とやってみたが一向にコツが掴めない。
七代目・黒兵衛をみるとまた畳敷きに寝転がってエロ本を読んでいる。
「お、やってるな!
あー君が碧くん、鮑ごちそうさま!さっき残りのを美味しく頂いたよ」
「陸郎叔父さん!お帰りなさい!早かったね!」
工房に顔を見せたのは丸い眼鏡をかけてヒョロリとしており、スッキリと切り揃えられた清潔な頭髪と色白の肌は文学青年のような風貌の男性だった。
「信楽のええ土もろてきた。父さんも気に入ってくれると思うわ」
陸郎叔父さん。光瑠のお母さんの弟さんだというその人は、年はお母さんと一つしか変わらないと言うことだから、おそらく四十歳前半だが、柔らかな話し方と穏やかな笑顔はまだ三十代前半のようで、絵に描いたような好青年に見える。
エロ本を読むそこの老人の息子と言われると納得がいかない。
「お!すげぇ!俺も明日その土触りたい! じいちゃん、いい?」
光瑠は新しいゲームを買ってもらった子供みたいにはしゃいでいる。
「おお。ええよ。
今からちと見てみようか。 陸郎、こっちまで運んでもらえるか?」
老人は変わらず寝転んだ態勢のまま読んでいたエロ本を少し下げ、ちらっと目を覗かせてそう声をかけた。
「あ、父さんこの間エロ本全部捨てたはずやのに!まさかゴミ箱からまた持ってきたん?
没収や!」
陸郎はそう言うと入り口に平積みにされているエロ本を回収していく。
「え〜陸郎〜そんなぁワシそれがないと創作活動に支障出るんやぁ〜」
老人は泣きながらエロ本を捨てようとする陸郎の腕にしがみつきズルズルと引きずられている。
(光瑠の行動パターンは確実にじいちゃん譲りだな…ってことは光瑠もエロ本読んでんのかな…)
陸郎は老人の懇願に構いもせずその人が持っていたエロ本も取り上げた。
見かけによらず力持ちなその人は、腕にしがみつく老人をポイっとあしらった後、表に置いてあった土の入った箱を台車に載せて運んできた。
その箱には三色の土があった。
「信楽の土っていろんな色があるんですね」
陸郎が取り出す土を見ながらそう呟くと、その人はこちらを見て柔らかい笑顔で三種類の土を少量ずつ取って碧の手に乗せてくれた。
「このクリーム色っぽいのが、カエルの目って書いて『蛙目』っていう種類の土。
石英の砂粒がたくさん含まれてて、水に濡らすと粒がキラキラって光るんや。ちょうど蛙の目みたいに。この砂粒が成形を支えてくれるんやで。
んで、この焦茶色の土が『木節』や。黒い筋が見えるやろ。これ、何やと思う?」
それぞれ触ってみると全く違う硬さと感触だった。
クリーム色の土よりも滑らかで柔らかなその土には黒い筋がいくつも見えた。
「それな、植物の化石や。何百万年、何千万年前に生きてた植物がそん中で生きとる。なんかロマンやろ。京焼で使う土の中でも、これが柔らかくて一番使い勝手がええ。
一方で、こっちの赤みがかったんが『実土』いうて、粘りも腰もなくて、鉄分とか不純物も多いから使いにくいんや」
「え?使いにくい土をわざわざ?」
「ああ、そうや。実土は木節と混ぜると、絶妙な化学反応を起こしてくれるんや。木節粘土は焼き締まる温度が高すぎるから、実土を混ぜて温度を下げてやったりするんよ。
まぁ、それぞれの個性を発揮させるように混ぜるんが結構難しいんやけどな」
陸郎はそのまま穏やかな顔で土を轆轤の置かれた部屋の奥に運び入れた。
(いつだか、光瑠から京都は焼き物に適した土は取れないからいろんな土をブレンドすると聞いたけど、こういうことだったのか)
奥の部屋を覗くと、光瑠のじいちゃんと陸郎が土を触りながら何やら話しているようだった。
(というか、陸郎叔父さんは『手伝いをしている』と言っていたけれど、この窯を継がないのかな?)
* * *
「碧、今日はありがとな!駅まで送るよ!」
あの後さらに小一時間ほど下絵付けをしてみたが、うまく描こうとすればするほど自分のイメージとは裏腹に、思うように筆が動かなかった。
そのまま何も生み出すことができずに終わった。
自分が何を、誰を思って、これを描いているのかも、わかることができずに。
だいぶ日が長くなった。西陽はまだ高い位置から二人の影を短く落としている。
「今度さ、轆轤も回しにきてよ! 土いじってるとさ、なんか癒されるんだよね〜」
光瑠は頭の後ろに手を回しながら、明日の土いじりを思い浮かべてウキウキした足取りだった。
光瑠は自分のあの教科書のような絵をなんとも思っていないんだろうか?
それとも、下絵だからなのだろうか、本番の色絵付けではもっと光瑠らしい印象に変わるのだろうか…。
光瑠をチラッとみると、他の地域の土の話をしている。
(マニアックすぎて頭に入ってこない)
それとも、光瑠は絵付けよりも土いじったり、成形したりする方が好きなだけだろうか。
(それに…なんであの陸郎叔父さんは『手伝い』なんだ)
でもこれらの質問はなんだか光瑠を傷つける気がした。
「碧、いろんな疑問、頭ん中に浮かんでんだろ?」
「あ〜いや〜」
光瑠は相変わらず勘の鋭いやつだ。
でも、下絵について聞くのは気が引けた。『光瑠らしくない』なんて、自分の口から言えたことじゃない。
ただ、陸郎叔父さんのことも、事情ありな感じでなんだか口に出したくなかった。
すると光瑠は後ろに組んだ手をするりと外して、ポケットに手を入れて少し俯いた。
「陸郎叔父さんの本業は、建築士なんだよ」
光瑠は俺の戸惑いを察したのか、自分から口を開いた。
「え?あ、そっか、本業があるから『手伝い』なんだ?」
その言葉に、少し光瑠が考えてからこう言った。
「う〜ん。一度は窯を継ぐことを志した時期もあったらしいけど…。やめちゃったんだって。
理由聞いたらさ、『やっぱり、僕はあの人みたいになれる気も、追いつける気もしいひんわ…』って」
(…!)
「そんなことねぇって思うんだけどな。じいちゃんみたいになるとか、追いつくとか…」
光瑠は大きく嘆息した。
「陸郎叔父さんは、陸郎叔父さんなのに…」
光瑠は、見たことのないような苦しい顔をしている気がした。
「まぁじいちゃんの特殊能力は、確かにビビるけどな。
本心じゃないと思うんだけどね。やりたいって思ってるはずなんだよ。
でも家族もいるし。守るものが、他にあるのは仕方ないよ」
「光瑠…?」
「だから俺は陸郎叔父さんの分まで、この黒兵衛窯を守っていきてぇなって思ってんだよ。
俺が、じいちゃんに追いつくんだって」
光瑠の目は相変わらずまっすぐだった。
でも、やっぱり、苦しそうだ。強く眩しい光を飲み込んでしまいそうな黒い影が、そのまっすぐな瞳の中に浸潤して顔全体を覆っていく。
それは、今日出会った大きな壁とはまた別の何かが、光瑠の足首を強く掴んで歩を遮っているようだった。
(ダメだ…こういう時、光瑠だったらなんて言うんだろう
光瑠の苦しみが、なんなのかわからない…。でも…)
「光瑠…俺…!
たぶん全然言ってること、的外れかもしれないけど…。
じいちゃんみたいになりたいとか、追いつきたいとか…わかる気がする。
でも、だから!光瑠に託したんだよ!!光瑠が、光瑠自体がじいちゃんとは違うから!」
──自分で新しい道を切り開いて大成した人もおる。
──家に生まれた人らがみんな幸せとは限らん。
碧の頭の中には美代子さんの言葉が、繰り返されていた。
──要は自分がどうしたいか、それだけや。自分の心に素直に従った方がえぇ言うことやよ。
「だからさ、光瑠」
──碧くんの流派立ち上げたらええんよ。
──碧流?多比良流?かっこええやん。
「じいちゃんに、追いつく必要なんてないだろ。
光瑠だって、光瑠なんだからさ!」
光瑠が、この言葉をどんなふうに受け取ったのかはわからない。
余計なお世話だったかもしれない。
でも、光瑠のあの絵と、今の顔を何とかしたいと思ったのは本当だった。
そして、それは碧自身に言っている言葉だったと、自分でも理解していた。
「ありがとな、碧」
ほんの少し、淡く朧げではあるが、そのまっすぐな目には小さな光が戻ったように感じた。
「来週また、部活でな」
駅に着くと、光瑠はそれだけ言ってすぐにくるっと後ろを振り返り、駆け出していってしまった。
さっきよりも少し強くなった西陽がホームに侵入した電車の窓に反射する。
オレンジ色の光がまつ毛の間をくぐって差し込んでくるのが少し痛い。
「誰になりたいとか、追いつきたいとか…」
【黄色い線までお下がりください】
ホームに流れるアナウンスに紛れるようにそう呟いた。
「何のために、誰のために…」
(ここ一ヶ月…今まで考えてこなかったことばかりだなぁ)
電車とバスを乗り継いで帰っている間、ずっと西陽に追いかけられているようだった。




