第七十四服 自分の決めたこと
光瑠のお父さんは霞ヶ関に勤める官僚だと聞いていた。
たしか文部科学省だと言っていた気がする。
光瑠はお父さんのことが苦手で、少し距離があるとのことだった…。
言われてみればなるほど、今日の蒸し暑いくらいの気温でもカチッとスーツにネクタイを締めた、見るからに堅物そうな男性と光瑠のテンションが合わないのはよくわかる。
「初めまして! 茶道部で一緒の多比良と申します。
今日は光瑠くんのおじいさんの作品を見せてもらいに来ました!
これ、差し入れの鮑です!どうぞ皆さんで召し上がってください!」
光瑠がチャラいヤツとつるんでいると思われないように、自分なりに目一杯丁寧な挨拶をしてみる。
「あ、碧…!!」
光瑠が焦ったようにしてこちらを見るので、何か挨拶の仕方が悪かったか、もしくはお父さんは鮑が苦手か…?と思ったが、その人は少しネクタイを緩めると怪訝そうな顔でジロリと碧を見て、思いがけない言葉を吐き出した。
「あぁ、君か。茶道部で一緒の同級生だというのは。
光瑠にそんなものやめるように君から言ってくれないか。
君も、将来なんの役に立ちもしないことに時間潰しをしている暇があったら、もっと他にやるべきことをやりなさい」
「…え?」
一瞬、聞き間違えなのではと思うほど冷たいため息と共に放たれたその一言は、碧の毛細血管を凍らせた。
「父さん!!」
光瑠が、先日喧嘩した時と同じくらいの大声を出した。
「なんでせっかく遊びに来てくれた碧にそんなこと言うんだよ!」
けれど喧嘩の時とは違う。
怒りと憎しみ、悔しさ、そして悲しさが混ざったような声色だった。
「別にここに遊びに来たことに対しては何も言っていないだろう。論点をすり替えるな。
私は、茶道部をやめて将来に向けて現実を見なさいと忠告したんだ」
「碧の将来のことにまで口出しする権利なんて父さんにはないだろう!」
「いいや。私は一人の大人として、そして文部科学省の人間として、日本の将来を担う若者たちの歩む道を正す責任がある」
再び碧をジロリと見た。
目の前にいるこの人は、どうして光瑠や茶道を否定しているのだろうか…。
「多比良くん。
君が趣味で茶道部にいるのであれば口出しするのはよそう。悪かった。
ただ、光瑠に茶道を勧めるのも、ここの窯を継ぐなんて馬鹿げた考えを後押しするのはやめてくれないか」
「…!?」
「父さん!! 俺は何言われたって絶対じいちゃんの後継ぐって決めたんだ!
それに碧には関係ないことだし、今そんなこと碧に話すのおかしいだろ!」
肩を震わせた光瑠の声は、一段と憎しみの色が強くなった。
スーツを着たその人はまた深くため息をつく。
今度のそれは冷たいだけじゃなく、ドス黒く重たいため息だった。
「光瑠。
窯業は明らかに斜陽産業だ。
1991年の約249億円のピークを境に、約25年間で6分の1以下の約40億円にまで落ち込んでいる。
現在は、経産省ではもう統計を出していないほどだ。
衰退する産業を担うことが、どれほど苦しいことかわかっているのか?
レガシーや伝統文化を守るという言葉は見た目は美しいが、現実までを美化することほど、愚かなことはない」
その人の言葉は、まるで機械かAIスピーカーから垂れ流される文字起こしのように淡々としていた。
「それに、一度に世に出せる品は多くない。一つ5,000円、高くても30,000円程度の茶碗を年間いくつ焼けばお前の生活は保たれる?
夢を見るのはやめて現実に向き合いなさい」
(何かを持って生まれても、家業のある家に生を受けても、やりたくない人もいれば…)
光瑠の口元は歪み、眉は釣り上がり、くしゃくしゃのくせ毛は逆立つようにして、その機械的な冷たい言葉に必死で耐えていた。
(やりたくても、否定されることもあるなんて…)
「それでも、俺はじいちゃんの技を残していきたい…」
スーツ姿の男の眉間には、さらに深い溝が刻まれる。
「黒兵衛さんの技を無くせと言っているわけではない。
現に、陸郎叔父さんが窯についているじゃないか。
お前がその責務を担う必要がどこにある。お前じゃなくてもいいだろう」
(これが光瑠の、絶対越えなきゃならない、でっけぇ壁…)
「光瑠。父さんはお前を心配して言っているんだ」
その人は右手で左の袖を少し引き上げ、ちらっと腕時計を見た。
「では、もう私は会議に戻るから。
光瑠。ちゃんと考えなさい。将来のことを」
そう言うと靴べらを手に取り、玄関に置かれたピカピカに磨かれた革靴に足を入れた。
光瑠は俯いたままだ…。
何か言わないと…。
俺が、救ってもらったように…。
何か…!
「あの…!
光瑠くんのお父さん…!」
「…?」
「お父さんは、文部科学省なんですよね…」
「そうだよ」
少し微笑んで答えたその人の声は、落ち着いた深く低い響きだった。
不思議と先ほどのドス黒い声はどこにもないように感じた。
「あの、文部科学省って、確か…文化庁を所管しているはずだと思うんですけど…」
小学校の課外授業で霞ヶ関見学があったとき、そのことを聞いたのを思い出した。
その時に文化庁の本庁舎は確か2023年に京都に移転されたと知った。
京都での会議ということは文化庁に関連しているのではないかと咄嗟に頭の中で結びつかせた。
「よく、勉強しているね」
「文化庁は…というか文部科学省も、日本の文化とかの保守や継承、普及のために設置されていると習いました…!
お父さんは、そのようなところに勤めているのに、それを否定するんですか?」
(う〜…しまった…これじゃ大人ぶって捻くれたガキのしょぼい抵抗だ…)
「ふむ。勤勉な多比良くんに答えてあげよう。
確かに、私たち文科省は、日本の文化を守り広げる責任がある。
しかし全てを守ることはできない。 私たちができるのは、その文化の功労者や本当に価値の認められたモノに一定のラベルを付与することで、その視認性と価値を高めることだ」
「逆に言えば、社会の中で価値の認められないものが自然淘汰されるのは、この社会の特性上、至極当然のことだ」
「さらに言えば、文化を守ることと、市場の向上や産業の保守、ましてや職人一人を守ることは、必ずしも繋がらないし、私たちの役割でもない」
(くそ、失敗した…。あんな小学生みたいな問いでエリートを説き伏せられるわけがない…)
「多比良くん。
君は、特進クラスらしいね? 将来の進路や何かやりたいことはあるのかな?」
「いや、今は、まだ…特には…」
「それならば、茶道などに現を抜かしていないで、今の問いの解を自分で見出せるように勉強に励むべきだとは思わないか?」
(言う通りだ…そうなんだけど…でも…)
──『面白いって感じる心とか、好きって気持ちに全力で向き合うことに、家も理屈も必要ねぇよ。
自分の心がどうしようもなくワクワクしている。動機はそれで十分だろ』
── 俺はこの言葉を、信じたいし、もっともっとその先を見てみたいんだ…。
「でも、茶道や、光瑠のやっていること、光瑠のお祖父さんのやっていることが価値のないことだとは思いません!
俺は茶道が好きだし、歴史が積み重ねてきたこの世界の価値に興味があるし、その気持ちに、今はとことん向き合いたいです。
俺はそう決めたんです。光瑠のおかげでそう思えたんです!」
「…。」
「だから、光瑠のことを応援したいし、茶道をやめろなんて死んでも言いません!」
「碧…」
「まあ、まだ高校一年生だもんな。
きっと、周りの友人が進路を決め始めた段階で、今の君の言葉を後悔するだろう」
明らかに見下したような言葉に、ふと握った拳に爪が食い込んだ。
「では、私は仕事に戻るから」
そういって、振り返りもせずにその人は玄関を後にした。
残された俺らは、やり場のない気持ちを鎮めるまでの少しの間、無言で玄関に佇んでいた。




