第七十六服 七代目・清水黒兵衛
「なんか海鮮バーベキューみたいで楽しいな!」
綺麗にスライスされた鮑が殻の中でジュウジュウと音を立てている。
バターと一緒にお母さんが仕立ててくれた肝醤油を垂らすと庭中に香ばしい匂いが漂う。
親父にお礼言っておかないとな。
醤油蔵の撮影は順調だろうか。
鮑の他に、お母さんがホタテと大海老を持ってきてくれ、大葉で包まれたおにぎりと一緒に食べるのは格別だった。
光瑠のじいちゃんは、日本酒を飲んで機嫌が良さそうだ。
「ふ〜お腹いっぱい!
じいちゃん、そろそろ工房に碧を連れてってやっても良いだろ?
俺、じいちゃんの作品見てもらいたいんだよ!」
「え〜ワシも腹一杯になって、もう眠たくなってきたんやけどなぁ〜
光瑠が作ったもん見てもらえばええやないかぁ」
老人は満腹とお酒が入ったのとでとろんとした目を空に向けてやる気なく答えた。
「光瑠が焼いたやつもあんの?そっちも見てみたい!」
「いや…それは恥ずかしい…。まだ下絵付けも中途半端だしさ…」
「下絵付け?」
以前光瑠に見せてもらった写真のいくつかに、綺麗な絵が描かれた茶碗があった。
京焼は轆轤で成形した美しい形だけでなく、四季の草花を中心に色彩豊かな絵柄があることが特徴だと聞いた。
(そうか、下絵が必要なんだな)
「まぁ、とりあえず工房いくかね〜」
改めて工房に入ると、先ほど手前で見えていた部屋の奥にはさらに二つの部屋に分かれていた。
一つは窯出しした作品を保管するスペースで、外の登り窯と繋がっている部屋だった。
もう一つは器に絵付けをする作業スペース。
京焼は複雑な絵付けと豊かな色彩を再現するために温度を調整しながら何度も窯入れをして焼成を繰り返す。
素焼きをしたら、下絵、釉薬掛け、焼成をして、その後色絵付け、焼成…を何度か繰り返す。
柄や色によっては十回以上も窯から出し入れすることもあるのだとか。
作業スペースには何色もの粉が入った箱が置かれていた。
「京焼はいろんな説があるけど、茶道が盛んになった安土桃山頃から京都に広まったのが始まりなんだ。
粟田口(*東山山麓周辺のこと)を中心に盛んになったあと、ここ清水の五条坂に陶工や窯元が集まって陶業を協業したんだ。
そこから京焼は正式に『京焼・清水焼』って言われるようになった」
光瑠が焼き物を、『自分の好き』を語る時の目が好きだ。
光瑠は、色のついた粉を箱からいくつか取って見せた。
「京焼は、江戸前期に野々村仁清って人によって大成されたんだ。
それまでは『写しもの』っていって、高麗、唐物、瀬戸焼とかを真似て作ったものが焼かれていたんだけど、高い轆轤の技術からうまれる造形美と、豊かな色彩と絵画性が京焼の代名詞になったんだ」
光瑠は、濃い青緑色を帯びた黒色の粉を小さな器に出して水を入れて筆で溶き始めた。
「これが呉須っていって、下絵を描くときに使うんだ。
碧の右にある棚の上段に置いてあるのが、じいちゃんが下絵付けしたやつなんだ。
左の棚が色絵付け済み。
下絵だけでもすげえかっこいいだろ!」
素焼きした器に、花や草木の図柄、様々な紋様が藍色一色で描かれている。
…!
音が…聞こえる。
色が…混ざり合う。
土と火の匂いがする。
褐色や黄土、生成色など様々な土の色が溶け合い一つの光になっていく。
その光に小さな雫が一滴一滴と染み込んで、滲んだ輪郭はさらに周りと調和した渦塊となった。
ゆらゆら、由良由良。
ぐらぐら、溟溟。
ごうごう、轟轟…。
朱、緋、橙、鼈甲…炎がぐるぐると周りに立ち上がり、その渦に花や草木の姿を焼き付けていく。
…?
(これは…鳥獣戯画図…?)
『鳥獣人物戯画図』甲巻に描かれた兎や蛙、猿たちが炎と一緒にかけっこで遊びまわり、その姿は次第に炎と共に蒼白になっていく。
びゅうびゅう、陽雨、陽羽。
どんどん、曇怒ン…。
黒い雲に、不気味に笑う二体の鬼面が、蒼い渦の周りを大きな衝撃音を立てながら廻り始めた。
…風神と、雷神だ…。
その二体はあっという間に姿を消したと思うと、水面を弾く光のような煌めきが目に刺さった。
沙羅沙羅。
由羅由羅。
輝羅輝羅…。
あまりに眩しくて思わず目を閉じる。
…?水の匂いだ。
目をゆっくり開けると紫色の花の群生が、水辺で揺れていた。
これは、燕子花…?
おそらく、一秒か二秒、その程度の時間だっただろう。
走馬灯とはこのように頭の中で流れるのではないかと思うような、一瞬の映像と音と香りが全身を駆け抜けていった。
本当の走馬灯なら、目を開けた瞬間きっとこの世にいないんだろうけど、あの世へ行く理由も原因もないのでそんなわけがない。
これが『共感覚』なのだろうか…。
ただ、今頭と体を捕縛した映像は多分…。
「尾形…光琳…?」
「え?」
光瑠がぎょっとして聞き返した。
「いや、いつものさ、へんな感覚が出てきたんだけど。
尾形光琳っているだろ、日本画家の。
あれの風神と雷神、あと有名な燕子花図、屏風に描かれてるやつの。それが頭に浮かんでさぁ…」
ここは素直に話したほうが、前みたいに光瑠がその感覚を解き明かしてくれるかもしれない。
そう思って、躊躇しながらも呟くように声に出してみたが、光瑠は、少し眉間に皺を寄せた。
(尾形光琳は陶芸家じゃないし、さすがに意味わかんないかなぁ…)
碧の物覚えの良さは、映像としてその情報を頭の中に保存させるのが得意だったからである。
スポーツができるのも、体を動かすのが得意なのも、映像として記憶した通りにそれをなぞるような、記憶の引き出しを開け閉めする作業と一緒だった。
学校の授業、校外学習、父親との旅の経験で得られたものはある程度映像化されている。
とは言えもちろん全てではない。興味のないものからそれは引き出しの外に捨てられていく。
しかし、やはり美しいと感じたものや、それが放つ強烈な印象は、頭の奥深くに仕舞い込んでも、取り出すことができるようだった。
どこかの美術館で見た、いや、確か東京にいた時に行った根津美術館だ。
尾形光琳を見た。
頭の中で見えたものは、まさしくあれだった。
「なんでだろな〜、あとあの鳥獣戯画図のウサギとかカエルとかも踊ってたよ。はは」
(もはや意味不明かぁ)
眉を寄せた光瑠の顔をそっと覗き見る。
「な!聞いただろ?じいちゃん!!! 碧、本物だろ?!すげぇだろ!!」
光瑠は眉を寄せたまま目をきゅっと見開いて、老人の方を見た。
「あ〜面白いやつやのぉ」
老人はまだふさふさと生えている自身の白髪をなでながら、ニヤニヤと笑っている。
「碧、鳥獣戯画図は、京焼では好まれて使われる図柄なんだよ。
職人の遊び心が表現されるのと、いろんな色彩ではなく赤とか藍とか一色で描かれることが多いんだ。
じいちゃんも昔はよく描いてた!…あと」
光瑠の目にはさらに力がこもった。
「尾形光琳…その人は日本画家だけど、実の弟に尾形乾山っていう京焼の名工がいるんだよ!」
「?!」
「仁清の後に京焼を次のステージに押し上げた人だ。
京焼は色鮮やかな絵付けが特徴だけど、乾山は禅を学んだことから、書画風の作品も多いんだ。
実兄である光琳の意匠を取り入れた作品が多い一方で、寂びの作風も多い」
光瑠はじいちゃんが一週間前に窯出しを終えたという作品を指差した。
「清水黒兵衛窯の初代が、二代目乾山に師事して乾山の技法や意匠を学んだんだ。
七代目・黒兵衛のじいちゃんの技も、その系譜をしっかり受け継いでいる」
光瑠のワクワクしている目を見て、少し怖くなった。
光瑠が言っていることはわかった。
尾形光琳の意匠を取り入れた陶芸家である実弟、尾形乾山の技を受け継いだ清水黒兵衛という人の作品を見て感じた感覚。
これは本当に共感覚というものなのか。
そして、感覚が現れても理解できなければなんの役にも立たないのではないか。
そのためには、もっともっとたくさん学んで、やっぱりみんなに追いつかなければ…。
(一体どれだけ膨大な知識があれば、あの人のようになれるのだろうか…)
「碧くん、どうや、絵付け体験でもやってみいひんか?」
振り返ると、ニヤリと笑った老人は素焼きした器を手にとって、作業台に置いていた。
「お、それいいね!じいちゃん!
俺も下絵付けの続きやりたい!」
「えぇ、いいんですか?大事な作品に」
「かまへんよ。何枚焼いても、納得して店に並べてもらうんはほんの一部や。
それに、茶はな、知識よりも想像力が大事や」
頭の中にふとよぎったことを読み取られたかのようにそう言って、その老人は碧を椅子に座らせ、器と筆を手に取らせた。




